第12話 シモンズとレイラ
ブラム城は城壁が二重になっており、外側の城壁に一か所だけ跳ね橋がある。内側の城壁は倍の高さで、城門はやはり一か所だ。城門と言っても鉄格子のような柵を上下に動かすことで、開閉する頑丈な作りとなっている。
結果この城へ攻め込むためにはお堀をクリアし、第一と第二の城壁を登らなければならない。城壁それぞれの角は塔になっており、登ろうとする敵を横から弓矢で狙い撃つ。人海戦術で何とかなるほど、ブラム城攻めは甘くないのだ。
投石器は第二城壁の上に設置され、城壁内部が兵士の住居となっている。更にその内側は広大な中庭で、野営テントと行事用テントがいくつも設置されていた。糧食の提供と負傷兵の収容を行う、兵站部隊の縄張りとも言う。その一角に燻製小屋があって、スモークしている良い香りが漂っている。
「すごい数の腸詰ね、キリア」
「城と地下通路の貯蔵庫は満杯ですよ、フュルスティン、これをどうぞ」
「この紙包みはなあに?」
「唐辛子入りのスモークチーズです、グレイデルさまも召し上がれ」
どれどれと包みを開き、試食するフローラとグレイデル。唐辛子入りと聞いて、さっそく精霊さんたちが包みに集まって来ましたよっと。
「うん! 辛いけど美味しいけど辛いけど美味しい」
「フローラさまったら、言葉が乱れておりますよ」
でも美味しいよねそうですねと、二人はにっこにこ。チョリソーもありますからねと、目を細めてむふんと笑う兵站隊長さん。
キリアとキャッスル・メイドはレシピの交換を行い、双方レパートリーがだいぶ増えたようだ。保存食では腸詰の種類が二十種類以上、特に豚の血を使ったブラッドソーセージは中々のお味と評判。
「それと、お二人ともこれをお召しになって下さい」
キリアが羽織らせてくれたのは、狩った鹿の皮で縫われたコートだった。ディアスキンと呼ばれ、軽くてしなやかなのが特徴。兵站のお針子チームが総出でディアスキンを使い、兵士の防寒着とグローブを縫っている真っ最中だ。
「うん暖かい、助かるわキリア」
「朝は吐く息が白くなって来ましたからね、足腰を冷やしませんように」
フローラ軍が考えていた以上に、グリジア軍の侵攻は遅れていた。国境の街道に設置した見張り櫓から、敵軍が見えたとの一報はまだ届いていない。おかげでこちらは保存食料の備蓄と防寒対策が進み、もっけの幸いであったが。
――こちらはグリジアの首都、カヌマンへと続く街道。
羽ばたく鳩の紋章入り馬車が、グリジア王国入りしていた。教会の馬車であり、乗っているのはシモンズ司祭と
「見て下さいシモンズさま、この時期になってもまだ収穫が終わらないなんて」
「雪が積もったらどうにもならないな、レイラ。君はどう思うかね」
シモンズが君はと尋ねたのは、石橋で捕虜になったグリジア軍の従軍司祭、名はハレルと言う。ちなみにシモンズとレイラは従軍司祭の資格を持っており、平たく言えば生臭坊主に生臭尼僧である。敵地へ入り込むにはばっちりな聖職者で、ヨハネス司教からのご指名であった。
「冬を越せない農民が……大勢出るだろうな」
深いため息をつくハレルに飲むかねと、ぶどう酒入りの革袋を差し出すシモンズ。
教会の人事異動は法王庁が持つ
「本当に聖地巡礼なのか? シモンズ」
「これは神と精霊の思し召し、詮索はするなハレル」
「ブラム城で頂いた、鹿の燻製肉はいかが」
フローラが食料と路銀はもちろん物資をたっぷり渡したので、馬車の屋根は荷物でいっぱい。では遠慮なくと、レイラから燻製肉を受け取ったハレル。首都カヌマンの敵情視察だろうなと、薄々感づいてはいる。
大陸に於いて神と精霊は魂の拠りどころとされ、ないがしろにすればろくな死に方をしないと信じられている。
国王の世代交代に於いて法王庁は、次期王となる者の信仰心を見る。法王さまがうんと言わなければ、王として認められないのだ。政治には関与しないが国主を決めるのは聖職者、国王といえど教会から破門になればその地位を失う。
「それにしてもフュルスティンは、真の聖女だったな」
「魔法を見たのか? ハレル」
「ああ、間違いなく精霊に愛されているよ、シモンズ。成人されたら法王さまは、文句なしに女王冠を授けるだろう」
