第4話 奪還部隊の出撃

 会談場所はブラム城の跳ね橋を下ろした先、グリジア王国側が設置したテントに決まった。アーノルドとしては城の内部構造を、敵に見せたくなかったからだ。双方とも軍旗を降ろし、戦闘中止を意味するオレンジ色の旗が掲揚された。


『ささ、どうぞこちらへ、アーノルドさま』

『この樽はなんだ、アガレス』

『ぶどう酒ですよ、交渉が成立したら一杯やりましょうってね。いま指揮官と副官を呼んで参りますので、少々お待ちを』


 護衛を引き連れたアーノルドに、案内したアガレスはにやりと笑い、テントを出て行ってしまった。最初から会談する気など無かったのだ、油を染み込ませたテントにおびただしい数の火矢が放たれ、グリジア王国の軍勢は降りていた跳ね橋を渡り城内へなだれ込んだ。


 樽の中身がぶどう酒なんて真っ赤な嘘、本当は導火線付きの火薬で、炎に包まれたテントは跡形もなく吹き飛んだのである。指揮官を失いブラム城は為す術なく落とされ、アルメン地方はグリジア王国軍に制圧されてしまった。


 アーノルドの護衛として付き従った武官には、ヴォルフの父親も含まれていた。武人として戦い討ち死にしたのではなく、騙し討ちに遭い火矢と火薬で殺されたのだ。

 オレンジ色の旗が何を意味するか、武人としての誇りと名誉を重んずるならば、けしてやってはならぬこと。その禁忌を犯した以上は武人にあらず、グリジア王国軍に対する情け容赦など、芥子粒けしつぶほども持ち合わせていないフローラ軍である。


 ――かがり火の灯りに、騎乗のフローラが映し出されていた。


 彼女の前には奪還部隊が勢揃いし、出撃の合図を待っている。当初は軍団の半数を割くつもりのフローラだったが、ヴォルフの報告により騎馬のみの小規模編成となった。石橋に重装兵、軽装兵、弓兵を残せるのは僥倖ぎょうこうと言える。


 馬は奪還部隊で使う事にし、装甲馬車と兵站部隊の馬も全て回されていた。そして疲労したゲルハルトの馬だけは、フローラが預かったのだ。


「お心遣い、感謝いたします」

「ゲルハルト卿の馬も休ませないとだから。でもどうして、この馬にズッカー砂糖の名を?」


 預かる以上、名前を聞いておきたいのは女子としての心情。帰ってきた答えが、馬に砂糖だったわけだ。フローラの問いに、ゲルハルトが顔を赤らめ頬をポリポリと掻いた。


「そりゃあ……お気に入りですし雌ですから」


 この無骨な老騎士から、そんなセリフが飛び出すとは思わなかったのだろう。これから出撃だと言うのに、間の抜けたフローラの笑い声が河原に響き渡った。


「そこまでお笑いになりますか」


 渋面のゲルハルトに、悪気は無いのよと扇で口を覆うフローラ。隠してもまだ笑っているに違いなく、両目が弧を描いている。

 大好きな相棒に可愛らしい名前を付けたい心情は、フローラも女子として分かっちゃいる。だがゲルハルトの髭面からは想像もつかない、名付けの趣向に込み上げてくる感情を抑え切れなかったのだ。そんな彼女の笑いは、軍団にも伝染していた。


「いい名前じゃないですか、隊長」

「笑いながら言うなヴォルフ!」

「わ、私も、愛情の込もった良い名前だと思います。くぷぷ」

「グレイデル殿まで……」


 ヴォルフもグレイデルも、拳を口に当てながら肩を震わせている。奪還部隊も石橋に残る本隊も、みんなによによしていた。


「可愛い名前をもらってよかったわね、ズッカー」


 フローラがタテガミを撫でると、砂糖という名の馬はブルルと鼻を鳴らした。笑いの種にした張本人がそれを言いますかと、問い詰めたい気分のゲルハルト。だが彼は不満を抱いてはおらず、理解もしていた。

