第33話 ヴォルフの想い

 ここはハウスキーパーの執務室、ソファーでクララとカレンが向き合っていた。用件を伝えられないまま持ち帰った子猫たちが、暖炉の前でじゃれ合っている。


「話したくないの? カレン」

「お話しすれば、あの二人は解雇されますでしょう」

「素行の悪さは、前々から気付いていたのよ。居なくなった方が、あなたとしては清々するんじゃないかしら」

「もしそう思う気持ちがあるとすれば、私はまだ人として未熟だと考えています」


 射貫かんばかりの視線を向けるクララと、彼女からけして目をそらさないカレン。ハウスキーパーは、女王陛下に仕える直属のひとり。アンナほど厳格ではないけどそこは貴族、価値あるメイドか駄メイドかはちゃんと見ている。


「不平不満を口にするのは簡単です、クララさま。でも私たちの仕事はアウグスタ城を支える裏方、チームワークが要求されますでしょう」

「その通りよカレン、和を乱す使用人はこの城に要らないの」

「ですが私は、あの二人に心を入れ替えて欲しいと願っております」


 お茶を淹れていたパーラー・メイドのスワンが、どうぞとお茶に甘納豆をことりと置いた。そこがカレンの良いところであり、甘いところでもあると言いながら。


 酒宴の席では、情報戦の先兵となるパーラー・メイド。背が高く衣装によっては男装の麗人と見紛みまごう、男前? なメイドが選ばれる。スティルルーム・メイドと同じくハウスキーパーの補佐役で、普段はクララのお付きとして傍に控えている。


「あいつらが改心すると思うか? カレン」

「私は人間の善性を信じたいのよ、スワン。あの二人とは心の奥底まで踏み込んで行って、とことん話し合いたいの」


 スワンとカレンは事故や病気によって家族を亡くし、教会の孤児院で育てられた幼馴染みだ。成人すれば聖職者になるか、孤児院を出て職を持たなければならない。

 そんな二人が飛びついたのはヨハネス司教の紹介で、アウグスタ城のメイド募集だったりする。教会の孤児であれば身辺調査の必要はなく、人となりを司教が保証してくれるから即採用なのだ。


「場合によっては実力行使も辞さないわ、むしろぶん殴った方が分かり合えると思わない? スワン」


 物騒なことを言い出すカレンにぶはははと、豪快に笑い出すスワン。これが無ければレディース・メイドになれたものをと、顔に手を当てる上司のクララ。

 だが本人はパーラー・メイドの仕事を気に入っており、根っからの酒好きだから今の立場がいいらしい。教会育ちゆえ信仰心は厚く、日々の礼拝は欠かさない。幼い下級メイド達からは良きお兄ちゃん、もといお姉ちゃんと懐かれ慕われている。


「分かりました、この件は保留とし、アンナさまには伝えないでおきましょう。カレンが思うように、炊事場をまとめて見せなさい」

「ありがとうございます、クララさま」

「スワン、カレンが困っていたら手助けしてあげて」

「お任せ下さいクララさま、馬小屋の裏でも庭師小屋の裏でも、連れ出して根性を叩き直してやります」


 それは止めておきなさいと釘を刺すクララ。大問題に発展すれば庇いきれなくなるからで、事は穏便に進めるよう改めて念を押す。ついでにスカラリー・メイドへ、子猫の世話をさせるよう指示するのであった。


 ――その頃、ここは女王陛下の自室。


 グレイデルは立場上ガヴァネス、つまりフローラの教育係だ。マンハイム家のお屋敷から通うのではなく、アウグスタ城で寝泊まりしている。

 フローラはグレイデルに教わりながら、なんとレース編みに取り組んでいた。お稽古事の中では、脱走の上位に入る編み物である。それを本人がやりたいと言い出したのだから、グレイデルとしては嬉しい限り。

