第6話 ブラム城を奪還
兵站が担う仕事には、物資の補給も含まれる。キリア隊の周囲に切り株が増えていくのは、切った木材で燃料はもちろん、矢を制作しているからだ。使われる矢の素材はトネリコ・ブナ・ポプラといった、重量のある広葉樹が用いられる。
「矢をくれ!」
「こっちにも!」
兵站部隊の補給要員が空になった矢筒を、矢で満たしたものと交換していく。橋上では重装兵VS重装兵の、派手な殴り合いが繰り広げられていた。剣で切り結ぶのではなく、殴打武器だから殴り合いなのだ。
「敵から飛んでくる矢がまばらになってきたな、デュナミス」
「フュルスティンが兵站の荷馬車を焼いたからな、予備の矢を焼失して補給できないんだろう。ローレンの聖女は我々の守り神だよ、アーロン」
この二人が弓隊の百人隊長で、新兵に心得を教えていたのがデュナミスだ。もういいだろうと、二人は頷き合う。
「重装兵の諸君! 我々の盾役はもういい、橋上の仲間と交代してこい」
「分かりましたデュナミス殿、では遠慮無く!」
重装兵は橋へ行く者と、弓隊をカバーする者で、交代を繰り返していた。歴戦の重装兵とは言っても、そろそろ体力の限界だろう。二人にしてみれば古参兵たちに、戻ってひと息ついて欲しいのだ。特に交代しようとしない、アレス隊長とコーギン隊長には。
「日がだいぶ傾いた、敵さん軍使を出してくるかな、デュナミス」
「出すんじゃないか? アーロン。矢が補充できないんじゃ、どうしようもないだろうからな」
ここで出してくる軍使とは夜間の戦闘を、止めましょうという停戦交渉の使いだ。その本旨は戦死者と負傷者を、それぞれ後方へ下げる事にある。これが普通なんだけれど、グリジア側がちゃんと守るとは、端から思っていないデュナミスとアーロンである。
案の定というか敵陣がオレンジ色の旗を掲揚し、
「必死こいて木を切り倒し、矢を作るんだろうな、アーロン」
「急ごしらえの矢じゃ真っ直ぐ飛ばないだろ、デュナミス」
「そうだな、俺らが使った矢も回収して、夜襲か明日に回すだろう。おっと敵さん、軍使のお出ましだ」
「デュナミス、あなたに軍使をお願いしていいかしら」
いつの間にか後ろに騎乗のフローラがおり、彼は承りましたと橋に向かう。明朝までの停戦は信じちゃいないが成立し、双方とも戦死者を運び負傷者は後方へ下げられたのだった。
――その夜。
指揮官テントで夕食を摂りながらの、軍議が行われていた。ぶどう酒は三杯まで、献立は蒸して柔らかくした黒パンにチェダーチーズと、煮込んだ牛肉。
「この牛肉は? キリア殿」
「塩漬け肉を根野菜と一緒に煮込むんです、アーロン殿。スープが赤いのは
どれどれとスープをスプーンでひと口、うんうんと百人隊長たちの目が細くなる。今までの戦場でこんな美味い飯を食った事はないと、誰もが口を揃え給仕に当たるキリアを賞賛する。
「フュルスティン、大丈夫ですか」
「眠いだけよ、キリア。私は明朝まで目を覚まさないと思う、夜は頼みましたよ、みんな」
上半身がゆらゆらしている聖女さまに、お任せ下さいと頷く百人隊長たち。交代で睡眠を取り兵の三分の一は、起きている状態にすることで話しは決まった。
そこから先は重装百人隊長である、アレスとコーギンに対する苦言が始まってしまう。高齢なんだから初日から飛ばすなと、皆から集中砲火を浴びてしまったのだ。初戦は体力も気力も充実しているから、死者は片手で数えるほどだった。だが明日以降も同じ事をすれば、間違いなく棺桶行きだぞと。
「アレス、コーギン、アルメン地方を取り返すまでが仕事よ、後の事も考えてね」
フローラの言葉に、顔を見合わせる百人隊長たち。そんな彼らにぶどう酒を注ぎながら、キリアが奪還したブラム城に籠城ですねと表情を引き締めた。
グリジア王国は必ず取り返しに兵を起こす、その軍勢を叩き潰して初めて勝利なのよと、フローラは黒パンをちぎって煮込みのスープに浸した。
「出来れば更にその後……」
「その後、どうされるのですか? フュルスティン」
キリアの問いに、フローラはパンを頬張り咀嚼して飲み込む。そして驚かないでねと、みんなを見渡した。
「ローレン王国はかつてグリジア王国に、攻め込んだ事はただの一度もありません。戦争は兵士を消耗品として扱い、国だけでなく領民をも疲弊させてしまうから。でも今度ばかりは許しません、ぎゃふんと言わせなきゃ」
