第108話 ローレンの剣(2)

 決定打を与えるか、どちらかが降参するまで。

 これが最初に決めたルールだから、ラーニエは勝敗の判定をしなかった。相手の剣が折れるのは想定外で、どうするねとヴォルフに視線を投げかける。もとより双方の兵士が、こんな終わり方で納得する筈もなく、逆に欲求不満となってしまうだろう。


「剣を交換されよ、晋鄙しんぴ殿」

「よろしいのか? ヴォルフ殿」

「正直に言えば、もっと楽しみたい」

「わはは、気が合いますな。おい誰か、代わりの剣をくれ!」


 そう来なくっちゃとほくそ笑むラーニエが、再開を告げ双方が剣を構えた。

 ヴォルフも晋鄙も上段の構えから、電光石火の早業で激しく打ち合う。やがてお互いに剣を振り降ろした後、柄の部分で押し合う力比べが始まった。戦場では肘鉄や膝蹴りもアリなんだが、二人ともそれは敢えてしない。純粋に剣技で勝負だと、そんな気持ちが表情にありありと浮かんでいた。


 力比べは互角と悟った二人が、供に後方へ飛び退き構え直す。間髪入れずヴォルフは上段の構えから振り下ろし、晋鄙は下段の構えからそれを弾いた。するとまたきんという共鳴音が響き、晋鄙の剣が再び折れてしまったではないか。


「もう一度、交換されますか?」

「いえ結構です、ヴォルフ殿、参りました」

「それまで、勝者ヴォルフ!」


 勝敗が決まったというのに、どちらの兵士も困惑していた。一度目は偶然でも二度続けば、必然ではと思えるからだ。そしてフローラ軍の兵士たちには、多少なりとも覚えがあった。これまでの戦いでシュバイツとヴォルフが、相手の剣を折った事が何度もあったからだ。豪腕による力業と思い込んでいたが、事ここに至ってはそんな問題じゃないと気付いたのである。


「失礼致します晋鄙殿、俺はケバブ、こいつはディアス。不躾とは存じますが、折れた剣を見せてもらってもよろしいでしょうか」

「……別に構わんが」


 ではではと、検分を始めるソードスミス刀鍛冶の二人。ここからはミン王国の兵士に聞かれて良い内容じゃないから、思念での内緒話しとなる。しゃがんで折れた刃を拾い、二人は成る程ねと頷き合った。


「こりゃダメだよケバブ、刃がぼろぼろに欠けてる」

「帝国の一般的な剣よりもやわい、折れて当然だな、ディアス」

「どういうことかしら、二人とも」

「ヴォルフ殿の剣は、岩をも断ち切る多重構造の斬岩剣ざんがんけんです、フローラさま」

「それじゃもしかして騎馬隊は」

「ご指示通り彼らの剣は、全て斬岩剣に打ち直しました、なあディアス」

「うんうん、もう全員に行き渡ってますよ」


 それじゃ模擬戦なんて出来ないわとフローラが、騎馬隊員は最前線に立つのだからことごとくへし折っちゃいますねとグレイデルが、大変なことになると大慌て。貞潤王と髙輝に会談の要請をと、ラーニエが珍しく真顔で思念を寄こした。


 斬岩剣の製法は軍事上の秘匿案件だし、そもそも素材のクロムが無ければミン王国は作れない。だが将来的に見て弱い国では困るという、この矛盾にフローラは頭を抱えてしまう。


「西側諸国なみの剣を打てるようにすればよろしいかと、フローラさま」

「引き受けてくれるの? ケバブ」

「まずは鍛冶工房を見せてもらいたいですね。どうやったらこんな軟弱な剣が出来上がるのか、錬成の行程を見てからでないと」


 分かったそっちは任せてとフローラは請負い、模擬戦は中止ねと隊長たちに思念を飛ばす。彼らも根っからの武人だから、そんなハンデがあるならやっても楽しくないと即答であった。


 ミン王国の兵士たちから、ローレンの剣なんて声が聞こえて来る。製法を編み出したのはケバブのご先祖さまなんで、ブロガルの剣が正しいのかも知れない。まあ実際に使いこなしているのは騎馬隊だし、別にローレンの剣でもいいさとケバブは笑う。でも正式には斬岩剣でしょうと、ディアスが職人らしい顔で口角を上げた。


