悠久の時を超えた永遠の願い

憂々

プロローグ

2000年以上前に「胡蝶」と呼ばれる美しい少女がいた。

見たもの全てを魅了するその美しさと人々の心を癒す舞はやがて都に住まう者達の耳にも入り、我がものにせんと胡蝶が住まう屋敷に押しかけ争い事に発展する様になる。


人死にが出たとなったその争いを抑える為にその権化である胡蝶が国王の部下により捕らえられて処刑される日に、1人の陰陽師が声を上げた。


『その者を殺せば、この地に災いが降りかかる。草木は枯れて大地が割れ川は干上がり人や動物は息絶え、やがてこの中津国は滅びるだろう。』


だが、その言葉を聞いた国の王はその忠告を無視して数時間後に胡蝶の首を落とした。


そして、その後中津国は陰陽師が言った通り1週間の間に国が滅んだと言われている。


ー中津国伝説ー





桜が満開の今日、1台のバスがガタガタと音を鳴らしながら舗装されてるかも危うい道を真っ直ぐと走っていた。

乗客は今から行く町を目的としている数人の老人とラフな格好の少年のみ。

バスを待つ時間で散々質問攻めにして来た老人達は今や隣町から片道1時間近くある目的地にやる事も無くうたた寝をしていた。


1番後ろの席に座る少年はたった一つのボストンバッグを自分の隣に置き、窓の外の畑をただただ静かに眺めていた。

少しだけ開いた天井近くの窓から入り込む春の暖かな風が少年の髪をゆっくりと揺らす。

差し込んできた陽の光にそっと目を閉じて2ヶ月前の事を思い出した。


その日もいつもの様に「家業」の合間に春から入学する高校の準備に取り掛かっていた時にそれは起こった。

たまたまその日は「家業」が早く終わり、両親が不在の中1人で夕飯を食べていた時に鳴り響いたのは1本の電話。

何故か感じた胸騒ぎに恐る恐る受話器を取ってから内容を聞いて、駆け出した。


そして、そこで見たのは霊安室に眠る両親の遺体。居眠り運転のトラックとの正面衝突で即死だと聞いた。幸いな事に遺体は綺麗なもので今にも起きて自分の名を呼んでくれるのだとばかり思っていたが、それは数週間後に行われた葬儀でもう二度と無いのだと思い知った。

葬儀を全て行ってくれた田舎に住む祖父母から、その後引き取ると言われた時に周りの親族からは反対されたがそれを押し切って今日まで過ごして来た。

葬儀の合間に欲に目を眩んだ親族の元になんて行きたくは無い。


目まぐるしい毎日、悲しむ間もなく淡々とした毎日。まるで夏休みに祖父母の家に遊びに行くかの様な流れ。


だが、何もかもが違ったのだ。


産まれ育った家の家具が無くなり、部屋はもぬけの殻となってしまった我が家を見て初めて涙を流した。

葬儀で流れなかった涙は静かに畳に落ちて染み込み、やがて乾いて消えた。

どこからとも無く聞こえて来る自分を呼ぶ両親の声はもう、思い出の中の物となってしまった。



「ーーさん、ーーーお客さん、着きましたよ。」

「ん、あ……あぁ、すみません。」


肩を揺すられてゆっくりと目を開けた時、心配そうな運転手の男性から「大丈夫かい?」と声をかけられた。

どうやら自分は眠ってしまったらしい。

そっと頭を下げてからボストンバッグに手をかけて運転手にお礼を告げてバスをおりた。

少ししてから発車するバスを見送り「神無町入口」のバス停と周りの田畑と山道を見てからバッグを抱え直して一歩を踏み出した。




しばらくしてから大して景色も変わらない山道を登りきった時に見えて来たこじんまりとした町に視線を細くする。

いくつもの民家と小さな商店街、大きめな学校と広いグラウンドに町の総合病院と向かいの山には木々の間から覗く鳥居、それから


「……あれは、なんだ?」

遠くに見えた黒い靄を不思議に思いながらも「今は」と放置して踵を返して今度は道を下っていく。

そして、山道を降りきった所で見慣れた黒いスーツの男の姿を見つけて少しだけ足を早める。

「……渡瀬さん!」

「お久しぶりでございます、雪翔坊ちゃん。」

渡瀬と呼ばれたのは祖父母に仕える者で、一年中黒いスーツをピシッと着込みオールバックに纏めた白髪混じりの黒髪は整えられていて、シワやヨレ等を許さない完璧な男は目元を優しく細めて胸に手を当て少し腰を折って挨拶をする。どうやら迎えに来てくれたらしい。

