3

「俺はしばらく家を空けるけど、俺がいないからって手を抜くなよ。

母さんにもちゃんと見張っておいてくれるように言っといたから」


和真はそんなことを言い残して、遠方への出張に旅立っていった。

……人の神経をいちいち逆撫でする男だ。


義父はいつも通り仕事に行って、義母は張り切ってボーイズグループのファンイベントに出かけた。


「……お母さん、やっとこの日がきたね」


「そうだね、やっと……」


―――今日、私たちはこの家から脱出する。


もう証拠は十分に集まった。

この家を出て向かうのは、優子さんのところだ。


当初はシェルターに入ることを考えていたけれど、シェルターは決まった日数しかいることができない。

優子さんが住むのは、以前から所有していたマンションで、1人暮らしには随分余裕がある間取りだった。

だから、避難先として自分の家に来ればいい、と優子さんは言ってくれて、事情を話したら彩もそれに同意した。


私たちはその言葉に甘えることになったのだ。


これまでバレないように、小分けにして優子さんの家に荷物を送った。

ついでに義父の会社の不正書類(現物)も、一緒に優子さんの家に送っておいた。


そして、貴重品を含めて送りきれなかった分の荷造りも完了している。


この家に残していくのは、記入済みの離婚届だけ。


……ただ、私たちが出ていくということは義祖母の介護を放棄するということになる。

でも、本来は肉親である義父や夫たちに、介護の義務があるはずなのだから。


そう思っても……あの人たちは、例えば排泄物の処理を自分がするなんてきっと考えもしない。


一度私が高熱を出して寝込んでいた時なんて、家では全くオムツ交換がされなくてパンパンに溢れ出しそうになっていたくらいだ。


それを理解して残していく罪悪感から、昨夜義祖母のオムツを変えながら思わず私は「……ごめんなさい」そう呟いていた。


認知症でまともな会話もできないはずの義祖母は、しかし何かを感じ取ったかのように私に言った。


「今までありがとう」


介護は間違いなく大変で、私の心身を削る一因だった。

でも、その一言で……これまでの私の苦労が少しだけ、報われたような気がした。



荷物を持って、彩と顔を見合わせる。


「……忘れ物はない?」


「うん、ばっちり」


そして私たちは頷き合った。


「……よし、行こうか」


「うん……!」


この家で、私たちの幸せは壊されるばかりだった。

私たちはここを出て……そして、もう二度と戻ってくることはないだろう。


「……さようなら」


外の世界へ足を踏み出したら、私たちはもう決して後ろを振り返らなかった。

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