 だがフローラが作ろうとしているのは、レースのウェディングベール。自分のためだとはつゆ知らず、本来の仕事ができて楽しそうなグレイデルである。


『精霊さん達から聞いた?』

『ええ、炊事場で諍いがあったようですねフローラさま。しかもファス・メイドに対する、悪口が原因だとか』


 ミリアとリシュルが控えているので、思念で会話する二人。

 そこへ失礼しますとアンナが、ワゴンを押すファス・メイドを従えやってきた。そう言えばお茶の時間ねと、フローラもグレイデルも編み棒を膝に置く。

 フローラが編み物を始めたからか、アンナは花が咲くんじゃないかと思えるほど上機嫌だ。もちろんそこは熟練のメイド長、グレイデルのためだなと気付いているもよう。だがきっかけは何でもいい、その気になってくれたのが嬉しいわけで。


「三人から焼き魚の良い匂いがするのだけど、アンナ」

「キリアに試食をお願いしたようですわ、フローラさま。まあ大目に見てあげて下さいな、かく言う私もご相伴に預かったので同罪ですけど」


 夕食をお楽しみにと言って、おほほと笑うメイド長。それでキリアは交渉に来たのねと、合点がいったフローラ。思い立ったが吉日、直ぐ行動に移すあたりはやっぱり商人だと感心してしまう。

 作りかけのレース編みを見て、三人娘がステキと瞳を輝かせた。いずれ教えてあげるからお茶の準備をと、ミリアとリシュルに急かされている。


『アンナの様子だと、炊事場の件は知らないみたいねグレイデル』

『クララが止めているのではないでしょうか、事を荒立てないようにと』

『でも突き詰めれば城の使用人は、全員私の家臣だわ』

『雇用も解雇もアンナさまの領分、口出しはなさいませんように』

『分かっているわ、でもそのキッチイン・メイド達と、一度話しをしてみたいわね』

『内密で一席設けるよう、クララに打診してみましょうか』


 そうしてと思念を送り、お茶をすするフローラ。

 自分が話しを直接持ちかければ、どうしてもそれは王命になってしまう。そこいくとグレイデルは、上級使用人たちとのちょうど良い緩衝材になるのだ。

 使用人でもなく客人でもなく、分家から来ているガヴァネス教育係。この立ち位置が、横との繋がりを円滑にしてくれる。


『ところで休暇は要らないのかしら、グレイデル』

『何のお話しでしょうか?』

『ミューラー家のお屋敷へご挨拶にいくとか』


 お茶を吹き出しそうになり、むせ返るフローラの教育係。アンナはもちろんレディース・メイドもファス・メイドも、どうしたんだろうと首を捻る。


「ねえアンナ、ヴォルフの母君はなんてお名前なのかご存じかしら」

「確かヘルミーナだったかと、フローラさま」


 そこまで言ってピンときたメイド長、今宵の夕食に招待してはと言い出した。もちろんミューラー家当主、ヴォルフも一緒にと。途端に慌て出すグレイデルだが、ほうほうそれは名案だわと乗り気の次期女王さま。

 戦場にいるグレイデルの母パーメイラと、弟アーノルドⅡ世からは祝福の返信が届いているのだ。婚約させてしまえばヴォルフが、アウグスタ城を毎晩訪れてもフィアンセだから筋は通る。


「ケイト、ミューレ、ジュリア、今夜は干物と合わせて、お祝いの献立にできるかしら?」


 フローラのリクエストに、お任せ下さいと揃って満面の笑みを浮かべるファス・メイド。仕える主人の好みに合わせて調理を行なう、それが女王直属のヘッド・シェフだ。この点に於いて三人娘は、もう合格ラインに立っているのかも。


 ――そして夕食のお時間が来ました。


 場所は貴賓室ではなく、シュタインブルク家の家族と親族が集まるダイニングルームと相成った。ミハエル候がおらずフローラは自室で食事を摂り、しばらく使われていなかった部屋とも言う。


