ただ、貴方の事を喰べたいと思った

御厨カイト

ただ、貴方の事を喰べたいと思った


べてしまいたい」と、そう思った。


 この僕の隣で講義中にも関わらず、僕の肩に頭をのせスヤスヤと夢の世界へ飛び立っている彼女の事を。

 時折、そんな彼女の事を「可愛い」と思うのと同時に「べたい」「壊したい」という衝動に駆られてしまう。

べたい」というのは別に変な意味でもなく、ただ純粋に。



 これは僕が獣人が故の本能なのかは分からない。



 分からないからこそ……怖いのだ。



「………んぅう」



 良い夢でも見ているのか、笑みを浮かべる彼女の頭を撫でる。




 ……だが、一番怖いのはこの事が彼女に知られる事。

 多分、僕も彼女も傷つく結果になってしまう。

 それだけは避けねば。



 そんな事を考えていると丁度講義が終わった。


 続々と人が講義室から出ていくのを見て、僕はまだ寝ている彼女の事を起こす。



「……楓、起きて。講義、終わったよ」


「ん、んー………もう…終わったの……?」


「うん、楓がスヤスヤと寝ている間にね」


「あぁ……なるほど……なるほど……」



 まだ眠気が覚めていないのか「くわぁ」と大きな欠伸をする彼女。



「……えっ!?もう講義終わったの!?」



 そして、ようやく今自分が置かれている状況を理解したのか慌てた様子で体を前に起こした。



「え、うん、終わったけど……どうした?」


「今日の講義、今度書くレポートに必要な内容だったからメモっとこうと思ってたのに……あー、やっちゃった……」


「……ハハッ、楓は相変わらずだな。安心して、今回の講義の内容、僕も必要でノートにまとめておいたからさ。家に帰ったら見せてあげるよ」


「えっ、ホント?」


「うん」


「うわぁー!蓮、ホントありがとう!マジで感謝」


「いやいや、これぐらい……」


「その『これぐらい』の事で救われる人が今、目の前にいるんだよっ!」



 嬉しそうにはしゃぐ彼女。

 思っていたよりもオーバーな反応に苦笑いしながら返すと楓はニカッと笑い、僕の手を握った。







[べたい]







