第6話 魔の手

 馬車は都を出て走り続ける。

 扉に手をかけてみたが開く気配はなかった。

 前世で車が海に落ちたときの恐怖がフラッシュバックする。

 無理やり深呼吸をして心を落ち着かせた。


 中を見回すと馬車自体は貴人が乗るに相応しい内装をしている。

 ただ、私を閉じ込める檻という意味では変わらなかった。

 窓から見える景色とアイディーンの記憶を照合して、どちらに向かっているのかということを想像する。


 エルタニア王国は人類の生息域の東端にあった。

 北から東にかけてのほぼ二方向を魔族の領域と接している。

 西側にはアイディーンの祖国があるが私の受け入れを拒否しているとなれば、おのずと行き先は南東のベルーダ大公国しかない。


 ベルーダ大公国はもとはエルタニア王国の一部だった。

 百年ほど前に当時の王が息子二人に対して王国を分割統治するように遺言を残す。

 兄が王国を継ぎ、弟が大公位に就いた。

 その代は良かったが、その子供の時代になると半独立するようになり、今ではすっかり犬猿の仲である。


 魔族という共通の敵を抱えていなければ、お互いに兵を出して全面戦争になっていたかもしれない。

 王国側にしてみれば、ぽっと出の歴史の浅い国が調子に乗っているという認識だったし、大公国側すれば、王国はボンクラの統治が続いて勇者にも見放された場所だと思っていた。


 ベルーダ大公国は新興国ということもあって、一攫千金を夢見た腕自慢が集っている。

 当然男女の比は男性に偏っていた。

 そんなところに後ろ盾もない若い女を送り込むのは、好きにしろと言っているに等しい。

 しかも浮気者との噂つきである。


 アイディーンは十六でアレクサンダーを生んだのでまだ十分に若い。

 姿見に写る姿は清楚な美人で、とても一児の母には見えなかった。

 このまま国境を越えたところで放逐されると、ベルーダ大公国の荒くれ者の玩具になる可能性は十分にあった。


 私もサユリだった時分に電車の中で痴漢されたことがあり、とても不快で気持ち悪かった記憶はある。

 多数の男に襲われるということに比べれば痴漢なんて大したことはないというつもりもないが、やはり内容の差はあまりに大きい。


 ヤーゲル王の思惑が読める。

 もう用済みになったアイディーンの身の上におぞましい事故が起きることを期待してベルーダに送り込むのだろう。

 そして、事後にいけしゃしゃあと遺憾の意を示して責任を追及し、優位に立とうという腹積もりに違いなかった。

 中身は克彦なのだから、これぐらいの計算はする。


 幾日か旅を続け国境まであと少しとなったところで、克彦の思惑を台無しにする事件が起きた。

 何もないところで馬車が止まり、外から扉が開けられる。

 兵士たちに外へと引きずり出された。


「無礼でしょう!」

 私の精一杯の虚勢を張った声は聞き流され、地面へと突き飛ばされる。

「そんなことは言わずに俺たちともよろしくやろうぜ」

「せっかくエルタニアに嫁いできたんだ。外国に出る前にもう一人ぐらい仕込んでいけよ」

「まあ、誰が父親かは分からねえだろうけどな」


 国王が国王なので兵士の規律も保たれるわけがない。

 にやにや笑いを浮かべながら、私そっちのけで順番を争い始める。

 私は立ち上がると脱兎のごとく逃げ出した。

 王宮深くに住む足弱な女と油断したのだろうが、アイディーンは5歳児の母である。


 他に同世代の友達がいない体力お化けの男児の遊び相手をするとどうなるか?

 嫌でも体力がつかざるを得ないのだ。

 アレクはとっても可愛い天使だが、元気に走り回る子供には違いない。

 追いかけ回すうちに自然と足腰が鍛えられ速く走れるようになっていたのだった。

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