第135話 もはや船に非ず

 軍船はローレン王国とヘルマン王国の、二隻を並行して建造する同時作業になっている。大地母神さまの肝いりと言うか鶴の一声でマストを外し、もはや船とは呼べない代物になりつつあった。造船ギルドの職人たちも、自分たちがいったい何を作っているのか、もう分からなくなってますはい。


「ハーデス城の資料にあったよな、フローラ」

「うんうん、水上飛行機だったかしら、シュバイツ。見た目はあれに近いわね」

「こいつは甲板もあるし、すごく大きいけどな」


 ディッシュ湾奥の造船ドックへ、足を運んだフローラとシュバイツ。その二人をセネラデとジブリール、そして神界から戻ったアナが案内していた。

 かつて全ての異界を巻き込む大戦争があり、その時に使われた飛行艇を再現していると大地母神さまは話す。軍勢を敵陣に送り込むための、言うなれば輸送船なんだそうで。


「その神界だけど、根回しは大丈夫だったの? アナ」

「あらフローラ、気にかけてくれるなんて嬉しいわ。でも心配しないで、私がやる根回しはね」

「うん」

「説得や懐柔じゃなくて」

「うんう……へ?」

「捻じ伏せる、だから」


 アナの瞳が一瞬アースアイに変わり、にっこり微笑んで二人を操舵室へいざなう。だが捻じ伏せるってとこだけ、地獄の底から這い出して来たような声だった。ジブリールのみならずセネラデまで顔を引きつらせ、あまりの恐ろしさに震え上がる。


 アナは天地創造に加わった原初の神霊で、怒らせると大地がぺんぺん草すら生えない荒野になるんだとか。だから創造と豊穣を司る大地母神なんだと、閣下は苦笑交じりに話してくれた。ならば実態はどんな姿なんだろう、見たいような見たくないような、そんなフローラとシュバイツである。


「車輪は付いておるが、地面への離発着用と思うがよい」

「どうして? セネラデ」

「地上走行しても構わんのじゃがな、フローラ」

「うん」

「乗り心地は悪いぞよ」


 悪路を馬車で走るようなもんかと、二人は直ぐに納得した。揺れに揺られ酔ってしまい、吐きそうになる状況が頭に思い浮かんだのだ。フローラもシュバイツも乗り物酔いには強い方だけど、軍団の兵士らがみんなそうとは限らない。船内の床がゲロまみれなのは、あんまり想像したくない絵面だ。


 定員は舵を握る、聖女の魔力に依存するとセネラデは言う。彼女はグレイデルと三人娘なら、千名くらいじゃろうと操作盤を指差した。魔力に対し定員オーバーにならないか、メーターの針で分かる仕組みだ。フローラならティターニアの加護で、倍の乗算になるから四千名はいけるらしい。


「船自体は五千名が乗船できるキャパになっておるぞ」

「ひとつ難点を言えば、お風呂がないってことかしら、セネラデ」

「ふははは、フローラらしいのう、そこは後で好きに改造いたせ」

「改造? 私が?」


 フローラは以前からスプーンを曲げたり、元に戻したりする力を持っていた。これは瞳のアースアイと同じく、前世で神霊アナから授かり魂に刻まれた能力だったりする。再び巡り会い絆を結んだことから、今のフローラは大地母神の加護が色濃く宿った状態だ。それは創造のスキルであり、物質を錬成する能力である。


「あなたはもう衣服を分解し、別のデザインで再び展開することが出来るはずよ」

「セルフでお着替えか……でもその瞬間って、すっぽんぽんになるのよね、アナ」

「そうね、そう言う事になるわね、でもたいした問題じゃ」


 いやそれダメだろうと、シュバイツが難色を示す。愛する人の裸を他の男に見せたくない、独占欲が働いたもよう。けれど全裸を気にしないセネラデとジブリールは、人間って不思議だなと首を捻る。