「……ッ」



 突然湧き出た感情に、僕は思わずパッと目を逸らす。



「どうしたの?」


「あ、いや……ごめん、なんでもない」



 不思議そうに首を傾げる彼女にそう誤魔化しながら、俺はドクドクと五月蝿く主張をしてくる鼓動を沈めた。



「……そう。じゃあ、今日の夕飯でも買って帰ろうか。何が食べたい?」


「うーん、楓の手料理が食べたいな」


「フフッ、何それ。それなら総菜じゃなくて何か食材を買おうかな」


「よっしゃ、楽しみ」



 その気持ちの現れか、僕の獣耳がピクピクッと動く。



 それを見てか、また彼女は「フフッ」と微笑んだ。

 少し恥ずかしくなった僕は居た堪れなくなった気持ちを隠すかのように顔を逸らし、立ち上がる。



「そろそろ帰ろうか」


「うん!」



 こうして、帰る準備を始める僕ら。







 ……あぁ、このまま何もなく幸せな日々が続いて欲しいな。










 ********









 それから何日か経ったある日。



 僕らはデート&お買い物という事でいつも行くお店よりも少し遠くのショッピングモールに来ていた。

 どうやら、楓が新しい服を買いたい様で服屋を色々見て回っている。


 ……のだが如何せんファッションに疎い僕は楓の後ろをついて歩くことしか出来ていない。

 今日は休日という事もあって、人や獣人が沢山いるのだが最早通行の邪魔になっていないか心配になるレベルである。



 ……あの症状についても……変わりはない。

 彼女の事を、楓の事を「可愛い」と思うたびに「べたい」と思ってしまう。

 そんな自分の事を怖いと思っている。

 何ら変わりはない。



「ねぇ、蓮、この服どう思う?」



 楓の声で意識が切り替わる。



「うーん、良い……じゃない?」


「もー、さっきからそれしか言わないじゃん」


「だって、服の良さとかあんまり分かんないんだもん。ていうか、楓ならその事よく知ってるだろうに」


「まぁ、そうだけど……それでも、やっぱり服とか好きな人に選んで欲しいものなの!」



 ムスッとした顔で上目遣いで訴えてくる楓。

 その表情が可愛いのと、服は着れればそれでいいと思っていたので少し申し訳なくなってくる。

 歩み寄ることにしよう。



「ふぅむ……そういうものなのか」


「そういうものなの!という訳で折角だから私に似合いそうな服、選んできてよ」




 そう言い残し、服屋の真ん中で1人取り残される僕。



 楓に似合いそうな服と言われてもな……何でも似合うと思うのだが……

 難しい。



 そんな感じで店内を見て回っていると、



「おっ」



 ビビッと来る服を見つけた。



 白い肌の彼女に似合いそうな、青みがかった肩の出るデザインのワンピース。

 値段など気にせず、彼女の元へ意気揚々と持って行く。



「これ、これが良いと思う」


「おー、まさかちゃんと似合いそうなのを選んでくるとは。分かった、ちょっと試着するから待ってて」



 少し驚いた様子で試着室へと向かう彼女。

 そして、数分後



「どう?似合うかな?」



 僕が選んだワンピースを着た楓が、笑みを浮かべながらクルリと試着室の中で一回転する。



 その瞬間、僕の中で「可愛い」という思いと「べたい」と思いが相対する。

 止まらない。




「私的には結構似合ってると思うんだけど、どう?」



[べたい]



「……う、うん、良く似合ってるよ。凄く可愛い」



[べたい]



「ホント?良かったー!それにしてもファッション分からないって言ってた癖に結構良い服選ぶじゃん!」



[べたい]



「……ハハッ、そ、そうだろう。一目見た瞬間にビビッと来たんだ」



[べたい]



「ふーん、良いセンスしてるね!」



[べたい]




