第7話 異界の精霊
「グリジア王国の金貨、ずいぶんと質が悪いわね、ゲルハルト卿」
「等価交換どころか、一対二でも両替は無理ですよ、隊長」
執務室で天秤はかりを前に、やれやれといった面持ちの三人。通貨として常用する場合に純金は柔らかすぎるため、どの国も銀や銅を混ぜた合金にしている。同じ金貨でも
金は貴金属の中でも比重が高い素材で、同じ大きさなら銀に比べ倍ほどの重量がある。ひとかどの商人ならば手に持った重さと、感触で純度が分かるらしい。
ローレン王国は十八金と定め、金の含有率は七割五分。帝国内の商会や商人たちからは、一番信用できる金貨と評されている。表面はシュタインブルク家の本城であるアウグスタ城、裏面は紋章である双頭のドラゴンを象った金貨だ。
「失礼いたします、隊長。城門前に地域住民が集まっております、いかがいたしましょうか」
開け放した扉から兵士が顔を出して告げ、ゲルハルトは会おうと頷き席を立つ。グレイデルもヴォルフも、領民の声を聞きたいので腰を上げた。
兵士の多くは地下通路の入り口に置いてきた、馬を回収しに出ている。戻り次第装備を調え、石橋の敵軍をフローラ率いる本隊とで挟み撃ちだ。
城に残るのは選抜された、軽装兵と弓兵の十名だけになる。だが跳ね橋さえ降ろさなければ五百や千の軍勢など、相手にしなきゃ良いのでどうってことはない。
「ユナイ村の村長、ゼベルと申します。ブラム城の旗がシュタインブルク家の旗に代わり、もしやと思い馳せ参じました」
「案ずるなゼベルよ、アルメン地方はローレン王国領に戻る。諸君らには二十年の長きに渡り、苦労をかけてすまなかった」
ゲルハルトの言葉に、村人たちは救われたようだ。
聞けば重税を課されていたらしく、誰も彼もが粗末な身なり。アガレスが蓄えていた金貨は領民を搾取し、私腹を肥やした結果なのだろう。交易で使うには質の悪い、粗悪な金貨ではあるが。
「俺たちだって戦える!」
「そうだ、戦争が始まるなら戦う!」
「雑兵でいい、俺たちに戦う機会を与えてくれ!」
気勢を上げる若い村人たちに、アルメンで生まれ育ったヴォルフは目頭が熱くなっていた。そんな彼の傍らでグレイデルが、鞄から一通の書簡を出して広げた。
文字が読めない者でも、書簡に押された紋章印は双頭のドラゴン。シュタインブルク家からのお達しであることは明白で、村人たちはごくりと生唾を飲み込んだ。
「アルメン地方は向こう三年間、税を免除とします。早急に住民台帳を作成し、ブラム城に提出すること。戦う意思がある者は、同じく城で軍人登録を受け付けます。アルメンの民に、全ての精霊のご加護があらんことを。フローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク」
フローラとグレイデルが精霊を交え、話し合った上でのアルメン地方に示す告知である。読み上げたグレイデルに、村人たちから歓喜の声が沸き起こった。たとえ虐げられていても、我々はローレン王国の民だという、誇りがそうさせたのだ。
――時間は少し遡って、フローラは夢の中にいた。
「もう少し大きくなってからでも」
「可愛い子には旅をさせろと言うではありませんか」
お前がそれを言うのかと、顔に手を当てるミハエル侯。執事長のケイオスと、メイド長のアンナが、あちゃあという顔をしている。
可愛い子には旅をさせろ、これは昔からある成句だ。厳しい経験を積むほど成長することから、敢えて辛い思いをさせよという意味。それを娘であるフローラから言われてしまえば、父親として返す言葉も無い。
「期限はまだある、無理だと思ったら引き返すんだぞ」
「はい父上!」
るんるん気分で城門をくぐるフローラに、見送る心配顔のミハエル候と家臣たち。城門の衛兵ですら、お
期限とは初潮を迎えるまでのことで、それまでに精霊と絆を結べなければ、二度と異界へは入れなくなるのだ。それが代々シュタインブルク家の女子に課された、試練であり宿命でもある。
