第32話 メイド不和
領地があっても無くても貴族は、首都ヘレンツィアにお屋敷を持っている。もちろん爵位によって敷地面積は異なるが、騎馬隊は戴冠式に備え首都に留まっていた。
ジャンとヤレルも法王領へ行く事を承諾し、アウグスタ城に
そんな中、城へ日参している人物が一人、キリアである。三人娘から色々聞きたくて、日々情報を集めに来ているのだ。
「豊漁で魚が全て売り捌けない場合でしょうか、キリアさま」
「そうなのよケイト、内陸の町や村へ売りに行きたいけど腐ってしまうし」
「干物にするという手もありますけど」
「干物?」
市場で仕入れたアジがありますから作りましょうかと、三人娘が早速アジを捌き始めた。スティルルームのメイド達も集まってきて、うわ手早いと感心しきり。
「海水の十倍くらい塩っぱい水を作って、魚を浸します。背の青い魚、大きな魚ほど塩分濃度を高くするんですキリアさま。浸す時間は時計台の針が一周ですね」
「うんうん、それでそれで? ミューレ」
「水気をよく拭き取って、干し網に入れ天日干しにします。必ずお日様の当たる場所でやって下さい。時間は夏なら針五周、冬だと日が短いですから一日がいいですね」
干したやつがあるので焼きますかと、ケイトにジュリアが木箱から出した。もちろんと頷く、キリアとスティルルーム・メイドの面々。室内に良い匂いが漂い始め、いやが上にも期待が高まると言うもの。
「まあ! これは美味しいわケイト」
「濃い塩水と天日干しが、魚の味をぎゅぎゅっと凝縮するんです。評価の低いカマスでも、干物にすればご馳走になりますよキリアさま。水が浸透しないよう油紙で包み込み、氷の上に乗せて運べば一週間は持ちます」
教会の聖職者は信仰心の厚さから、精霊に祈りが届くので教会魔法が使える。先日の対決で氷菓子が出てきたのも、ジェブスが教会に氷結をお願いしたからだ。もちろんお布施という名の、寄付を行なって。実は私も出来るんですよと、ミューレが水桶に菜箸をかざした。
「
すると桶の水が、ぱりぱりと凍り付いたではないか。まあ黒胡椒をあげた水の精霊シータが、ミューレに思念で
だが聖職者でない者が教会魔法を使えるなんてと、その場にいた全員が石像と化してしまう。みんな再起動には、ちょいと時間がかかりそう。
考えてみれば三人娘も、ある意味では聖女なのかもしれない。姿を目視できず、思念が精霊さんからの一方通行ってだけだ。
そして我に返ったキリアが、頭の中でそろばんを弾き始めた。氷を作れば教会は潤うし、漁業
何よりも競りに於いて漁獲した魚を、全て落札してもらえたら漁師も助かる。内陸の町や村へ運び、売り捌くのはグラーマン商会だ。
損する者が誰もおらず、獲れすぎた魚を無駄にすることもない。次期女王陛下が作り方を広めていいよと言えば、教会も漁業関係者もその恩恵に預かれるだろう。
「フュルスティンは今どちらに? ケイト」
「グレイデルさまと一緒に、チェンバレの森へお散歩に行ってます」
それを聞き、よし戻ったら直談判だと拳を握りしめる。そう言えば海苔と昆布に鰹節って具体的にどんなものと、更に情報を引き出そうとするキリアであった。
そしてこちらは精霊界の入り口にある崖。
フローラもグレイデルも、崖を登る必要なんてまるでなかった。だって地面に転がってる小岩が、どれもこれも金鉱なのだから。
「金相場を考慮して、二人でリュックに入る分だけね、グレイデル」
「これがあれば国庫は安泰ですわね、フローラさま」
ローレン軍の本隊がいつ帰還するか見通しが立たず、軍資金を運ぶための馬を何度走らせたことか。戦費は嵩む一方で、崖にある金の鉱脈は有り難い。
既に無利子貸し出しの支援金を預かった執事たちが、グリジア王国へ向け出立していた。今頃はブラム城に立ち寄り、休憩している事だろう。
ちなみに二人とも、拾い集めた金鉱には全く執着していない。
なぜならばお金は、天下の回り物と分かっているからだ。循環させればそれは税収として、領地から戻ってくる。お金に仕えてはならない神と領民に仕えよ、これもシュタインブルク家の家訓なのだ。
アウグスタ城には鋳造専門の部屋があって、信頼できるスタッフが数名常駐している。新規鋳造だけではなく、傷んだ貨幣を鋳直すことも多いからだ。税収で上がって来る銀貨や銅貨は、古びたものがほとんどですゆえ。
「このリュックふたつ、お願いねケイオス」
「これは金鉱ですね、久しぶりに見たような気が致します、フローラさま」
先代テレジア女王も、先々代エルヴィーラ女王も、戦費が
「ところでキリア殿が、戻られましたらお会いしたいと」
「キリアが? いいわよ執務室に通してあげて」
そう言ってケイオスと一緒に自室を出ようとしたフローラの腕を、控えていたミリアとリシュルが両脇からがっしと掴んだ。
「二人とも、どうしたって言うのよ」
「フローラさま、旅装束からドレスに着替えて下さいませ、ねえミリア」
「リシュルの言う通りです、ご自覚を持って頂かないと」
「……自覚?」
その格好で執務室へ行くなどもっての他と、ずるずる引き戻されるフローラ。女王陛下の側近は友人と同じ、品位の問題ですと譲らないレディース・メイドである。
