第120話 フローラが授かっている加護
キョン狩り大会でデュナミスとアーロンは、精霊の加護を用いなかった。実際には気の込め方がどうにもコントロール出来ず、使えなかったとも言う。だがそこはやっぱり弓の名手、デュナミスが一位でアーロンが僅差の二位だった。
鹿類は直ぐに冷やさないとひどい味になるため、聖女たちの教会魔法により急速冷却が施された。今は燻製肉と干し肉に腸詰めと、フローラ軍の男衆が総出で加工に大忙し。燻製小屋から立ち登る煙が、海風に吹かれたなびいている。
「出来上がった保存食を、八対二で分けるとおっしゃるのか、フローラ殿」
「生息する動物はその国の資産ですもの、貞潤さま。ミン王国が八割で妥当かと」
残り二割は私たちの手間賃ということで、そう言ってブルーハワイを手にしたフローラが微笑む。この大聖女さまは本気なんだろうかと、同席する貞潤と髙輝は目をぱちくり。そんな二人にスワンがどうぞと、パイナップルクーラーを置いていった。
行事用テントにいたフローラの所へ、貞潤と髙輝は駆除のお礼を言いに来たつもりだった。出来上がった保存食はフローラの物と考えていたから、まさか八割も引き渡されるとは思いもしなかったわけで。
加工された肉の保存食は、旅人や行商人の必須アイテムだ。飛ぶように売れるだろうし、けっこうな利益になるはず。本当によろしいのですかと、二人はスワン特製のトロピカルカクテルに手を伸ばした。
「法王さまには、もう話しを通してあるのですが」
「パウロⅢ世に? どんな話しでしょうフローラ殿」
「ミン王国を帝国にしちゃう計画を立てておりまして」
反応がない、と言うか貞潤も髙輝も理解が追い付かないようす。カクテルのグラスを落としかけたが、あわわと掴み直したところはえらい。
後ろが急に騒がしくなったと思いきや、紫麗と四夫人がスワンに飲み物を注文していた。フローラと同じブルーハワイがいいそうで、この人たちすっかり満喫しちゃってます。
余談であるがフローラ軍の野営地は、水着が常態化していた。泳ぐ度に行軍の旅装束から着替えるのも面倒だからと、フローラによる鶴の一声が発動。暑い時は我慢せず、いつでも海に飛び込みなさいって配慮だ。
そんなわけで紫麗と四夫人、司馬三女官も、寝るとき以外は朝から晩まで水着を着ていた。男衆はトランクス姿で作業に当たり、三人娘も水着のまんまでかんかかーんかん。
「聞いておりませんぞ、フローラ殿」
「いま初めて話しましたもの、貞潤さま」
「もしや剣の錬成法を半月荘に伝えるのも、その布石だと?」
「その通りです髙輝さま、ミン帝国は強い国であるべき。大陸の東側を掌握して下さいませ、武力が必要な時はこの軍団が加勢しましょう」
聖女としてフローラに課せられたのは、人類の終末を回避すること。それは信仰心と道徳心を取り戻す
「あなたが何を望んでいるのか、聞いてもよろしいか」
「世界の平和と人々の安寧です、貞潤さま」
よどみなく答えるフローラの瞳が、一瞬だが虹色のアースアイに輝いた。法はパウロⅢ世とラムゼイ枢機卿に、力は皇帝となるシュバイツと貞潤に任せればよい。精霊天秤をど真ん中にして法側にも力側にも偏らず、私はこの時代の人類を救うわよとフローラは決めていた。
「フローラ殿、私はそんな大それたことなど……」
「真面目な話しかや? 私らが同席してはお邪魔じゃろうか」
一緒に駄弁りたい紫麗と四夫人が、ただならぬ場の雰囲気に勘付いたもよう。だがこの人たちにも、今後を考えれば聞いてもらうべき内容だ。フローラの意を汲み控えていたミリアとリシュルが、どうぞと椅子を引いて夫人たちを席に招く。
「ふむ、この国を正式な帝国とし、大陸の東側に於ける領邦国家群の頭領にするのじゃな? フローラ殿」