「ショウガの皮は、剥きません」

「皮も香りがいいのよね」

「それを薄く、スライスだ」

「そーれとんととん」

「とんととん」

「とんととーんとん」


 買い出しで半月荘に足を伸ばしたキリアと三人娘が、丸々と太ったブリを調達して来た。手がけているのはブリの照り焼きで、ショウガは臭み消しに使うもの。このショウガもまたブリの味を吸って、美味しくなるから一緒に皿へ添えられる。

 もちろん隠し包丁を入れた、太ネギも忘れない。醤油と酒にみりんと砂糖を、煮込んだ時の罪な匂いが周囲に漂う。これだけでご飯が食べられそうだと、ジャンもヤレルも顔を見合わせにへらと笑う。


「ブリのウロコは取れてるか」

「残っていたら、大変だ」

「包丁の先で落としましょう」

「そーれしょりしょり」

「しょりしょり」

「しょーりしょり」


 ウロコも食べられる魚はアマダイくらいなもの、煮魚と焼き魚でウロコが残っていたらもう最悪だ。三人娘のかんかかーんかん音頭には、お料理のちょっとしたワンポイントが含まれているから聞き逃せない。糧食チームがうんうんそうだねと、ステップを踏みながらブリを捌いていく。


「お造りにするかと思ったのにね、カレン」

「お刺身なら成魚になる前の、ワラサやハマチが向くんですって、イオラ」

「脂が強いからブリは煮魚や焼き魚ってのは、かんかかーんかん音頭の何番だっけ、エイミー」

「あの音頭に一番二番ってありましたっけ? ルディ」


 スティルルーム・メイドの三人と、法王庁から派遣されているエイミーが、そう言えば無いよねと大笑い。けど料理の大事なヒントが盛りだくさんだから、書き留めて小冊子にしようと頷き合う。その小冊子がまた、帝国でベストセラーになったりするのだが。


 桂林と明雫に樹里がちょっとしたひと手間ですと言い、ブリの切り身をトングで持ち上げ皮目を焼き始めた。焼くと言うよりブリから出た脂で、揚げると言った方が正しいのかもしれない。

 焼きシャケもそうなんだけれど、皮も美味しいのにぐにゃぐにゃしてると食感が悪い。そこでぱりっとさせる工夫が、料理人としての腕の見せ所。


「私の方から伺うつもりでしたのに、貞潤さま」

「ローレン王国軍の戦場メシは美味いと、小耳に挟んだのでな、フローラ殿」

「あはは、蘭と葵に椿からですね」


 いかにもと目尻に皺を寄せ、貞潤はミリアが置いたエールを口に含んだ。

 髙輝もお手数をおかけしますと、エールのジョッキに手を伸ばす。くだんの側近三人が行事用テントへ行ったまま、戻ってこないからだ。お料理に対する探究心がそうさせているのだろうが、王と総監の護衛はどうしたって話しである。


 ワイバーン六頭がのっそのっそと歩き回るフローラ軍の本陣は、いま仙観宮で一番警備が厳重な場所かも知れない。その安心感から貞潤も髙輝も、自ら足を向けたと言うことか。


「前菜になります」

「エールのお代わりは遠慮無く」


 ミリアとリシュルが、細長い皿を置いていく。中がみっつに区切られており、左から叩きキュウリ、半分に切った味付け煮卵、素揚げしたナスが並んでいる。あくまでも前菜ゆえ、味は濃すぎず薄すぎず。


「晋鄙の件だが、不問に付すことにした。構わんかね? フローラ殿」

「それがよろしいかと、貞潤さま。兵士の士気に関わる問題ですし」


 やんちゃな武将のおかげで、模擬戦が回避できた。実行していたら騎馬隊は相手の剣を、何本ダメにしたことやら。よくよく考えてみれば、空恐ろしい話しである。剣を折られたミン王国の兵士は戦意すらも折られてしまい、軍人としての支えを失うところであった。