それにしてもブラム城の食事は美味かったとハレルが懐かしみ、本当に? と目を丸くするシモンズとレイラ。食べるご飯はみんな同じ、捕虜に残飯など与えたりはしない辺境伯令嬢さまである。
首都カヌマンに入った馬車は直ぐ教会へと向かい、司教モラレスと面会するシモンズとレイラ。グリジアの王侯貴族であろうと、司教の許可が無ければ教会の敷地内へ立ち入ることはできない。ここが二人の活動拠点となるわけで、モラレス司教の協力は欠かせないのだ。
「この革袋は? シモンズ君」
「ブラム城で得たグリジア金貨だそうです、モラレスさま。冬を越せない農村があれば役立てて欲しいと、フュルスティンよりお預かりしました」
「おお、なんと慈悲深いお方であろう、一度お目にかかりたいものだ。しばらくはカヌマンに滞在するのであろう? ささ、寄宿舎を案内しよう」
ゲルハルトはグリジア金貨を鋳つぶして金を取り出し、ローレン金貨に作り直すと予測していた。だがそこは辺境伯令嬢さま、教会にお布施する事を思いついたのだ。グリジア教会は喜ぶだろうし、派遣した二人を厚遇してくれるだろうと。
「ところでグリジア教会でも、聖地巡礼に出ている聖職者はいらっしゃるのでしょうか」
「希望者は多いのだが、今はそんな状況ではなくてね、レイラ君」
寄宿舎を案内されながら探りを入れたレイラだが、どういう事だろうと、シモンズと視線を交わし合う。そんな二人にモラレスは、市場へ行けば分かるよと渋面になるのだった。
「シモンズさま……これは」
「物価がローレン王国の倍以上とはな、レイラ。確かにこれでは、聖地巡礼どころの話しではない」
市民の声に耳を傾ければ、当面は白パンを黒パンに、いや黒パンならまだマシと、そんな会話が聞こえてくる。市民の収入が物価に見合っていないことは、疑いようのない事実であろう。
「酒場に行ってみようか」
「そう致しましょう」
情報収集なら酒場に限ると、二人は酒杯の看板がある店の扉を開けた。胸にオレンジ色の旗を象ったペンダントを下げているから、生臭坊主……もとい従軍司祭とすぐに分かる。二人が酒場に入っても、特に怪しまれる事はない。
「マスター、景気はどうだい」
「他国の僧侶さんかい? いい訳ねぇだろ、見ての通りさ」
首都となれば夜間に働く者も多いから、日中でも酒場は賑わうはずなんだが。店内を見渡せば客はまばらで、国の経済が重傷であることを物語っている。
カウンターに座った二人は、出されたぶどう酒に口を付け無言で顔をしかめた。水で薄めてあるのが丸わかり、店を出たら革袋のぶどう酒で口直ししようと、目線を交わし頷き合う。
「どうしてこんな状態になってるんだい? マスター」
カウンターテーブルに、ローレン銀貨をことりと置くシモンズ。ローレン王国の貨幣は帝国のみならず、大陸では信用のあるお金だ。同じ銀貨でも価値は異なり、物価がこんな状況では誰だって、喉から手が出るほど欲しいだろう。
酒場のマスターは取引先が多く、裏社会にも通じていたりする。彼はそそくさと銀貨をポケットに仕舞い、店内を注意深く見渡すと顔を近付けてきた。
「市場の顔役から聞いたんだが、エドワン王は長いこと病に伏せっていてな、世継ぎのカシム王子はまだ八歳だ。今は政務を宰相のガバナスが代行してて、あいつが段階的に税率を引き上げこのざまなんだとさ」
あんなやつ死ねばいいのにと
王が病気という話しは、モラレスからもハレルからも聞いていない。王族を取り巻く不穏な状況、今の話しは信憑性が高そうだ。
「悪くはないのですがこの、おつまみで出てきた唐揚げ。一体なんの肉でしょうね、シモンズさま」
「俺が思うにだな、レイラ」
「はい」
「カエルの足ではないかな」
「ぶっ!」
げほげほとむせ込むレイラに、大丈夫かと背中をぽんぽん叩いてあげるシモンズ。
市場を回ればこの値段で、普通の肉を使った唐揚げが出るわけない。見渡せば女給が運ぶ皿に乗るのは、どう見てもヘビだ。ブラム城で食料を分けてもらえたのは、ラッキーだったと心の底から思うお二人さんである。
翌日、二人が足を運んだのは農産加工
「長期保存が利くハードタイプチーズの製法ですか、なぜこの資料を私に見せるのですか?」
