第11話 フローラの情報戦

 ローレン王国は支城も含め、全ての城に燻製小屋がある。鹿肉の燻製だけでなく、豚や羊の腸詰めも一緒に作れる小屋だ。確保した鹿肉が傷まないうちにと、兵站部隊が総出で作業を行なっていた。

 味付けはガーリック、スパイシー、激辛の三種類。激辛はもちろん、フローラとグレイデル用でございます。キリアの指示に誰もが、これ作って大丈夫なのかと驚いていた。辛み調味料を擦り込んだ鹿肉が、もう真っ赤っか。


「ちょっと緊張してます、キリアさま。でもお城で働けるなんて、夢みたい」

「よく来てくれたわね、紹介するわ。歳の順でこちらがケイト、そしてミューレとジュリアよ。分からない事は三人に聞いてね」


 よろしくお願いしますと、カーテシーで挨拶する七人の女の子たち。通いのメイドとしてキリアが、城に一番近いユナイ村から雇ったのである。

 カーテシーとは 両手でスカートを軽く持ち上げ、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足で膝を軽く曲げるお辞儀だ。腰は曲げず背筋を伸ばし、体を軽く上下させる感じ。村娘とは言っても、その位の作法は心得ている。


「あの……キリアさま?」

「彼女たちはランドリー・メイドとして、洗濯とルームメイクを請け負ってくれるのよ、ケイト。キャッスル・メイドのあなた達は、城の維持管理と食事に注力してちょうだい。ついでと言っては何だけれど、この子たちにお料理も教えてあげて」


 ぽかんと口を開ける三人にキリアは、それとと人差し指を立てた。時間が取れるようになるから、宮廷に於けるメイドの作法と乗馬を教えますと。


「私たちにですか!? キリアさま」

「三人とも、よくお聞きなさい。将来あなた達は、高貴な女性の側仕えになる可能性だってあるのです。レディース・メイドとして、宮廷でも通用し馬に乗れなければ困ります」

 

 これまで三人を見てきたキリアはその立ち居振る舞いから、そこそこ良いとこの生まれではないかと予測していた。ならば口減らしの人身売買ではなく、誘拐の線が濃厚だなと。


 現状は身寄りのない平民だが貴族が雇い入れれば、レディース・メイドまで上り詰める芽はある。そこは商家の出、人を見る目は確かで人材育成は得意だ。

 このままキャッスル・メイドで終わらせるのは惜しい、キリアは自分が身元保証人になっても良いと、考えるようになっていた。

 だからこそ村娘の七人が後釜になれるよう、料理も仕込んでねと頼んだ訳だ。城に泊まり込むメイドと、通いのメイドで、交代制にすれば良いから。


 ――そして夜になり、ここはブラム城の執務室。


 風呂上がりでさっぱりした隊長たちが、賑やかに食卓を囲んでいた。献立は豚と大豆のトマトスープ煮込みにジャガバター、そしてレンズ豆のサラダ。テーブルに置かれた籠には、バタールと呼ばれるパンがみっちり入っている。


「どれも美味いな、フロイライン・ケイト」

「お褒めにあずかり光栄です、ゲルハルトさま。実はお口に合うか、ちょっと自信が無かったもので」


 それはまたどうしてと、目を丸くするゲルハルト。ミューレとジュリアがうんうんと頷き合っており、百人隊長らはこんな美味しいのにと首を捻る。


「グリジア王国はきっと、豆とジャガイモが主食なのでしょう。城に運び込まれるのが、肉や小麦よりも多くて。ですから私たち、お肉を豆やジャガイモで増量するような、そんなお料理ばかり作ってたんです」


 何だそんなことかと目を細める隊長たち、美味しいから何も問題はないよと。

 敵さんの土地は痩せてて小麦生産に向かないのではと、アレスがバタールに手を伸ばした。そうかも知れんなとシュルツが、輪作を知らないのかもとぶどう酒を口に含む。


 同じ耕地に異なる種類の作物を、周期的に交代させて栽培するのが輪作。土が持つ栄養分を偏らせず、病虫害を抑える効果がある。フローラが地の精霊ノームから教わった農法で、ローレン王国内ではすっかり定着していた。アルメン地方にも、その資料は配っている。


 今は色んな食材が入って来ますから、皆さんを飽きさせませんよと、にっこり笑うキャッスル・メイド達。まだお出ししていない、お料理がいっぱいあるのですと。


 それは楽しみですねとヴォルフが、美味しそうにスプーンをわしわし動かす。彼がここにいるのはフローラが、今後は常に食事を共にしなさいと命じたから。

 ヴォルフを次期城主に推すという暗黙の意思表示であり、隊長たちもその辺は察している、それが妥当だろうと。ついでに近頃グレイデルと親密なことも、すっかりばれていた。

 口を滑らしちゃったのはこの人、ゲルハルト卿だったりして。そりゃ仲良くチェスをしてたら、無骨な老騎士だって気付くと言うもの。キリアがるんるん顔で、グレイデルの杯にぶどう酒を注いでる。