 ここにアモンとマモン、リャナンシーがいたら、きっと同じ反応を示すのだろう。実体化したらセネラデもジブリールも、海龍だから裸も同然である。陸ではアンナとキリアがうるさいから、しょうがなく衣服をまとってるだけで。


「私の全裸はどうなのじゃ? シュバイツよ」

「原理原則には反しませんのに、私の全裸はどうなのですか? シュバイツ」

「いやその、セネラデもジブリールも、人間モードの時は自重じちょうして欲しい」

「はて? 精霊界に自重などという言葉はないぞよ、神界はどうなのじゃ」

「ございませんわね、セネラデ。人間界特有の二字熟語かしら」


 するとアナが鈴を鳴らしたように、ころころと笑い出した。最初に生み出された人間は、あるきっかけで羞恥心を覚え、品位を保つようになったと面白おかしく言う。それが善悪を判断し己を律する、人間の持って生まれた性質なんだとか。けれど信仰心と道徳心を失った時、人間は堕落するから神々はリセットをかけるのだと。


「それが世界の終末なのね、アナ」

「そうよフローラ、シュバイツ。でも私たちが手を下す前に、人間が自滅しちゃうことも多い。いずれにしてもそうならないよう、導くのが聖女に課せられた役目なの」


 お国替えが終わり喪が明ければ軍団を率いて、最後の一人をとっちめに行くつもりのフローラ。挙式するカップルが何組もいるだろうけど、悪いが新婚旅行は敵地となりそうだ。この飛行船は兵士らを運ぶのに都合が良いと、彼女は操作盤を撫でた。


「衣服の分解と再展開は錬成を行なう上で、良い練習になるからやっておきなさいフローラ。他の男性の目に触れないところで、それでいいでしょ? シュバイツ」

「う、うん、それなら構わないよアナさま」

「私のことは呼び捨てでいいわよ、あなたはフローラを助ける脇侍きょうじなのだから」

「脇侍って?」


 本尊の両脇または周囲に控える、菩薩を脇侍と呼ぶ。お釈迦さまなら文殊菩薩と普賢菩薩、阿弥陀さまなら観音菩薩と勢至菩薩になる。大聖女フローラには配下の聖女と婚約者が集い、軍団を率いて曼荼羅まんだらを形成しつつあるとアナは言う。世界観を表現する絵図であり、本質を有するものが曼荼羅なんだとか。


「ところで伯父上の船はどうしようシュバイツ、舵を取る人がいないわ」

「俺も今、それを考えてたんだフローラ。クラウス候も弟の仇討ちだから、ヘルマン王国の軍勢を出兵させる気満々だ。さてどうしたもんか」


 するとセネラデが、クラウスの婚約者である例の酒飲みに、精霊をあてがったらどうじゃと言い出した。もちろんそれはラーニエことシルビィのことで、ジブリールもそれがいいわねと頷いちゃう。あれでも一応は聖職者だから、神界の人材なら気が合うでしょうと。


「その件について、私から提案があるのだけど」

「どんな提案? アナ」

「実はもう、適任者を確保してるのよフローラ」

「やっぱり捻じ伏せたのかしら」

「あらやだ、誘ったらふたつ返事だったのよ。お酒を司る神霊で、名前はバッカス」


 それは良い人選だと、セネラデもジブリールもうんうん頷く。

 神界へ戻ってそこまでやるとは、手回しの良い大地母神さまだ。すると彼女はこの際だから、スティルルーム・メイドの三人にも精霊をと言い出した。ミリアとリシュル、スワンとエイミーも若いから、候補に入れていいわよとも。


「人間界に精霊を、そんなに出していいの?」

「フローラもシュバイツも、よく聞きなさい。邪神が動き出す以上、全ての異界を巻き込む大戦争になりかねないの。人間界を気にかける余裕なんてなくなるから、自衛してもらうために精霊を出しておきたいのよ。近いうちティターニアとルシフェルからも、二人に打診が行くはずよ」