「まさか、国境を越えるおつもりで?」
「そうよアレス、攻め込まれるのがどういう事か、思い知ってもらわないと。対岸にいる軍団を潰し、増援される軍団も蹴散らしたら、グリジア王国の兵力はどれだけ残るのかしら」
出来れば首都カヌマンまで侵攻したいわねと、眠い目をこする次期当主。だから橋で死んでる場合じゃないわよと、彼女はチェダーチーズをつまんだ。
誰もそこまでは考えていなかったので、壮大なスケールの話しにちょっと付いていけてない。だがローレンの聖女がそう言った以上は、きっと実行するのだろう。ブラム城での籠城戦に勝つまでは、おちおち死んでられないと、ぶどう酒を口に含む百人隊長の面々であった。
――その頃こちらは、ブラム城へ続く地下通路。
城内へ侵入するのは夜明けとし、地下で野営と決めたゲルハルト。ヴォルフが城の隠し通路で松明を使えば、発見されてしまうからと上申したからだ。
「もう少し先に進みます、隊長」
「何かあるのか? ヴォルフ」
案内されるままトンネルを進むと広い空間があって、椅子やテーブルがあるではないか。ヴォルフが岩壁に並ぶランプに、松明の火を移していった。奪還部隊の兵士たちが嘘だろおいと、背負ってきた荷物を床に降ろす。
「ここで生活できそうだな、ヴォルフ」
「補給物資を運ぶ兵站部隊の休憩所ですよ、隊長。良いものをお目にかけましょう、グレイデルさまもこちらへ」
「ほう、何だ」
「何かしら」
ヴォルフはテーブルをひとつ動かすと、木張りの床にあった穴に手をかけ持ち上げた。どうやら下は貯蔵庫らしく松明をかざすと、階段の下には樽がいくつも並んでいた。
「二十年もののぶどう酒、熟成され美味しくなってるはずです」
「ヴォルフよ」
「はい隊長」
「でかした、兵士たちに振る舞おう、明日への活力になる」
「そう言うと思ってました」
笑みを浮かべたヴォルフは階段を降りていき、樽を持ち上げ床に並べていく。グレイデルがあらステキと瞳を輝かせ、兵士たちも酒が飲めるのかと集まってきた。食べ慣れた黒パンに干し肉と鹿の燻製肉でも、ぶどう酒があれば良いおつまみになると大喜び。
「自分は当時まだ未成年でしたが、軍属として兵站部隊の手伝いをしておりました」
「成る程、それで入り組んでる地下通路が分かるのか」
「でもどうして? ヴォルフ」
「父の勧めだったんですよ、グレイデルさま。兵站にいると、軍団の全体が分かるんです。一日に水と食料はどれだけ必要か、籠城戦になったら矢は何本用意しなければならないか」
いたずら小僧だった自分に呆れた父がそう仕向けたのだと、ヴォルフははにかんでぶどう酒を口に含んだ。剣術と槍術に馬術の基礎は、兵站時代に教えてもらったと。
地下にいるからどんなに騒いでも構わず、各テーブルで兵士たちがそれぞれの話しに花を咲かせていた。
翌朝、ゲルハルト隊は無事にブラム城の隠し通路へ侵入していた。外側にも内側にも明かり取りの小穴があるので、夜間に松明を持って移動すれば発見されてしまっただろう。侵入を夜明けにしたのは、そのためであり正解だった訳だ。途中で分かれた軽装兵と弓兵の動向を、ゲルハルト達は固唾を呑んで小穴から見守る。
軽装兵は跳ね橋を守る兵士に背後から忍びより、口を押さえて喉笛を掻き切った。声を出されては困るからで、さすがアサシン並みの手練れである。
弓兵は塔のらせん階段を駆け上がり、城壁の上を巡回する兵士に弓を構えていた。こちらも声を出されては元も子もないため、一発必中で頭や心臓を狙う熟練の弓兵たち。一人また一人と、無音で兵が倒れていく。
「よし、広間へ出るぞ。こんな朝早くでは交代の見張り役以外、甲冑を身につけてはいまい。グレイデル殿、ヴォルフ、ここは任せてアガレスの所へ行くんだ」
「感謝します、隊長」
「後で合流しましょう、ゲルハルト卿」
石造りの隠し扉は取っ手を掴み、手前へ引っ張ってから横にスライドする方式。その扉を開き、ゲルハルト隊が広間に躍り出る。敵兵はおらず下働きらしき女が三人、硬直し手にしていた籠が落ちてパンが周囲に転がった。
「声を出すな、従うなら殺しはしない」
ゲルハルトに剣先を向けられ、首を縦にぶんぶん振る下女たち。
