第26話 古代竜の御霊

 幼いといえども霊鳥は霊鳥、持てる魔力と霊力はドラゴンに匹敵する。フローラに悪意を持って近付こうものなら、宿主を守ろうと念動波を放ち粉砕していく。だがネビロスは兵士たちから集めた精気で、自らと骸骨竜を何度でも再生してしまう。


 野営テントはすっ飛び踏み潰され、体を思うように動かせず蹂躙され傷付く兵士がどんどん増えていく。このままではじり貧と、フローラは眼下に視線を落とす。

 グレイデルと従軍司祭の三人、そして残った聖水を振りまいてもらったゲオルク先生と兵站部隊。彼ら彼女らが、兵士たちの介抱に追われていた。

 四精霊を揃え回復魔法を扱えるようになったグレイデルが、負傷した兵士にヒールを連発しているのが見える。彼女が眠りに落ちるのは時間の問題で、どうすればとフローラは唇を噛む。


「はっはっは、念動波を使えるとは予想外だったが、このままでは兵士が全員死ぬぞローレンの魔女よ」


 スカルドラゴンに跨がるネビロスが、お前の命と引き換えでどうだと甲高い笑い声を上げた。それは教養の授業で使う黒板を、爪で引っ掻いたような不協和音。フローラは全身が、鳥肌の立つ感覚に襲われる。


「うおおおおお、みなぎるわあああぁ!!」

「何っ!」


 そこへ地面を蹴り跳躍し、ネビロスにハルバードを振り下ろした人物がひとり、何とそれはヴォルフであった。右肩から袈裟懸けに切りつけられた魔物の傷口は、回復することなく黒い霧を吹き出している。


「なぜだ、なぜこんな事が起きる」

「知るかこの骨使い! 俺はいま最高に頭にきてんだよ!!」

「おのれぇ、こんな伏兵がいたとは」


 愛するグレイデルの傍にいたい、そんな一心で精気を抜かれながらも這いつくばって来たヴォルフ。そんな彼に、グレイデルの精霊さん達はお節介を焼いたのだ。


 風の精霊シルフが空中を自在に跳躍出来る力を。

 火の精霊オメガが邪に打ち勝つ力をハルバードに宿し。

 地の精霊アルファが大地の鎧を与え。

 水の精霊ラムダが肉体への活力を付与したのだ。


 ただでさえも長いネビロスの爪が、更に伸びて黒光りするアイアンクロウへと変貌する。骸骨竜の背中を自在に駆ける、ヴォルフのハルバードと打ち合い激しい火花を散らした。

 今のヴォルフは人間を超越した、魔人と化している。大地の鎧が爪の攻撃を弾き返し、ハルバードに宿る破魔の力がネビロスにダメージを加えていく。ただし魔力を通す触媒となっているのはヴォルフ自身、彼もそう長くは続かず眠りに落ちてしまうだろう。


「くぴぴくぴぴ」

「くぴぴっぴー、くぴぴ」

「エンジェルとインプは何て言ってるの? シルフィード」

「六属性の聖なる合わせ技を提案しているのよ、フローラ。使えば二日は眠っちゃうわ、それでも良ければだけど」

「この状況を打開できるなら構わない、スペル言霊を教えてみんな」


 精霊さん達がごにょごにょと伝え、フローラが長いわねと目を丸くする。ただしそれは格好を付けるものではなく、聖なる力を借り受ける為の儀式だとノームは言う。ヴォルフが時間を稼いでいる間に詠唱を終えろと、サラマンダーにウンディーネが責っ付いた。


「天の聖櫃せいひつよ開き給え、エロイムエッサイム我は求め訴えたり!」


 両手を空に掲げ、フローラは詠唱を開始する。すると雷鳴を伴う雨雲が、星空を覆い出したではないか。ごうと風が吹き抜けていき、木々の枝が激しく揺れる。小川を流れる水は波立ち、場の変化と空気の変化を誰もが肌にぴりぴりと感じ取っていた。


 エロイムは神を指し、エッサイムは悪魔を指すと言われている。民を法で導くのが神なら、武力を持って導くのが悪魔だ。どちらも世界を統べる為の象徴であり、法か武力かの天秤と言えよう。その天秤に問いかけるスペル言霊が、エロイムエッサイムである。


「天にまします神々よ、冥界にまします魔王とその眷属よ、願いを聞き届けその御業を示し給え。我が名はフローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク!」

「な、きさまそのスペルは!!」


 慌て出し詠唱を妨害しようとするネビロスに、寝ぼけ眼のヴォルフがハルバードを構え立ち塞がる。霊鳥サームルクもヴォルフを支援し、念動波の弾幕をスカルドラゴンの足へ集中し動きを止めにかかった。


