第83話 生命観と生死観

 ラムゼイの枢機卿就任を祝う、酒宴で盛り上がった野営地。その翌朝キリアとダーシュが、何やら揉めていた。キリアは思念で話すことも忘れ、ダーシュを猛烈に責めているのだ。救護テントでだべっていたゲオルクとシーフの二人、そしてケバブとディアスが、何事だろうとテントから顔を出す。


 するとキリアはダーシュの首根っこを掴み、こちらへぐいぐいと引っ張って来るではないか。力ではわんこ精霊に適わないはずだが、彼はキリアに怒られても精神的に痛いらしい。朝食の後片付けをしていた三人娘と糧食チームが、思わずその手を止めてしまっている。


「席を外そうか? キリア隊長」

「いいのよゲオルク先生、あなた達も聞いてもらえるかしら。ほらダーシュ、さっき言ったことをもう一回、みんなの前で話しなさい」

「精霊界で獣人化すれば……キリアは長生きできると」

「余計なお世話なのよ! このすっとこどっこい!!」


 キリアがこんな剣幕で怒るのは初めてで、シーフの二人もケバブにディアスも、かける言葉を失ってしまう。だがゲオルクだけが成る程と頷き、キリアにぶどう酒の革袋を差し出した。それを受け取りがばがば呷った彼女は、よく聞きなさいとダーシュの頭に手を乗せる。


「私は夫が存命だし子も孫もいるのよ、長生きして先立たれるのを私に葬送しろと? 冗談じゃないわ」


 葬送とは死者を埋葬するため、墓所まで送るという意味だ。子や孫の喪主まで務めるなんてまっぴらごめんよと、キリアは更にぶどう酒を呷る。まあそういうこったとゲオルクも、気持ちが分かるのかぶどう酒を口に含む。


「私は天寿を全うして、来世を楽しみにしたいの」

「フローラと同じ事を言うんだな」

「あらダーシュ、それが法典の生命観と生死観よ。ゲオルク先生はどうお考えでしょうか」

「そうだね、科学の発達とは起きた事象から、原因を突き止める戦いだ。それは人間の一生も変わらんと私は思う、今の自分を見れば前世が分かるし、これからどう生きるかで来世もだいたい決まる」


 私が輪廻転生で生まれ変わったら、やっぱり医師だろうなとゲオルクは来世に思いを馳せた。あら町医者じゃなく、宮廷医にはなるんじゃなくてと、キリアが茶化してみんなの笑いを誘う。


「底辺で死んだら生まれ変わっても底辺ってことだよな、ジャン」

「青のルキアにあるもんな、ヤレル。大事なのは今をどう生きるかだ」


 そういう事よと、キリアはダーシュの頭を優しく撫で回す。自分はもうフローラに遺言状を預けており、いつ死んでも悔いは無く、ただただ来世が楽しみなのよと微笑んだ。


「あなたは人間より遙かに長く生きるのだから、多くの葬送を見る事になるわ。でもそれは不幸な事じゃない、新たな人生のスタートで喜ばしい事なの」


 “キリアが転生したら見つけてあげて”

 

 ダーシュはフローラの言葉を思い出し、噛みしめ絶対に見つけてやると、深く心に誓う。男でも女でも何度転生しても、必ず見つけて寄り添うと決めたのだった。


「ところで精霊化したなら、黒胡椒や赤唐辛子を食べるんだろうか、ケバブ」

「どうなんだろうな、ディアス。ゲオルク先生はご存じですか?」

「犬にとって毒ではないが、胃腸によくないぞ。基本的には口にしても、吐き出そうとするしな」


 ほうほうとキリアが朝の調理で余った、赤唐辛子をポケットから取り出した。悪い顔になってる彼女を見て、これは怒らせた罰だなと誰もが思う。袋からさやを一本取りだし、むふっと笑うキリアがちょっと怖い。


「ほら」

「げっ! キキ、キリア」

「ほらほら」


 いいからおあがりと、ダーシュの口にぐりぐり押し込むキリア。見てるゲオルク達の、頭皮の毛穴という毛穴が開いちゃう。ところが最初は嫌がってたダーシュ、徐々に噛みしめ始めたではないか。