「ときにキリア隊長、二十年前はどのような経緯で兵站に? 差し支えなければだが」

「たいした話しではないのですよ、コーギン隊長。大陸を巡り異民族に詳しく、物資の調達が得意な商人ですから。ミハエル候がそこに目を付けられ、戦時徴用を父に打診して来たのです」

「そのまま臣下となり叙爵を受けようとは、思わなかったのでしょうか」

「私どもは商人ですから、領地運営よりも商売をしたいのです、デュナミス隊長」


 今では首都ヘレンツィアで大店を構えているし、父の判断は間違っていなかったとキリアは微笑む。その名もグラーマン商会、ローレン王国内に支店をいくつも持つ大商会だ。

 つまり今の兵站部隊には、商会のお抱え職人が多数いるってことだ。孫たちもそろそろ手を離れる時期、国に最後のご奉仕をと彼女はぶどう酒を注いで回る。


「キリア・グラーマンに敬意を表し、乾杯」


 フローラの音頭で皆が杯をぶつけ合い、あらちょっと気恥ずかしいわねと、頬に手を当てるキリア。籠城戦を前にして、こんな頼もしい兵站隊長はいないと、誰もが口を揃えるのだった。

 

 帝国の一員として辺境伯の爵位を授かってはいるが、本来ローレンは自主独立の大国。その辺の小国と一緒にしてもらっちゃ困る、そんな気概が隊長たちにはある。


 皇帝陛下から見れば陪臣だが、グレイデルのマンハイム家は分家なので公爵。ゲルハルトのリヒテンマイヤー家は侯爵、百人隊長たちは伯爵に相当する領地を持っている。ゆえに皇帝直属の伯爵と、同等の財力と勢力を持つわけだ。家督を譲った息子たちが、今はミハエル候の主戦力として内紛の鎮圧に当たっているはず。


 なおグレイデルの母パーメイラも精霊使いだが、二十年前は長男の出産と重なりアルメンの戦場には立てなかった。今は息子であるアーノルド二世と共に、やはり配下の軍勢を率いローレン王国を出ている。


 フローラ軍は老兵と新兵ばかりだが、ローレンの聖女が二人もいる。何としてもこの戦は勝ってみせよう、そんな熱い思いを胸に、隊長たちは杯を傾けるのだった。


 その後キャッスル・メイドの三人は、キリアの隊長室に呼ばれていた。

 新しいメイド七人は通いなので日が沈む前には、迎えに来た村の馬車で帰って行った。おみやげにバタールとレンズ豆のサラダを持たせたので、メイド達はみんな大喜び。まあ軍団が相手ではほぼどんぶり勘定の調理で、作り過ぎはしょっちゅうだから全く問題ナッシング。


「銅貨十枚が大銅貨一枚ね、ケイト」

「その大銅貨十枚が銀貨一枚か、覚えた? ジュリア」

「うんうん、その銀貨十枚が大銀貨一枚よね、ミューレ」


 そして大銀貨十枚が金貨一枚ですよと、キリアが広げた硬貨の中からローレン金貨を突いた。兵站部隊がブラム城を出れば、食材管理は彼女たちの仕事となる。

 馬車で納品に来た町や村の人に、いちいち城主が代金を支払うなんて事はない。事前に預かった金子を管理し、支払う仕事もキャッスル・メイドに任せたいのだ。

 乗馬が出来るようになれば、自ら町の市場へ買い出しに行くこともあるだろう。だから貨幣の種類を教えておく必要があった。


「もしかして、大金貨もあるのですか? キリアさま」

「ローレン王国にはあるわよ、ミューレ。でもそれを使う時は財政難に陥った、国境が接している小国を乗っ取る時でしょうね」


 うわえげつないと目を丸くする三人だが、考えてもみてとキリアは腕を組んだ。帝国の王侯貴族が、全てお友達って訳じゃない。国を豊かにし常に軍備を整えておく、そうしないと武力で国を奪われるのだからと。


「大金貨は記念硬貨に近いわ、一番新しいのが表面に先代テレジア女王陛下の肖像。フュルスティンが成人なされば、あのお方の肖像が入った大金貨が鋳造されるでしょうね」


 思わずおおぅと感嘆の声を上げる、ケイトにミューレとジュリア。そんな三人の前にキリアは、革袋をがちゃりと置いた。中には銀貨十枚に大銅貨五十枚と、銅貨二百枚が入っているわと。