「東方で生み出された技術です、ギルド長。お話を聞かせてもらえるなら、差し上げますよ」
そう言ってゴーダチーズの現物をテーブルに乗せるレイラ。
情報を引き出すために使ってと、フローラから色々とアイテムをもらっている。お料理のレシピは、放っておいてもいつかは世に広まるもの。価値があるうちにどんどん利用する、これもまた君主の手腕であろう。
「これはまた、深みがあって美味いチーズですな、レイラさん」
「でしょう、ところでいま保存食の在庫は、どのくらいあるのでしょうか」
「お売りしたくても軍団に全部持って行かれたので、倉庫は空ですよ」
旅の聖職者は保存食を買い求めに来たんだろうと、勝手に思い込んだシグルズ組合長。今まとまってお売り出来る保存食は、ございませんと眉を八の字にする。
「空とはまた、どれ程の人員規模だったので?」
「多分、三千は下らないでしょう。その前は二千規模でしたよ、シモンズさん。グリジアの兵士をかき集めて、いったい何を始めるのやら」
二千は石橋で戦った敵軍の数と符合する、フローラが荷馬車ごと炭にしちゃったけれど。ならば籠城戦で三千の兵を潰せば、僅かな国防軍しか残らないことになる。これはグリジア王国、軍事面で詰んだなと、口角を上げるシモンズとレイラ。
「忙しい中、お手数をおかけしました」
「この資料とチーズは? シモンズさん」
「お話を聞かせて頂いたので、差し上げますよ組合長」
「なんと! お二人の旅が平穏無事でありますように、神と精霊のご加護があらんことを」
胸の前で十字を切り、手を組むシグルズ組合長。なるほど信仰心は厚いようで、ハレルが紹介するのも頷けると言うもの。
食品加工ギルドを出た二人は、そのまま馬宿へ向かう。早馬に用いる馬を用意してあるところで、行商人が荷馬車の馬を預けて泊まれる宿屋でもある。集めた情報を暗号にし、ブラム城へ早馬を出すためだ。
――場所を移して、こちらはブラム城の執務室。
アウグスタ城からの手紙を読んで、フローラは執務机に突っ伏していた。
籠城戦と聞き、メイド長のアンナが押しかけて来るらしい。メイド長とは言うものの、本人はメイドじゃない。アマニス家当主の夫人で、アウグスタ城にいる女性使用人の統括者だ。
「ですからお稽古事からは逃げられないと、フローラさま」
「それ言わないで、グレイデル。あーあ、間もなく雪が降るってのに、あの年齢にしてあの馬力には負けるわ」
執事長であるケイオスすら一目置く、城の女傑にして影の支配者。もっともフローラの成人を誰よりも待ち望んでおり、礼儀作法には厳しく、筋の通らないことでは火山がごとく噴火する人物だ。
「それよりもフローラさま、ローレン聖堂騎士団からの報告なんですが」
「聖地巡礼で入国してる聖職者が、三名って話しね。反乱を起こした二国とグリジア王国で、数が合うのは偶然かしら」
「三人は常に、行動を共にしているとのこと。ローレン教会がアウェイだからと、余所の聖職者がそんな仲良くするものでしょうか。しかも聖地巡礼なのに、滞在期間が長すぎます」
聖地巡礼とは元来、将来転属するかもしれない各国の教会を見学に行くもの。教会そのものが神話伝承と
「本物の聖職者か怪しいわね、グレイデル」
「ヨハネス司教が法王庁に照会なさっておりますから、いずれはっきりするかと」
そこへ扉からかりかりという音が聞こえ、来たなと顔を見合わせるフローラとグレイデル。キャッスル・メイドが真っ先に、暖炉の火を起こすのは執務室だ。猫という生き物は暖かい場所を探すのが得意ねと、笑い合い扉を開けてあげる二人。
「聖職者の名を騙るのは重罪、絞首刑ではなく火刑だわ」
暖炉の前に集まる子猫たちを眺めながら、フローラはぽつりとつぶやいた。
そうですわねとグレイデルが、子猫にあげるジャーキーを取り出す。神と精霊をないがしろにする者は、ろくな死に方をしませんと言いながら。
暖炉にくべられた薪がパチッと爆ぜ、赤々と光る炎が立ち登った。それはあたかも火刑に処される、罪人を映し出すかのようであった。
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