第84話 皇帝軍と刃を交えましょうか

 法王領の首都には近隣諸国の、王国貴族が駐在するお屋敷がいくつもある。法王のお膝元であり、帝国の情勢を知るには都合が良いからだ。特に中小国家は皇帝の施策に敏感で、何かあれば情報をいち早く入手しようと法王庁へ日参する。


 もっとも距離的に遠いローレン王国とヘルマン王国は、皇帝を信用しておらず法王領にお屋敷を置いていない。マリエラのルビア王国とシュバイツのブロガル王国は、お屋敷はあるけど管理人がいるだけで、駐在員は常駐させていなかったりする。


 大国で経済力と軍事力があるし選帝侯と皇族だから、皇帝がおかしな勅令を出せばもの申す立場だ。経済制裁など屁のカッパ、軍事力を行使するなら受けて立つ、その点に於いては共通している四大国である。


 特にローレン王国は貨幣の鋳造権を持っており、その品質は大陸全土で豪商たちの折り紙付き。経済力の底力で言えば、皇帝ですかああそうですか、フローラからすればその程度なのだ。だから辺境伯爵なんて爵位を彼女は、どうでもいいと思ってるわけで。


 話しを戻してここはネーデル王国の構える、法王領のお屋敷。そこへアビゲイルに懇願され、代表でグレイデルとヴォルフが訪れていた。外ではお庭で待機するワイバーンを、アビゲイルの娘であろう姉妹が、ほええと口を開け見上げてたりして。


「おっきいね、お姉ちゃん」

「うん、触っても大丈夫って言われたけど……」

「こけっ、こここ」


 姉妹の襟を摘まみ持ち上げ、背中に乗せちゃうワイバーン。お付きのメイドがあわわわと、頬に両手を当て青くなってしまう。けれどのっそのっそと歩き回るでっかい鶏の背で、姉妹はたかーい楽しいとわいきゃいはしゃぐ。 


 なおフローラは買い出しチームを荷馬車に乗せ、海鮮を求めヘルマン王国へ移動。魔王さまとの約束は反故にできないし、ティターニアとオベロンの顔も立てなきゃいけない。そこでフローラは信頼のおける、グレイデルとヴォルフに、ネーデル王国の件を任せたのだ。


「よくいらして下さった、私は領事を務めるゼオンです。お話しは妻のアビゲイルから、先ほど聞きました」

「はじめまして、ゼオンさま。私はグレイデル、こちらはヴォルフです。ローレン王国女王フローラさまの、名代として伺いました」

「それで、傭兵を雇うつもりだったアビゲイルを止めたそうですが、我が国を見捨てるおつもりなのでしょうか」

「いいえ逆です、ネーデル王国軍を総動員して、皇帝軍を何日足止め出来るのか、それを確認したいのです」


 顔を見合わせ、困惑するゼオンとアビゲイル。側仕え達も役者の顔を忘れ、お茶を淹れる手も心なしか震えていた。お国存亡の危機なのだから、しょうがないのかも知れない。

 でもここにアンナがいたら、アウグスタ城のメイドだったら、雷が落ちてるなと思いつつグレイデルは扇を抜いて広げた。そして自分の顔をあおぎ、再び何日持ちますかと尋ねる。重要なことですと、ヴォルフもテーブルの上で手を組む。


「開戦すれば持って三日でしょう、戦力差がありすぎます」

「それだけあれば充分です、ゼオンさま」

「充分とは……どう言う意味で? ヴォルフ殿」

「ローレン王国のフローラ軍が、助太刀に参ります」

「いや、法王領から二週間はかかる道程、いったいどうやって」

「それを可能にするのが、ローレンの大聖女なのです。我が軍が到着するまで、何としてでも国境を防衛して頂きたい」


 つまりフローラ軍の全兵士が、音速飛行の初体験をすることになる。目を回して使い物にならなくなる、兵士もきっと出るだろう。

 でも重要なのはそこじゃない、選帝侯三人と皇族の旗印を掲げる軍団が、やんのかこら上等だと割って入るのだ。しかもフローラは聖堂騎士団の指揮権を持つから、法王庁の旗印も加わることになる。


