第34話 法王領へ

 礼拝堂でグレイデルとヴォルフの、指輪と贈り物の交換が執り行われていた。進行役はゲルハルトにお願いしたのだが、無骨な騎士もこんな時には相好を崩す。

 ヴォルフがグレイデルに指輪をはめると、アンナが預かっていた贈り物をグレイデルに渡した。彼女がヴォルフに贈ったのは、イニシャル入りのハンカチーフだ。これは定番で、私の代わりと思って傍に置いて、という意味がある。


「中々良いものだな、ジャン」

「いつかは俺たちもな、ヤレル」


 立会人を頼まれたシーフの二人が、眩しそうな顔で拍手を送る。フローラもヘルミーナも、キリアにケイオスも、おめでとうと手を叩き二人を祝福した。

 

 そしてみんなは、ドローイングルームへと場所を移す。平たく言えば女王さま専用の客間で、少人数のゲストをお招きする部屋だ。中でファス・メイドの三人娘が、お待ちしておりましたと笑顔を振り撒く。


「今日は城に泊まっても構わんか? 蔵書室にある剣技指南書を読みたくてな」

「いいわよゲルハルト卿。ケイオス、後で司書に伝えておいて」

「かしこまりました、フローラさま」


 エビ焼売と貝柱焼売、大根餅にニラ饅頭、ごま団子にエビチリ。蒸籠せいろうからどんどん出す三人娘に、みんな頬がつい緩んでしまう。作り置きした料理も蒸籠で蒸しておけば、温かい状態で提供できる。一品ずつではなく、一気に出せる秘密がここにあるわけで。

 帝国では蒸す調理法が確立しておらず、これ自体ある種の文化財かも知れないと、シーフ二人が頷き合う。市場で蒸籠が飛ぶように売れるかもと、キリアの瞳がキラリンと光ったのは言うまでもない。


「そう言えば今まで聞いたことがなかったけれど、ジャンとヤレルは出身どこなの」

「俺とヤレルは法王領の首都出身です、フュルスティン」


 聞けば法王領には、シーフ養成学校があるんだそうな。罠や結界の解除法は、そこで学んだのだとか。そして傭兵ギルド組合に所属すれば、どこの国へも行ける。

 加えて誰に仕えても構わないのが傭兵で、たまたま今はフローラに仕えてるって事になるのだろう。領内にも街道にも詳しいわけで、何という天の采配と誰もが思うのだった。 


 ――その夜、ここはフローラの寝室。


 窓をこじ開け、侵入した賊が二名いた。忍び足でベッドの両サイドに立ち、短剣をスラリと抜く。何かあった時のため、室内のランプはひとつだけ灯しておく決まり。賊はフローラの寝顔を覗き込み、にやりと笑った。


「お姫さまは熟睡のようで」

「さっさとっちまおうぜ、まだ報酬は前金で半分しか貰ってねえんだ」


 二人が剣を振り上げたその瞬間、霊鳥サームルクの念動波が放たれた! ひとりは原形を留めず肉団子となって窓の外、遙か彼方へ放り出された。もうひとりは壁を突き破り廊下へすっ飛び、こちらも人間としての形は残っていない。

 隣の寝室にいたミリアとリシュルが何事と、寝間着のまま駆けつけた。当のフローラはむにゃむにゃと上半身を起こし、何かあったの? と目をこする。

 霊鳥サームルクは宿主を守るため、悪意を持って近付く者には無慈悲に攻撃する。例えフローラが、深い眠りに就いていようともだ。


「衛兵と近衛兵は何をしていたのですか!!」


 荒ぶるアンナに落ち着いて下さいと言いながら、肉の塊をナイフでかき分け検分するジャン。ヤレルは窓の外へ行き、城壁を調べている。

 城に賊が入るなど前代未聞で、ケイオスも心中穏やかでないようす。ゲルハルトにヴォルフは深夜番以外の近衛兵と衛兵も叩き起こし、総員で厳戒体制を敷いているところ。


「身元の分かるような物は……おっとこいつは」

「何かあったの? ジャン」

「これを見て下さい、フュルスティン」


 彼がナイフを刺して持ち上げたのは、ちぎれた人差し指だった。どくろマークの指輪をはめており、どんな意味がと顔を見合わせるフローラとグレイデル。アンナとケイオスも首を傾げるが、ジャンは分かっているようだ。


「帝国内にはアデブと呼ばれる、暗殺を専門に引き受ける集団が存在します。もちろん正式な組合ではなく、非公式な地下組織なんですよ。これじゃ雇い主が誰か、突き止めるのはほぼ不可能ですね」


 そこへヤレルが戻ってきて、侵入経路をみんなに話す。賊は湖から小舟で接近し、ロープを結んだアンカーを投げて城壁を登ったようだ。攻城戦に於いてよく使われる手法だから、見逃した近衛兵と衛兵の怠慢は言い訳のしようがない。


「しかしこれでは、夜もおちおち眠っていられませんね、アンナ」

「グレイデルさまの仰るとおりですわ。せめて法王領へ赴くまでの間、首都に留まっている騎馬隊を城の警護に加えるべきです」


 そうしましょうと、誰もが同意を示す。

 翌朝、ここはアウグスタ城の正門広場。近衛兵と衛兵が整列する前で、ゲルハルトが激昂を抑えることなく怒鳴り散らしていた。


「賊の侵入を許すとは、しかも女王陛下のご寝所にだぞ。貴様らそれでもローレン王国の軍人か! 恥を知れ恥を!!」


 賊が侵入したことのないアウグスタ城ゆえか、どうも城を守る兵の軍規が緩んでいる。それを正そうとするゲルハルトから、灼熱のオーラが吹き上がっていた。返す言葉もなく、ただ項垂れる兵士たち。


