第85話 情け容赦は無用
ドジョウを開きにするか、開かず姿そのまんまでいくか、そこは好みが分かれるところ。骨が柔らかく頭から食べられる魚ゆえ、三人娘は開かない派だ。
煮汁は醤油と酒にみりんを同量でだし汁を加え、ドジョウとささがきにしたゴボウを一緒に煮込む。最後に溶き卵でとじ、三つ葉を散らせば出来上がり。川魚特有の香りとゴボウの風味も相まって、美味しいからぺろっといけちゃう。
「うんうんこれは良いな。そこな娘、おかわ」
「だーめーでーす」
魔王さま、三人娘からの『だめです』何回目だろうか。季節のお刺身盛り合わせでも、焼き物と煮物に揚げ物でも、ことごとくお代わりって言うからなんだけど。
どれもこれも美味しいから、気持ちは分からなくもないと、ヒュドラがぷくくと笑っている。ちなみに右のアモンと左のマモン、貴賓室へ出す前にキッチンで味見をしているちゃっかりさん。
焼き物は殻ごとホタテのバター醤油焼き。煮物は里芋と豚肉のそぼろ煮。揚げ物は野菜天ぷらで、天つゆが良い仕事をしている。箸休めで出て来たキュウリの酢の物でさえ、清酒がすすんでしまう。
「あの子たちの精霊は、お料理をどのくらい覚えたのかしら? フローラ」
「日常的に作ってる献立は、ほぼ覚えたはずよ、ティターニア」
「ちょっと待て、聞き捨てならない話しを耳にしたような気がするのだが」
「せっかく人間界にいるんですもの、向こうの料理を覚えるよう命じてあるのよ、ルシフェル」
「な……」
嫌な予感がしたフローラ、それはグレイデルも同じ。案の定ルシフェルの後ろに光の粒が現れ、どんどん質量を増していき、やがてコウモリの翼を持つ妖艶な女性が出現した。
「お呼びでしょうか、ルシフェルさま」
「サキュバスよ、そなたに使命を与える。人間界に赴き向こうの料理を覚えるのだ」
「主命とあらば喜んで、しかし私が人間界で活動するには、男性の精気が必要ですけれど」
「心配は無用だ、そこな男どもは桃源郷の桃を口にする」
「あらまあ吸い取り放題なのですね、それは上々ですわ」
唇を真っ赤な舌でぺろりと舐めたサキュバスが、品定めするように男性陣へ視線を這わす。思わずうひっと硬直してしまう、シュバイツとヴォルフ、そしてシーフの二人にケバブ。そこへティターニアから、フローラに直接の思念が届いた。
『引き受けなさい、フローラ』
『男子が干からびたりしない? ティターニア』
『そのための桃よ、これで大手を振って食べに来られるでしょ』
そりゃ酒宴の回数も増えるしね、精霊女王としては願ったり叶ったりだろう。この人はそれを見越して、わざと魔王にリークしたのではあるまいか? いやそうに違いないと、フローラはがっくりと肩を落とす。
気付けばオベロンとセネラデにヒュドラ、側仕えの精霊さんまでうきうき顔だし、全くもうと遠い目をする大聖女。これで軍団にまたひとり、居候が増えちゃうわけでして。
「お待たせしました、本日の真打ち、うな重でーす……あれ? お客さんが増えてる。桂林、明雫、もう一人前!」
給仕は側仕えの精霊さんがやってくれるので、樹里がキッチンへぱたぱたと走って行った。当のサキュバスは魔王さまの隣に座り、清酒を手にしてすっかり寛いじゃってますがな。
「そう言えばどうして精霊界に、天使と悪魔の幼生がいたのかしら、ティターニア」
「精霊界はね、天使と悪魔の揺り籠でもあるのよ、フローラ。ある程度成長するまでは、ここで預かっているの。だから言ったでしょ、手ずから黒胡椒をあげた以上は、ちゃんと面倒見てあげてねって」
「くぴぴくぴぴ」
「くぴぴっぴー」