「ダーシュ、大丈夫なのか?」

「それがな、ゲオルク」

「うん」

「辛さは感じない」

「ほう」

「癖になるというか」

「そりゃまた」

「いくらでも食べられそうだ」


 やっぱり精霊なんだと、誰もが苦笑してしまう。だがここで重要なのは、キリアが手ずから赤唐辛子を与えたってこと。その意味をここにいるみんなは、すっかり失念していた。


 その後ここは首都の市場、買い出しチームの食材選び。今夜はエレメンタル宮殿で酒宴を開くから、場合によっては法王領だけでなく、あちこち飛ぶ予定だ。先日ヒュドラが現れ日程を告げて行ったあたり、魔王さまに急かされたのだろう。


「魔王ルシフェルも辛いものは大丈夫なんですよね、フローラさま」

「精霊と変わらないって、ヒュドラは話してたわよ、グレイデル」


 フローラは瞬間転移で買い出しチームを運ぶため、グレイデルは軍団向けの食材をワイバーンで野営地へ届けるために同行している。兵站木工チームがワイバーンの首から下げられる、丁度いい買い物籠を作ってくれたのだ。

 ちなみに籠と呼んではいるものの、牛が一頭入る大きさである。背中にグレイデルとヴォルフが乗り、更に牛相当の重量物を運べるんだから大したもの。


「店主も買い物客も、みんな興味深そうに眺めてるな、ヴォルフ」

「最初は怖がってたけどな、シュバイツ」


 小さな子供がじゃれついても大丈夫と分かり、今ではすっかり市場の人気者となっていた。キリアと三人娘が食材を選び、お店の人がワイバーンの籠に購入した食材を積んでくれる。


「普段は何を食べさせてるんですか? キリアさま」

「それが何でも食べるのよジャン、穴を掘らなくていいと兵站部隊が喜んでいるわ」


 野営をする場合その地の領主に迷惑をかけないよう、生ゴミは穴を掘って埋めるのが帝国ルール。千の軍団だと肉や魚の骨に野菜の皮や切れ端など、結構な量を埋めることになる。それをワイバーンはぺろりと平らげてしまうし、卵の殻は特に好むとキリアは笑う。


「そう言えば、習性も鶏に近いよな、ケバブ」

「足で地面を掘り起こして、土中の虫をついばむ辺りはまんまだよな、ディアス」

「確かに、ヘビやトカゲを見つけると追いかけてって、丸呑みだもんな、ジャン」

「村に一羽いたら便利かもな、ヤレル。地面を適度に掘るから、畑を耕すのが楽になるだろう」

「こけっ」


 魔界の生き物ではあるが人間界では益になると、四人はワイバーンの足をぽんぽん叩く。もっともそれは主人となる者が、契約を交わすってのが大前提だが。なお知能は割りと高く、主人の意を汲んで従うところがある。


「誰かそいつを捕まえて! 財布泥棒なの!!」


 女性の叫び声が聞こえ、剣の柄に手を添える男衆とキリア。

 三人娘も護身用の出刃包丁がある、スカートの中へ手を入れた。貴族衣装でもメイド服でも目立たないよう、皮ベルトで太ももに巻いているのだ。

 そんな知恵を授けたのは他でもない、シルビィことラーニエだったりする。彼女も投てき用の投げナイフを、太ももに何本も並べているわけでして。


 見れば金物エリアからこの食材エリアへ、脱兎の如く駆けてくる男がひとり。その後ろを身なりの整ったご婦人と、側仕えらしき女性が追いかけている。

 ただし男は短剣を振り回しており、勇気ある店主らが止めようとしたが、切り付けられてしまった。市場が騒然となり、大勢の買い物客が逃げ惑う。


「帝国法により私たちは他国に於いて、市民の揉め事には関与できません。いかが致しましょうか、フローラさま」

「そうねグレイデル、でも生き物がやったことなら……」

「ああ成る程、その手がありましたか。よしグレオ、やっておしまい」

「こけっこー」


 グレイデルは自分の名前から一部を用い、ワイバーンにグレオと命名していた。主人の命を受け、買い物籠のベルトから首を抜く翼竜さん。のっそのっそと往来の真ん中に出て、財布泥棒の前に立ち塞がる。


