第27話 いざ首都カヌマンへ
「お目覚めねヴォルフ、調子はどうかしら」
フローラから温めたぶどう酒を手渡され、体の節々が痛いとヴォルフはぼやいた。あれだけ超人的な動きをし、肉体を酷使したのだ。そりゃそうよねと、フローラはへにゃりと笑う。
彼が目覚めたのはフローラよりも遅く、なんと三日も眠りに就いていたのだ。起きたよと精霊さん達が教えてくれたので、顔を見に来た辺境伯令嬢さまである。
「午後からはグレイデルと、近くの村へ買い出しに行って欲しいの」
「それは兵站部隊の仕事では? フュルスティン」
「あふぉだなこいつは、なあサラマンダー」
「全クダナ、ノームヨ」
「人間の男って不思議な生き物よね、ウンディーネ」
「全てって訳じゃないだろうけど、にぶちんは多いみたいね、シルフィード」
きっかけはネビロス戦なんだろうが、精霊さん達はヴォルフにも、遠慮無く思念を送るようになったみたいだ。姿が見えないから、彼は目をぱちくりさせているけど。
だが精気を吸われ体の自由が利かなくなった時、彼は精霊の声を確かに聞いた。戦う意思があるならば、武器を手に取り立ち上がれと。
そして彼は魔力を注ぎ込まれ、邪悪に立ち向かう魔人となった。グレイデルの精霊さん達を動かしたのは、ヴォルフの彼女に対する真摯な愛に他ならない。
「村出身のグリジア農民兵が、既に先触れしているわ。村長にお金を渡して、食糧を受け取るだけなの」
「鈍った体を戻すのに丁度良いかもしれませんね、フュルスティン。お引き受け致します」
「だからねヴォルフ」
「はい」
「グレイデルと
「なっ!」
口をぱくぱくさせるヴォルフと、至って真顔のフローラ。
行軍をしている以上ヴォルフとグレイデルが、二人きりになれる機会なんてまずない。仕掛け人は恰幅の良いおばちゃん、もとい兵站隊長のキリアだったりして。フローラはその作戦に、名案だわと加担したのである。
シュタインブルク家の血を引く女子は、特殊な能力を授かる代償なのか、あんまり長生きできない。出産の回数が限られており、しかも男子は滅多に生まれない家系なのだ。由緒ある氏族なのに、マンハイム家しか分家がないのはそのせい。グレイデルに弟ができたのは、実は数百年ぶりの快挙だったりする。
そんな訳で好ましい男がいたらさっさと結婚し、子供を授かれってのがシュタインブルク家の家訓である。フローラは草むらに云々と口にしたが、それは冗談でもからかいでもなく本気で言ったのだ。既成事実を積み上げ、婚約をすっ飛ばして結婚しちゃえと。
「私ね、グレイデルにウェディングブーケを作ってあげるのが夢だったの」
「あの俺、まだ母にも話してないのですが」
「分かったわヴォルフ。伝書鳩を飛ばしてあげるから、母君に文を書きなさい」
そこへキリア特性の生ハムサンドを運んできたグレイデルが、テントに入り何の話しかしらと首を捻る。ヴォルフの顔にぼっと火が付き、伝染したのかグレイデルも頬を朱に染めちゃったりして。
私にもいつか素敵な男性が現れるかしらと、フローラはまだ見ぬ伴侶に思いを馳せる。成人しておらず、社交界にデビューしてないけれどと。
もっとも彼女は父ミハエル候が大好きで、それが理想の男性像となっている。豪快かつ確固たる信念を持った武人でなきゃ、フローラを射止めるのは難しいかも。
「短剣の扱い方ですか? フュルスティン」
「お稽古事に剣技は含まれてないの、だから教えてジャン」
キリアと一緒に買い出しの荷馬車を、むふふと見送ったフローラ。彼女は従軍したシーフである、ジャンとヤレルの所へ来ていた。ゲオルク先生がいらっしゃいと、たらいで手を消毒しながら目を細める。
フローラはジャンとヤレルを戦闘要員ではなく、兵站部隊の所属にしていた。応急処置の心得があり、ゲオルク先生の良き助手となってくれるのだ。ネビロス戦で負傷者の手当てに尽力し、新入りだけど兵士たちからの信頼を得ていた。