フローラとグレイデル、そして三人娘の四精霊は、やがて板前精霊になるだろう。板前天使と板前悪魔が誕生する、可能性も無きにしも非ず。長い寿命を持つのだ、もしかするとセネラデにヒュドラも、板前神獣と板前竜になるかも。
「むおっ! これは何としたこと」
まだ箸を使えないルシフェルが、スプーンを動かしながら目を見開いた。
三人娘はご飯が見えないくらいに、蒲焼きをお重に敷き詰める。でもそれだけじゃない、ご飯の下に刻んだ蒲焼きがあるのだ。いわゆるひつまぶしで、その下にまたご飯がある二重構造。うなぎの肝吸いを運んできた桂林が反応を見て、してやったりの顔をしている。
しかも後に続く明雫と樹里がワゴンに、〆となるミニ海鮮丼とミニ天そばを乗せやってきた。テーブル調味料ではなく大鉢に盛った、緑のワサビと七味唐辛子の赤が映える。だから『だめです』と何度も言ったのだろう、全て胃袋に収めてもらいたいから。
「今宵は馳走になった、次を楽しみにしているぞ、フローラ。ワイバーンの件は魔界に持ち帰らせてくれ、他の魔王たちと摺り合わせが必要でな」
「お手数をおかけします、ルシフェルさま」
目を細めうむと頷き大魔王さまは、三人娘からもらった生菓子の箱を手に上機嫌。彼はところでそこの犬よ近う寄れと、ダーシュに手招きをする。
「俺に何か?」
「そなたは魔力の使い方を、まだ分かっておらぬようだ、授けてやる」
魔王さまがダーシュの頭をぽんぽん叩いたら、虹色に輝く光の粒がはじけ飛んだ。わんこの姿はそのままだが、何と毛色が黒から銀白色に変わったではないか。
これでダーシュは精霊としての、能力を発揮できることになる。人間界の出身だから省エネモードに入る必要はなく、犬の姿でいるなら普段通りなんだとか。
――そして二日後、フローラ軍はネーデル王国の上空にいた。
幸いまだ開戦はしていなかったが、皇帝軍の軍勢は最初聞いた話しよりも、更に増強されていた。全軍を国境に集めたのだろう、ざっと見て八千だろうかと、シュバイツが馬車の御者台から見下ろす。対してネーデル王国軍は千にも満たず、旗色はそうとう悪そうだと。
「さてどうする、フローラ」
「どんな戦争でも、まずは前口上ありきよシュバイツ。伯父上、マリエラさま、プハルツさま、それでよろしいですね?」
もちろんんと頷く三人にフローラは、では降下しますと軍団を地表へ向けた。空から降りてくる軍団に、皇帝軍が右往左往しているのが見える。対してネーデル王国軍は援軍の到着に、盾へ武器を打ち付け『うおお』と空気を震わす大音声を放った。
ネーデル王国のレインズ王とフローラが騎馬隊に守られ、同じく騎馬隊を引き連れた敵将のデボラが、国境線を挟み対峙する。ローレン王国の女王は小娘じゃないか、そんな嘲笑が敵方の騎馬隊から聞こえて来た。
「国境にこれだけ兵を集めておきながら、何の説明もないのは何故だ」
「時を待っていたのだよ、レインズ王」
「時? どういうことだ」
「更なる増援があると知らせが届いた、これから侵攻させてもらう」
増援と聞きフローラは、護衛のゲルハルトとヴォルフに思念を飛ばす。いくら皇帝軍でも八千以上の軍勢を、いったいどこから持ってくるのかしらと。
『レーバイン国と同様、クルガ国の領民を犠牲にして、魔物を瞬間転移させるとか』
『わしもヴォルフと同意見だ、それしか考えられん』
ローレン王国は本軍が五千に、古参兵と新兵を集めたフローラ軍が千だ。傭兵を雇ったとしても、七千には届かないだろう。皇帝軍八千の中には幼い少年兵もずいぶんいそうだなと、ゲルハルトは顔をしかめた。
天軍とも言えるフローラ軍が、空から降りて来てもこの余裕。敵軍の上層部に正しき信仰はなく、魔物で何とかなると過信している。そういうことだなと、思念を交わし合い三人は頷き合う。