「はい紫麗さま、法王庁もその方向で進めております」
貞潤の踏ん切りがつかない場合は、紫麗を仲間に引き入れた方が手っ取り早い。案の定というか法王庁へ行くべきと、彼女は貞潤を蹴飛ばす勢いで畳みかけた。
やり取りを見ていた髙輝は、後にこう書き記している。夫を立てて立身出世を後押しするのは妻の鏡、あのお方こそ本物の女傑であると。
「こりゃ爽快だなキリア」
「まさかワイバーンが泳げるとは思わなかったわ、ダーシュ」
「泳ぐと言うより、高速水上走行だ」
ざばあと両脇に水しぶきを上げ、ワイバーンは海面を割るように進む。その背に乗るキリアとダーシュが、これは楽しいと声を上げる。川や湖で水浴びすることはあったが、水深があれば爆速で泳ぐことがここで判明。しかも表層を泳ぐ魚に追い付くのか、さっきからクチバシで捕らえては丸呑みしてる。
「ところでダーシュは泳げるのかしら?」
「さて何のことやら」
「ふうん……」
犬も泳げるはずなんだけれど、水慣れしてないわんこは自ら泳ごうとしない。アリスタ帝国の建国以来あんた何やって来たのよと、キリアが笑顔でダーシュをどーんと海に突き落としちゃった。
動物虐待だ後で覚えてろよと吠える、ダーシュの思念が行事用テントに届く。夕食の仕込みをしていた三人娘が、何やってるんだろうと顔を見合わせ必至に笑いを堪えた。包丁の手元が狂うからで、勘弁してと肩を震わせ眉尻を下げる。
「それで泳げたの? ダーシュ」
「も、もちろんだともフローラ」
思念はフローラも聞いていたため、彼女は砂浜に上がったわんこ精霊に尋ねてみたのだ。だがこけっこに咥えられぶら下がってるその姿は、まるでずぶ濡れの捨てられた子犬。あっぷあっぷしてる所を拾い上げてもらったのは明白で、ダーシュは泳げない事を断じて認めたくないらしい。
島にいる間は特訓ねとキリアが、こけっこの背中から降りてむふんと唇の両端を上げた。それって何の罰ゲームだと、ダーシュが恨めしそうな顔をする。こけっこにぶら下げられてる状態じゃ、精霊としての威厳もへったくれもございません。
「シルビィ、私もワイバーンに乗せてくれないか、水上走行を試してみたい」
「ク、クラウスがそう言うなら、やってあげないことも無いわ」
未だ大衆へ肌を晒すことに、抵抗があるラーニエことシルビィ。ほとんど礼拝テントに引き籠もっていたのだが、業を煮やしたクラウスが手を取り引っ張り出してきましたよっと。
婚約者に頼まれれば断れないのねと、マリエラがカルーアミルクを手にくぷぷと笑う。ラーニエはクラウス候が大好きだからねと、飲み友達のスワンがによによしながらシェーカーを振る。
作業を一段落させ、今日はここまでと男衆が戻って来た。かき氷の注文で行事用テントに列ができ、糧食チームがどんどんさばいていく。
そんな中グレイデルと三人娘が、婚約者に来て来てと手招きを。もちろんこけっこにタンデムして、ひゃっほうと水上走行したいから。
五頭のワイバーンが航跡を残しながら、水しぶきを上げてざばばばと海面を爆走。その光景は圧巻で、かき氷を頬張る兵士らがやいのやいのと大喝采だ。
「私たちの、ルキアの進捗ですか? フローラさま」
「そうよカレン、ルディにイオラも」
「薄い本の赤はクリアしてて、今は白い本に取りかかっていますが」
シルビィが習熟度をチェックしているから、赤のクリアは嘘じゃない。白をマスターすれば、教会魔法の加熱と冷却が使えるようになる。三人を呼んでインタビューしたフローラは、白の取得に向けて励みなさいと満足そうな顔をした。
「三個の卵が孵ったら、ワイバーンの雛をあなた達に任せようと思っているの」
「え?」「そんな」「どうして」