険しい山ではないが割りと勾配のある森で、高いところからフローラは額に手をかざし眼下を見下ろした。視界に広がるのは首都ヘレンツィアで、フローラにとってお気に入りの風景。
シュタインブルク家が本城とするアウグスタ城は、チェンバレの森にあるエラル湖の畔にそびえ立つ。本来ならば城下町を築き経済を発展させる所だが、ご先祖さまにその気は全く無かったもよう。
理由は異界へ繋がる神聖な森ゆえ、木々の伐採を一切認めなかったから。そんな訳でローレン王国の首都は、森にほど近いアムル川沿いに形成された。初代女王の名前にあやかり、首都はヘレンツィアと命名され今に至る。運河が栄え水の都として、訪れる旅人や商人も多い。
「私はこの国が好き、生涯守りたい宝物」
樹齢千年以上と言われている
「絶対に登ってやるわよ」
洞窟に入ると目に飛び込んで来るのは、ぐるりと取り囲む崖。この場所自体が異界なのだが、精霊と会うには崖を登らなきゃいけない。フローラは鼻息を荒くして、一日分の水と食料が入ったリュックを背負い直す。
グレイデルから指導を受けアウグスタ城の城壁で、ロッククライミングの練習は充分に積んでいる。落ちて使用人たちが広げたカーペットに、キャッチしてもらった回数なんぞ覚えちゃいない。お稽古事は嫌いだが、この手の冒険は大好き。行くわよと袖をまくり、フリーラは最初の岩に足をかける。
フローラの母であるテレジアは生まれつき病弱で、残念ながら初潮が来るまで崖をクリア出来なかった。だから二十年前アルメンの戦場に、ローレンの聖女はいなかったのだ。母さまはさぞ悔しかっただろうと、フローラは崖に取り付く。
「体が弱いのに、命がけで私を産んでくれた。母さまの無念は必ず晴らすわ」
そんな思いでフローラは、突き出た岩を掴み崖をよじ登っていく。
ほとんどの国は男系氏族だが、シュタインブルク家は女系氏族である。帝国内では珍しく、身分に関わらず自由恋愛が可能なお国柄。よって国主は女王であり、ミハエル候は婿養子だったりする。隣国であるヘルマン国から来た王の次男坊だが、舞踏会でフローラの母テレジアに一目惚れしたんだそうな。
「やったあ! とうちゃーく!!」
足場が何度か崩れ危ない場面もあったが、フローラは崖を攻略していた。目指すは北にあるとされる
眼前には何の変哲も無い森が広がっているけれど、ぐずぐずしてはいられない。異界の森は魔素が濃く、人間が長く滞在出来る場所ではないからだ。
長居すれば体は変化を
「人間がここへ来るのは何十年ぶりかしら」
「あ、翅の生えた
「シルフィードって呼んで、あなたの名前を聞かせて聞かせて」
「フローラよ、シルフィード。黒胡椒食べる?」
精霊と言えば聞こえはいいが、実際には恐ろしい存在だ。迷い込んだ人間を異界の住人にしようと、あの手この手で北へ行かせないよう邪魔をする。
異界を統治しているのは精霊女王ティターニアで、夫のオベロンは元人間だったと古文書にある。現世に未練がないのであれば構わないが、フローラには母の無念を晴らすという確固たる目的があった。
「んふう、おいちい」
「黒胡椒の粒、辛くないの?」
「精霊にとって辛さは美味しさなのよ、フローラ。私が欲しいと言ったら、黒胡椒をくれるかな」
「いいわよ、私とお友達になってくれるなら」
「やったあ、なら私はフローラに付いていくわ。私と貴方はお友達」
水と食料の他に、黒胡椒の入った革袋を持参する。古文書に付箋が貼り付けられるほど、重要なことだったんだとフローラは思い知る。後は北へ向かい、菩提樹に触れればミッションクリア。
ところがフローラは、幸運を次々引き当ててしまう。風の精霊シルフィードのみならず、火の精霊サラマンダー、水の精霊ウンディーネ、地の精霊ノームと、立て続けに出会ったのだ。遊び心を忘れない清らかな魂の持ち主に、精霊たちが好意を抱き寄って来たとも言う。