 第三者から見て、どちらに大義があるかは明白だ。それを目の当たりにすれば腰が引けていた、ネーデル王国と親交のある国々も兵を起こすかも知れない。選択の余地はなく、ゼオンとアビゲイルは、テーブルの下で強く手を握り合う。


「我がネーデル王国を、お救い下さるのか」

「何とぞ、何とぞ、我が国をお助け下さいませ」

「早馬を飛ばし、この旨を国王にお伝え下さい、ゼオンさま。私たちは準備がございますので、これにておいとま致します」


 ここへ来る前いちど野営地に戻ったので、グレイデルは三人娘から預かった箱を側仕えに手渡し、ヴォルフとその場を辞した。ワイバーンに跨がる二人にもう行っちゃうのと、残念がる姉妹が何とも可愛らしい。微笑んでまた会いましょうと小さく手を振り、グレイデルは翼竜グレオを舞い上がらせた。


「これはいったい……何だろうなアビゲイル」

「このカードに『練り切り』と呼ばれる東方の生菓子と書いてありますわ、あなた」

「菓子なのか!?」


 四季折々の花を象った生菓子がずらり、色彩も美しくお菓子と言うより、もはや芸術品の域である。娘たちを呼んできますわねとアビゲイルが席を立ち、側仕えらはお茶を入れ直し、ゼオンは王に書簡を認めるべく文箱を出すのであった。


 その頃こちらは、ヘルマン王国の首都カデナ。市場で物色するフローラ達に、店主たちの間で緊張が走る。キリアと三人娘がこれ下さいと言ったら、ほぼ全量お買い上げだからそうなっちゃうのだ。


「キリア、あなたも今夜は精霊界に連れて行くわよ」

「まさかフローラさま」

「獣人化はしないって、でもその手でダーシュに赤唐辛子を与えたのでしょ」

「ええはい……あっ!」

「ダーシュの使う魔力の触媒になるのよ」


 人間って生き物は、寝だめ食いだめが出来ない生き物だ。出来たら冬の間は冬眠したいくらいなのだが、世の中そうもいかない訳でして。

 それは置いといて、精霊界にある桃源郷の桃は、食いだめで効力を貯めておけるのだ。ティターニアとオベロンがうんと言うか分からないけど、キリアに食べさせておかないと、魔力行使でいつぽっくり逝くか分かったもんじゃない。


「ご面倒をおかけします」

「いいのよキリア、気にしないで、精霊さん達の勧めでもあるから。ダーシュ、あなたも連れていくからね」

「わ、分かった」

「ところで桂林と明雫に樹里、何だか悩んでるみたいね、キリア」

「結構な食材を買い求めましたが、方向性が定まってないと言いますか、決めかねてるみたいです」


 寿司でもカツ丼でもカレーでもハンバーグでも、ステーキでもシチューでも鶏からでも、作れる分の食材は揃っている。何が足りないのだろうと、シュバイツにシーフ二人とケバブも首を傾げている。


 それでも三人娘は何かが足りないと、鮮魚コーナーをうろうろ。そんな中とことこと、樹里が通りの反対側へ行く。規模は小さいけれど、そっちに淡水魚のエリアがあるのだ。


「わあ、ドジョウだ」

「いらっしゃい、お嬢ちゃん。若いのにこれが好きなのかい」

「大好きよお婆ちゃん、そっちの蓋をしてる桶はなあに?」

「ウナギさね、好んで買う人は少ないけどね」


 ウナギは跳躍力が高く、蓋をしていないと逃げるのだ。見せてもらったら、これまた太いのなんのって。でもお婆ちゃんは、今の若い人はゼリー寄せにしても食べないのにと、桶を覗き込む樹里に目を細めた。


「桂林! 明雫!」

「なになに樹里、うわドジョウとウナギだわ、明雫」

「閃いたわ桂林、蒲焼きと柳川鍋」

「ならお酒は清酒で決まりね、お刺身やお寿司とも組み合わせられる」


 でかした樹里と、その背中をぱしぱし叩く桂林と明雫。お酒と料理、料理とお酒、その組み合わせで三人は迷路にはまり込んでいたのだ。この世界でラガービールが醸造されるようになるのは、もうちょっと先のお話しである。


