第111話 高位で霊的な存在

 仙観宮に戻ったフローラとシュバイツは、隊長たちと作戦の細かい打ち合わせを終え、日が暮れるのを待っていた。行事用テントでは普段通り夕食の支度が始まっており、吟遊詩人チームが夕暮れに合う落ち着いた曲を奏でている。そのうち三人娘の、かんかかーんかん音頭に切り替わるかもだけど。


「何の話しかと思ったら、そんな事ですの」

「そんな事って……軽いなおい」


 相談できる相手がこの人物しかおらず、女王テントにお招きしたフローラとシュバイツ。人払いをしたので、ミリアとリシュルにアリーゼはいない。勝手知ったるシュバイツがぶどう酒を注ぎ、テーブルへ三人分をこここんと置いた。


「サキュバスからすれば、普通なの?」

「天使も精霊も悪魔も、長命な種族ですからね、フローラ。気に入った人間の子供が欲しくなるのは自然なことよ、数千年に一度あるかないかだけど」

「でも異種族間の交わりになるわ、問題は起きないのかしら」

「ふむ、そこから説明しないといけないようね」


 セネラデとジブリールは本当に正攻法で、二人が結婚した後でいいからシュバイツの子種をちょうだいと要求してきたのだ。ここまで単刀直入だと、むしろ清々しくもある。即答は避けたものの、これはえらいこっちゃと、魔族のお姉さんを呼んだわけでして。


「まずフローラの気持ちを聞かせて、嫉妬心とかあるかしら」

「私ね、サキュバス」

「うん」

「大天使や神獣に嫉妬しても」

「うんうん」

「しょうがないと思ってる、人間は長生きしたって百年なんだもの」


 その言葉を聞いてサキュバスは、達観してるのねと微笑んだ。種族は悪魔なんだけど、その微笑みは聖母のように優しい。正しく敬えば人間に手を貸してくれる存在、それを忘れちゃいけないとフローラもシュバイツも改めて思う。


「私たちは……つまり天使と精霊に悪魔はね、上位種に進化するほど大いなる力を手に入れる。でもその代わり、生殖機能が退化してしまうのよ」

「そんなにエロい見た目でか?」

「ていっ!」

「あいったた!」


 シュバイツの頭にサキュバスのチョップがヒット。フローラも使う事はあるが、これも精神攻撃の一種。おふざけのように見えて、しっかりきっちりダメージが来る。


「セネラデとジブリールの加護があるから、痛いで済んだのよシュバイツ。でなきゃ今ので精神が崩壊し、廃人になってるところだわ」

「……まじか」


 実はサキュバスの目にも、シュバイツの授かった加護が映っているのだ。今のチョップは手加減なし、割りと危ないことをしてくれやがりますこの人は。


「話しを戻すわね、生殖機能が退化するからこそ、若々しい種が欲しいわけ。私たちが子孫を残すには、人間が必要不可欠なの」

「それじゃ最初から、異種族間の交わりが前提?」

「そうよフローラ。神々はそのために人間界を生み出した、そう言っても過言じゃないわ。人間がいなければ天使も精霊も悪魔も、滅んでしまうでしょう」


 ところでその方法なんだけどと、サキュバスはぶどう酒が注がれたグラスの縁を人差し指でなぞる。意味深な仕草に、フローラもシュバイツもつい見入ってしまう。


「人間の男女が行なう、肉体的な睦み事とは違うの。霊的な接触と表現したらいいかしら、んふふ、けっこう激しいのよ」


 それがどんな行為か想像も付かず、二人は目をぱちくり。ラーニエ先生から教わったえちえちとは、根本的に異なるのは明らかだ。まあそう思うわよねと、サキュバスはグラスを指でチンと弾いた。