無事にアウグスタ城へ戻ったフローラに、精霊が見えるグレイデルは四精霊を揃えてると、石像みたいに固まっていた。夢の中でそんな事を思い出しながら、フローラは目が覚めた。
“神と精霊の
従軍司祭オイゲンの、祈りの言葉が聞こえて来る。予想通り夜襲をかけられ、犠牲者が出たのだろう。立ち会わなければと、フローラは飛び起きた。ローレン王国の為にその身命を捧げた、尊い英霊に祈らなければと。
「犠牲者は三名です、フュルスティン」
オイゲン司祭に礼を述べ、棺に納められた戦死者に、胸の前で十字を切り手を組むフローラ。アルメンから馬が戻り次第、それぞれ故郷に運ばれ埋葬されることになるだろう。
“戦争は兵士を消耗品として扱う”
そんなの分かってる、でも降りかかる火の粉は払わねばならない。しかも恒久的な和平を構築するなら、グリジア国王を交渉のテーブルにつかせなきゃいけない。いま戦っている兵士たちは、それを実現するための愛すべき
「大丈夫ですか、フュルスティン」
「お気遣いありがとう、オイゲン司祭。負傷者は?」
「矢傷を負った者が十二名、ゲオルク先生が治療に当たっています」
既に橋上での戦闘は始まっており、投石器による地響きが伝わってくる。フローラはズッカーに騎乗し、橋のたもとへと向けた。
「フュルスティン、これを」
「これが今朝の糧食なのね、キリア」
「ホットドックと言います、美味しいですよ」
思いっきり笑顔のキリアに、紙包みを受け取りながら目を眇める辺境伯令嬢さま。
これは何かを仕込んだに違いなく、頬張ってみれば粒入りマスタードとケチャップに隠れ、微かにセロリの味がするじゃないか。
だが美味しいからもくもく完食するフローラと、してやったりの兵站隊長さん。そこへグレイデルの伝書鳩が舞い降り、手紙を広げたフローラがにやりと笑った。
「キリア、全兵士に伝令を」
「吉報ですね、フュルスティン」
「ゲルハルト隊が、ブラム城の奪還に成功したわ」
その一報は、兵士たちを思いっきり奮い立たせた。兵站の荷馬車を焼かれ、ろくな食事が摂れていないグリジア軍を、ぼっこぼこにしたのである。石橋は単なる通過儀礼、目指すはグリジアの首都カヌマンだと。
――場所を戻し、こちらはブラム城。
出撃するゲルハルト隊を見送った後、下女三人はそれぞれローレン銀貨に見入っていた。名前はケイトとミューレにジュリア。
メイド服の支給は後日と言われたが、俸給は先払いでゲルハルトから受け取っていた。けれどその価値が分からず、三人とも首を捻っている。奴隷だったから、貨幣を手にした事がないのだ。
「このコイン一枚で、何が買えるのかしら、ジュリア」
「ヴォルフさまが、ひと月分の白パンが買えると仰っていたわ、ミューレ」
「うっそ、大金じゃないジュリア」
「二人とも、衣食住がタダのお城で俸給をもらえるのよ。ご期待に添えるよう、きっちりご奉仕しましょう」
年長らしくケイトが押し頂くように銀貨をポケットに仕舞い、ミューレとジュリアもそれに倣った。幸いなことにまだ未成年で幼児体型だから、グリジア兵の手慰みにはならなかった。お掃除と炊事洗濯に特化していたため、彼女らの作るご飯は割りと美味しい。
「私たち、自由恋愛が出来るのかしら、ケイト」
「グレイデルさまが、それがローレン王国だと仰っていたわ、ジュリア」
「ヴォルフさまってステキよね、見てるとキュンキュンしちゃう」
「王国の騎士さまよ、ミューレ。身分違いも甚だしいわ」
「そう言うケイトだってゲルハルトさまに、熱い視線を送ってるじゃない。ファザコンってやつ?」
うっさい黙れ、うんにゃ自由恋愛万歳と、わいきゃいの三人。
別に二号さんでも構わないと言い出す始末で、城のお留守番を仰せつかった弓兵と軽装兵が苦笑している。けれど淹れてもらったハーブティーをすすりながら、それでいいのだと顔を見合わせ頷き合う。奴隷制度が存在しないローレン王国へようこそ、思う存分に恋せよ乙女と。
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