「ひえっ!」

「ここっ、ここここ!」


 ワイバーンに対し短剣をぶんぶん振る男だが、その剣をクチバシでがっしと掴まれてしまう。しかもその刃が、粉々に砕けてしまったのだ。そりゃ動物の骨を軽く砕いて飲み込むのだ、噛む力は推して知るべし。


「単一素材の剣はああなるんだよ、ディアス」

「いい勉強になるね、ケバブ。硬い素材で挟む多重構造、クロムがもっと欲しい」


 あまりの恐ろしさに、地面へ尻餅をついてしまった財布泥棒。ワイバーンはその襟を咥えて持ち上げ、上下左右にゆっさゆっさと振り回す。すると盗んだであろう財布が、地面にぽとりと落ちてきた。


「あの財布の紋章は」

「知ってるのか? シュバイツ」

「王冠を挟んで両脇のサポーターが一角獣、ネーデル王国の紋章だから王族だねヴォルフ。皇帝領へ向かうとき、あの国を通ることになる」


 そこへ知らせを受けた自警団がご到着、ワイバーンにぶら下げられている財布泥棒を見上げ、目をぱちくりさせている。けれど市民からは賞賛の拍手が沸き起こり、被害者であるご婦人と側仕えが、息をきらせて地面にへたり込む。三人娘が怪我をした店主たちに、ヒールをかけてあげていた。


「生き物がやったことですし、ここは大目に見てくださいな」

「いえいえ、感謝に堪えませんローレンの女王さま。法王庁には波風立たぬよう、うまく報告しますから」


 是非そうしてくださいとフローラはにっこり微笑み、その醸し出すオーラに自警団長が骨抜きに。他の団員たちもそうで、他国の介入に意義を唱える者はいない。

 大聖女は良い意味で人たらしだなと、ダーシュがキリアに思念を送る。それも持って生まれた才能かもねと、キリアが笑って返していた。


 財布泥棒は自警団に引っ立てられ、詰め所に連行されていった。他国の駐在員に手を出した以上、死罪を免れるのは難しそう。情状酌量があったとしても、数十年の労役は覚悟せねばなるまい。


 そしてここは市場の端っこにある酒場、ご婦人がお礼と供に話しを聞いて欲しいと言ってきたのだ。ネーデル国王の弟が法王領に駐在しており、彼女はその奥方だとのこと。名前はアビゲイル、一度転んで膝を擦りむいたため、樹里がヒールをかけてあげている。


「あなたの側仕えは、教会の回復魔法を使えるのですね」

「全ては神と精霊のお導きです、アビゲイルさま。でもどうして護衛も付けず、あの場所へ?」

「傭兵ギルドに行く途中だったのです、フローラさま。あまり公にしたくない、のっぴきならない事情がございまして」


 顔を見合わせ、眉を曇らせるフローラ達。傭兵を雇うのだから、大金を財布に入れていてもおかしくはない。だが国として傭兵を雇うのは戦が始まる前兆で、いったいどこと戦火を交えるのだろうかと。


「我が国の国境線に、皇帝軍が集結しているのです」


 そんなアビゲイルの泣きそうな顔に、はっと息を呑むフローラ。そして同席した仲間たちも、そう来たかと拳を握り締める。皇帝軍は錦の御旗であり、仲の良い国でも手助けは難しい。エーデル王国は援軍の無い、孤立した状態で戦闘を強いられることになる。


「前口上はあったのですか? アビゲイルさま」

「ありません、フローラさま。なぜ我が国が攻められるのか、未だに不明で」


 だから内密に傭兵を集めていますと、彼女は本当に泣いてしまう。控えている側仕えも唇を引き結び、悔しさを滲ませるその瞳は宙を睨んでいた。

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