第5話 ローレンの魔女
伝書鳩は帰巣本能を利用した通信手段で、届け先が鳩の住処でないと成立しない。だがシュタインブルク家の飼っている鳩は、精霊が住む異界の生き物だったりする。
人の顔と名前を覚え地理も把握し、人物指定で文を送る事が出来るお利口さん。装甲馬車にはフローラの鳩ポプリがおり、グレイデルも自分の鳩セレンを連れて来ていた。
「あらフュルスティン、その鳩は?」
「執事長ケイオスの郵便屋さんよ、キリア。この子にトウモロコシとパンくずをあげたいのだけど」
すぐに用意しますと微笑み、配下に指示を出すキリア隊長。
シュタインブルク家が伝書鳩を使うことは、軍団の古参兵たちもよく知っている。家族への手紙を届けてもらう事もあるため、みんな鳩を大事に扱ってくれるのだ。
馬で三日かかる距離を、わずか一日でひとっ飛び。文を届けるまでは、寄り道して餌を探すなんてことをしない。なのでお腹を空かせているだろうから、真っ先にご飯をあげるのがお約束。
「さて、返信には何と
木の切り株に盛られた、パンくずとトウモロコシをついばむ伝書鳩さん。その様子に頬を緩めつつ、隣の切り株に座るフローラ。鞄から紙束とペンを取り出し、さてどうしたもんかと思案する。
「フュルスティン、これを試食してもらえませんか」
「それは何? キリア」
これから兵士に配る昼の糧食ですと、にっこり微笑む兵站隊長さん。
石橋に陣を構えた以上、軍団の位置を敵に知られても今更である。むしろ敵さんには、フローラ軍の本隊に意識を向けてもらいたいのだ。ゆえに彼女はわざと煮炊きを許可していた、もちろんこれから合戦なので飲酒は認めていないが。
「暖めたパンに切れ目を入れて、具材を挟んだのね、美味しい」
「うふふ、バゲットサンドと言います。具材にはレタスと腸詰めに目玉焼きを挟みました、茶色いソースは孫たちからも好評でして」
紙に包まれたそれをわしわし頬張り、むふんと目を細める辺境伯令嬢さま。だが微かに、ほんの僅かにピーマンの味がする。甘塩っぱいソースと腸詰めの旨み、濃厚な目玉焼きの黄身に隠れちゃいるが、確かに感じるのだ。
「ねえキリア」
「あらバレちゃいました? 炒めたみじん切りのピーマンも入ってますの。でも美味しいでしょ」
悔しいが反論できないフローラと、してやったりの兵站隊長さん。この甘塩っぱいソースがずるいとフローラが言い、それ最高の褒め言葉ですとキリアが返す。
そんな二人に何やってんだかと、くすくす笑いながら腹ぺこたちの昼食を量産していく、兵站部隊の糧食担当たち。重装兵なら五個は食べるだろうと、紙に包んで籠にどんどん重ねていく。
「よし決めた、返信にはニンジンとピーマンが食べられるようになりました、そう書いておこう。これならケイオスもアンナも、安心するでしょう」
鳩の足に文を結び付け、行ってらっしゃいのフローラ。ケイオスが読むのは敵の軍勢を、そろそろゲルハルト隊と挟み撃ちにしようって頃だろう。
そこへ従軍外傷医のゲオルクと、従軍司祭のオイゲンが、ハーブティーはいかがですかとやってきた。ちょうど欲しかった所なので頂くわと、フローラはオイゲンからカップを受け取った。
新兵たちは知らないが、古参兵はみんな知っている。精霊に愛されたシュタインブルク家の女子に、毒味役が不要であることを。毒が入っていれば精霊が教えてくれるからで、だからキリアは気軽に試食を持ってくるし、この二人もお茶を勧めるのだ。
「側仕えが一人もいなくて、ご不便ではありませんか? フローラさま」
「着替えから何から、精霊が手伝ってくれるから大丈夫よ、ゲオルク先生」
「エルヴィーラさまも同じ事を仰ってましたね、だから戦場に側仕えは不要と」
「お祖母さまはグリジア王国軍から、ローレンの魔女と呼ばれたそうね、オイゲン司祭」
フローラの祖母は異界で、火の精霊サラマンダーと仲良くなった。親密度を上げた結果
「エグゾーストって、堪忍袋の緒が切れましたって意味よね、オイゲン司祭」