「私たちは霊的な存在、硬い外殻に覆われた魂と思ってちょうだい。人間と接する時は便宜上、こうして肉をまとい人の姿を採るけれど」

「セネラデは海龍の姿にもなるよな」

「魂の本来持っている性質が海龍だからよ、シュバイツ。それがノーマルモードで、人の姿を採ったらヒューマンモード」


 それじゃ本題に入るわねとサキュバスは、グラスに人差し指を入れぶどう酒をかき回した。それがものすっごく扇情的なのだ、ぶどう酒を指でぐるぐるしてるだけだというのに。


「生殖機能が退化しているから、哺乳動物みたいな交尾じゃ子孫を残せないの。このグラスが外殻だと思ってちょうだい、そして中のぶどう酒が私たちの魂」

「それで、お相手となる人間はどうするんだい?」

「何もしなくていいのよ、具体的にはベッドで、隣に寝そべってるだけでいいの」

「けっこう激しいって、さっき言ったじゃんか」

「私たちは外殻をこのグラスみたいに開いて」

「うん」

「好きになった人間の魂を受け入れて」

「うんう……へ?」


 グラスに突っ込んだ指を、サキュバスは更に強くかき回す。お互いの魂がこうやって求め合うんだそうで、霊的な接触の意味がようやく理解出来た、二人の頬が朱に染まる。肉体的にではなく、精神的に激しい行為と納得したからだ。ところで魔族のお姉さん、抜いた指を舐める表情がまたエロいのなんのって。


「当たりを引くまで何度も付き合うことになるから、励みなさいシュバイツ」

「当たり?」

「あのね、一発で済むなら誰も苦労はしないの」


 子宝に中々恵まれない人間夫婦の悩みは、天使も精霊も悪魔も同じらしい。確率の話しだから当たるまでやるのよと、魔族のお姉さん真顔になる辺りは切実な問題のようで。


「が、がんばってねシュバイツ」

「あらフローラ、あなたも他人事じゃなくてよ」

「それってどういうこと?」

「ティターニアとオベロン、ルシフェルさまからお願いされるかも」

「ちょちょ、閣下とオベロンは分かるけど、なんでティターニアまで」

「私たちは両性具有で、魂の交尾に性別は関係ないの。私が思うに精霊女王と精霊王は、狙ってるような気がするわ。ルシフェルさまだって、それを見越してペンダントを授けたんじゃないかしら」


 フローラからチーンという音が、聞こえたような聞こえなかったような。そうだよね、大魔王が無条件で加護を授けるわけないよね。迂闊だったわと頭に手をやり、彼女は遠い目になる。


「ところでその、当たったらどうなるんだ、サキュバス」

「良い質問ね、シュバイツ。生殖機能が退化してるから、受胎しても出産へ持って行けないの」

「フローラの場合もか?」

「産むのは私たちの方よ」

「魔王や精霊王が出産するって聞こえるけど」

「聞こえるじゃなくてそうなの、私たち高位の霊的な存在は雌雄同体だから。男と女って概念は、捨ててちょうだい」


 つまり両方の性質を持ってるけど、生殖機能が中途半端だから人間のような出産はできない。そこで精霊界へ赴き深淵の森に預けるのだと、サキュバスはぶどう酒のグラスを手に取る。


「あそこは天使と悪魔の幼生を育む、神聖な揺り籠なの。受胎した天使や悪魔は深淵の森で、霊的な存在である我が子を放出するのよ。産みっぱなしとか言わないでね、ちゃんと顔を見に行ったりするのだから」


 ならばフローラの天使ちゃんと悪魔ちゃんは生みの親がいるわけで、彼女はお友だちとなり人間界へ連れて来ちゃってることになる。どうりであの時ティターニアが、ちゃんと面倒を見てあげてねと釘を刺したわけだ。心配してるかもとフローラは頬に手を当て、アクセプト受諾のスペルは本来、自分の子供を探すためにあるのかもと思い当たる。