 食料調達で大銀貨や金貨を使うなんてことは無い、銀貨でさえも町や村の人たちはお釣りに困るだろう。これをあなた達で管理してちょうだいと言いながら、ずずいと三人の前に押す。


「どどど、どうしてそんな大役を私たちに!? キリアさま」

「だってキャッスル・メイドですもの、ミューレ。細々とした支払いを側仕えがいない、フュルスティンにさせるおつもり? これは次期当主からお預かりした金子、どこへ何で支払ったか、ちゃんと報告してね」


 そう言いながら炊事場にある金庫のスペアキーを、ケイトの胸にぐりぐり押しつける兵站隊長さん。金に目が眩む愚か者か、信頼を得る為に己を律する者か、これは踏み絵でもある。

 道を踏み外すような者は、良くて犯罪者の焼き印を押され国外追放、悪くて縛り首だ。焼き印のある女はどの国でもまともな職には就けず、行き着く先は場末の娼婦と相場が決まっている。


「信用したからこそ任せるの、明日から納品の支払いはお願いね」


 ひょええという顔の、ケイトとミューレにジュリア。古参兵から可愛がられ、三人は算術も教わり出した。頑張りなさいと、目尻にしわを寄せるキリアである。


 ――その頃ここは、指揮官と護衛武官の寝所。


 ベッドに天幕なんて気の利いたものはなく、そこは国境の砦ってことで。ヴォルフはフローラに呼ばれ、扉をノックしていた。


「俺が寝所に入ってよろしいのですか?」

「気にしないで入りなさいヴォルフ、ねえグレイデル」

「でも私たち寝間着ですよ、フローラさま」

「遅かれ早かれ、いつかは見せるんでしょ」


 グレイデルが口をぱくぱくさせてるところへ、ヴォルフが扉を開け目のやり場に困っちゃった。ネグリジェだから肩と背中の露出が多いのだが、気にしないフローラは椅子に座ってとヴォルフを手招きする。


「二人に話したいことがあって、率直な意見を聞かせて欲しいの」

「どのようなお話しでしょう、フュルスティン」

「父上の出立とグリジア軍の侵攻、偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎると思わない?」


 顔を見合わせるグレイデルとヴォルフ、今まで口にはしなかったが、心の奥底で引っかかるものはあったのだ。冬を控えた時期に軍団を動かすのは変、何かがおかしいと感じていた。

 ローレン王国の軍団は、職業軍人だから冬でも兵を動かせる。農民兵が主体のグリジア軍を動かした国王は、本当にお馬鹿さんなのだろうか。はたまた勝利を確信する程の、確固たる材料が揃ったからなのか。


「帝国内で反乱を起こしているのは、クルガ国とレーバイン国。既にいくつかの小国が陥落しているわ」

「両国がグリジア国に通じていると? フローラさま」

「それともうひとつ、国内にグリジアのスパイが紛れ込んでいる可能性。両方ってことも考えられるわ、グレイデル」


 もしそうなら由々しき事態ですねと、ヴォルフは右手の親指と人差し指を顎に当てた。するとこちらもスパイを送り込もうと、フローラが人差し指を立てた。そんな都合のよい駒がいるのですかと、首を傾げるグレイデルとヴォルフ。


「戦争に於いてはルールを守らない蛮族だけど、聖地巡礼を行なう聖職者に限り入国を許可するわ。スパイを送り込むとすれば、敵も同じ方法を使ったはずよ」


 教会は国王の手が及ばない自治権を有し、主はあくまでも神と精霊である。精霊使いであるシュタインブルク家の女子には、とても協力的だから引き受けてくれるだろう。グリジア王国に向かう聖職者は、危険なことに足を突っ込む必要は無い。敵軍の残存数と動向、首都の物価に市民の暮らしぶり、その辺を見聞きする程度で良い。


「なるほどその手がありましたか、フローラさま。ならば大聖堂のヨハネス司教に、配下を出してもらえるよう依頼しなくては」

「ついでに他国から入り込んでいる聖職者を、聖堂騎士団に洗い出してもらおうと思うの。大っぴらに出来ない極秘事項だから、二人にだけ話したのよ。この方向でどうかしら」


 異存はございません、それで行きましょうと頷くグレイデルとヴォルフ。明朝フローラの伝書鳩は大聖堂へ、グレイデルの伝書鳩はアウグスタ城へ、それぞれ飛び立つことになる。


 そしてフローラは二人に言うのだ、夜のお散歩に行ってきたらと。その両目が弓のように弧を描いており、唇の両端が上がっている。頬をちょっと朱に染めたグレイデルだが、お言葉に甘えてとケープコートを羽織るのであった。

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