第25話 スカルドラゴン

「国家あってこその生命、国家あってこその財産、国家あってこその自由。国が破れてしまえば、国民はその全てを失うことになります、ハモンド殿」

「さようですな、ゲルハルト殿。国民が恐怖に怯えることなく、欠乏することなく、安心して働き天寿を全うさせる。それが国家の役割りであり、君主に課せられた命題であろうな」


 騎馬隊の隊列でグリジア軍の将ハモンドと、騎馬隊長ゲルハルトが、そんな会話をしていた。国家とは何か、君主とは何か、割りとディープな内容である。双方の騎馬隊員も先頭を行くヴォルフも、それとなく耳を傾けていた。


 ゲルハルトは家督を息子に譲ったものの、地方豪族の長でありローレン王国では侯爵の地位にある。これを帝国に置き換えれば小国の王と同等であり、押しも押されぬ大領主だ。古き良き騎士道精神を堅持しており、ハモンドとは気が合うもよう。


「国家が存亡の危機にある時、愛する者と財産に自由を守りたいがゆえ、国民は老いも若きも武器を手に戦おうと奮い立ちます」

「それがこのフローラ軍なのですな、ゲルハルト殿」


 いかにもと騎馬隊長は、ぶどう酒の入った革袋をグリジアの将に手渡した。老兵と新兵の寄せ集めではありますが、けして烏合の衆ではありませんと微笑みながら。

 ひとつの村に差し掛かり、数十名の農民兵が手を振り隊列から離れて行った。見送ったハモンドはぶどう酒を口に含み、彼らを村に戻せて良かったとつぶやく。


「人は信じたいものを信じ、見たいものを見ようとする。宰相ガバナスにまんまと騙され、わしは心のまなこが曇っておった。働き盛りの農民を失えば作物生産の基盤は崩れ、国家は傾いてしまう。わしは危うく、亡国の将になるところであった」


 気付かせてくれたフローラ殿には感謝していると、ハモンドは先導しているヴォルフのオレンジ旗を眩しそうに眺めた。それは不戦の意思表示であり、フローラ率いるローレン軍は正々堂々とグリジア国内を行軍していた。

 町や村で凌辱行為や略奪行為を、一切しないローレン軍。望むのはただひとつ、教会で神と精霊の名の下に、和平条約を締結すること。ローレンの聖女が掲げた目標は全ての兵士に、体を流れる血潮に、脈々と息衝いきづいている。


 ゲルハルト自身、まさかフローラがここまでやるとは思っていなかった。襲い来る軍勢をただ単純に叩き潰す、彼女はそれを真の勝利とは考えていない。殺戮のための殺戮は行なわず、事の本質を見極め戦いの更に先を見ようとする。

 敵軍の将でも対話を試み、無駄な血が流れることを回避してみせた。そんな次期女王陛下に譜代の家臣として、ゲルハルトは胸のすく思いであった。


「そろそろぶどう酒を、返していただけませんかな?」

「寒いのじゃゲルハルト殿、もうちっと飲ませてくれい」


 そんな二人の頭上から、ミードがあるんだけど飲む? と声が聞こえてきた。

 げっと声を上げたのはゲルハルト、むおっと目を剥いたのはハモンド。二人の間に革袋を手にした、辺境伯令嬢さまがふよふよ降りてきたのである。

 騎乗用のドレスだから下着は見えないけれど、裾がふわふわ綺麗な白い足がちらちらと。騎馬隊の若い面々には、少々目の毒かもしれない。


 グレイデルに気を付けてと念を押されちゃいるが、無意識のうちに浮いてしまうフローラ。馬に乗る時も降りる時も、階段を上がる時も降りる時も、足を全く動かしていないのだ。ローレンの聖女さまは宙に浮くと、兵士の間では周知の事実となっていた。

 そこで頭の上をくるくる回る蝶々も込みで、開き直り隠すことを止めたフローラ。だが実際に間近で浮いてると、誰もが心穏やかではいられないわけで。


「何よ二人とも、失礼しちゃうわね。はいミードよ、アルコール度数が高いから火気厳禁ね。騎馬隊の諸君にも、野営で振る舞うから楽しみにしてて」


 そう言い残し、装甲馬車へふよふよ戻る辺境伯令嬢さま。どんな花の蜜から作られたか、それは言わない。まあ話しても信じないだろうし、美味しければそれでいいでしょと、によによしながら。


 ミード蜂蜜酒は醸造法にもよるが、アルコール度数を高くすることが出来る。重量物を無視できるフローラは、精霊界から樽で二つもらってきていた。

 普通に火が点いちゃう液体は火薬並みに危険で、兵站部隊としてはあまり運びたくない代物である。出所は聞きませんが危ないから早々に飲みきって下さいと、キリアとポワレから言われちゃったわけでして。