「いつか親御さんが、様子を見に来ることもあるのかしら」

「それはあるでしょうね、里親のフローラはちゃんと養ってるのかって」

「うひっ」


 いや押しかけられても困るのだが、会ってみたいって気持ちもちょっぴりあったりして。むしろアウグスタ城に招いて、ちゃんとご挨拶しようかしらとフローラは考え始める。


「セネラデも受胎したら、深淵の森へ放出するのかしら」

「彼女の場合は精霊界そのものがホームだから、放出する場所は決まってないの。深淵の森はね、ティターニアが用意した天使と悪魔の専用よ」


 それで代々の女王は天使と悪魔に、出会ってないんだと合点がいくフローラ。

 シュタインブルク家の女子は、初潮を迎える前に精霊界へ赴き、お友達を作らなきゃいけない。初潮がタイムリミットなのは、それまでに精霊と仲良くならなければ、洞窟からあの崖に転移できなくなるからだ。

 誰がそんな条件を設定したかは不明だが、考え出した酔狂な神さまがいたのであろう。獣人化する前に菩提樹の林へ辿り着く、それまでに精霊の幼生さんとお友達になれるかってゲームを。


 目の前にその神さまがいたら、小一時間ほど問い詰めたい気分のフローラである。だがそう考えれば天使ちゃんと悪魔ちゃんに巡り会えた、自分は幸運なんだと思えてくる。ケルアの町にあった教会が、エレメンタル宮殿へ転移できる場所だったことも大きいと。


「ところでさっきからお腹を撫でてるけど、どうかしたのサキュバス」

「当たったかも」

「……はい?」

「おいおい、それってまさか」


 それはおめでとうございますと、フローラもシュバイツもグラスを手に取る。もっとも当たりがあるならお相手がいるはずで、誰なんでしょうかと口を揃える。


「ゲオルクの子供が、欲しかったのよね」


 えええ! とフローラもシュバイツも、手にしたグラスを落としそうになった。いやもしかしてって気持ちはあった、あったんだけどお爺ちゃんだからと、心中では否定してたのだ。


「ゲオルク先生としてたんだ」

「やってたんだな」

「ちょっと二人とも、言い方ってものがあるでしょう。愛し合ったと表現してくれないかしら」


 大して変わらないような気もするが、とは口に出して言わないフローラとシュバイツ。半眼を向けるサキュバスに、それは失礼しましたと平謝り。


「人間としては枯れてるけど、私からすればゲオルクは若々しい種子なの。どんな子になるのかしら、今から楽しみだわ」


 言ってるそばからサキュバスの、先端が槍みたいな尻尾と蝙蝠のような翼が消えていく。宙にふよふよ浮いているのは変わらずで、レオタードでなければ女神と言っても差し支えないような容姿だった。

 フローラの精霊さん達が、リャナンシーに進化したと騒ぎ立てている。この場合は完全変態じゃないから、繭にならずとも即座に進化するんだそうで。


「ゲオルクに話してから精霊界にいくわね」

「もう深淵の森に放出しちゃうの?」

「言ったでしょフローラ、私たちは生殖機能が退化してるって。流れる前に揺り籠へ入れないと、手遅れになるの」


 そう言い残してサキュバス……もといリャナンシーは、るんるーんとテントを出て行った。俺たちゲオルク先生とどう顔を合わせたらとシュバイツが、言わないで恥ずかしいとフローラが、お互いを見てはにゃんと赤面してしまう。


「でも魂ぐるぐるがどんな感じなのか、それは知りたいかも」

「ゲオルク先生、話してくれるかな」

「そこは男同士で、それとなく」


 女王テントの前に立つ衛兵から、隊長たちがお集まりですと声がかかった。彼らと夕食を共にした後、卵奪還作戦に取りかかる。腹が減っては戦は出来ぬ、これがフローラ軍だ。

 お通ししてとフローラが返し、鎧をがちゃがちゃ鳴らしながら隊長たちが入って来る。その後ろからワゴンを押した、三人娘も来ましたよっと。もうこの時点でニンニクの香りがぷんぷんしており、これはスタミナ料理で来たなと、顔を綻ばせる隊長たちであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る