2
ホームレスからの脱却を果たし、まともな飯だって食えるようになった。
でもそうしてある程度の自尊心を取り戻すと、下っ端として働くことが苦痛になってきた。
それに会社には俺が跡取りとして上に立っていた時代を知っているやつも多い。
だから尚更、こんな風に落ちぶれたのを見られることが屈辱だった。
それに、兄貴は経営陣の中に入っていい立場なのに……一度は勝ったと思った相手が、また自分の上にいる。
不正の騒動で傾いていた会社は、兄貴やその周りの手腕と尽力によって持ち直してきているらしい。
「結局、兄の方が優秀だったって話だよ。
最初から彼が跡取りのままでいてくれたらなあ……」
「弟の方には、上に立つ素質ってのがなかったんだよ。
今みたいに使われる立場の方がお似合いだ」
結局兄貴には敵わないのだと思い知らされるような毎日だった。
でも他に行き場はない。またホームレスに逆戻りだけは嫌だから、耐えるしかない。
ストレスで暴飲暴食を繰り返していたら、気づけば体重が30キロ近く増えていた。
最近は抜け毛が多くなってきて、生え際が後退してきたような気もする。
こんな今の俺に寄りつく女はいない。
……寂しい……。
一人ぼっちで孤独な夜、思い出すのは雪や彩のことだった。
結婚して、雪と2人で暮らし始めた頃のこと。
彩が生まれた日のこと。
今にして考えれば……雪は、いい妻だったのだと思う。
料理はどれも美味くて、いつも家の中は綺麗に保たれていたし俺に対する気遣いだって欠かさなかった。
夫に育児を手伝えと強制してくる女も多いというが、雪は彩の面倒だってちゃんと1人で見ていた。
家に帰れば妻と子どもが出迎えてくれる……雪と彩と3人で暮らしていた頃が、1番幸せだったのかもしれない。
もう一度あの頃に戻れたら―――そして俺は気づく。
……今なら、まだ間に合うんじゃないか?
そして迎えた彩との面会の日。
「なあ彩……実はな、お父さんは今でも雪……お母さんのことを愛しているんだ。
それに、彩のことだって大事な娘だと思っている」
俺は彩に、雪との仲を取り持ってもらうことを考えた。
雪本人には、面会の日どりや養育費関連でしか連絡を返してもらえない。
だから彩を通して、俺が雪とよりを戻したいと思っていることを伝えようと思った。
「ほら……お母さんだって1人だと何かと大変だろうし。
何より、また3人で暮らせば今よりもっと楽しくなる。
彩だって、やっぱりお父さんが恋しいだろ?」
ここで彩を取り込めば、雪だって娘の望みを叶えてやりたいと思うだろう。
だが彩は……笑顔でそれを拒否した。
「ううん、全然」
「え……っ?」
「私もお母さんも、2人で暮らしてる今がとっても楽しくて幸せなの。
そこにお父さんは必要ない。
私たちは、もう別々の人生を生きているんだよ」
「な……」
あまりにはっきりと告げられて、言葉が出ない。
それに、まだ10にもならない彩が妙に大人びて見えて。
背筋が寒くなるような感覚がした。
きっと、俺が戻りたいと思えば戻れる。
だって雪も彩も、前はあんなに俺のことが好きだったじゃないか。
心のどこかではそう期待していたのに。
「なんでだよ……俺はこんなにも2人のことを愛してるのに……!」
「体への接触はお控えください」
諦めきれない、そんな思いで立ち上がり、彩の肩を掴もうとした俺のことを
同席している篠田とかいう弁護士が止める。
そして、そんな俺に対して彩は言うのだった。
「このまま私とお母さんの人生に関わらないこと。
それが私たちが一番、お父さんに望むことだよ。
私とお母さんのことを本当に愛してるっていうなら……できるよね?」
最後の希望まで打ち砕かれて、もう俺には何も残っていなかった。
「……どうして……」
俺はどこで間違えたのだろう。
両親との同居をしなければよかった?
それとも、父さんや母さんに虐められている雪を助けてやっていればよかった?
それとも、家事や育児をもっと手伝っていればよかった?
それとも……目先の欲に惑わされて、不倫なんてしていなれば……こんなことにはならなかったのだろうか。
“和真、いつもお仕事頑張ってくれてありがとう”
“パパ、今日のごはんはさやもおてつだいしたんだよ!”
俺に向けてくれていた笑顔。注いでくれていた愛情。
確かにあった“家族の幸せ”
それを壊したのは……他でもない俺だったんだ。
後悔したってもう遅い。
もっと妻を、娘を、大事にしてやるべきだった。
「……不倫なんて、しなきゃよかった……」
後悔の声は、誰にも届かずに消えていった。
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