戸惑うスティルルーム・メイドの三人に、これは主命よとフローラは人差し指を立てた。主命である以上は君主が家臣に対し、絶対的な命令を下すってこと。フローラにしては珍しい言動だが、考えなしでそんな事を言ったりはしない。
大聖女が眠りに就いてしまったら、つまりフローラがクースカピーになった場合、瞬間転移が使えない。食材調達のため買い出しチームが、近隣の町や村へ出向くことになる。その買い出しチームであるキリアと三人娘まで、眠りに就いちゃったらもうお手上げ。
今までそんな場面は何度もあり、保存食があるので凌いでこれた。だが兵士たちのためにも、ワイバーン使いを増やす必要があるだろう。当然ながら料理が出来て軍団が必要とする、食材の量を把握している人材でないと務まらない。しかも生鮮食料品を運ぶなら氷が必須で、白のルキア持ちが前提条件となるのだ。
「私、空を飛んでみたいかも、ルディとイオラは?」
「うんうんカレン、海上走行も楽しそうよねルディ」
「なんだかわくわくしてきちゃったわ、イオラ。成鳥でないと契約できないと聞きましたが、どのくらいで大きくなるのですか? フローラさま」
「鶏と変わらないそうよ、五ヶ月くらい」
謹んでお受け致しますと、スティルルーム・メイドの三人は声を揃えた。五ヶ月の間に白のルキアを、絶対にマスターしてみせますと宣言して。
好きこそものの上手なれ、そんなことわざがある。好きだからこそ楽しんで取り組み、その道に熟達するって意味だ。今のスティルルーム・メイドの三人は、正にそんな感じ。飛んで運べる料理人となり、フローラ軍を支えてくれるに違いない。
「精霊女王と精霊王から、どんな加護を授かったのでしょう、フローラさま」
「聞きたい? グレイデル」
「デュナミス隊長とアーロン隊長の技を、皆が目の当たりにしたのです。誰もがフローラさまの加護を、知りたいと思うはずですわ」
女王テントで夕食を共にする隊長たち、クラウスとマリエラにプハルツも、ぜひ教えて欲しいと異口同音。聞いたらみんな腰を抜かすかもと、シュバイツは口を挟まずスプーンを動かす。
今夜のメニューは鹿のブラウンシチューに、ソテーした鹿肉乗せサラダと、芯まで火を通したタマネギソースのロースト鹿肉。肉肉肉でボリューミーだが弓隊長の二人は、がっぽがっぽと頬張っている。魂ぐるぐるでアモンとマモンから、よっぽど抜かれているようで。
フローラが大魔王ルシフェルから授かったのは、どんなに魔力を行使しても睡魔に襲われない加護である。しかも自分だけではなく聖女全員に適用され、一見地味だが弱点をカバーしてくれる優れもの。
「ティターニアの加護はね、攻撃魔法の倍化と乗算よ」
「それってつまり、
「そうそう、
都市どころか小国ひとつを消し去るのではと、誰もが驚愕し手の動きを止めてしまう。当のご本人は威力のコントロールが出来るか、自信がないわとのたまう始末でして。経験者であるデュナミスとアーロンが、そこなんですよねと苦笑する。
「それで精霊王の加護は、どのようなものでしょう」
「元は羊飼いだったって、オベロンは話してくれたでしょ、グレイデル」
「そうでしたわね、戦争ばかりやってる人間界に嫌気がさしたと」
「羊飼いらしいというか、私が意識した動植物の成長を促す加護だって」
リーベルトが筋骨隆々になってきてるのも、グレイデルのお胸がサイズアップしたのも、三人娘の体が丸みを帯びてきてるのも、それじゃないかしらとキリアはパンをシチューに浸す。そっちも意識してコントロールしてもらうべきかしらと、彼女は悩みつつシチューの染みこんだパンを頬張るのであった。
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