第8話 公爵令嬢との出会い(アリスター視点)

 十三年前。

 成人まであと五年、という年齢に差し掛かった頃、突然「そろそろ首都で人脈作りに励め」という、難題を父親から突きつけられた。


 その手始めに挑んだのが、ブレイズ公爵家だった。

 将を射んと欲すればまず馬を射よ、という戦法があるが、そんなまどろっこしいことはせずに、俺は将を狙った。


 これは辺境伯家という地位が、ベルリカーク帝国の中でも高いからこそ、できたものであって、ただの伯爵家だったら無理だろう。

 ブレイズ公爵家に近づくことすらできなかったと思う。


 それでもずっとエヴァレット辺境伯領にいた俺が成せたのはひとえに、同じ騎士団を有する家門だったからだ。


「ちょっと参考にさせてもらいたいんだ」

「いいよ。逆にエヴァレット辺境伯家の騎士団が、どんな訓練をしているのか、教えてくれるのならね」


 子ども同士の社交場も、バカにはできなかった。


 後日、俺はブレイズ公爵家を訪れることになるわけだが……。そこで見たのは、騎士たちに交じって訓練をしている少女の姿だった。


「ブレイズ公爵家では、あのような幼子おさなごも訓練させるのか……」


 凄いな、と感心していると、後ろからエルバートがやってきて、それを否定する。


「アレは真似事をしているだけだよ。体力作りにもなるから、誰も止めないけど」

「誰も、ってブレイズ公爵夫人もか?」


 エルバートは初対面の時から、身分の低い俺が気安く話していても咎めない男だった。


「メイベルは寝起きが悪いんだ。睡眠をよく取っていないのも原因かもしれないからって、あぁして毎日熟睡できるように、体を動かしているんだとか」

「そんなに悪いのか、あんなことをさせるほど」


 大人と一緒にいるからなのか、駆けている姿さえ可愛らしく見える。


「……見た目、可愛いだろう。母上に似ていても、皆、構いたがるんだ。特に昼寝をしている時は」

「確かに、ちょっかいをかけたくなるな」

「それで毎回、大騒ぎだ。ただ睨むだけならいいんだけど、俺たちを部屋から追い出すまで、物を投げ続けるんだよ」

「あの見た目でか?」


 想像がつかないな、と思っていると、当のメイベル嬢が俺たちのところまでやって来た。


「メイベル。もういいのか。皆はまだ、走っているぞ」

「お客様に挨拶を、と思いまして。メイベル・ブレイズと申します」


 ズボン姿であるため、少しだけ膝を折って挨拶をされた。すでにそこから醸し出す優雅さに、俺は驚いた。

 こんな少女が、物を投げつける暴挙を?


「アリスター。メイベルが怖がっている」


 まじまじと見過ぎたせいか、メイベル嬢はエルバートの後ろに隠れてしまった。


「すまない。その……疲れていないか」

「いつもやっていることなので、大丈夫……です」

「そうか。他には何をするんだ?」

「……腹筋とか腕立て伏せも、しています」

「は?」


 確かに、騎士たちに交じって訓練しているが、何もそこまでしなくても。

 この時の俺は、メイベル嬢の逆鱗に触れたとも知らずにただただ驚いていた。


「ランニングだって、腹筋だって、腕立て伏せだって、ちゃんとできます! 皆と同じにはできなくても、毎日やっているんだから!」

「あっ、待て、メイベル」


 エルバートが制止する声も無視して、メイベル嬢は芝生の上に座り、仰向けになって腹筋のような仕草を始めた。


 俺は近づき、手を差し伸べる。止めろと言ってもダメなのは分かっているから、和解の握手を求めたのだ。しかし、その裏の意図も読まれたのか、起き上がった瞬間に手を弾かれた。


「見くびらないでください!」

「アリスター。こういう場合、優しい行動は逆効果だよ」

「そしたらどうするんだ?」

「勿論」


 俺たちの声を無視しているメイベル嬢に近づくエルバート。何をするのかと見守っていると、突然しゃがみ込み、そのままメイベル嬢の体を持ち上げた。


「無理やり止めるまでだよ」


 そう口では言っているものの、優しくメイベル嬢を抱き上げる。さらになだめるように背中を軽く叩いてまでいた。


 何が「優しい行動は」だ。そっくりそのまま返してやりたかったが、今はエルバートに任せるしかない。


 ご機嫌斜めなメイベル嬢に、何やら話しかけていたからだ。俺の耳には届かないほど、小さな声で。

 いや、わざと聞かれないようにしているのだろう。メイベル嬢のために。


 さっき言っていた「皆、構いたがる」中に、エルバートもいるのが手に取るように分かった。


「メイベル。ほら、約束しただろう。アリスターにちゃんと言うんだ」


 恐らく謝罪だろう。俺は気にしていない。むしろこっちが悪いのだから、謝罪するべきなのは俺の方だ。

 そう言おうとした瞬間、再度エルバートに催促されたメイベル嬢がこちらを振り向いた。


「っ!」


 少しだけ泣いたのか、大きな目が濡れてキラキラと光っている。まるで海を閉じ込めたかのように。


「ごめんなさい」


 俺は堪らず両手を伸ばし、エルバートからメイベル嬢を取ろうとした。その瞬間、バシッとまた手を叩かれた。


「メイベル! いや、これはアリスターの方か。まだ完全に機嫌を直したわけじゃないんだぞ」

「すまない。つい可愛らしくてな」

「……かわいい?」


 俺の言葉に反応して、聞き返すメイベル嬢。まるで自分のこと? とでも言っているのか、その頭には、猫の耳がピンっと生えているように見えた。

 勿論、錯覚なのだが、思わず撫でたくなるほどの可愛らしさだった。しかし、今度はその手をグッと下ろす。


 折角、再び振り向いてくれたのに、台無しにはしたくなかったのだ。


「あぁ。とても」


 その返事がお気に召したのか、メイベル嬢は俺に微笑みかけてくれた。欲望に負けず、手を伸ばさなくて良かった、とこの時ほど思うことはなかった。

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