 慰労会でセネラデとジブリール、そしてアモンとマモンが、言い渋ったのはこの件だったのだろう。それだけ雲行きが怪しくなっており、人間界が巻き込まれたら終末どころの話しじゃなくなるみたいだ。

 そも人間界とは精霊が子孫を残す、種子を得る為の特別な楽園という位置づけ。ただし欲しいのは、信仰心と道徳心を失わない、清らかな魂の種子だ。ゆえに堕落すれば滅ぼし、選ばれた民で新たな千年王国を築かせる。


 “例え人類が滅亡しても、フローラたちは生き残れ”


 アナもセネラデもジブリールも、そう言いたいのだろう。森羅万象の本質を表すフローラ軍を、ノアの方舟に乗せる選ばれた人間として定めたってことだ。


 けれどフローラは、閣下が吐露した苦悩をちゃんと覚えている。終末は殺戮のための殺戮で、果たしてそれで良いのかと漏らしたのだ。だから大魔王ルシフェルは、人類に一回くらいチャンスをと神界に提案したのである。その案が受け入れられ、生まれたのが聖女であり、シュタインブルク家の女子だ。


 冗談じゃない、私たちは選ばれた民にはならない。自分たちの手で新たな千年王国を築いてみせる、終末なんてまっぴらご免だわ! そんな強い意志を持つフローラの瞳が、虹色のアースアイに輝いていた。 


 その頃こちらはワイバーンの雛に乗って、首都ヘレンツィアを出たスティルルーム・メイドの三人。ゴンドラには各組合から派遣された、レンとアダムにムスタが乗っていた。フローラがオベロンの加護で、女王直轄領に展開した食材育成プラントを見に行くところ。程よく育っていれば、ゴンドラへ積み込み持ち帰るのが三人のお仕事である。


 プラントを管理しているのは、周辺の町や村から雇った領民たち。海水魚の陸上養殖も始まっており、けっこうな規模となっていた。地域に雇用を生み出しお金を落として活性化させる、それも為政者である君主の役目と言えよう。お稽古事の脱走常習犯ではあったが、領地運営には才がある女王陛下だ。


「アナゴがこんなにいっぱい、どうするカレン」

「蒲焼きかしらルディ、イオラはどう思う?」

「私としては、天ぷらも捨てがたいかな。天丼はもちろん、うどんや蕎麦のトッピングにも使えるから、兵士たちが喜びそう」


 戻ってから桂林、明雫、樹里に相談ねと、三人は頷き合う。食材には旬というものがあるけれど、それを無視するのもオベロンの加護だ。漁業組合のムスタが、アナゴの旬は夏なんですけどねと苦笑している。


「うわあ、イチゴがいっぱい! これはケーキに使いたいわね」

「保存食としてジャムも選択肢に入るわよ、ルディ」

「私はハチミツ漬けも好きなんだけどな、カレン」


 イチゴの旬は初夏なんですけどねと、今度は農産組合のレンがへにゃりと笑う。このプラントは春夏秋冬に影響されず、欲しい食材が手に入る楽園かもと。

 確かにそうなんだけど、家畜が繁殖期を無視して増えるんだと、畜産組合のアダムがイチゴを頬張った。その辺にしといてくださいと、フローラへ「まった!」をかけるのに苦労したらしい。


「ローレン王国とフローラ軍は、食いっぱぐれることはなさそうだな、レン」

「人間に必要な衣食住、その食を安定供給できるからな、アダム」

「だが二人とも、程々にしてもらわないと相場が滅茶苦茶になるぞ」


 同じくイチゴを頬張るムスタがそう言い、まったをかける俺たちの責任は重大だなともぐもぐ。スティルルーム・メイドの三人はと言えば、うわスイカもいっぱいと大はしゃぎ。自分たちも魔力行使の担い手になるとは、まだ知らない乙女たちである。

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