第33話 寂しさに包まれる辺境伯夫人

 翌朝。

 早起きできた、というより眠れなかった。アリスター様は私の身を案じてくださるけれど、ご自分の身がどれだけの者たちに慕われ、心の支えになっているのかをご存知ない。

 私もまた、その一人だからこそ分かる。そして、シオドーラがアリスター様に惹かれる理由もまた……。


 しかし、そんな寂しそうな顔で見送ることはできない。アリスター様は逆に、思いっ切り名残惜しそうにしていたけれど。


「行かれてしまいましたね」


 隣に立つサミーが、私の気持ちを代弁するかのような声音で言った。

 誰もいない、玄関。いつまでも立っている私に気を遣ったのだろう。そっと、ショールをかけてくれた。


 もう中に入りましょう、と言わない優しさに甘えてしまいそうになる。けれど、私が中に入らない限り、サミーにも寒い思いをさせてしまうのだ。


 主人失格だな、と思いながら振り返り、無理やり笑顔を作った。


「サミー。部屋に温かい飲み物を用意してくれる? 一緒に温まりましょう」

「はい。奥様」


 玄関を開けるサミーの指先が赤かった。私は両手で頬を叩く。


「奥様!?」

「大丈夫。いつまでもくよくよしていられないからね。気合を入れたの」

「だからって、冷たい頬にムチを打つような真似はよしてください。寿命が縮まってしまいます」

「大袈裟なんだから」

「いえ、ご主人様から、奥様に傷一つ、つけないように言われていますので」


 サミーの言葉に、心配そうな顔のアリスター様が脳裏に浮かんだ。


「ふふふっ。旦那様らしいわ」


 エントランスに入ると、モワッとした温かい空気に包まれる。

 昨日、アリスター様が立っていた場所。ここで何度も立ち話をしたこと。さっき出ていったばかりなのに、もう会いたくて仕方がなかった。


 それくらい、私はアリスター様を愛しているのだと自覚する。

 シオドーラが悪い噂を流そうが、何か仕掛けてきたとしても、私はここを出ていかない。


 アリスター様の隣は私のもの。誰にも譲る気なんか、ないんだから!



 ***



 アリスター様が率いる騎士団が巡回に出てから、数日後。私は部屋でボーとすることが多くなった。


 勿論、ダリルから兵法を学ぶことは怠っていない。

 それと同時に、巡回の日程を確認し合う場でもあったからだ。さらに、ダリルは秘密裏にアリスター様と連絡を取り合えるのだという。


 けれどそれは緊急事態のみ。簡易魔法陣で手紙をガーラナウム城に転移させることができるのだ。

 但し、魔力を使うため、敵に位置を察知されてしまうのが難点だった。故に、頻繫に使用はできない。


 だから、勉強を見てもらう度に私は確認してしまうのだ。


「ダリル。アリスター様から連絡はあった?」

「まだ始まったばかりですから、余程のことがない限りはありません。心配でしょうが、我慢してください」


 幸いなのは、それをわずらわしいと思われていないことだ。私が聞く度に、温かい視線を向けられる。

 恐らく、アリスター様が十三年もの間、私を好きでいてくれたのを知っているのだろう。

 いつもなら恥ずかしくなるのに、そう感じないのは、それだけ心配しているのだ、アリスター様のことを。

 寂しくて辛い想いが、私の心を支配していたせいでもあった。


 それを払拭するには、展望台へと行くのが一番。様子が見られなくても、体感はできる。しかし、一人で展望台に行くことは、アリスター様に禁止されていて叶わなかった。


「サミー、ガーラナウム城の様子はどう?」


 私自身、城内を散策して使用人たちを見てきたが、それだけでは分からないことがある。皆、いつもと変わらない姿を見せてくれるから。

 しかし、サミーからは違って見えることもあるだろう。


「今のところは問題ありません。白い蝶の目撃情報も」

「……っ! 私はダメね」

「奥様?」

「自分のことばっかり。気をつけるように言われていたのに、頭の中は旦那様のことでいっぱいなの」


 何のためにアリスター様は巡回に出たというの? 『最後の策』と言っていたじゃない。それなのに……全く警戒できていない。

 今回はシオドーラのことだけど、本当に隣国や魔物が攻めてきたら? いくらダリルに学んでも、役に立たない。


「辺境伯夫人、失格ね」

「それならば、代わってくださいませんか?」

「え?」


 部屋には私とサミーしかいなかったはず。扉もノックされた音ばかりか、開いた音もしていない。


 それなのに、金髪の女性が立っていた。背後には白い蝶が気持ち悪いほど大量に、それも密集しているのが見える。大きさは扉ほどだろうか。


 扉? まさか!?


 私は部屋の中を改めて確認した。すると、扉が見当たらない。あった場所らしきところには、白い蝶が密集している。つまり、入口を塞がれたのだ、シオドーラに。


 扉の開く音がしなかったことから、恐らくその白い蝶を利用してこの部屋に入ったのだろう。

 何て女だ。聖女の力をこんなことに使うなんて……!


「お久しぶりです、辺境伯夫人。いえ、ブレイズ公爵令嬢」


 私の心境などお構いなしに、シオドーラは微笑んだ。聖女とは思えないほどの不気味な笑顔で。

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