「刃渡りは食事で使うナイフほど、短剣と言うよりはダガーだな、ヤレル」
「そうだなジャン、両刃で先細、扱い方は普通の短剣とも異なる」
扇から変化させた
シーフが主に使う武器は、短剣やもっと短いダガーである。もちろんそれには、ちゃんとした理由があった。遺跡や洞窟の中は狭く、長剣では天井や壁に引っかかるから。大は小を兼ねるなんて言葉は、武器には当てはまらないと言えよう。
「ダガーの根元には刃入れがされてませんでしょう、そこを人差し指と中指で挟むんです」
「こう? ヤレル」
「そうですフュルスティン、そのまま柄を握り込むと安定します」
これで相手を切ろうとは思わないで下さいと、ジャンに言われどうしてと問うフローラ。そんな彼女にシーフの二人は、あれを見て下さいと野っ原を指差す。そこではリハビリも兼ねて、騎馬隊と重装兵が武器と盾を持ち訓練を行なっていた。
「彼らどう見たってゴリラでしょ。あれだけの豪腕なら、相手がプレートメイルを装備していても剣で切れる」
「あは、あはは、本人たちの前でゴリラ発言は無しねジャン」
もちろん言いませんよと、シーフの二人はにっこりと笑う。
ここで大事なのは女や子供の腕力で、チェーンメイルやプレートメイルを装備した敵に、切りつける攻撃は通用しないという教訓だ。
「この刃渡りならばプレートメイルを突き破り、相手の心臓に届くでしょう。切るのではなく、突くのです。細腕の女性でも戦える、ダガーの使い方ですよ」
ジャンの説明に、ふむふむと頷く辺境伯令嬢さま。
分厚くて重量がある鎧だと、兵士はすぐに息切れしてしまう。そこで鍛冶職人は少しでも軽くしようと、薄い鎧を敢えて制作するのだ。そこで脅威となるのが、先細の武器で突かれることだと二人は話す。
「失礼いたします、皆さん林檎はいかがですか」
そこへ救護テントにやってきたのは、糧食チームのポワレであった。兵士の栄養が偏らないよう、お茶時に果実を配っているのだ。こんな配慮が出来る兵站部隊など、帝国のどこを見渡したってまずないだろう。野っ原のゴリラ……もとい騎馬隊と重装兵たちが、訓練を中断しもりもり頬張っている。
「ふんふーん」
「あの、フュルスティン」
「林檎の皮は紅茶に入れて、アップルティーにしようね、ゲオルク先生」
エビルスレイヤーで林檎の皮を剥く、辺境伯令嬢さまの図。彼女にとっては破邪の剣も果物ナイフも、同じらしい。呆れを通り越し、笑うしかないゲオルク先生にジャンとヤレルであった。
野営地に春が来たのは三日間だけで、吹く風は冷たく真冬に戻っていた。
破壊された荷馬車の修理もようやく終わり、フローラ軍は行軍を再開しカヌマンを目指す。グリジア軍の騎馬兵が一騎、自警団と連絡を取るため先行して出発済みだ。
「あーあ、空はこんなに青いのに」
毎度のセリフをそこまで言って、グレイデルの背中をむふんと眺めるフローラ。返事がないのは、さっきからぽけっとしているから。買い出しから戻ってずっとこの調子、こりゃ何か良い事があったに違いない。
グレイデルの精霊さん達に尋ねれば、たぶん何があったか教えてくれるだろう。でも聞かないし、野暮な事はしない辺境伯令嬢さまである。
ウェディングブーケはバラがいいかな、ガーベラがいいかな、かすみ草も悪くないな、そんなことを考えるフローラであった。
――その頃、ここはブラム城の炊事場。
「そーれ、かんかかん」
「かんかかん」
「かんかか-んかん」
ファス・メイドの三人が歌いながら、中華鍋を振るっていた。アルメン新兵からのリクエストで、昼食用に酢豚を量産しているのだ。甘酸っぱい豚肉料理が帝国では珍しく、新兵たちはすっかり気に入っちゃったみたい。
そしてエルザ率いるキャッスル・メイドは、ニラ餃子と卵スープを手がけている。城に残った人員は百五十名ほど、ファス・メイドとキャッスル・メイドで対応出来ていた。
