第30話 不安は解消された……?

 アリスター様とダリルから話を聞くこと、二時間。部屋に射し込む日差しが、右から左へと長く伸びていった。


 秋とはいえ、エヴァレット辺境伯領の冬は、首都よりも早くやってくる。

 その分、日は短くなり寒さもより一層増すという。いつの間にか、サミーが入れてくれたお茶が冷めきってしまうほどに。


 だから、そのお茶を変えようと、伸びてきた手を私は制する。


「このままでいいわ」

「ですが、奥様……」

「お願い。サミーもよく聞いてほしいの」


 メイドの本分なのは分かるけど、今はサミーも話し合いに参加してほしかったからだ。

 ソファーに座ることまでは強制しないから、せめてそれだけでも、と見上げると、渋々その手を引っ込めてくれた。


 私がここまで神経質になるのは、この作戦が思ったよりも単純で、難しいものだったからに他ならない。

 一歩手順を間違えれば、共倒れになり、領民の反感を買うことにもなるだろう。


 常に共にいるサミーにも、色々と動いてもらう可能性がない、とは言い切れないのだ。

 それが取り越し苦労であればいいのだけれど、アリスター様とダリルが『最後の策』というほどの作戦。念には念を入れる必要があった。


「では、決行は二週間後に」

「え? そんなに早く!? 準備ができるの?」


 ダリルの言葉に私は驚いた。が、それをやんわりと答えたのは、アリスター様だった。


「前々から作戦は練っていたんだ。密かに準備もさせている。騎士団の中にも、最近のシオドーラの態度に難色を示している奴らがいるんでな」

「そうだったんですか。でも、どうしてですか? シオドーラは騎士団の管理下だと、仰っていましたよね」

「だからこそですよ、奥様。シオドーラがご主人様に迷惑をかけているのを見て、いい気分になるでしょうか。会話が噛み合っていないのは、分かりますよね」

「はい」


 その場面を二回しか見ていない私でも分かるほどだ。


「聖女は確かに役に立ちます。怪我を治し、守ってもくれる。しかし、自分たちの指揮官であり、辺境伯領の要であるご主人様との相性が悪ければ、毒と同じです。現に輪を乱し始めたのですから。団員たちも、そこでようやく目が覚めたようです」

「だから、この機を逃したくない」


 団員たちの心がシオドーラから離れている今を、とアリスター様は言いたいのだ。私は強く頷いて答える。


「分かりました。でも、くれぐれも気をつけてくださいね」

「そう心配をしてくれるのなら、先ほどの疑いは晴れたと思っていいんだな」

「最初から疑っていない、と言いましたよ」

「いや、アレは疑っていたぞ。俺が何かけしかけて、シオドーラの気を引いたのではないか、とな」

「うっ」


 そこは否定できなかった。

 だって周りがシオドーラとの結婚を、アリスター様にいるほどだ。そう思わない方がおかしい。


 すると、再びアリスター様に腰を強く引かれ、その勢いのまま、肩に手を置いた。

 まるで抱き合うような体勢になってしまい、私は慌てて押し出す。しかしアリスター様はお構いなしに、私の額にキスをした。


「ちょっと待ってください。こういうのは二人きりの時に……」

「だからやっているんだが?」

「え?」


 向かい側のソファーにはすでに誰もいない。振り返るとサミーの姿もなかった。


「こんな嫉妬してくれている姿を、他の奴に見せるとでも思ったのか?」

「嫉妬って……」

「違うのか?」

「……いいえ」


 アリスター様は、私がそう言うのを待っていたかのように、唇へ。

 そのまま、ソファーに押し倒された。


「んっ」


 さらに腰を持ち上げられ、背中のファスナーにアリスター様の手が触れる。ちょうど腰の方まであるからか、最後まで下げられると、肩が剥き出しになった。

 そこにアリスター様が顔を埋める。


「俺はずっとメイベルしか見ていない。十三年間ずっと」

「えっ! ま、待ってください。十三年ってどういうことですか?」


 私は未だ体が火照りながらも、アリスター様を押し退けた。

 慌てて起き上がったせいで、ドレスがさらに下がってしまい、胸が露わになりかける。急いでドレスをたくし上げても、背中が大きく空いているせいなのか、うまくいかない。


 すると、アリスター様は私の背中に腕を回し、何故かファスナーを上げてくれた。


「この間、初めて会った時の話をしただろう。メイベルは憶えていなかったが」

「申し訳、ありません」

「いや、俺も憶えているとは思っていなかったから大丈夫だ。別段、メイベルの印象に残るような出来事があったわけではないし、な」

「そう、なのですか?」


 あぁ、と言いながら、懐かしそうな眼差しで私を見詰めてくる。


「むしろ憶えていない方に安心したんだ。あの時は、メイベルを傷つけてしまったから」

「……何か、私の気に障ることを言ったのですか?」


 それとも、私が失礼なことでもしたのだろうか。十三年前といったら、私は五歳だ。確かに何かしら印象が強くなければ、憶えていられる年齢ではない。

 だからこそ、心配になった。幼さ故に、何か仕出かしたんじゃないか、と。


「言ったというより態度だと、エルバートに言われたよ。気難しい時期だったから余計に、ともな」

「よく、分かりません」

「あまり気にする話ではないんだ。俺が悪かったことだからな。それでも、あの時できなかったことをさせてもらえれば、十分なんだ」

「できなかったこと?」


 私が五歳なら、アリスター様は十三歳だ。その両方でも可能なことは何だろうか。

 憶えていなくても、当てられそうなことなのに、全く思い浮かばなかった。


 私が首を傾げていると、アリスター様はいつものようにクククッと笑って見せる。おちょくっているわけではなく、本当に楽しそうな顔で。


「抱き上げてもいいだろうか」

「え?」


 意外な答えに私は驚いた。が、すぐにあることを思い出す。公爵邸の廊下で、アリスター様が凄くしょげていた出来事を。

 あの時は確か、私を抱えていこうかと言われて断ったのだ。


 そんなにしょげることなの? と困惑したのをよく憶えている。偶然にも、幼い私と同じ答えを言ってしまったのだろうか。

 だからあんなに……。


「今もダメなのか?」


 いつも強引なアリスター様が許可を求めるのは、余程その時のことが悔しかったのか、心残りだったのか。推測はできないけれど、そろそろその呪縛から解き放ってほしかった。


 私は両手を伸ばす。すると、言わなくてもアリスター様は体を私の方に傾ける。


「好きなだけしてください」


 首に腕を回し、ギュッと抱きしめた。アリスター様は感極かんきわまったのか、すぐに抱き上げることはしなかった。


 しかし、その後は……ちゃんと寝室へ連れて行ってくれた。

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