そのに
俺がその学校に転校してきた日、雨宮はすでにクラスで「白聖女さま」と呼ばれ、生徒からも教師からも慕われる人気者だった。対して俺はボカロ楽曲製作が趣味の生粋の陰キャ。雨宮みたいな陽の世界に棲む女の子とは卒業するまで関わることなんてないんだろうな。そう、雨宮のことを一目見たときに俺は確信した。でも、そんな確信は以外にもあっさりと崩れ去ることになる。
翌日の放課後。その日、たまたま忘れ物をとりに戻った教室で俺は、一人でクラス全員分の宿題のノートを整理をしている雨宮を目撃した。宿題の回収は日直の仕事で、今日の日直は雨宮じゃないはず。まさか雨宮、誰かから仕事を押し付けられてる……?
そう思った俺はつい聞いてしまった。
「こんな時間まで何してんだよ、雨宮。それ、お前の仕事じゃないだろ……」
「べ、別にいじめられてるとかじゃないですよ? ただ、日直の子から『いい子の白聖女さまならやってくれるよね』って頼まれちゃって、断れなくって。そうこうしているうちに担任の先生からも「雨宮は優等生だからな」って教室のお掃除を頼まれて、それを先にやってたらこんな時間になっちゃって……」
「……ッ! なんだよそれ。その友達も、担任も、都合のいいように雨宮のことを使ってるだけじゃないか! 雨宮に自分の仕事を押し付けた奴はどこだ? 今から文句言ってくる!」
そう言って飛び出そうとする俺だったけれど、それはかなわなかった。なぜなら、雨宮にぎゅっと腕を掴まれたから
「い、いいんです雪原さん! もとはと言えば『優等生』でなくなるのが怖くって断れなかった、弱いわたしがいけないんですから」
それから。雨宮は「こんな話、誰かにするのなんて君が初めてなんですよ」と前置きして話しはじめた。
「わたしの両親はすごく厳しい人で、物心ついた時からお母さんに『誰からも求められるような、優等生になりなさい』って言われてました。そしてその言葉は、今でも呪いのようにわたしを縛ってる。本当は『求められる優等生』なんて息苦しくってやめてしまいたい。わたしはお母さんの人形なんかじゃない! そう思ってるのに、優等生でいるのをやめられなくって、誰からも求められなくなるのが怖くなっちゃって、「優等生」だとか「白聖女さま」だとか求められたら、断り切れずに引き受けちゃうわたしがいる」
そう言って雨宮は視線を落とす。
「わかってます。本当は変わることに踏み出せないのはわたしが弱いせいで、それをお母さんのせいにしてるだけ。最悪ですよね、わたし。だから、『白聖女』なんて呼ばれる資格なんてわたしにはないんです……」
物わかりのいい優等生にしか見えなかった雨宮が抱えていた悩み。それは、少しも間違っていないのかもしれない。でも。俺は目の前の繊細な砂糖細工のような彼女のことを、烏滸がましいながらも「助けてあげたい」と思ってしまった。
「……なら俺が、優等生じゃない雨宮を必要としてやる」
「えっ?」
つい零れてしまった言葉に雨宮は目を丸くする。言ってしまってからちょっぴり後悔。でも、もう後には引けない。そう覚悟を決めた俺は、深く深呼吸して、まくしたてるように言う。
「誰かに求められるキャラクターにしかなれないなら、誰かに必要とされないことがこわいんだったら、俺が『優等生じゃない雨宮』を必要とする! だから少なくとも俺だけの前では、優等生であろうとしないでくれよ。雨宮が心の底から在りたいと思う自分でいてくれよ。もし誰かがそう言ってくれないと雨宮が踏み出せないなら、俺がその背中を押してやる!」
次の瞬間。雨宮の頬に一雫の涙が伝った。
「これまでそんなこと言ってくれたの、君くらいですよ」
「ですよ、じゃないだろ」
「へっ?」
「俺の前では優等生キャラ禁止。だから、俺の前では敬語もダメ」
俺の言葉に雨宮はしばらくぽかんとして、それから口元を抑えて吹き出す。
「あはは、何それ、って感じですけど……わかりました、じゃない、わかったよ、雪原修くん」
そう言ってぎこちなくはにかんで見せる雨宮。それはこれまでの白聖女としての上品な微笑とは違うように俺には感じられた。
それから俺と雨宮は放課後に2人きりで会うことが増えた。でも、十数年間、家でも学校でも続けてきた「優等生キャラ」ってのはそう簡単に抜けないらしい。いくら俺の前では優等生じゃない「悪い子」でもいいと口で言っても、どうしても雨宮は優等生キャラをやめられない。そんな雨宮のことをもう一押しするために俺が考えたのが、vtuberだった。
「ぶいちゅーばー?」
俺の提案に、雨宮はネットのことなど疎い優等生らしく首をかしげてみせる。
「そう。いきなりリアルで変わることが難しいなら、まずはなりたい自分をアバターに託して、そのアバターを演じる、って形なら、雨宮でも理想の『自分』に、ネット上だけかもしれないけどなれるんじゃないかな、と思って。そして本当になりたい自分になるには、そこからステップを踏んでいけばいい」
「……わかった。やってみる」
そして俺たちはあーでもない、こうでもないと意見を出し合ってvtuber雛森ナツミのキャラクター像を作り上げていった。清楚な黒髪ロングな雨宮と対照的な金髪ショートカット、物腰柔らかな雨宮と対照的にちょっとわがまま、読書が好きな雨宮と対照的にゲーム好きという設定。設定を付け足せば付け足すほど、雛森ナツミは雨宮と真逆な女の子になっていった。でもそれは他ならない、雨宮のずっと抑圧してきた「なりたい自分」そのものだった。
そうやって始まった俺と雨宮の配信活動。それでも、最初のころは中の人の雨宮の優等生感がどうしてもにじみ出てしまっていて、キャラと中の人が合ってないと叩かれることも日常茶飯事だった。でも。
続けていくうちに要領のいい雨宮はどんどん、本物の『雛森ナツミ』になっていった。最初はぎこちなかったゲーム配信も上手にこなすようになり、配信している時だけは、雨宮は周囲から求められる優等生ではなく、数百もの同時接続のファンを魅惑する、あざとかわいい後輩ヒロインになっていた。
リアルでの雨宮は今でも、たとえ俺と2人きりの時でも完全に優等生キャラを抜け出せていない。でも、ネットの中だけでも「なりたい自分」になれている雨宮のことを見ていると、俺は無性に嬉しくなった。そして雨宮も、そんな俺と雨宮だけの「なりたい雨宮になる活動」を楽しんでくれているみたいだった。
まあ楽しみにしすぎて、学校では2人きりの配信活動は秘密にしてるのに今日みたいにちょいちょいぼろを出しそうになるから、気が気じゃないんだけど。
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