ケイオスはくすくす笑い、キリアに伝えておきますと扉を閉めちゃった。アンナといいアウグスタ城の上級使用人は、次期女王陛下に対し遠慮なしのようで。
「魚介類のレシピに関しては、箝口令から除外して欲しいの? キリア」
「ファス・メイドへのインタビューで、食用と認識されていないものがほぼ判明いたしました。結構な品目に及びますわよ、フュルスティン」
「つまりフグにイカやタコが獲れても海に戻さず、競りにかけさせるってことね」
その通りですと、キリアは身を乗り出した。当面はグラーマン商会が競り落とすけれど、食用と認識されれば普通に売れるでしょうと。
将来的には漁業ギルドに魚介加工の工房を、食品加工ギルドへは味噌醤油の工房を、持たせましょうと勢い込む。
「そこでどうして味噌醤油が出てくるのかしら、キリア」
「東方の海鮮料理には、必須だそうですよフュルスティン」
ああなる程と、思わず頷いてしまうフローラ。水産業の底上げには、欠かせない調味料と直ぐに気付いたからだ。今朝のシジミのお味噌汁は美味しかったと、つい頭に思い浮かべてしまう。昨夜のメインだった、メバルのお煮付けも絶品だったなと。
「新たな水産業の基礎を築いてくれるのね。公共事業に近いから、国として補助金を出すのはやぶさかじゃないわよ」
「あはは、ご心配なく。商人は損して得取れってことわざがございます。目先にとらわれず、将来的に利益を得られるという意味ですわ」
この人は根っからの商人で本物だなと、フローラは目を細めた。
利益を追求するのが商人だけど、眼前に金貨を山と積まれたって、将来それが得なのか損なのかを見ている。国家主導ではなくグラーマン商会が主導する、その方が儲かると答えは出ているのだろう。
「分かったわキリア。海鮮料理のレシピと味噌醤油に関しては、箝口令を解きましょう。水産業の発展が今から楽しみ、頼んだわよ」
お任せ下さいと、胸をぽんと叩くキリア。彼女も戴冠式に兵站隊長として、同行することに応じてくれた。遺言状を預かったままだけど、それで良いのかとは聞けなかったフローラである。
その頃ここは炊事場、ちょっと雲行きが怪しい。
「あの三人、最初からスティルルーム付きだなんて、まだ未成年のくせに」
「何さまのつもりかしら、腹立たしいわね」
「ちょっとあなた達、口が過ぎるのではなくて?」
「あらカレン、向こうの肩を持つんだ」
「料理の腕前、乳製品や調味料と酒造も出来る逸材ではありませんか。認めるところは認め、敬意を払うべきでしょう」
険悪な雰囲気に、部下のスカラリー・メイド達が怯えている。「ああん?」とファス・メイド三人を悪し様に言う、キッチン・メイド二人がカレンに詰め寄った。
「同じキッチン・メイドでもあんたは年下、私たちに意見するつもりなのかしら」
「職務を遂行するのに、年齢は関係ありません。真摯に仕事と向き合う者に、上も下もないはずです」
カレンの言うことは正しい。だが
俗に言うイジメだがそれで対象者が自殺しても、私は僕は悪くないと平然と言ってのける。そして自分が何をしたのか、簡単に忘れるのだ。
メイド長アンナは、鋭くそれを見ている。だからミリアとリシュルとは同い年で同期なのに、この二人はキッチン・メイド止まりなのだ。
「カレンにお仕置きが必要かしら」
「そのようね、楯突くとどうなるか、思い知らせてやらないと」
二人がフライ返しを手にするや、受けて立ちましょうとカレンはお玉を掴む。刃物を手にしないのは、城内で流血事件を起こせば重罪となるから。
炊事場がかんかんきんきんと、戦場に変わってしまう。部下のスカラリー・メイドたちが壁際でしゃがみ込み、お止め下さいと悲鳴を上げる。そんな彼女らの眼前を、ジャガイモやニンジンにタマネギが飛び交う。
「何事ですか!!」
そこに現れ一喝したのは、ブラム城に倣いネズミ対策をしようと、子猫を抱えたクララであった。実質的なメイド長であるハウスキーパーの登場に、炊事場が一瞬にして凍り付く。
「これは一体どうしたことかしら、説明してもらいたいのだけど」
何も言わず口を噤むカレン。飛び散って床に転がった根野菜を、拾い集めるスカラリー・メイドたち。
そして同じく口を閉ざす、ファス・メイドが気に入らない二人。事実が明るみになればこの二人は、アンナによって解雇されるだろう。
「カレン、いらっしゃい」
「……はい、クララさま」
クララとカレンが、炊事場から出て行く。余計なこと言ったら馬小屋の裏で制裁ねと、毒を吐く二人だがそれで終わらない。
「あいたたた、何? 何?」
「あわわわ、鍋蓋が勝手に飛んでる!」
二人を襲う、鍋蓋がみっつ。
触媒が無いと人間界では、魔力を行使出来ない精霊さん達。ところがぎっちょん、物理攻撃は可能なんだなこれが。
精霊女王ティターニアから、料理を覚えてきてとご下命を受けたコロナとシータにベータ。ファス・メイド三人娘の敵は自分たちの敵も同然、だからこの二人が許せなかったのである。
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