第63話 法王の来訪

 ディアスとシェリーの結婚式に加え披露宴が執り行われ、大いに盛り上がったフローラ軍。戦う時には勇猛果敢な兵士たちだが、お目出度い席ではどんちゃん騒いで祝福する気の良い連中である。


 その軍団がようやく法王領の首都ラウムに到着し、東門近くで野営の準備を始めていた。どんな大国の首都でも宿屋は数に限りがあって、千名以上の軍勢を収容できるわけもない。

 諸外国から訪れた商人や旅人を混乱させるつもりはなく、ローレン王国としての大人対応ってわけ。もっとも川や湖が付近にあれば、ご飯は美味しくてお風呂にも入れるこの軍団。下手な宿屋に泊まるよりも野営がいいですと、兵士たちは正直に口を揃えるわけで。


 ちなみにシェリーは兵站部隊の所属となり、フローラによって騎士爵に叙された。針仕事が得意な彼女は、配属が兵站お針子チームにけってーい。そう言えばディアスの服をよく繕ってあげてたなと、ジャンとヤレルが羨ましいねとによによ。いやケイトにミューレだって得意なんですよ、お二人さん。


 意外な事に部下をひとり取られたと言いながらも、誰より喜んでいたのはラーニエだった。暗殺組織アデブは新たな千年王国に必要ない、淘汰されるべきもの、それが彼女の持論である。娼婦はいい人が見つかったなら結婚しちゃえ、それがラーニエの方針なんだろう。


「チェックメイト」

「待った! グレイデル殿」

「待ったは三回までと決めたはずですわ、ゲルハルト卿」

「ぐぬぬぬ」


 空いてる行事用テントのテーブルで、二人はチェスに興じていた。ゲルハルトがもうひと勝負と駒を並べ始め、いいですわよと応じるグレイデル。

 精霊さんが増えたもんだから、グレイデルは以前よりも強くなっている。ゲルハルトもアリーゼとの手合わせで腕は上げているものの、残念ながら未だ一勝もできてない。


 隣のテントでクッキーを焼いていた三人娘が、よろしかったらどうぞと、紅茶にステンドグラスクッキーを置いていった。本来ならオーブンが必要な焼き菓子だけど、ケイトが火属性の力でささっと焼いてしまう大量生産。これからお茶会で贈答用のお菓子がいっぱい必要となるため、三人娘は甘納豆の仕込みにも余念が無いようだ。


「アリーゼとはどうなってますの、ゲルハルト卿」

「ぶふぉ! な、何を突然」

「夜な夜な移動遊郭に通って、チェスをするだけですか? ぱふぱふは?」


 娼婦の中で唯ひとり、ブーメランを同時に二丁扱える手練れ、それがアリーゼだ。法典をそらんじるほどの才女でもあり、グレイデルは噂に聞いたぱふぱふの件が気になったようで。情報源はもちろんあいつ、聴覚が鋭いわんこ聖獣。


「公爵令嬢が口にすべき言葉ではございませんぞ」

「あら、心の奥底から紡ぎ出されるのがスペル言霊ですわ。私がヴォルフにぱふぱふとやらをさせたら、彼は喜ぶのでしょうか」

「そりゃ喜ぶだろう」

「ふむふむ成る程、殿方はそれを好むのですね」


 駒を動かすグレイデルに、自覚がないんだなとゲルハルトは苦笑する。だってふたつの実った果実が、テーブルの上にででんと乗っているのだから。瞬間転移が可能となりキリアたっての願いで、ウェディングドレスの採寸をやり直した話は、ゲルハルトも聞き及んでいた。

 ここから更に発育するならば、ヴォルフも幸せ者だなと彼はクッキーを頬張る。魔力を通す触媒となるため、聖女はどうしても体の成長が遅くなる。それが今このサイズなんだから、どこまで大きくなるのやらと。


「ゲルハルト卿でしたら、アリーゼを囲うくらい容易いでしょう。もしかして先立たれた奥さまに、気兼ねしてらっしゃるのでしょうか」

「そうではないグレイデル殿、わしの歳は知っているであろう」

「でも現役なのでしょう? ヴォルフが話しておりましたよ、朝の定期を見たらご立派だったと」

「ばっ!」


 それこそ公爵令嬢が口にすべき言葉ではございませんぞと、言いかけたが飲み込んだゲルハルト。このご令嬢そっちの方は天然なんだと、ようやく気付いたからだ。ヴォルフもヴォルフだ、なんちゅうことを漏らしやがるのかとしかめっ面になる。

 ふと隣のテントを見れば三人娘が、そうなんだご立派なんだと、顔を赤らめているじゃあーりませんか。ラーニエは性教育と称し何を吹き込んでいるのかと、ゲルハルトは頭が痛くなる思いだ。まあ世の男性、太さと長さはそれぞれですゆえ。


「こんな年寄りに、若い娘を付き合わせたくはない」

「嫌いなら、勝ったらぱふぱふなんて言いますでしょうか。普通の娼婦であれば、気を使うならお金を使って、だと思うのですけど」

「そんな所は賢いのだな、グレイデル殿は」

「んふふ、褒め言葉と受け取っておきますわ」


 この大陸は一夫多妻制を認めている国が多い。ただしそれは、生まれた子供が成人まで生き延びる確率が低いからだ。ローレン王国は更に輪をかけ、度重なる戦争で結婚適齢期の男子人口が少ない。ある意味で苦肉の策、単なる好色貴族ハーレムとは政策の背景が全く異なる。


 だからこそ皇族や王族は後宮と呼ばれる、正室と側室を住まわせる住居群を作り、子孫を確実に残そうとするわけだ。ただし側室を囲うからには相応の収入と、包容力が男性に求められるのは当然のこと。法典には一応それだけの経済力と、満遍なく愛情を注ぐ自信がなければ、止めておけとご丁寧に注釈があったりして。