雪翔は坊ちゃんと呼ばれる事に慣れているが「15歳にもなって坊ちゃんは」と考えていると頭に乗った少しの重みに気付き困った様に笑う。

渡瀬は言葉少なに「よく頑張りましたね」と告げると雪翔の頭に乗せていた手を優しく動かした後にそっと離してから「紫呉様と明子様がお待ちです」と道の脇に置いていた黒い車に雪翔を導いた。


車に乗りこみ渡瀬の静かで安全な運転で祖父母の待つ家に行く為に桜並木の道路を走っている時、突然ズキンと痛んだ頭に眉間に皺を寄せた。

目頭を撫で付けているといち早くそれに気付いた渡瀬が心配そうにルームミラー越しに見て来たが一言「大丈夫だ」と告げて息を小さく吐き出した。

和らいだその痛みに不思議に思いながら「忙しかったからな」と自分を納得させる。

「疲れが出たのでしょう。後で暖かなハーブティーでもお持ち致します。」

静かな渡瀬の低い声に目頭から指を離す。

「ありがとう、渡瀬さん。……それで、聞きたい事がある。」

「なんでしょう?」

運転しながら雪翔の話を聞く渡瀬はその質問の内容に少しだけ悩んだ後に答えた。

「紫呉様からその様な話は聞いておりません。それにここ最近は「あやかし」の動きも落ち着いているみたいですが、念の為紫呉様に一度確認致しましょう。」

「そうだな。」

渡瀬の言葉に悩んだ後、前方に見えて来た大きな日本家屋の屋敷にそっと詰めていた息を吐き出すのだった。



車を降りてから玄関を開ける前の事、車庫に車を置いてくると言った渡瀬に「大丈夫ですよ」と言われ、知らずの内に自分が緊張していたのがバレて、雪翔は苦笑いしながらも呼吸を整えて横開きの扉をガラガラと開く。

視線を上げた時数段上にいる広い玄関の真ん中に立っていたのは白くて長い髪を一つにまとめた祖母。

目が合った時に1歩踏み出してから手すりを使って段差をおりた祖母に微笑まれる。

「いらっしゃい、雪翔君。ここまで遠かったでしょ?今日からここが貴方の家も同然なのだから好きに過ごしてね」

落ち着きのある優しい声の祖母である明子は玄関先にも関わらず雪翔を抱きしめてから「おかえりなさい」と言いながら離れた。

こそばゆい思いをしながらも「ただいま、おばあちゃん」を告げた雪翔。

そして、その隣に居るもう1人を見てからそっと頭を下げた。

「今日からお世話になります、おじいさ……じゃなくておじいちゃん。」

ゆっくりと顔を上げてから無表情だった祖父を見てから待つ事数秒。

威厳も何も無くなりドバッと泣き出してしまった祖父の紫呉に力強く抱きしめられて、雪翔は目が熱くなりギュッと閉じた。

「よく、頑張ったな雪翔。」

「……っ!……はい。」

紫呉の強くも優しい声に幼子のように泣いてしまいたい衝動に駆られるのだった。


その後、車を置いた渡瀬が来るまでぎゅうぎゅうと抱きしめあっていた3人に、呆れる事なく自分も混ざり始めた事で、とうとう恥ずかしくなった雪翔がいそいそと体を離して4人はここで始めて玄関から場所を移した。



「……黒い靄、だと?」

「はい。ちょうど鳥居が見える山の方に向かってその靄は動いていました。でも、ここに来る前の車内で渡瀬さんに確認しても知らないと言われたので一応…………?おじいちゃん?」