まだベッドで寝ている者が多いのだろう、ならば寝込みを襲うまで。不意打ちは卑怯だから一応叩き起こすが、切り捨てる事に変わりはない。ホールドアップして捕虜になる意思を示すなら、まあ助けてやらなくもないが。ゲルハルトのアイコンタクトを受け、騎馬隊の兵士は各階に分かれ扉という扉を蹴破っていった。
その頃グレイデルとヴォルフは、アガレスの執務室に辿り着いていた。明かり取りの小穴から、中の様子をうかがう二人。
「机でいったい、何をしているのかしら」
「こっちの穴からは見えますよ、金貨を数えてますね、グレイデルさま」
朝っぱらから金勘定ですかと、眉間にしわを寄せて二人は剣を抜く。どうするかは決めており、まずは先にヴォルフが中へ入った。
「な、隠し扉だと! きさま何者だ」
「ローレン王国軍、騎馬隊所属のヴォルフだ」
おのれと壁に飾ってあった剣を掴み、斜め上段から振り下ろすアガレス。それを弾き、返す刀で中段から横に振り払うヴォルフ。すんでで飛び退き構え直すアガレスだが、シャツの腹部分が紙一重ですっぱり切られている。双方の剣が起こした風圧で、机上に置かれた書類が何枚か舞い上がっていた。
「ほう、中々やるではないか、ヴォルフとやら」
「そいつはどうも、六十過ぎのジジイに剣を向けるのは、いささか心が痛むがな」
「ぬかせ!」
そうは言っても城主を任された男、打ち込んでくる剣には鋭さがあり侮れない。室内に剣と剣のぶつかり合う、金属音が響き渡る。椅子は倒れ机は邪魔だとヴォルフが壁際に蹴り飛ばし、床には書類と金貨が散乱した。
「拝金主義なのか?」
「金はあって困るもんじゃないぞ、ヴォルフ。見逃してくれたら全部お前にやろう、取り引きしないか」
「断る、これは二十年前の仇討ち、欲しいのはお前の首だ」
顔を引きつらせたアガレスが、倒れた椅子を拾いヴォルフに投げつけた。それを剣でぶっ壊すも同時に奴の剣が襲いかかり、かろうじて躱したヴォルフ。切られた髪の先っちょが、はらはらと舞う。そこへ蹴りをもらってしまい、彼は床に倒れ込む。アガレスの剣が、喉元に突き付けられた。
「腕はいいが、まだまだ若いな。辞世の句があるなら聞いてやってもいいぞ」
「
ヴォルフが派手に立ち回ったのは、グレイデルの存在を隠すため。敵が動きを止める、その瞬間を生み出すため。風の魔法がアガレスの手首を切断し、剣ごと床に転がしていた。
「うぎゃあああ! ロ、ローレンの魔女なのか」
「我が父アーノルドの仇、いまこそお前に引導を渡してあげる」
立ち上がったヴォルフがアガレスの首を、一刀のもとに切り落としていた。遠く階下から、味方の歓声が聞こえて来る。奪還に成功した証で、グレイデルの瞳から涙がこぼれ落ちていた。
「捕虜は従軍司祭だけだったのですか? 隊長」
「どうも敵さんは、捕虜になれば処刑されると思い込んでいるらしい。嫌な軍人教育だな、ヴォルフ」
ゲルハルトはアガレスの首が入った箱を従軍司祭に押しつけ、グリジア国王に見せろと城から出していた。当座の水と食料を持たせたのは、非戦闘員の聖職者であるから武人としての情けだ。
「君たちはもう家に帰れ、この城に留まる必要は無くなった」
「ローレンの武官さま、私たちに帰る家はございません」
どういう事だと問うゲルハルトに、三人の下女は自分たち奴隷なんですと答えた。その言葉に眉尻を上げる、ゲルハルトとヴォルフ。ローレン王国に奴隷制度は存在せず、人身売買は固く禁じられているからだ。
「朝食の準備をしてて、出来上がっているのです。召し上がりませんか?」
胸の前で手を組む三人の下女は、このまま城に置いて欲しいのだろう。毒は盛られていないわよと、フローラへの伝書鳩を飛ばしたグレイデルが窓際から口を開いた。
「置き土産の金貨もあることだし、奴隷ではなく正式な使用人として雇いましょう、ゲルハルト卿」
「俺もグレイデルさまに賛成です、隊長。炊事洗濯を担う者は、城に必要ですから」
確かにそうだなと、ゲルハルトは頷いて下女たちに向き直った。ひと月に銀貨一枚の俸給と、それぞれに個室を与えメイド服を支給すると。
ローレン王国の銀貨一枚は下働きの使用人に与える標準で、別に破格ってわけじゃない。それでも無給で寝床がワラ小屋だった奴隷にとっては、夢のような話しだったみたいだ。
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