わたくしどもが、この部屋に入ってもよろしいのでしょうか、フュルスティン」

「気にしないでヘルミーナ、さあヴォルフも入った入った」


 グレイデルとヴォルフがくっ付けば、ミューラー家はもはや親戚。だからフローラは、夕食の場をダイニングルームにしたのだ。精霊の使い手を排出する、氏族が増えるのは大歓迎である。

 給仕に当たるミリアとリシュルも、そして同席したアンナも、心なしか気合いが入っているみたい。同じく招待されたケイオスが、何の会食なんだろうと不思議そうな顔をしているけど。


「この度は爵位と領地を賜り、感謝に堪えませんフュルスティン」

「アルメンにはいつ出立するのかしら、ヘルミーナ」


 お屋敷の維持に必要な使用人を残し、ミューラー家はブラム城へお引っ越しだ。それがですねと、ヘルミーナはヴォルフに半眼を向けた。


「ヴォルフ、婚約でも結婚でも、早く日取りを決めてくれないと。でないと私は首都ヘレンツィアから出られません。そもそも、グレイデルさまに失礼ですよ」

「も、申し訳ありません、母上」

「それで、あなたはどうしたいのかしら」


 そこへワゴンを押してケイトがやって来た。どうやらお酒と、軽いつまみを先に出すようだ。あの後ファス・メイドは市場に行ったと、フローラは聞き及んでいる。はてさて、何が出て来ますことやら。


「これは老酒と違い、うるち米で作ったお酒です。ミン王国では清酒と呼んでおりまして、人肌に温めております。おつまみは味付け卵、美味しいですよ。この後メインとなりますので、どうぞごゆっくり」


 給仕をレディース・メイドにお願いし、ケイトはスティルルームへ戻って行った。メインと口にしたから、多分また一気に出すのだろう。


「透明な酒とは、珍しいな」


 お猪口の清酒をくいっと飲んだヴォルフは、俺の考えを聞いて下さいと真顔になった。グレイデルは背筋を伸ばし、他のみんなはほうほうと身を乗り出す。


「結婚式は母君パーメイラさまと、弟君アーノルドⅡ世がいらっしゃる前で行ないたいのです。待たせて申し訳ないのだけれど、今は婚約という形にしてくれないか、グレイデル」


 それじゃ婚約を明日ってことでと、フローラにアンナとヘルミーナが口を揃えた。グレイデルの顔がぼっと赤くなり、いやまだ指輪の準備がと焦るヴォルフ。


「ケイオス、宝物庫から指輪を見繕ってちょうだい。グレイデルの誕生石はサファイアよ、大粒のを選んで」

「わ、分かりました、お任せ下さいフローラさま」


 やっと会食の意味を理解したケイオスが、後で指のサイズを計らせて下さいとグレイデルに微笑みかける。婚約指輪は資産価値の高い宝石を選ぶものだが、ローレン王国は誕生石を重視するお国柄。お城にいる貨幣の鋳造チームは、指輪のサイズ変更なんてお手のもの。


「あの、フュルスティン、そこまでして頂くわけには」

「なに言ってるのよヴォルフ。親戚になるのだから、本家としてこの位はさせてちょうだい」


 嘘も方便とはよく言ったもの。

 本来は男性が用意するものだがヴォルフに任せていたら、誕生石とかサイズとかスポーンと抜けそうなのだ。指輪を待ってるうちにフローラの誕生日が来たら、法王領へ行く事になるから時間が無いのである。


「お待たせしましたー! とっておきの祝い膳です」


 そこへファス・メイドの三人娘が、ワゴンを押してやって来た。ひとりずつお膳の形式にするのは、帝国にない習慣だ。赤飯、焼き魚、煮物、お吸い物、茶碗蒸し、香の物と季節の果実。その華やかなお膳にダイニングルームが、一気に和やかとなるのであった。

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