「…………。」

考え込んでしまった紫呉の反応を待つ雪翔はトントンと聞こえて来た音に「渡瀬さんか」と当たりをつける。

「入りなさい」と言った紫呉の後に襖が開いた先にいた渡瀬はトレーにいくつ物お茶菓子と飲み物を持って部屋に入ってきた。

「失礼致します。」

丁寧に木目調のテーブルにお茶やコーヒーそれからハーブティー、それぞれの飲み物に合うお茶菓子をセットしてからある1枚の紙を紫呉に渡した渡瀬。

顔を上げた紫呉は隣に座る明子にそれを見せた後に反応を待つ事無く雪翔を見やる。渡瀬は静かに部屋を出ていった。


「昨晩、山に出現した鬼が「祓い屋」に祓われたらしいが、特に変わった事は無かったとの情報が入った。」

「……鬼、ですか。」

紫呉の声にゆっくりと明子も視線を上げた。


「そうだ。小型の鬼故に被害は無かったらしいが用心に越した事は無いだろう。雪翔も出歩く際は気をつけなさい。」

「……雪翔君、貴方の力が凄いのは私達も知っているけれど、無茶はしてはいけませんよ」

2人の言葉にしっかりと頷いた後、「黒い靄の事は渡瀬に探らせる」と言われて部屋を後にした雪翔。

廊下で控えていた渡瀬に「こちらですよ」と言われ案内されたのは2階の角部屋。

「……ここは、もしかして。」

雪翔の声に頷いた渡瀬はそっと頷くと懐かしそうに部屋を見渡した後「かつて信幸様が使ってたお部屋です」と言ってから頭を下げて部屋を出た。

既に並べられた雪翔の私物の数々。持って来てたボストンバッグは部屋の隅に置かれていたが、半分近くは雪翔の亡くなった父である信幸の私物も遺されていて、雪翔は胸を抑えながら父を呼ぶのだった。



粗方済んだ部屋の片付けと、明後日に控えた1人だけで行われる入学式に向けての準備を終わらせた雪翔はベッドに座りながら壁に下げられたカレンダーを見て、次に机に並べられた教材に視線を向ける。

今現在既に入学式は終わっていて、この町の高校に転入する事が決まっている雪翔はベッドに置いた真新しい高校の制服をそっと撫で付けた。

夕ご飯である歓迎会を渡瀬含めた4人で行った後に紫呉に渡されたのはこの町唯一の高校である「神無月高校」の制服と明子お手製の御守りで、先程袖を通した時はピッタリ過ぎて思わず渡瀬を2度見してしまった位だった。


「……何処に居ようと俺のやる事は変わらない。」

制服から手を離して、部屋に戻る前の紫呉の言葉を思い出す。


『今は、相楽家の当主云々の話は忘れて自由に学業を優先しなさい。』


これは、両親の死後にも親族同士で揉めていた話の1つ。

前当主であった父が亡くなってから次期当主は誰になるのかと意見が交わされているのと同時に雪翔の引き取り手について話がどんどん膨れ上がり、収拾がつかなくなった時親族全員を黙らせたのは紫呉と明子の2人だった。

現段階で未成年の雪翔に当主をやらせないといい、仮で紫呉が当主に収まった。

先々代でもある事から誰も意見が言えなくなりその場は流れたが、未だにその問題は何の解決にも至っていなかったのを雪翔は気にしていた。

だが、紫呉はそれを気にせずに学生生活を謳歌しろと言う。それに戸惑ったのは雪翔の方だった。厳格だった祖父は父が亡くなってから人が変わった。そう、優しくなったのだ。幼い頃から祓い屋としての何たるかを雪翔に叩き込んで来たから尚の事。

祖父に抱きしめられたのだって記憶にある限りでは今日が初めてだった。

明子はなんとも言えぬ顔で「不器用な人なのよ」と言っていたがその意味は今の雪翔には分からない。

でも、例え紫呉がそう言っていたとしても前同様に雪翔が祓い屋の家業を疎かにする事は有り得ないし、学業だって適当にする事も無い。何故なら紫呉や信幸の教育通り、両立してこそと思っているからだ。




雪翔がこの町に来て3日目、今日は入学式。

と言っても教職員数人と祖父母それから雪翔だけの校長室で行われるこじんまりとした物なのだが、雪翔以上に緊張していたのは紫呉だったとは言うまでもあるまい。

その後、式が終わると女性かと思える程の見た目の男性が「俺は桐生蓮水。お前の担任だ。着いてこい」と雪翔を教室まで連れていく時軽く学校を案内されながら1年の教室まで行くと、ガラリと開けられた時に全員の視線が雪翔に集中した。