「切れると恐ろしかったですよ、エルヴィーラさまは、なあゲオルク」
「筋の通らないことを殊更に嫌うお方だったからな、オイゲン。エルヴィーラさまが味方で良かったと、当時は心底思ったもんさ」
爆炎の聖女だったと、オイゲンもゲオルクも笑って顔をしわくちゃにした。
老齢の域へ入り第一線から退いたこの二人に、申し訳ないなと思いながらハーブティーをすするフローラ。引っ張り出したのはグレイデルだが、昔の戦場を知る人がいてくれるのは心強い。
遠くの方から地響きが伝わってくる。軽装兵が設置した投石器の、試射をしているからだ。急流の川だから手頃な岩がごろごろ転がっており、投石器の脇には集めた岩が山と積まれていることだろう。
昼過ぎに兵士たちがバゲットサンドを食べ終えた頃、サラマンダーの仕掛けた鳴子が発動した。ここで言う鳴子とは田畑を荒らす、鳥獣を追い払うための仕掛けとは異なる。街道へ常人には見えない魔方陣を設置し、何十人もの兵士が魔方陣に入れば炎と共に煙を噴き上げる術だ。
『オイデナスッタゾ、フローラ』
『敵兵を何人巻き込んだかな、サラマンダー』
『サアナ、ダガ最低発動条件ハ三十名ダ、ソコソコノ被害ハ出タダロウ』
石橋のたもとでズッカーに騎乗したフローラが、額に手をかざし向こう岸にたなびく煙を眺めた。これがシュタインブルク家の聖女さまだと、重装の老兵が後ろで新兵に解説をしている。
本当はもっと仕掛けたかったのだけれど、設置した数だけフローラは睡魔に襲われてしまうことになる。彼女は鞄から革袋を取り出すと、入っている黒胡椒を一粒摘まんで口に放り込んだ。
お料理に欠かせない香辛料だが、粒のまま噛んで食べるとけっこう辛い。古文書によればシュタインブルク家の女子が、これを眠気覚ましとして用いるようになったのは三百年前からだそうだが。
「うう、辛い」
『いいないいな、私にもちょうだい』
『わしにもくれ、フローラ』
『二個ハ欲シイゾ』
『あらやだ、私だって二個欲しいわ』
なぜか精霊たちは、この辛い黒胡椒が大好きだったりする。最悪の場合を想定し、赤唐辛子の入った革袋もある。それすらも好んで食べるのだから参る。眉を八の字にしながら、精霊たちに黒胡椒をお裾分けする辺境伯令嬢さまの図。
やがて対岸にグリジア王国軍が現れ、フローラ軍を視野に収めるや慌ただしく布陣を始めた。来るのが思ったよりも早く、鳴子の死者をちゃんと埋葬したのかしらと、フローラはズッカーを操り石橋を渡り始めた。
「アレス隊長、コーギン隊長、お止めしないのですか?」
新兵らがおろおろし出すが、重装百人隊長の二人は黙って見ていろと
まあ宣戦布告も無しに攻め込んできたのだ、奴らに武人らしさを期待してなんぞいない。重要なのはここで口上を述べた、恥ずかしくない戦いをした、武人としての誇りを示すことにある。どちらが勝つにしても生き残った者が、後世に語り継ぐだろうから。
敵陣から兜に孔雀の羽をあしらった、騎乗の指揮官が橋を渡った。いちおう開戦の儀礼を行う意思はあるようだ、橋の中央で双方の指揮官が対峙する。
「私の名はグラハム、まさかこんな幼き娘が指揮官とは」
「フローラよ、鳴子の犠牲者にはお悔やみ申し上げるわ」
「そなた、ローレンの魔女か。とっくの昔に死んだと思っていたが、まさか後継者がいたとはな」
味方からは聖女として神聖視されるが、敵からすれば魔女扱い。そんな事は気にしないフローラが、腰に差した扇を抜いて広げる。そこに象られているのは双頭のドラゴンであり、シュタインブルク家の紋章だ。
「宣戦布告を聞いてないのだけれど、相変わらずグリジア王国は礼儀に欠けているのね。国境守備隊を全滅させてくれたお礼は、たっぷりしてあげるわ」
「笑止、勝った方が覇者だフローラ殿。この石橋、意地でも渡らせてもらうぞ」
「受けて立ちましょう、通れるものなら通ってみなさい」
指揮官がそれぞれの陣に引き返すと、それが開戦の合図になる。フローラは橋の両脇にそれぞれ三基配置された、投石器の軽装百人隊長にハンドサインを送った。敵に投石器の準備などさせない、即座に撃ってよしと。