「騎馬隊の若い連中から小耳に挟んだんだが、ミューラー家にはヴォルフを慕ってるメイドがいるそうだな」

「ナタリーですわね、義弟のマルティンが教えてくれました」

「どうするね、嫉妬とかやきもちとか、おきないかね?」

「あら、ヴォルフはアルメン地方の領主ですよ、それくらいの甲斐性がなくてどうしますか。それに私としては、大勢の子供に囲まれたいのです。シュタインブルク家は男子に恵まれない血筋、ですから将来がすごく楽しみで」


 達観しているのだなと感心しつつ、駒を動かすゲルハルト。ナタリーの存在を、君は認めるのだねと言いながら。


「人を恨んだり憎んだりすれば、それは自分に跳ね返ってくる。自分に来なくても、大切に思っている家族や友人そして恋人に跳ね返って来る」

「そうだな、坊主憎けりゃ袈裟までまで憎いとはよく言ったものだ」


 心の醜い者は平気でそれをやる。悲しませ苦しめる事が出来るならば、傷付ける相手は本人でなくともよいのだ。嫌らしいし卑怯だが、心が闇落ちした者は正邪の判断が出来なくなる。

 人の心の機微をよく分かっているグレイデルも、やはり聖女なんだと改めて思うゲルハルト。あっちの方は天然であるが、正室の立場から側室になるナタリーとは良好な関係を築くのだろうと。


「アリーゼと、じっくり話してみるか」

「その気になりましたのね」

「この歳で若い娘を娶るのは、少々恥ずかしいが」

「まだお孫さんはいないのでしょう? 家系を安泰にするためにも、もうひと踏ん張りしてみてはいかがでしょう」


 うんうんご立派ならばお励み下さいと、話を聞いていたのか三人娘が真顔で言っちゃう。ラーニエはいったい何を教えているのやらと、こぼしつつも照れちゃうゲルハルトである。


「グレイデル! 女王テントに赤い小旗が立っているが、取り込み中だろうか」

「シュバエルが皇族としての衣装に着替えている最中よ、ヴォルフ」


 猛ダッシュで来たヴォルフに、首を捻るグレイデルとゲルハルト。

 男子の着替えなら小旗は必要なさそうだが、二人きりにさせたい家臣たち。だから女王テントを出て、グレイデルはゲルハルトとチェスをし、ミリアとリシュルは別テーブルで吟遊詩人とだべっているのだ。


 自分で脱ぐからってシュバエルの声と、いいからさっさと脱がせなさいってフローラの声が、さっき聞こえたような聞こえなかったような。まあつんつんしたから今更だなと、聞き耳を立てていたダーシュがもらったクッキーをもーぐもぐ。 


「教会の馬車がこっちに向かって来てるんだがな、グレイデル」

「うん」

「護衛の聖堂騎士が手にしている旗印が」

「うんうん」

「法王の紋章なんだ」

「……うっそ!」

「間違いないのだなヴォルフ!」

「本当です隊長」


 ご立派さまの件でとっちめようと思っていたゲルハルトだが、もはやそれどころではない。法王さまが自らこちらに足を運ぶなんてと、先触れの無い来訪にもうしっちゃかめっちゃか。


「法王さまはシーフ出身だから、何でも食べられるのよね? ジャン」

「そこは大丈夫だケイト、だが護衛の聖堂騎士はそうもいかない」

「聖職者向けのティースタンド、頼めるかミューレ」

「大丈夫、任せてヤレル」

「お茶会用のテーブルセット出すぞ、ジュリア」

「お願いケバブ!」

「ヨハネス司教にお伝えしてくるね、ミリア」

「私はフュルスティンとシュバエルの様子を見てくるわ、リシュル」


 慌ててはいるが、みんなやるべき事をちゃんとやっている。目的がはっきりしている集団は強いなと、わんこ聖獣はキリアとゲオルクに伝えようと走り出した。

 そこへ何の騒ぎかしらと、女王テントから出て来たフローラ。そして後ろから姿を現したシュバエル、もといシュバイツ・フォン・カイザーに、兵站エリアがしんと静まりかえってしまう。


 男装の麗人……いや男なんだから男装もへったくれもない。けれど女性が男性服を身にまとったような、あまりの麗しさに誰もが石像と化す。彼が舞踏会に行ったら王侯貴族の息女が、放っておかないのではあるまいかと。

 ただひとり冷静なラーニエだけが、こりゃ存在自体が罪だねところころ笑う。何だよそれと口をへの字に曲げるシュバイツの、ボイスチェンジはもう解除してある。


「みんなに見せたくなかったな」

「それって俺に対する独占欲? フローラ」

「悪い事かしら、シュバイツ」

「いや、光栄だね。さて法王さまは先触れも無く、何しに来るんだろう」

「重要な案件がある、それ以外に考えられないわね」


 お目通りするだけでも恐れ多い人物。しかもこのお方がうんと言わなきゃ、フローラもシュバイツもマリエラも、君主にはなれない。法典の最高権威に、フローラ軍の誰もが畏怖を感じていた。


「フローラ」

「なあに」

「たとえ君が全世界を敵に回そうとも、俺は最後の最後まで君の味方だ、忘れないでくれ」


 人の心を動かすには思いを言葉に換え、正確に伝えねばならない。そして相手の顔を、その瞳を、ちゃんと見て話さなければ刺さらない。彼のスペル言霊は力強く、フローラは思わず泣きそうになってしまう。

 女装癖のあるシュバイツだがその魂は、騎士道精神を尊び愛する者を命に替えても守ろうとする、立派な勇者であった。

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