 止まってくれない。




「……それにしても、蓮、大丈夫?」


「えっ?な、何が?」


「いや、なんか顔色が凄く悪いし……毛も逆立ってるから。どうかした?」



 楓が心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。

 そこで自分がただ呆然と立ち尽くしていた事に気付いた。

 我に帰り、咄嗟に首を横に振りながら誤魔化す。



「あっ……もしかしたらちょっと疲れが出ちゃったのかも。ほら、最近色々忙しかったからさ」


「……ホントに大丈夫?今日はもう帰ろうか?」


「そこまでじゃないから大丈夫だよ。ほらっ、折角だからさ、その服買おうよ。僕がお金出すから」


「……うん……分かった!じゃあ、もう一回着替えるからちょっと待ってて」



 試着室のカーテンがシャッと閉まる。







 ……今まで、ここまでのことは無かったのに。

 でも……我慢しなくちゃ……

 彼女に嫌われないように。



 ……ふぅ。




 逆立った獣耳をジッと隠すように抑えながら、僕はそう息を吐くのだった。













 ********








「ねぇ、蓮。何か悩んでる事、無い?」



 デートの一件のからまた何日か経ったある日。

 夕飯を食べ終わり、ソファに座りながらのんびりとテレビを見ていた僕に対して楓はいきなりそんな事を言って来た。



「えっ、そんな藪から棒にどうしたの?」


「いや……何となくだけど……最近、目を逸らされたりする回数が増えたなと思って」



 その言葉にギクッとする。

 上手く隠していたつもりではあったのだが……



「それに時折、顔色が悪かったりするからさ……ホントに大丈夫かなって、何かに思い悩んでるんじゃないかなと思って」



 何も言い返せずに俯きながら黙り込んでしまう僕。

 流石にずっと一緒に居たら気づくという事か。



 ……ここで言ってしまえば、どれだけ楽だろうか。

 だが、その心の安定よりも失うものの方が余りにも多い。

 第一にここまで人の事をよく見て、気遣ってくれる心優しい彼女の事を傷つけてしまう事になってしまう。



 だから……グッと抑え込む。



「大丈夫、何も悩んでることは無いよ。この間のだってただ単に疲れが出ただけだからさ。気遣ってくれてありがとう」



 これで良いのだ。




 すると、楓はパッと目線を下げ、いつの間にか無意識に拳を握っていたらしい僕の右手にそっと自分の手を添える。



「……ここまで我慢してまでも言ってくれないって事はそれ程までに辛い事なんでしょう?」



 沈黙しているという事は言った事が正解だというのを表すのに僕は黙ったまま。



「それに……自意識過剰だったらごめん。でも、蓮がここまで思い詰めるほど悩むのって多分私に対してのことだと思うんだ」



 当たり。



「それでも、私は蓮がどんな事を悩んでいようとも絶対に受け止めるから、寄り添うから。別れるなんてことしないから――」







「だから、お願い。全部吐き出して欲しい」







 目を真っすぐ見て、優しくそう言った。




 彼女もここまで言ってくれている。

 今度は僕が勇気を出す番。




 ……鼓動が速くなる。

 点けっぱなしにしているテレビの声がやけに大きく聴こえる。

 やっぱり、怖い。


 今まで積み上げてきたものがぼろぼろと崩れ落ちてしまう。



 怖い。



「大丈夫、大丈夫だよ、蓮」



 背中の撫でてくる彼女の動きに合わせて、一度深呼吸をする。



「ぼ、僕は、き、君の事を、『べたい』と、思ってしまっているんだ」



 言った。

 言ってしまった。



「……べたいって?」


「……そのままの、意味」



 彼女は今、どんな表情をしているだろうか。

 軽蔑しているんだろうか。

 恐れているだろうか。

 怖くて、顔を上げることが出来ない。



「……いいよ」


「えっ?」


「蓮がそうしたいなら、いいよ」



 驚きのあまり、パッと顔を上げる。


 そこには優しく笑みを浮かべている彼女の姿があった。




「な、何を言ってるのか分かってるのか」


「分かってるよ」


「分かってない」


「分かってるよ、別に痛いのなんて怖くない」


「そんな――」


「蓮の心の苦しみなんかと比べたら、そんなの苦じゃない」




 彼女は目を逸らさずにそう続けながら、ギュッと僕の事を抱きしめてくる。




[べたい]



「……ッ」


「蓮、大丈夫だよ」




 宝石のように笑顔が可愛くて



[べたい]



 太陽のように朗らかで



[べたい]



 天使のように心優しい



[べたい]



 楓の事を僕は



[べたい]



 べたくない




べ、たくない」



 涙が零れる。



「僕は楓の事をべたくない」


「うん」


「僕は楓の事を傷つけたくない」


「うん」


「僕は楓の事を大切にしたい」


「うん」


「でも、やっぱり怖い」


「大丈夫だよ。ずっと支えてあげるから」


「楓」


「どこかにきっと蓮が悲しまないで済む方法があるから。だから――」



 僕の事を優しく抱きしめ続けている彼女に僕は涙と共にそんな言葉を零していると、不意に点けっぱなしにしていたテレビの声が耳に飛び込んできた。

 その内容に僕ら二人の思考が止まる。



『このように動物などが「可愛い」と感じた対象に対して「べたい」「壊したい」という攻撃的な衝動に駆られる現象を「キュートアグレッション」と言います。これは脳の誤作動によって引き起こされる現象で――』






「……えっ?」






 ********







「……めっちゃ恥ずかしい」




 ソファの真ん中であまりの恥ずかしさに顔をうずめる僕。



「ま、まぁ……取り敢えず良かったじゃん。原因が分かってさ」



 それを隣で座りながら、ずっと慰めてくれる彼女。



「そうだけど……ずっと怖かったんだよ。僕の獣人としての本能が現れたんじゃないかって。それがまさかの脳の誤作動だったなんて……」


「……それでも私は結構嬉しかったな」


「え、なんで?」


「だって、今回の事が起きた原因ってさ、私の事を日常的に『可愛い』と思ってくれてたからでしょ?それってやっぱり、彼女としては凄く嬉しいよね」


「楓……」



 いつも天真爛漫な笑顔を浮かべている彼女だが、そんな今の笑みはいつもよりも何倍も可愛らしく見えた。

 それと同時に僕の彼女への愛しさがより一層強くなるのを感じる。



[可愛い]



 堪らなくなった僕は楓の肩をグイっと引き、そのままの勢いで唇を互いに重ねる。

 そして、離れた。



「も、もう、急に何~、心臓に悪いよ」


「これからもずっと楓の事、大切にし続けるから……その証」


「蓮……フフッ、これからもどうぞよろしくお願いします!」






 この可愛い彼女の事をこれから先、絶対に傷つけない。

 そう僕は今、改めて誓った。














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