「わはは、腹の中がかっかする、こいつは体が温まるなゲルハルト殿」

「げほっごほっ、美味いがこいつは酒精が強い、火気厳禁も分かると言うもの」


 後ろの方からグレイデルの、戻ったフローラに対するお小言攻撃が聞こえてくる。


「はしたないです、殿方の頭上に降りるのはお控え下さいませ」

「そんなこと言われたって、浮いちゃうものは浮いちゃうのよ、グレイデル」

「淑女としての恥じらいというものが、フローラさまにはございませんの?」

「見せて減るもんじゃなし、グレイデルは減っちゃうのかしら」

「あ、の、で、す、ね!」

「例え下着を見られたって私は平気、何なら野外用ドレスに着替えようかしら」

「それじゃおパンツ丸見えではありませんか! お止め下さい!!」


 フローラ殿が逆ギレしましたなとハモンドが、さようですなとゲルハルトが、装甲馬車のぴーちくぱーちくに顔を見合わせ苦笑する。先頭を行くヴォルフと隊列の若い騎馬隊員は、頬を朱に染めちゃってるけど。


「ご本人は事の重大さを分かっておらんようじゃが、君らは胸に叩き込んでおけ」

「何をですか? ハモンド殿」

「ヴォルフ君、上空から範囲魔法を撃たれたら、地上の兵士はひとたまりもないぞ」

「……あっ!」


 そういう事だとゲルハルトも頷き、後ろの装甲馬車を見やる。舌戦は今でも続いているが、フローラもグレイデルも喧嘩するほど仲が良い。あれがシュタインブルク家の血筋だと、目を細めミードを口に含むのであった。

 

 ――その頃、ここは首都カヌマンの王宮。


「ローレン軍に寝返るとはハモンドめ、やはり王族と共に抹殺しておくべきだった。奴の娘はどうした早く連れてこい、生け贄として祭壇に捧げるのだ」

「それがガバナスさま、屋敷を自警団が警護しているのです」

「自警団が? それはどう言うことだフリードヒ!」


 ブラム城がそうであるように、どんな城や宮殿にも礼拝堂はある。だがこの王宮にある礼拝堂は、宰相ガバナスによっておぞましきものに変貌していた。偶像を崇拝し祭壇に祀っている像は、バフォメットと呼ばれる山羊頭の魔物だ。


 宰相の前でひざまずくフリードヒと呼ばれた大臣が、冬だと言うに額から汗を流していた。単にガバナスが恐ろしいからで、そこに忠誠心や愛国心などというものは存在しない。恐怖政治によるマインドコントロールは、王宮の中枢に根を張り大臣たちを雁字搦がんじがらめにしていた。保身に走り善悪の基準を見失ったフリードヒは、それだけではありませんと震えながら言葉を繋ぐ。


「聖堂騎士団も警護に加わっているのです、ガバナスさま。下手に手を出せば、我々は教会から断罪されましょう」

「なぜ自警団と教会の聖堂騎士がつるむのだ、訳が分からん」

「裏で糸を引いているのは、おそらくローレンの魔女かと」


 フローラが魔女であるならば、自分たちはいったい何なのか、そこには頭が回らないフリードヒ。思考が完全に麻痺しており、ただただ怒りを買わないようにと、愛想笑いを浮かべ手を揉んでいる。


「ネビロスよ、おるか」

「ここに、ガバナスさま」


 壁に暗黒の渦が現れ、中から異形の者が出てきた。人の姿はしているが目は赤く光り、手の爪は指よりも長い。黒いフード付きのマントをまとってはいるものの、人間でないことは明白だ。

 フリードヒは床に尻餅をつき、恐怖で声すら出せずにいた。ガバナスは祭壇の大盃を手に取ると、それをネビロスへ向ける。


「この大盃をな、ネビロス」

「ローレンの魔女の血で満たすのでしょう? ガバナスさま」

「ふふ、話しが早くて助かる、頼んだぞ」


 ネビロスは承りましたと一礼し、壁に開いた暗黒の渦に消えて行った。

 この魔物は存在自体が、生きとし生ける者から精気を吸い取る。フリードヒは全身に倦怠感を覚え、歩く事すらままならなくなっていた。

 そんな大臣に目もくれないガバナスは、大盃を祭壇に戻し不気味に笑う。ローレンの魔女ならば、最高の生け贄になるだろうと。


 ――そして場所を戻し、こちらは野営の準備を始めたフローラ軍。


 木の切り株に座りミードをちびちびやっているのは、フローラとグレイデルに三人の従軍司祭。煮炊きをしている糧食チームから、危ないから離れていてと、閉め出されちゃったとも言う。


「天使と悪魔の違いですかな? フュルスティン」

「そうそう、教会ではどう考えているのか教えてほしいの、オイゲン司祭」


 そうですねとオイゲンは、空いてる切り株に置かれたゴーダチーズに手を伸ばす。セミハードタイプのチーズだが熟成を重ねることで、ミルキーさが動物性の旨みに変わる。追い出した手前口が寂しいでしょうと、キリアが持ってきてくれたのだ。


