第31話 幸せなひと時(アリスター視点)

 天蓋カーテンをそっと開ける。

 すでに日が暮れていたお陰で、僅かな光がベッドの中を照らしてくれた。


 その薄暗い光でさえも、ピンク色の髪は美しさを損なわない。撫でたくなる衝動に駆られて手を伸ばした。


 毎日ベッドを共にして気がついたことだが、メイベルは眠りが深い。

 寝起きが悪い原因は判明されていないが、それを無理やり起こされれば、機嫌が悪くなるのは当然のような気がした。


 常に眠りが浅い俺は、いつ緊急事態が起きても動けるようになっている。

 しかしメイベルの場合は違う。今日のように、気を失うように眠りにつけば、髪を撫でても、頭に触れても、体の位置を変えたとて起きはしない。そう、乱暴に扱わなければ。


 だから、メイベルの体を引き寄せる。すると寒く感じたのか、抱きついてきた。


「これはこれで嬉しいんだが」


 肝心のメイベルの寝顔が見られない。

 明るい内から試みようとすると、「誰かが来たら」と言われ。けして誰も来ないように仕向けても、「明るいところは……」と断わられてしまう。


「それでも嫌われていないだけマシか」


 十三年前のように叩かれることはないのだから。


「ん~~」

「すまない」


 俺が温めなかったのが、ご不満だったようだ。そっと天蓋カーテンを閉めて、メイベルを抱きしめる。


 夕食も取らないで、二人して寝室に朝まで籠っていれば、さすがに噂になるだろう。できれば明日の昼頃までいられれば、さらに……。


 そうだな。途中でメイベルが起きたら催促してみるか。


 俺は口角を上げながら、メイベルの髪をそっと撫でた。



 ***



「お昼になったら、起こしてくれる約束だったではありませんか!」


 だから承諾したのに、と悔しそうな顔で、フォークを口に入れたまま俺を睨む。

 その姿が可愛いと言ったら、メイベルは躊躇ちゅうちょなく、傍にある枕を投げるだろう。寝起きでなくとも、手癖は悪かった。


「気持ち良さそうに寝ていたんだ。無理に起こしたくもないし、俺も怪我をしたくないんでな」

「うっ」


 バードランド皇子に怪我をさせたことを思い出したのだろう。

 さて、ヘソを曲げる幼妻をどうやってなだめるか。


 自分がメイベルの機嫌を悪くしたことなど棚に上げて、俺は思案する。時刻はすでに三時を回っていたが、メイベルと共に行きたい場所があったのだ。


 ベッドの上で遅い昼食を食べるメイベルはまだ、寝間着姿。俺は立ち上がり、扉へと向かおうとした。すると、後ろからベストを引っ張られる。


「どこに行くんですか?」


 不安そうな青い瞳に、思わず俺は座り直した。


「サミーを呼びに行くだけだ。すぐに戻る」

「……まだ食べています」

「動きたくないのか?」

「違います」


 どうやら、メイベルが求める答えを導き出せていないらしい。


「……今日はずっとこのままなのかと、思っていたんです。旦那様と」

「一緒にいるさ、ずっと」

「でも……」


 自惚れでなければ、メイベルは片時も離れたくない、と言っているように見えた。すると、答えが自ずと出てきた。


 メイベルは不安なのだ。勝ち気な性格でも、首都で大事に育てられていた、まだ十八歳の少女。作戦が無事に上手くいくのか、心配で仕方がないのだろう。


「何が不安なのかは分かる。だからこそ、行きたい場所があるんだ。多少は解消されるかもしれないぞ」

「……旦那様がそう言うのなら」


 お気に召した回答ではなかったのが、一目瞭然だった。けれど、少しはマシになったような気がした。



 ***



 その場所は、エヴァレット辺境伯領を一望できる、展望台。メイベルは、ここに到着した次の日以来だろうか。

 シオドーラが待ち構えていた、というハプニングはあったが、そう悪い印象ではなかったようだ。


「前に来た時は朝でしたが、夕方が近づいてくると、また違う景色に見えるんですね」


 石の手すりから、身を乗り出すようにして見る姿に、俺は慌てて腕を伸ばした。

 展望台は急に強い風が吹く時がある。メイベルは細くて軽いから、意図も簡単に吹き飛ばしてしまうだろう。いくらドレスに気を遣ったとしても、だ。


 現に初めて案内した時、その突風に飛ばされそうになっていた。傍に俺がいなかったら、と思うとゾッとしてしまう。


「心臓が縮まるようなことはしないでくれ」

「……申し訳ありません」

「いや、気をつけてくれればいいんだ。それに、この体勢の方が説明し易い」


 俺はそう言いながら、メイベルのお腹に当てた腕に力を込める。そして、遠くの方を指差した。


「見えるか。あれが国境のニルチ山脈だ」

「あそこが……険しそうですね」


 安心させるために連れて来たのに、逆に不安を煽ってしまったようだ。メイベルの頭に顎を乗せる。


「……重いです」

「そこまで体重をかけていないが?」

「頭だけでなく、背中にも寄りかかられたら重く感じるのは当然だと思いませんか?」

「つまり、離れて欲しいというのか?」

「そういうわけでは……」


 珍しい。メイベルが反抗しない。そういえば、今朝もすんなり受け入れてくれた。

 気がつくと、俺の腕を掴んで、逆に離さないような仕草までする。


 今までは何だかんだで受け入れてくれたが、それでも必ず一度は反抗していたメイベルだ。あまりの嬉しさに、メイベルの頬に触れ、顎をクイッと上に上げた。


「旦那様……?」


 そっと触れるだけのキス。メイベルにとって少しだけ体勢が悪いため、短めにした。が、視界に入ってきた存在の殺気に、俺は再びメイベルの唇に食らいつく。


「んんっ!」


 勿論、体勢を直して。深く長いキスをする。覗き見している者にも、よく見えるように。そう、またしても俺の命令を破ってここに来たシオドーラに対して……。

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