クラスメイト達は「あれが」や「都会から来た」等と口々に話しており、すかさず蓮水が「お前ら静かにしろ」と気だるげに言った後黒板に雪翔の名前を書いた。


「軽く自己紹介ね。」

「……相楽雪翔、よろしく。」


「……それだけ?」

「はい。」

蓮水に言われて名前だけを告げた雪翔に女生徒は色めき立ち男子生徒は少しだけ気に食わない表情をしたが、雪翔は何ら気にする事は無く、蓮水に1番後ろの席を指さされて頭を下げてから移動した。


「んじゃ、お前ら今からーーーー」

蓮水の声を聞きながら進行していくクラス委員や係決めに軽いレクレーション。

雪翔はそっと黒板の文字から視線を外して廊下側の席に座る仲のいい男女を見つめた後に何事も無かったかのように黒板を見た。




キーンコーンカーンコーンと学校中に聞こえるチャイムの音と同時に雪翔の周りに集まったクラスメイト達に質問攻めされながらも何とか返していると、視線を感じてそちらを向いたら、先程の男女2人組と視線が合ったが何故か女生徒の方がプイッと視線を逸らして教室を出ていったのを慌てて男子生徒が追いかけたのを見ていた事に気が付いた女生徒が苦笑いしながら雪翔にコソコソと話しかけた。


「あぁ、あの子は綾小路桜子ちゃんよ。この町の「神子」に選ばれてからなんか凄く偉そうにしちゃって、あんまり皆から好かれてないのよ。その隣にいたのは幼馴染で「灯し人」の橋渡龍之介君……龍之介君は桜子ちゃんに振り回されて可哀想だよね。」

「……神子?それに、灯し人って?」

女生徒の言葉に「だからか」と思いながらも聞きなれない単語に首を傾げると、今度は男子生徒が話し始めた。少しだけむくれる女生徒にはお構い無しだ。


「そっか、相楽はこの町に来たばかりだから知らないのか、神子って言うのはーーーー」




帰りのホームルームが終わり、下駄箱で外履きに履き替えるまでお話好きの女生徒達がわらわらと雪翔の周りをウロウロしていたが、今は誰も居なくなった。

何故なら雪翔の目の前にいるのは、先程話題に上がっていた苦笑いの龍之介と不機嫌そうな桜子だったからだ。


「……。」

「……。」

先程から雪翔と桜子は口を閉ざしたまま何かを話す事無く意味無さげに見合ってるだけで微動だにしない。

そんな2人を見る龍之介がポリポリと頭をかいた後に桜子の肩を叩くと1歩前に出て「ごめんな〜」と雪翔に話しかけた。


「えっと、相楽君だったよね?俺の名前は橋渡龍之介で、こっちは綾小路桜子って言うんだけど、その様子じゃクラスの奴らから俺達の事聞いたよね?」

「……聞いたのは2人の名前と「お役目」だけだ。」

龍之介の言葉に桜子から視線を移して頷いた。それに少しだけ反応した桜子には気が付かないフリをした雪翔に目を細めた龍之介は「だよねぇ」と表情を変えて笑顔になり口を開く。

「その役割を誰かに教えてもらったなら俺達から話す事は何も無いけど、もし分からない事あったら言ってよ。答えられる事があったら教えるからさ。」

「……ああ。その時は頼む。」


「またな」とそのまま何事も無かったかのように去っていく2人だったが、少し先でピタリと立ち止まった桜子がくるりと雪翔に振り返った。

「…私は神子のお役目に誇りを持ってるの。だから、誰が何と言ってようと気にしたりしないわ。だから、何も知らないあの人達に貴方が何かを言う必要無いのよ。でも、あんな事言ってくれたのは貴方が初めてだわ。……ありがとう。」

最後は蚊の鳴くような声でポソポソと告げた後に顔を真っ赤にして駆け出してしまった桜子を慌てて追いかける龍之介も、雪翔に向かって「ありがとな!」と大きく手を振って去っていった。

雪翔は「嵐のようだな」と思いながらも自分も校門に向かって足を動かすのだった。



『ーーーって事で神子と灯し人はこの町にとって大事な役目なんだけどさ、俺あいつら嫌いなんだよね。だって昔っから偉そうにして調子乗ってんだぜ?それにな、相楽。あいつらには近寄らない方がいいぜ?』