「天使と悪魔は紙一重、敬い方で性質が変わるのです、フュルスティン」

「敬い方?」

「悪魔は特に、契約したら約束は必ず守ります。それに比べたら人間の方が、よっぽど平気で嘘をつく」


 それは確かにと、へにゃりと笑うフローラとグレイデル。

 清らかな魂の持ち主であれば天使も悪魔も、力を貸してくれるとシモンズもレイラも頷き合う。それが己の欲望に終始して、ねたうらそねひがみに闇落ちすれば、天使も悪魔もただの魔物になると。


「他者を憎めば、それは自分自身に跳ね返ってきます。自分に来なくても、大切に思う親兄弟や友人に跳ね返ってくる。欲望を捨て他者を愛し自らを律する、それが我々聖職者なのです」

「でもオイゲン司祭、人々の幸せを願うこと自体も、ある種の欲望ですよね」

「その通りです、グレイデルさま。自分が自分がではなく、自分とみんなが。その境涯に達している者へ、天使は天使として、悪魔は悪魔として、人間に手を貸してくれるのです」


 己の欲にまみれた者が天使や悪魔を使役しようとすれば、それはただの魔物に過ぎないとオイゲンはミードを口に含んだ。敬い方の違いとはそう言う事ですと、シモンズもレイラもゴーダチーズを頬張る。


 フローラとグレイデルは、チーズをもぐもぐしている精霊さん達に視線を落とす。特に霊聖と呼ばれる、エンジェルとインプに。絆を深めれば、この子たちもきっと進化するだろう。

 それがただの魔物になってしまうかどうか、責任は黒胡椒をあげてしまったフローラにある。精霊女王ティターニアが、責任を持って面倒見てと言ったのは、つまりそういう事だ。新しい千年王国を築くに相応しい巫女だと認めたからこそ、生まれたての天使と悪魔を彼女に託したのである。


「グレイデル、感じた?」

「感じましたフローラさま、何かが来ます」


 オメガにアルファとラムダをお友達にし、四属性を揃え霊力の上昇したグレイデルが頷く。二人はミードの革袋を放り投げ、兵站部隊の設置した銅鑼どらに駆け寄り打ち鳴らした。総員戦闘配備の合図であり、野営の準備をしていた兵士たちが何事と武器を手に取る。やがて地響きが起こり、兵士らはその姿を視界に捉えた。


「何だあれは、アレス」

「ドラゴンの骸骨? コーギン」

「重装兵の諸君、盾を出して隊列を組め! フローラさまをお守りしろ!!」


 ゲルハルトの罵声が飛び、フローラとグレイデルの元へ集まろうとする重装兵たち。だが彼らは地面に膝を突いてしまい、立ち上がる事ができない。それは弓兵も同じで矢を番える事が出来ず、軽装兵も組み立てた投石器に辿り着けないでいた。


「いかん! ネクロマンサー降霊術者がいるぞ。しかも人間の精気を奪う魔物だ、君ら持っているか」


 オイゲン司祭が叫び懐に手を入れ、シモンズとレイラも、もちろんと頷きポケットから小瓶を取り出した。それは聖水で三人は自らに、そしてフローラとグレイデルに駆け寄り振りかけた。だが残念ながら、全兵士に回す量はない。


 聖水盆と呼ばれる容器に水を満たし、七日間に渡り神と精霊に祈りを捧げたもの。神聖なる水が淡い光となりフローラとグレイデルを、精気を吸い取る邪悪から守り包み込む。


「聖水とはこしゃくな。だが我のスカルドラゴンに、果たして勝てるかな」

「あなたがその骸骨ドラゴンを操ってる訳ね。私はフローラ、お名前を伺ってもいいかしら」

「死にゆく者には不要と思うが、まあ教えてやろう、ローレンの魔女よ。我が名はネビロス、覚えておくがよい」


 空へ舞い上がり、スカルドラゴンに跨がるネビロスと対峙するフローラ。敬い方を間違えればこうなるのねと、彼女は蛇蝎だかつを見るような目で魔物を見下ろした。


 既に天寿を全うした竜の骸骨ゆえ飛翔能力はもちろん、生前の魔力と霊力は持ち合わせていない。だがその馬力はドラゴンそのもので、尻尾のひと振りが精気を奪われた兵士たちを薙ぎ払っていく。

 清らかな魂を欲し執着する竜の亡骸は、フローラを捕まえようと両前足をばたばた動かし追いかける。どうして静かに眠らせてあげないのと、フローラははらわたが煮えくり返る思いであった。


「なぜ空を飛べる、ローレンの魔女」

「さあね、ネビロス。私はあなたを許さない、死者を冒涜する魔物に情けは持ち合わせていないの」


 フローラを捕まえようとした骸骨竜の腕が、木っ端微塵に吹き飛んでいた。それは依り代であるフローラを守ろうとする、霊鳥サームルクが放つ念動波であった。

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