「そう言えば子猫ちゃんたち、どこ行ったんだろうね、ケイト」
「お昼時になれば炊事場へ集まって来るのにね、ミューレ」
さっき礼拝堂にいたわよと、餃子の皮に餡を包むエルザが返した。貯蔵庫へ食材を取りに向かった際、入って行くのを見たらしい。お腹が空いたら来るでしょうと、ジュリアが出来上がった酢豚を大皿に山と盛る。
さて話題の茶トラに三毛と黒ネコの三匹、礼拝堂で何をしてるのかと言いますと、小っちゃいネビロスを転がし遊んでたりして。
聖なる雷で完全消滅する前に、奴は黒い渦の亜空間を開き、分身を生み待避させたのだ。その分身が親指サイズのネビロスで、意外としぶとい魔物である。
このままでは宰相ガバナスに合わせる顔がないから、ブラム城を乗っ取ろうと忍び込んだのだ。しかし魔力は切れ、精気を奪う力も残っていない。そこで礼拝堂に身を隠し、自己回復するのを待っていた訳だ。ところが子猫たちに見つかってしまい、寄ってたかって小突き回され今に至る。
「にゃーん」
「にゃんにゃん」
「にゃごにゃーご」
「うわやめっ! やめろこの猫ども!!」
ぺちぺちと猫パンチをもらうも、反撃する術がないネビロス。追い詰められた彼は何と、あろうことか聖水盆に落ちてしまったのだ。
「ああ、しまった!」
聖水に浸かったネビロスの体は、黒い霧と化し消滅していく。魔力が残っていれば脱出できただろうに、ブラム城へ空間転移するため使い切ったのが運の尽き。
「子猫ちゃん来たわよ、ジュリア」
「やっぱりお腹が空いたみたいね、エルザ。おいでおいで、お昼は大好きなレバーペーストよ」
大好物をあむあむはぐはぐ頬張る、茶トラと三毛に黒ネコ。こうしてブラム城の平和は、子猫たちの活躍により守られたのである。
「いかがなさいました? ガバナスさま」
「何でもないフリードヒ、下がってよいぞ、他の者たちも」
ここは首都カヌマン、宮殿にある宰相の執務室。
大臣たちを室外に出したガバナスは、衝撃が走った左手の、人差し指にはめていた指輪を抜く。見ればヒビが入っており、それはネビロスの消滅を意味していた。
「ローレンの魔女は、ネビロスほどの使い手を葬れると言うのか」
あり得んと、拳で執務机を叩くガバナス。魔界からネビロスを召喚し契約するために、どれほどの人間を生け贄にしたことかと歯噛みする。だが結果は目の前にある、壊れた指輪で明白だ。こうしてはおられんとガバナスは、宝物庫の鍵を手に執務室を後にするのだった。
「私兵の数が減った?」
「そうなんです、セデラ団長。しかも傭兵経験があるような、腕の立つやつばかり居なくなりまして」
市場組合の来客室で、団員と聖堂騎士の報告を聞くセデラ。王宮で何かあったのは間違いなく、フローラ軍が到着する前に調べておく必要がある。
「モラレス司教と共に、王宮へ行くか」
「宰相ガバナスは、果たして面会に応じてくれますかな?」
尋ねる聖堂騎士に、相手はガバナスでなくとも良いとセデラは笑った。大臣の誰でもよく、国の財政がどうなっているか聞くだけだと。
だがこの話しは、予想外の方向へと流れていく。宰相ガバナスは手練れの私兵と共に姿をくらまし、宮殿の宝物庫は空っぽである事が判明したのだ。
しかも王族は生け贄にされており、悪しき魔物信仰の存在が明るみとなった。宰相ガバナスの言いなりになっていた大臣たちは、逃亡を企てたが聖堂騎士団と自警団に捕縛され、教会で裁きを受ける事になるだろう。
「こいつは参ったな、マスター」
「この先グリジア王国はどうなるんでしょうね、セデラ団長」
カウンター席に座った団長へ、ぶどう酒を置く酒場のマスター。残存する私兵は全て捕らえ、牢にぶち込んだ。けれど国の明るい未来が見えて来ず、二人とも頭を抱えてしまうのだった。
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