『……?』

『あいつらに近寄ると、悪いもんまで引き寄せて呪われるからな!』

『……悪いもん?』

『そうだよ相楽君、特に桜子ちゃんは危険なの。桜子ちゃんの近くにあった物が勝手に壊れたりとか落ちてきたりするから、呪われてるって噂があるの。だから、怖くて誰も桜子ちゃんには近寄れないのよ。』

『……。』

『それが原因で橋渡の奴も1度大怪我したって噂もあるしよ。でも、ざまぁみろって感じだよな!調子乗ってるからそーなるんだよ!』

『……何がおかしいんだ?』

『え?』

『人が傷ついているのに何がおかしい?』

『……え、いや、だって……』

『相楽君?』

『なら、お前達も自分の家族が同じ目にあってもそうやって笑っていられるのか?……俺は何も知らないからあの2人の事を言う資格は無いが、これだけは分かる。あの2人の佇まいは一朝一夕で出来る物では無い。血のにじむ様な努力をした結果だ。それを他者が勝手に噂して笑って良い物では無いのでは無いか?』




学校から家までの帰り道。

車で通った時同様に桜並木の近くを歩いていると、風に乗って何かが聞こえて来た。

「……?」

それを聞いてから再び突き刺すように痛み出す頭に立っていられなくなり近くの桜の木に手を着いた雪翔は、荒く呼吸をしながらその痛みを耐えた。

「……っはぁ、はぁ……っう。」

グルグルと回る視界と聞こえるノイズのような音に痛む頭。

漸く収まった痛みに流れる汗を拭い立ち上がろうとした瞬間、クラリと体が揺れてそのまま倒れると思って痛みに耐えたが、グイッと力強く支えられた事に気が付くが、霞む視界越しの人影に「誰だ?」と思いながらも意識を手放した。


閉じゆく視界の最後に聞こえたその音は酷く心に響く物だった。



薬品の匂いと誰かが話している声を聞きながらゆっくりと目を開けた雪翔。

見知らぬ天井だが、嗅ぎなれた匂いにここが病室だと気が付きここに居る経緯を思い出して首を動かした時思ったよりも近くから「気が付いたかい?」と声がかかりそちらを向くと白衣に身を包んだ初老の男が人好きそうな笑顔で雪翔のおでこにそっと手を当てた。

「熱も無いし、血圧も正常。慣れない土地と今までの疲れが出たんだろう。そろそろ相楽のじいさんの所の渡瀬君が来るだろうから少し横になっていなさい、雪翔君。」

その言葉に頷いた雪翔は自分の弱さにため息を吐いた。両親の墓前で「安心して」と誓ったのにこの有様。このままでは不安にさせてしまうな、と考えていると、フと違和感を感じて数回瞬きをした。倒れる時に見た人影の事だ。

もしも自分の予想が正しければ、ここまで連れて来てくれた人物が居ると言う事や紫呉と明子にも連絡を入れてくれたと言う事実が有る。後で先生に聞いて恩人にお礼を言わねばならない。


そして、何故か先程から感じている懐かしさはひとまず置いておく事にする。



「雪翔!!無事だったか!?」

「心配かけてごめん。俺はもう大丈夫だよ」


「雪翔君、明日は念の為に学校を休みましょう?もう少しゆっくりしてからでも大丈夫な筈よ?」

「いいえ、もう体調も良くなったし平気だよ。」

渡瀬の迎えで家まで帰ってきた雪翔を出迎えた祖父母にギューっと抱きしめられながら物凄く心配させてしまった事を申し訳ないなと思いながらも、その温かさにじんわりと心が解されていく感じがする。

ついでに渡瀬も同じような事をしていた。


遅くなってしまった夕食を4人で食べてからお風呂に入り明日の準備をしていると、夕食時に言われた人物の事を思い出して放課後にでもお礼を言いに行こうと決意をした。



その数日後にあんな事が起こるなんて夢にも思わずに。

それをきっかけにどんどん生活が変わっていく事なんて今の雪翔には知らない事だった。










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悠久の時を超えた永遠の願い 憂々 @uuukoko

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