 ――そして準備が整い、ここはエレメンタル宮殿の貴賓室。


「ねえ、どうしてここにセネラデがいるわけ?」

「私を除け者にするでないフローラ、ちゃんとティターニアから招待されておる」


 唇を尖らせるセネラデに、苦笑するティターニアとオベロン。海の神獣がフローラと深く関わってしまった事は、水晶の映像で重々承知している。新たな千年王国を築く駒となるのだから、呼ばない訳にはいかなかったのだ。


「それよりも衣服を身にまとって頂けませんか、セネラデさま」

「おお、すっかり忘れておったわキリアよ。ほれ、これでどうじゃ」


 粒子を集め、豊満なボディにドレスを展開する海龍さま。

 全くもうと腕を組むキリアと、目のやり場に困っていた男衆。実はシーフの二人とケバブも、フローラは連れてきていた。三人娘の成長度合いからして、魔人化があり得るからだ。この三人にも桃源郷の桃を、食べさせておきたいのである。


「ルシフェルがそろそろ来るだろうけど、桃の件はいいよフローラ。僕とティターニアで何とかするから」

「ありがとうございます、オベロンさま」

「桃がどうしたと言うのだ、オベロン」

「げっ」

「げっ、ではないちゃんと説明せよ」


 いつの間にかルシフェルが、席に着いてるじゃあーりませんか。お口が寂しければどうぞと、三人娘の出したエビしんじょをひょいぱく食べている。ぱっと見は大天使だが、魔界を統べる魔王の中の大魔王が、ルールは分かっておるなと目を眇める。


「この者たちには本来の天寿を全うさせる、そう決めましたのよ、ルシフェル」

「誰の許可を得てだ、ティターニア」

「許可? お戯れを、これは精霊界の総意です」

「ほお……」


 目には見えないが、貴賓室でばちばち火花が交差する。

 法側の神々も、力側の魔王も、原理原則には厳しい。けれど精霊はそのバランスを取り、天秤の針を真ん中に保とうとする。


「人間界に終末が訪れたと判断しました、この者たちに桃源郷の桃を供与します」

「それは本気で言っておるのだな、ティターニアよ」


 火花どころか貴賓室に、強大な魔力が渦巻き始めた。

 壁際に控えていたお付きの精霊さん達が、うひっと顔を引きつらせる。フローラたちは桃をもらう立場なので、口を挟むことができない。いやそれより魔力で皮膚がぴりぴりして、言葉を発することすらままならない。


「お待たせしました、最初はマグロの大トロ中トロ赤身の三種握りでーす。つめは塗ってありますから、そのまま手で摘まんで召し上がれ」


 ワゴンを押して入室した明雫の、あっけらかんとした声で、渦巻いていた魔力が霧散してしまった。すかさずこれは美味しいですよと、セネラデがルシフェルに酌をする。


「おお、確かに美味いな。そこな娘、お代わりを所望する」

「だーめーでーす」

「なん……だと?」


 呆ける魔王ルシフェルにびしっと、立てた人差し指を向ける明雫。

 怖いもの知らずと言うか何というか、お料理に関しては相手が誰だろうと譲らないのは、三人娘の持って生まれた性質である。


「これから色んなお料理が出ます、握り三種盛りでお腹をいっぱいにしないで下さい。でないと損をしますよ後悔しますよ、魔王さま」


 にっこり微笑む明雫に、毒気をすっかり抜かれてしまった魔王ルシフェル。よし分かった次を持ってこいと、清酒を口に含みガリを頬張る。これがまた乙な味で、いやがおうにも期待感が増してしまう。


「神々にはどう言い訳するね、ティターニア」

「言い訳などしませんわ、ルシフェル。これからフローラが始める千年王国を」

「千年王国を?」

「黙って見てろですわ」


 最後に取っておいた大トロを、美味しそうに頬張る精霊女王さま。そしてきょとーんとする、力側の代表である魔王さま。やがてルシフェルはわははと笑い出し、よかろうその話しに乗ったと、清酒を口に含むのであった。

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