第107話 ローレンの剣(1)
おもたせという言葉がある。
お客さんが持ってきたお土産を、そのまま出しちゃうって意味だ。どうもこの夫人たち、すぐ口にしたかったらしい。交渉で訪れたときに献上したぶどう酒が、後宮に樽で出回っていると見た。西方の料理やお酒に、興味津々なのだろう。
「そんなに分厚く切るのかや? 蘭よ」
「西方ではこれが普通だそうです、皇后さま。なんでも衣を付けて揚げた、ハムかつなる料理もあるとか」
そうですそうなんですと、三人娘がにっこにこ。お毒味しましょうかと尋ねる彼女らに、夫人たちも侍女たちも顔を見合わせる。その間にも葵と椿が小皿に取ったハムへ、黄色いマスタードソースをたっぷりと。
「毒味など要らぬ要らぬ、
「し、しかし皇后さま」
「貴姫よ、陛下も毒味を辞退したそうではないか。違うかや? 髙輝」
「事実ではございますが、皇后さまがそれをなさっては……あっ」
四夫人と侍女たちが止める間もなく、皇后はハムを箸で摘まみひょいぱく。咀嚼して味わい、そして頬に手を当てむふうと、目を糸みたいに細めちゃった。ならば私たちもと、四夫人も箸を伸ばしてもーぐもぐ。
肉から骨を抜いて
それにつけても法王領は、動物性の食品を口に出来ない聖職者の本拠地だ。そこでハムが名物とは皮肉なもの、肉だけに。他にもロースハムにラックスハム、ショルダーハムにベリーハムと、キリアが言うに品揃えと味では帝国一なんだそうで。他に牛肉や鴨肉なんかを使ったパストラミも、ラムゼイ枢機卿によればお勧めらしい。
「うん美味じゃ。そなたらも食べたな、ならば死ぬときは私と一緒」
「ぶはっ」「げほっ」「ごほっ」「ちょ、皇后さま」
「
「いいえお構いなく、それと私のことは名前でいいですよ」
この人は貞潤王が他界したら、自分も後を追うのではないだろうか? フローラはそんな風に思えた。ミン王国には王墓へ一緒に埋葬される、殉葬と呼ばれる慣習があると聞く。王を慕う側近や女官たちが、自決して亡くなった王の墓に入るのだと。
皇后は身をもって四夫人に、その覚悟を促したのではあるまいか。我が子を王にしたい願望はひとまず置いといて、ミン王朝の危機に団結しようではないかと。もしもそうならあっ晴れ、本物の女傑だわとフローラは感じ入る。
「ねえシュバイツ、ここは帝政だから、本来はミン帝国なのよね」
「英夏が言ってたな、それで家臣は王を陛下と呼ぶし、正妻を皇后と呼ぶって」
でも周辺国が認めていないから、帝国とは公言できないのですと、三人娘が思念に加わって来た。ミリアとリシュルは蒸留酒の箱を開け、耳を傾けながらもショットグラスに注いでいく。思念だから耳ではなく心で聞くんだけど、アリーゼも何を言い出すのかしらと聞き入っていた。
「大陸全土の掌握って、できそう? 次期皇帝として」
「ははっ、出来たら俺のご先祖さまは苦労してないさ。だから大陸の西半分にアリスタ帝国を築いた、それが精一杯だったんじゃないかな。外交にしても交易にしても軍事にしても、距離がありすぎるよ」
フローラがいれば可能だろうけどと、シュバイツは新しいハムの箱を開けた。でも代が変わり、瞬間転移の可能な聖女が現れなければ、皇帝の勅令を徹底させるのは難しいと彼は言う。
「大陸の西と東で、二大帝国体制なんてどうかしら」
「へ? フローラ今なんて」
「瞬間転移が使えなくたって、ワイバーンと伝書鳩のリレーなら、書簡のやり取りも速いでしょう」
さすがのミリアとリシュルも役者を忘れ、思わず手が止まってしまった。夫人たちが蒸留酒の味見をしたくて、尻尾を振るわんこ状態だ。早くお出ししてと、場の全体を見ているアリーゼが急かす。
「私がやるべきことは、民衆の信仰心と道徳心を取り戻すこと。大陸の覇権を握ることではなく、人類滅亡の終末を回避することよ。貞潤さまと髙輝さまは、アリスタ帝国のよきパートナーになってくれると思うの」
かつてフローラは大陸全体の展望を、ここまで明確に話したことはない。そもそも彼女は辺境伯の爵位なんて興味ないし、いつでも返上する気でいたのだから。
女装男子のシュバイツと相思相愛になり、二人はいずれ夫婦となる。彼が皇帝に選出されればフローラは、ローレン王国だけの女王で済むはずもない。
そんな彼女の考えた、誰もが思いも寄らない案。それが大陸東側の
「シュバイツがミン王朝を、帝国として認めるの。みんなわくわくしてこない? もちろんこの件には、法王さまにも一枚噛んでもらわないと」
法王庁まで巻き込むつもりなんだと、みんな思わず笑ってしまう。だが実現可能であり、法王がうんと言えば通るのだ。パウロⅢ世が貞潤に皇帝冠を授けたら、誰が何と言おうと大陸東側の皇帝である。
今までそれが出来なかったのは、東側をまとめてくれそうな覇王がいなかったからだ。新たな千年王国を築くのに必要、それがフローラの主張であった。
「貞潤と髙輝、そして夫人たち。長い付き合いになりそうだね、フローラ」
「そうねシュバイツ、そのためにも謀反は全力で阻止するわよ」