「一応聞くけど、攻め込む理由は?」
「皇帝陛下のご下命だからだ」
「大義名分とかないのかしら」
「軍人にそんなものは必要ない」
フローラの瞳が一瞬、虹色のアースアイに輝いた。デボラという皇帝軍指揮官の、本質を見抜いたからだ。殺戮のための殺戮を好む人物、ハモンド王のような騎士道精神は持ち合わせていないと。持ってたらとっくに前口上を述べてるはずで、同じ言語でやり取りしているのに言葉が通じない類いだ。
「そう、ではただ今この時をもって宣戦布告。開戦でいいのね? デボラ指揮官」
「ふんっ、二千にも満たない兵力など、即座に潰してくれるわ」
話しはここまでねと、陣へ戻ろうとするフローラ。するとあろうことか、彼女たちに弓矢が放たれたのだ! 双方が陣へ戻り銅鑼が打ち鳴らされて戦闘開始、そのルールすら守れないとは外道もいいところ。騎馬隊が前に出て盾を構え、フローラとレインズ王を守ろうとする。
「
竜巻が起こり降り注ぐ矢を、全て飲み込んで空高く舞い上げた。そしてローレンの大聖女から目には見えないが、強烈なオーラが吹き上がる。手にした扇を広げた彼女に、情けや容赦なんてものは一切無かった。
「開け地獄の蓋よ、
あれかと呟くゲルハルトに、あれですねと頷くヴォルフ。竜巻だけでも呆けていたレインズ王が、今度は何が始まるのかと
「義に反する愚か者に生死の
ゲルハルトとヴォルフがレインズ王を守る騎馬隊へ、盾を前方に構え衝撃に備えろと叫ぶ。そうこう言ってる間に、空では真っ赤に燃える隕石が召喚されていた。
「いっけえ!
前に使った時はお情けで、敵の陣幕を外してあげたフローラ。だが今回は腹に据えかねたのか、陣幕と野営テントへもろに落としていた。
空気中の水分が熱せられ周囲は霧に包まれ、地響きから一拍遅れて衝撃波が届く。森の木々は根っこごと薙ぎ倒され、隕石が落ちた周囲は灼熱の溶岩と化した。敵の野営地を焦土に変えた、大聖女の瞳がアースアイに光輝く。
「やるならやるって、思念を飛ばしてくれよフローラ」
「ごめんねシュバイツ、でも私だって切れる時はあるのよ」
「まあな、その気持ちは分かるよ。銅鑼が鳴る前に仕掛けるなんざ、俺も武人として認めない」
あの衝撃波はすごかったなと、隊長たちが苦笑している。とっさにシーフの二人がディフェンスシールドを展開したので、味方にこれといった被害は出なかった。だがそのシールドが、一瞬にして崩壊したのだから参ると。
野営テーブルで夕食の卓を囲みながら、炭火焼き肉を楽しむ首脳陣たち。なんでこんなにまったりしてるかと言えば、デボラが休戦協定を申し入れて来たからだ。もちろんオレンジ旗は立てたが、厳重な警戒態勢が敷かれている。
「敵は二千か三千の兵を失いましたでしょうか、ゲルハルト卿」
「そうですなレインズさま、負傷者を含めればその倍以上はいくかと」
あれが大聖女の御業なのですねと、ハラミを頬張るレインズに、カルビを頬張るプハルツ。マリエラは牛タンにご執心で、クラウスはホルモンをもりもり。
「あんたを見てると、あたいと同類な気がするんだけどね、サキュバス」
「あら奇遇ねラーニエ、私もそう思っていたところよ。でも今は決まったお相手がいるのでしょう?」
「まあね、どれを焼こうか、好きなもんはあるかい」
「魔族は基本的に、内臓肉が好きなのよ。それにしてもこの焼き肉のタレ、はっきり言って反則よね」
それは確かにと笑いながらラーニエは、網にレバーとシマチョウにハツを並べていく。ご飯とテールスープはお代わり自由ですと、こりゃまた嬉しい三人娘の声が聞こえてきた。
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