「我が願いはただひとつ、生命のことわりを軽んずる愚か者に裁きのいかづちを!」


 宙を舞うフローラへ、金色に輝く光の粒が現れ集まり出す。神と悪魔の天秤が彼女に応じたのであり、その質量がどんどん増大していく。フローラは光り輝き、その姿は後光をまとう正に聖女であった。


「よくやりましたヴォルフ、離脱しなさい。次に顔を合わせる時は、目覚めのハーブティーかしら」

「温めたぶどう酒がいいですね、フュルスティン」


 それもいいわねと、跳躍し離れて行くヴォルフに目を細めたフローラ。彼女は腰帯の扇を抜いて広げネビロスに向ける。詠唱は終えた、あとは発動させる技名を口にするだけだ。


「魔女ごときが、どうしてそのスペルを使える」

「私は魔女の定義を知らないしどうでもいい、分かっているのは天界と冥界が力を貸してくれたという事実だけ」

「そんな……馬鹿な」


 上空では雨雲が渦を巻いており、中心に幾筋もの稲妻いなずまがきらきらと瞬いている。フローラの瞳は虹色に輝くアースアイに変化しており、ネビロスは相手を見誤っていた事にいまさら気付くがもう遅い。


「いっけええ! ライディーン雷神!!」


 それは大地が天を支えるがごとくの、青白く光る一本の巨大な柱であった。邪悪なる者を打ち破る聖なるいかずちが、ネビロスと骸骨竜の再生を許さず灰に変えていく。教会の年代記作家クロニクルライターは、この出来事を後世へどのように伝えるだろうか。


『ありがとう、神と悪魔の愛し子よ』

『この思念、あなたは誰』

『我の名はミドガルズオルム』

『もしかして、あの骸骨竜かしら』

『いかにも、輪廻転生の輪から外され、長きに渡り囚われの身となっていた』

『それじゃ、これでゆっくり眠れるのね』

『そうだな、良い寝床も見つかったことだし』

『寝床?』


 睡魔が襲いかかり、そのままフローラは意識を失ってしまう。霊鳥サームルクがゆっくりと降下し、彼女を地面に横たわらせた。従軍司祭三人とゲオルク先生、キリアとポワレが駆け寄り、みんなでフローラを破壊から免れたテントへ運ぶ。既にヴォルフとグレイデルは、くーすかぴーと深い眠りに落ちていた。


 ここはエレメンタル城。

 水晶玉に映し出された映像で、一部始終を見ていた精霊女王ティターニアと精霊王オベロン。夫婦は顔を見合わせ、少々困惑していた。

 なぜならばミドガルズオルムが、フローラを生きた霊廟れいびょうに選んだからだ。それはつまり彼女の中に、エンシェントドラゴン古代竜の魂が宿ったということ。


「あの子、高位精霊からまで好かれやすい体質なのかしら」

「ほんとほんと、フローラって面白い子だよね、ティターニア」

「面白いで済まされないわよ、オベロン。ミドガルズオルムが持つ古代魔法のスペルを、フローラは全部使えることになるでしょう」

「魔力は六属性の精霊が供給してくれるけど、強力なスペルを使えば使うほど彼女は眠ってしまうだろうね」


 そこが問題なのよと、ティターニアは水晶に手をかざし映像を切る。ライディーンを使う事は予想の範疇だったけれど、古代竜の御霊みたまを宿す事態は想定外の遙か斜め上だわと。


「眠ってしまえばフローラは無防備になる。霊長サームルクに寄生されたのは、ある意味もっけの幸いだったね」

「高位精霊との正式な契約が必要かもしれないわ、オベロン」

「その為にはサームルクが、幼生から成鳥にならないと」


 そう言って豆皿に盛られた、黒胡椒の粒に手を伸ばすオベロン。その手をティターニアがぺちっと叩いた、今日はもう三個食べたでしょうと。後ろに控えているヒュドラが、くっくっくと笑っている。


 霊鳥も神獣も竜も、精霊が進化した種族ゆえに高位精霊と呼ばれている。触媒を必要とせず、魔力と霊力をどこでも発揮する事が出来る。それが天界であろうと、冥界であろうと人間界であろうとも。

 フローラが眠り姫とならないためには、霊鳥の魔力と霊力を直接引き出す必要がある。それが契約であり寄生ではなく、正式な主従関係を結ぶ儀式となるのだ。問題はフローラが生きてる間に、果たして霊長サームルクが成鳥になるかって話しを二人はしている訳で。


 成鳥でないと契約の儀式は出来ず、そこに古代竜ミドガルズオルム御霊みたまがどう関わって来るのかが問題となる。それが読めないから、ティターニアもオベロンも困惑しているのだ。