その夫人たちなんだが、少しずつ飲んでねって言ったのに、蒸留酒をかぱかぱ呷りぱやんぱやんになっていた。ぶどう酒を蒸留して作るブランデーは、アルコール度数が高いのである。飲み助な夫人たちとの初顔合わせは、和やかな雰囲気でお開きとなった。
「キリア、ちょっと来て」
「あらフローラさま、お戻りでしたか」
おいでおいでと手招きする仕草は、年相応に可愛らしさのある大聖女さま。何か悪だくみですかと微笑むキリアの耳に手を当て、フローラはごにょごにょと。ミン王朝にハムとブランデーはいい商売になるかもってささやきで、キリアの目がきらりんと光ったのは言うまでもない。
「あ、いたいた、待ってたんだよフローラさま」
「どうかしたの? ラーニエ」
「ちょいと面倒くさい事が。向こうの武将がひとり、うちの武将と手合わせしたいって、乗り込んで来てね」
女王の許可がなきゃ出来ないと突っぱねたんだが、相手は頑として引かないとラーニエは眉を八の字にする。隊長たちはと尋ねるフローラに、それがやる気満々で押さえ切れないのだとか。
全くもう、うちのおじさま達と来たら、そう言って顔に手を当てる大聖女さま。貞潤は執務室だし、髙輝は夫人たちを屋敷へ送って行った。ならばこれは二人とも知らない事であり、申し込んだ武将の先走りだろう。
「案内して」
「こっち、
急ぎ駆け付けてみれば、グレイデルがお手上げですと諦めの境地だった。だって門の内側にフローラ軍、外側にミン王国正規軍が、睨み合う形で対峙してるのだから。フローラの到着に隊長たちが、もちろん受けて立つんですよねって異口同音。こうなるともう収まりがつかないわけで、フローラは頭の中をフル回転させる。
「手合わせを申し込んだ武将は、どなたかしら」
「私です、ローレンの女王よ」
フローラに対し
「男ってこういうもんなのかしらね、ラーニエ」
「少年の心を忘れないやんちゃは、こうなるのさフローラさま、好ましいけど」
「二人とも呑気な、何かしら決着を付けないと、ここで乱闘騒ぎになりますわよ」
「なら晋鄙が望む一騎打ちで場を収拾するしかないわね、グレイデル」
そこでフローラはゲルハルト卿に向かい声を上げた、騎馬隊から対戦者を選出してと。よっしゃそう来なくっちゃと、狂喜乱舞するフローラ軍の兵士たち。古参兵と新兵の寄せ集めと、舐められていたから一矢報いたい、その気持ちが爆発したのだ。
「ならばわしが」
「お待ちください隊長、ここは俺が」
「ヴォルフよ、美味しいところを持って行くつもりか?」
「新しい道を切り開くのは若い世代と、仰ったではありませんか」
「ぶっ」
はいはい、確かに言った言いました。お前も口が達者になったなと、ゲルハルトは苦笑する。ならば行ってこい、みっともない戦いは許さんぞと、彼はヴォルフの背中をぱしぱし叩いた。
門前で両者が向き合い、双方の兵士がぐるっと取り囲む。心配顔のグレイデルに、怪我したら即ヒールねとフローラが囁く。いつでも発動できるように、二人は腰帯から扇を抜いた。
もしここにシュバイツがいたら、俺にやらせろと言って聞かなかっただろう。今は女王テントでお着替え中。ここんとこ出番が回ってこない次期皇帝、運が良いのか悪いのか。
「審判はこのラーニエが務めさせてもらうよ。急所狙いは禁じ手、有効打もしくはどちらかが降参するまで、それでいいかい?」
「もちろんだ、ラーニエ殿」
「それがしも、異論はございません」
ではとラーニエは右手を空へ掲げ、両者がともに剣を抜く。これだけの兵士がいるのに、しんと静まるかえる承明門。その門を守る衛兵も、固唾を呑んで成り行きを見守っている。
「はじめっ!」
ラーニエの手が振り下ろされ、先に動いたのは晋鄙の方であった。上段から振り下ろされる剣先をヴォルフは弾き、返す刀で晋鄙の腹へ横に払う。すんでで飛び退き晋鄙は、今度は下段から振り上げた。それを足さばきで躱すヴォルフの髪が、先端を切られはらはらと落ちた。
「ほう、見事な腕前だ、晋鄙殿」
「今の一太刀を躱されたのは初めてだ、ヴォルフ殿」
「ふっふっふ」
「はっはっは」
あれれこの二人、変なモードに入っちゃったかも。そこからはもう小細工なんて不要とばかりに、剣を打ち付け合うヴォルフと晋鄙。門前に剣のぶつかり合う金属音が響き渡り、兵士たちがやんややんやの喝采を浴びせる。
「どっちも笑ってるぞ、アレス」
「好敵手を見つけたときの、心躍るってやつだな、コーギン」
「若い頃を思い出すな、アーロン」
「俺は今でも若いと思ってるがな、デュナミス」
「これは体力勝負になるんだろうか、シュルツ」
「そうなる前にグレイデルさまが、タオルを投げるんじゃないかな、アムレット」
そんな隊長たちの耳に、きんという共鳴音が届く。何が起きたかは見ているから分かっている、晋鄙の剣が根元からぽっきり折れたのだ。審判役のラーニエが双方下がれと、間に割って入った。
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