第9話 次期公爵は妹に甘い

「それで姉様は、兄様と一緒に玄関まで行ったの?」


 ダイニングに着くと、すでに着席していた弟のクリフに、これまでの出来事を話した。


 私が隣に座ると、次々に食事を運んでくれる使用人たち。そのどれもが私の好きなもの、と栄養を考えた料理だった。

 さらによく見ると、クリフの前に置かれている料理とは違うラインナップ。お母様が言った通り、準備されていたことがありありと理解できた。


「えぇ。だからお兄様があぁして項垂れているんじゃない」

「相手は婚約者になったエヴァレット辺境伯だろう? しかも倒れそうになった姉様を助けただけで、抱き合ったわけじゃないのに、大袈裟なんだから」

「何を言っているんだ、クリフ。お前はアレを見ていないから!」


 そう、私とお兄様はダイニングを目前にしながら、玄関に戻ったのだ。何故、目前かというと、私が一度、お兄様を説得してしまったせいだった。



 ***



 時を遡ること、数十分前。

 毎日使用人たちの手で綺麗に整えられている廊下を歩いていた。

 壁には聖画を思わせる神聖な絵画が掛けてある。複雑な彫刻が施されている額縁が、さらにその神秘性を高めていた。


 それを眺めながら、私はふと足を止める。


「お兄様。やはり様子だけでも見に行く、というのはどうでしょう」


 前方を歩くお兄様が振り返った。訝しげな目を向けて。しかし、それは無理もなかった。


「さっきは俺が許可したのにもかかわらず止めたじゃないか。それなのに?」

「だってあれは……」


 問答無用でアリスター様に剣を、いや文句を言いに行きそうな雰囲気だったから止めたのよ!

 本当は私だって行きたかったのに、それを我慢して。だけどやっぱり……。


「その……何と言いますか、えっと。お兄様だって気になりませんか? アリスター様のご様子。お名前で呼ばれるほど、親しいのではありませんか?」


 普通に聞き流していたが、お兄様とアリスター様が知り合いだったことに驚いた。


 成人したばかりの私と違って、すでに社交界にいた二人だ。そんなに驚くべきことではないのだろうが、意外だった。

 お兄様がわざわざ、偏屈と噂されているアリスター様と親しくなる理由が分からなかったのだ。


「お互い騎士団を有している家門だからね。色々とあるのさ。まぁそれもあってからかな。バードランド皇子なんかよりは十分、母上の相手は務まるって俺は思っているよ」

「それはつまり、バードランド皇子に婚約破棄されたのは、お母様が原因なんですか?」


 結んだのも、恐らくお母様の意思だとは思うけれど。今はそれよりも、恐ろしい想像が脳裏を過った。


「バードランド皇子とアリスター様。変だとは思ったんです。接点のない二人が共謀なんて。もしかして今回の出来事に、お兄様も一枚噛んでいらっしゃるんですか?」


 それなら辻褄が合う。

 いくら婚約者でも、皇族でも、一令嬢の私室に入るなんて許されることではない。使用人たちが止めるだろう。


 けれど、私専属のメイドであるサミーさえも、そのことに言及はしなかった。つまり、誰かが許可を出したのだ。私は確認するように、その相手に向かって詰め寄った。


「お答えください、お兄様」


 するとお兄様は、口元を手で隠して、いかにもマズいといった顔をした。次期公爵がそれでいいのか、とジト目で見ると、さらに顔が青くなる。


「あっ……これは、その、何と言うか……」

「大丈夫です。そういうところはアリスター様と同じなんですね。何って言うんでしたっけ、こういうの。あぁ、思い出しました。類は友を呼ぶ、というんですよね。お兄様の認識を改めさせてもらいました。あと、これはお母様に報告すべき案件ですからね」


 いいですよね、と尋ねずに私は、真顔で処刑にも似た通告を宣言した。さらにショックで固まっているお兄様の隙をついて、来た道を引き返す。


 ダイニングからエントランスまでは一直線の廊下だったから、最初から遠慮は必要ない。幼い頃から騎士団に交じって訓練をしてきたのだ。そこら辺の令嬢とは違い、私は速かった。


「っ! メイベル!」


 ようやく我に返ったのか、お兄様の声が廊下に響き渡る。けれどもう遅い! 私の足はエントランスに踏み入れていた。


 すでに私とお兄様の声は、エントランスにいる使用人たちには聞こえていたらしい。

 邪魔にならないように壁際に寄っていた。いや、巻き込まれないようにしていたのだろう。お陰で、玄関先に立つお母様とアリスター様の姿が見えた。


 お兄様に捕まる前に、私は透かさず名前を呼ぶ。


「お母様!」

「メイベル、どうして、まだここに? いえ、違うわね。話ならあとでと言ったでしょう」


 私が引き返して来たのだと、瞬時に判断するお母様。さすがだと言いたいところだが、内容が違う。


「実はお母様に聞いていただきたい話ができたので、急遽戻ってきたんです」


 後ろから足音が聞こえるが、私は気にしなかった。お母様を目の前にして、無体なことはしないだろう、と高を括ったのだ。


 しかしそれは、詰めが甘かった。


「今回のバードランド皇子との婚約破――……」


 お兄様に口を塞がれたのだ。が、私もお母様の娘。思いっ切り足を後ろに蹴った。さらに抗議の言葉を言おうと振り返った瞬間、私はバランスを崩した。


「え?」

「「「メイベル!!」」」


 その原因に気づかず、私は受け身を取ろうと体を半回転させる。このまま片足を前に出して踏ん張れば大丈夫、と思った矢先、スカートが足に絡まってできないことに気がついた。


 あっ。いつも訓練ではズボンだったから……!


 私は衝突に備えて目をつむった。けれど痛みを感じない。地面ほどではないが、硬い何かに当たったような気がしたのだ。


 恐る恐る目を開けると、そこには……。


「大丈夫か。怪我は?」


 少しだけ息を切らせて私を覗く、赤い瞳があった。それがアリスター様だと気がつくのに数秒。


 だって、私が倒れかけた時、アリスター様はお母様を挟んだ向こう側にいた。当然、間に合わない距離だった……はずなのに。


 何も言わない私を余所に、アリスター様は肩や腕などに触れ、入念にチェックをする。その行為に私は勿論のこと、お母様もお兄様も何も言わない。


 お陰でアリスター様に助けられたのだと気づいたのは、その逞しい腕に包まれた瞬間だった。


「はぁ〜。良かった」

「!!」


 頭上からかかる息に、体が反応する。羞恥なのか、それとも別の感情なのか分からなかったが、顔が一気に熱くなった。

 すぐにここから離れないと、と思うのに体が動かない。もう少しこのまま、と思う気持ちの方が大きくて、アリスター様を押しのけられなかった。


 けれど私の意思とは正反対に、体がアリスター様から離れていく。誰かが私の体を掴み、引っ張ったのだ。


「母上。メイベルはバランスを崩すほどお腹を空かせているようなので、すぐにダイニングへ連れて行こうと思います」

「え? あぁ、そうね。そうしなさい、エルバート」


 混乱状態の私は、そうしてお兄様によってダイニングへ強制連行されたのだ。気がついた時には隣にクリフがいて、思わず一部始終を語っていた、というのが事の顛末だった。

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