 だがフローラを依り代と決めた以上、サームルクもミドガルズオルムも、けして悪いようにはしないはず。経過観察かなとオベロンが言い、そうねと頷くティターニアであった。


 翌日、フローラ軍は野営地に留まっていた。

 負傷者の治療はもちろん、破壊されたテントに荷馬車を修復しないと、軍団を動かせないからだ。兵站部隊がえっさほいさと、立て直しに奔走していた。


「傷みませんか? ハモンド殿」

「済まんなグレイデル殿、我ながら情けない」


 せめて一太刀をと、ハモンドはスカルドラゴンに立ち向かったのだ。尻尾で薙ぎ払われ吹き飛ばされ、鎧のおかげで外傷はないが肋骨の何本かにひびが入っていた。目覚めたグレイデルが重傷者優先で、自分が眠くならない程度に回復魔法をかけて回っている。


「ミードの樽は無事だったようです、飲みますかなハモンド殿」

「そいつは有り難いゲルハルト殿、飲まねばやっておれん」


 火気厳禁ですぞと革袋を手渡すゲルハルトも、スカルドラゴンの足に踏みつけられた右足を引きずっていた。グレイデルのヒールで足の組織は回復しているが、当面はリハビリが必要だった。精気を奪われつつも勇気ある者は己に鞭を打ち、果敢に戦ったのである。


「不謹慎とは存じますが、王族が抹殺されていた場合……」

「分かっておるゲルハルト殿、わしが暫定的にグリジア王国の君主となるだろう」

「その場合フローラさまと、教会で和平条約に調印して下さいますかな」


 教会で神と精霊の名の下に、交わした約束は絶対だ。破れば君主としての資質と信仰心を疑われ、法王さまによって除名される。すなわち法王庁から破門となるわけで、国王からただの平民に落とされるのだ。フローラが教会での和平条約締結にこだわる理由は、その一点に尽きる。


「あれを見せられたら、神と精霊を信じない者などおらんじゃろう、ゲルハルト殿」

「確かに、荘厳ないかずちの柱でしたな」


 ハモンドの隣に座り、右足をさするゲルハルト。彼はハモンドがどう答えるかを待っており、出来れば教会でフローラと握手を交わす場に立ち会いたいのだ。


「不思議じゃな、ゲルハルト殿」

「何が……ですかな?」

「見るが良い、地面にふきのとうが顔を出しておる。こごみやぜんまいに、のびるまで。真冬だと言うに、この野営地には春が来ているではないか」


 よく知っているなと、ゲルハルトは革袋の栓を抜きミードを口に含む。食用となる野草など、今まで気にとめた事など無かったからだ。だが兵站の糧食チームが、これは天の恵みとばかりに総出で摘んでいる。


「キリアさま、このふきのとう、どう調理致しましょう」

「ファス・メイドのケイトが、油で素揚げして塩を振るのが一番と言っていたわね、ポワレ。のびるはにんにくやにらと同じ精力剤だから、肉と一緒に炒めるのはどうかしら」


 そんな会話が、ゲルハルトとハモンドの耳に届く。当然ながらそのスペル言霊は、二人の胃袋を刺激してくれやがります。言葉とは発する者の意思と感情を如実に表す、だからスペル言霊なのだ。


「グリジアは国土の三分の一が砂漠でな、ゲルハルト殿。肥沃な大地を欲し、祖先は侵略戦争をいとわなかった。それが正しかったか間違っていたか、王族の血を引くわしは口にできる立場にない」


 じゃがと、ハモンドはミードを口に含む。

 そこへ失礼しますねと兵站糧食チームの面々が、ゲルハルトとハモンドの足下からふきのとうを摘んでいく。これから素揚げにするのだろうと、二人は目を細めた。


「野営地を春に変えてしまう真の聖女を、敵に回すなどあり得ぬ。わしはフローラ殿と教会で、和平条約の締結に応じたい」


 長きに渡るグリジア王国との諍いに、ローレン王国は終止符を打つことが出来るかも知れない。全ては今ベッドでくーすか眠っている、次期女王陛下にかかっている。


「寝顔を拝みに参らんか? ゲルハルト殿」

「そうですなハモンド殿、何度見てもあのお顔は、見る者を安らかな気持ちにさせてくれる」


 お互いが支え合い、二人は指揮官テントへと足を運ぶ。

 するとそこには重装隊長のアレスとコーギン、軽装隊長のシュルツとアムレット、弓隊長のデュナミスとアーロンが、みんな揃っているではないか。誰もが多かれ少なかれ負傷しており、いらっしゃいと笑顔を向ける。


「ジャムをたっぷり塗ったスコーンと言うかな、アーロン」

「いやいやデュナミス、イチゴの乗ったショートケーキだよ」

「あまりに美味しそうで食べるのがもったいない、そんな感じかなシュルツ」

「見てると幸せな気分になるんだよな、アムレット」


 フローラの寝顔は隊長たちに、癒やしを与えるお菓子顔。当の本人は夢の中、むにゃむにゃと寝返りを打つのであった。

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