「ヴォルフ、思うところがあれば言っていいぞ」

「よろしいのですか、ゲルハルト卿」


 構わんと頷かれヴォルフは、並ぶ兵士たちを見渡した。


「月明かりの無い新月だった、賊を発見するのは困難だしそれは分かっている。だが戦場で野営する兵士は君らと違う、全神経を集中し夜襲に備えているんだ。気を抜いていれば軍団は総崩れ、敗走することになるだろう」


 諸君らに不足しているのはそこだと、ヴォルフは切り付けた。むろん言葉でだが、兵士たちにはぐっさり刺さったようだ。

 ブラム城の奪還がそうであったように、賊が手練れの軽装兵や弓兵だったら城は簡単に落とされる。君たちは何が起きたか分からないまま、死ぬんだぞとヴォルフは一喝した。


「やってるやってる、未来の旦那さま格好いいねグレイデル」


 編み棒の手を止め、窓の外に目をやるフローラ。


「茶化さないで下さい、フローラさま。近衛隊長はたまたま家族の葬儀、衛兵隊長は怪我で療養中、悪いときに重なりましたわね」

「むしろさ、そこを狙われたとは考えられない?」

「まさか……」


 いやでも相手は非公式の地下組織、調べた上での犯行も充分あり得る。法王領への道中、何も起こらない訳がないと二人は顔を見合わせた。


「フローラ軍の再結集かしら」

「千人規模の軍団で法王領へですか?」

「司教さまと伯父上も同行するのよ、何かあったら大変な事になるわ」


 確かにその通りなのだが、まるで戦争に行くような行列になってしまう。道中通る国々と法王領へ先触れを出さなければ、侵略に来たと思われかねない。


「ローレン王国はかつて、他国を侵略したことなんて一度もないわよ」

「フローラさまがそう思っていても、諸外国の王侯貴族はそのように考えません」

「むう、面倒くさいわね」

「その面倒くさいのを端折ると、後々もっと面倒くさいことになります」


 そこへ失礼しますと、衛兵が入室し書簡をフローラに手渡した。差出人は従軍司祭のシモンズで、教会から使いの者が届けに来たと言う。


 “親愛なるフュルスティンへ。

 従軍司祭オイゲンが永眠しました事をお知らせ致します。

 死の間際、彼はフュルスティンとダンス出来たことが、最高の思い出になったと話しておりました。

 オイゲンは天寿を全うしたのです、どうかお悲しみになりませんよう。法王領へは私とレイラがお供致します。

                             ――シモンズより”


「どうして、大切に思ってる人から先に逝ってしまうのかしら」

「生きるとはそういう事です、フローラさま」


 涙をこぼすフローラと、同じく目を潤ませるグレイデル。二人にとってもオイゲンとの舞踏練習は、良い思い出なのだ。抱き合いさめざめと泣く、フローラとグレイデルだった。


 ――そしてフローラは誕生日を迎えた。


 正門広場にはフローラ軍が集結しており、兵站糧食チームによってぶどう酒と小料理が振る舞われている。女王陛下をお守りし法王領へ向かう、そのお役目に誰も彼もが鼻息を荒くしていた。

 そこへバルコニーから、女王としての正装を身にまとったフローラが姿を現した。頭にヘッドピースを乗せ、サッシュと呼ばれる帯を右肩からタスキ掛けしている。戴冠式を終えれば、ヘッドピースは女王冠に変わる訳だ。

 まるで地響きのような、女王陛下万歳の声が轟き渡った。オイゲンの訃報にふれ心底喜べないフローラだが、兵士たちに気取られまいと彼女は気丈に振る舞う。


「皆も知っての通り、私が法王領へ行くのを妨害する勢力が存在します。今一度、力を貸してくれますか」


 お守りいたします付いて行きますお任せくださいと、誰が何を言ってるか分からないけど心意気は感じ取れる。フローラは扇を出して広げると、空へ掲げくるくると回す。兵士を鼓舞する大事なセレモニー、みんな静かに女王陛下のお言葉を待つ。


「ローレン王国に仇なす敵は全て粉砕すべし! 正義は我々にあり、諸君らに神と精霊のご加護があらんことを!!」


 一斉におうと声を上げ、兵士たちは行軍の準備に入った。最初に目指すはお隣のヘルマン王国、ミハエル候の実家であるが油断はできない。この緊張感こそが、城を守る兵士たちに欠けているものだ。


「軍団で領内を通りますよって書簡に、返事をくれた国もあればだんまりの国もあるわね、グレイデル」


 今回は紋章が入る屋根付きの馬車に乗り、グレイデルと向き合って座るフローラ。帝国といえど全ての国が、仲良しこよしではありませんよと返すグレイデル。


「むしろ返事をくれなかった国が、ローレン王国をどう見ているのか。分かりやすくなったと思いませんか? フローラさま」

「それは確かに、不戦のオレンジ旗を掲げていても、どう出てくるかは未知数ね」


 その時は一戦交えるようかしらと、恐ろしいことを口にするフローラ。いえいえだから、ますます面倒くさいことにと呆れ顔のグレイデル。

 しかし通せんぼされたらどうするか、そこは考えておく必要がある。武力行使も選択肢のひとつだわと、平然と言ってのける女王陛下である。


 後方の兵站部隊ではキリアとシーフ二人が、馬上で併走し帝国地図を広げていた。ヘルマン王国はよしとして、道中の食料が補給できる地点を検討している。ローレン王国を快く思っていない国ならば、調達は少々骨が折れる仕事になりそうだからだ。


「当てはありますよ、キリア隊長」

「本当に? ジャン」


 訝しむキリアに、懇意になった町や村がいっぱいありますからと、二人は笑う。特にローレン王国の貨幣は、貧しい国ほど人気がありますのでご心配なくと。

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