「それでフローラさま、我々に剣の製法を教えて頂けるのでしょうか」

「ヴォルフが使っていた剣は、特別な素材が必要なのです、髙輝さま。こちらでは産出しないと、英夏さまから伺いました。ならばせめて西方で用いられる、一般的な剣を揃えていただければと思いまして」


 それはありがたい話しだがと、顔を見合わせる貞潤と髙輝。他国の軍勢を強化することになるからで、どんな対価を要求してくるのか想像も付かないのだ。

 だがフローラの望みはただひとつ、ミン帝国にしちゃうから貞潤は、法王庁へ行って戴冠式を受けてねってゴリ押しである。法王と枢機卿も交え話しを詰める必要があるから、今はまだ言わないだけ。


 隣のテーブルから、前菜お代わりの声が聞こえてきた。特別な行事がなければ後宮から出られないはずの、皇后と四夫人が陣取っているのだ。彼女らに言わせると、他国の軍団を表敬訪問するのも特別な行事らしい。物は言いようだなと苦笑しつつも、クラウスとマリエラにプハルツが付き合ってあげている。


「前菜はお代わりするものではございませんが、皇后さま」

「かたいことを言うでない、クラウス候。美味いものは美味いのじゃ、特にこの味付け煮卵、中が半熟でとろとろなのが堪らん」

「兵士もこれと同じものを? マリエラさま」

「そうですよ賢妃さま、一日三食、全て同じ食事です」


 ローレン王国軍には潤沢な戦費がある、それを真っ先に思い浮かべる辺りはさすがの妃たち。ただ夕食のご相伴に預かってる訳ではなく、兵力を推し量りに来ているのだ。剣が使い物にならないことも聞き及んでおり、駐留する兵士らの士気と生活ぶりを注意深く観察している。


 ところで夫人たちが来たってことは、シュバイツは面が割れてるから隠れなきゃいけないわけだ。今どこにいるかって言うと、見張り台とする馬車に乗り込み、上空にいたりして。ひとりじゃ気の毒だと、ヴォルフにケバブの二人が付き合っていた。


「どうしてそういう美味しい場面に、俺は居合わせないんだろうか、ヴォルフ」

「そう言われてもな、こればっかりはどうにもならん、シュバイツ」

「君子危うきに近寄らず、天がそう告げているのではありませんか?」

「あんまり嬉しくない天の采配だな、ケバブ」


 憮然とした表情で揚げナスを頬張るシュバイツに、これから出番はあるでしょうとケバブが叩きキュウリをぽりぽり。次期皇帝は功を焦ってるわけじゃなく、武人として剣を振りたがっている、その気持ちは分かっているのだ。時が来れば嫌でも魔人化されるさと、ヴォルフが半熟とろーりの煮卵を口に放り込んだ。


「それでヴォルフ、晋鄙の腕前は?」

「剣が折れなければ俺と互角、覇気といい胆力といい、好ましい武人だ」

「ヴォルフがそこまで言うなら、きっとそうなんだろうな。ああちっきしょー! 俺もそいつと勝負してええ!!」


 五歳児じゃあるまいしどうどう落ち着けと、二人でなだめるもだめっぽい。もしここにフローラがいたら、目が笑っていない笑顔で一発撃沈なんだが。


「晋鄙に斬岩剣を一本、打ってあげたらどうかしら」


 その声はばっさばっさと羽ばたく、ワイバーンの背に跨がるグレイデルだった。ゴンドラには三人娘が乗っており、主菜であるブリの照り焼き、マカロニサラダ、神話伝承盛りの白米とあら汁を、ほれほれお食べと上空退避組へ手渡していく。


「たぶん収まりがつかないでしょうってね、フローラさまから言付かったの。見事な剣技を披露してくれた、武人に対するご褒美という名目で一本だけ」

「よっしゃぁ、打てるよなケバブ」

「一本打つ分のクロムは残ってますよ、シュバイツさま」


 なら俺も再戦だと、ヴォルフがブリの照り焼きを頬張り白米をかき込む。

 だがしかし、シュバイツもヴォルフも分かってない。結局これはフローラとグレイデルの、手のひらで転がされてるってことだ。血気にはやる男子を操縦する手練手管は、婚約相手の方が一枚上手ってことね。

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