投石器には弓のように引き絞って放つスリングと、テコの原理で飛ばすカウンターウェイトがある。フローラ軍が用いるのは、飛距離と破壊力で勝る後者だ。主に城壁を壊すのに使われるが、その弾は河原の岩とは限らない。スズメバチの巣や、火炎瓶を飛ばす事も。
遠心力を得るため牛十頭分の重さがある岩石入りの箱を、直上まで持ち上げる必要がある。動力源はと言えば水車のような歯車の中に、人が入って走る仕組みだ。軽装兵の中でも、若い長距離ランナーが選ばれる。
真上から少し傾いた所でストッパーが働き、歯車は止まる。先端の金属カゴに弾を入れ、後はストッパーを解除するピンをハンマーで叩くのみ。大男の体重に相当する岩が空から落ちてきて、しかも固い地面ならジャンプして跳ね回るのだ。
「フュルスティンを守れ!!」
重装百人隊長のアレスとコーギンが怒声を上げ、フローラに駆け寄った重装兵たちがラージシールドを掲げ並べた。橋を渡り終えていないにも関わらず、敵の弓隊がフローラに矢を放ったのだ。カカカッと矢を受けたラージシールドが、まるでハリネズミのよう。
やっぱりだったなと、投石器のストッパーピンをハンマーで叩く、軽装兵の小隊長たち。試射を繰り返した成果で岩は弧を描き、敵陣に狙い通り落ちていった。鎧兜など何の意味も成さず、岩が跳ね回り敵を蹂躙していく。
陣形後列の弓隊も、お返しとばかりに矢を放つ。前列に構える重装兵がラージシールドで飛来する矢から弓隊をカバー、そのための二重V字陣形である。それでも敵の騎馬隊が隊列を組み、長柄武器を手に石橋を渡り始めた。
『解禁してくれた範囲魔法、使ったら私はどのくらい眠る? サラマンダー』
『早メニ寝レバ、明日ハ普通ニ目ガ覚メルヨ』
双方の矢が飛び交う中、早く陣の後方へと焦り顔の重装兵たち。そんな彼らに微笑みフローラは、手にした扇を迫り来る敵の騎馬隊に向けた。その瞳には、情け容赦など微塵もない。
「
フローラを守る重装兵たちの眼前に、燃えさかり
引き返す者もいれば、果敢に立ち向かう者もいた。だが蛇に武器を振り下ろした途端、騎馬兵は燃え上がった。悲鳴を上げながら川へ飛び込むも急流で、その声はあっという間に遠ざかっていく。
炎の蛇は橋上から引き返す騎馬隊をも飲み込んでいき、更に敵陣へ襲いかかった。一直線の範囲攻撃に、敵兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。その間にも岩や矢が降り注ぎ、被害はどんどん大きくなっていく。そして蛇は後方にあった、兵站部隊の荷馬車を火だるまにして消えた。
「おのれローレンの魔女め!」
「グラハムさま、向こうは橋を渡る気がないようです、体勢の立て直しを」
副官ギバスの声で我に返ったグラハムは、改めて周囲を見渡す。逃げ遅れた兵士の焼死体が後方まで横たわり、
「重装兵を集めろ、隊列を組んで蹴散らすんだ、ギバス」
「はっ! 直ちに」
向こう岸に並び始めた重装兵に、押し出しに来たかと目を眇める、百人隊長のアレスとコーギン。こっちも歴戦の重装兵、望むところだと手にした武器を握り直す。
「みんな程々にね、兵站の荷馬車を焼いたから、敵は食料に困るはずよ。向こう岸に敵軍を留め置くのが第一義、息切れするまで殴り合わないでね」
黒胡椒の粒を頬張る辺境伯令嬢さまに、威厳はないがそこはローレンの聖女。正義は我にありと俄然やる気を出した重装兵たちが、矢が何本も刺さっている盾に武器を打ち付け己を鼓舞する。
『川に落ちた兵がいたら岸に寄せてあげてね、ウンディーネ』
『任せてフローラ、だから胡椒をもう一粒ちょうだい』
はにゃんと笑い、黒胡椒を右肩にもっていくフローラ。
いよいよ敵さんが、隊列を組み橋を渡り始めた。かかれと声を上げた聖女に応じ、ローレンの重装兵たちは勇んで橋になだれ込むのだった。
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