 これから馬による長距離移動を行う上で、気を張り過ぎれば朝には息切れしてしまうだろう。奪還部隊のガス抜きを行うために、わざと笑いを誘ったのは明白。自分をネタにされたのは心外だが、指揮官としては優秀であると。


 そのフローラがにへらとしていた唇を引き結び、扇を空に掲げて振り軍団の笑いを止めた。純白の乗馬用ドレスに深紅のケープコート。腰まである金色の髪が、コートによく映えている。

 奪還部隊を見渡すその瞳は、まるで星雲がごとく虹色の虹彩を放つ、アースアイに変わっていた。よわい十四歳の小柄な少女が、強い意志をその瞳に宿して口を開く、刻限よと。


「ローレンの勇士たちよ、ブラム城を奪還し、その命を持ち帰りなさい。返すその足で、敵本隊の背後を突くのです、期限は三日」


 三日とはまた人使いの荒いことでと、ゲルハルトは苦笑する。何となく予測はしていたのだ、荷馬が積んだ物資の量からして三日分だろうかと。

 人使いの荒さはシュタインブルク家の血筋なんだと、事ここに至り悟ったわけである。だがそれを臣下に気持ちよく実行させる魅力もまた、血筋なのかも知れない。


 フローラは宵の明星が輝く空に扇を掲げると、器用にくるくると回転させた。その扇が蝶のように舞い、彼女の右手から左手へ、左手から右手へと、交互に移り飛び回る。新兵たちから「あれが噂の」「初めて見た」そんな声が上がった。

 かがり火に照らされ幻想的に映るこの所作は、シュタインブルク家の女子が兵士に贈る、伝統的な鼓舞であり祈りの意味も併せ持つ。


「アルメンに赴く勇士たちに、全ての精霊のご加護があらんことを!」


 ガシャガシャと音を立て、胸に拳を叩きつける奪還部隊の兵士たち。舞っていた扇がその動きを止め、石橋の向こう岸を指し示した。


「出撃せよ!!」


 フローラの号令を受け、奪還部隊が意思を持つ一頭の竜が如く動き出す。ゲルハルト、ヴォルフ、グレイデルを先頭に怒濤のような蹄の音を立てながら、彼らは石橋を駆け抜けて行った。


シルフィード風の精霊、敵の本隊を感じるかしら』

『風向きが悪くてね、まだ感じないわ』

ノーム地の精霊はどう?』

『微かだが、大地から感じる。この距離なら敵さんのご到着は、明日の昼過ぎじゃろう。斥候の気配も無い』

『ありがとうノーム。サラマンダー火の精霊、橋の向こうに側に炎の鳴子を仕掛けて欲しいの、頼める?』

『オヤスイゴヨウダ』

ウンディーネ水の精霊、徒歩で行軍した兵士の疲労具合、分かるかしら』

『血の巡りに問題はないけれど、古参兵の疲労がちょっと気になるわね。でも景気付けに、一杯飲ませれば大丈夫よ』


 フローラもグレイデルも精霊と会話をする際、直接言葉は交わしていない。心の奥で話し心の奥で聞く、思念を用いて意思を伝え合っているのだ。なおシルフィードは女性形で、グレイデルの相棒は男性タイプだからシルフと呼んでいる。


 フローラはズッカーを操り前肢旋回ぜんしせんかいさせ、その場で向きを真逆に変えた。そこには奪還部隊を見送っていた、本隊の兵士たちが整列している。


「接敵は明日の正午過ぎとなりましょう、今夜は充分に鋭気を養ってちょうだい。ささやかですが、私から就寝前の一杯を許可します」

「一杯だけですか?」


 百人隊長の誰かが声を上げ、八百名余りの視線がフローラに突き刺さった。


『どうしてローレンの兵士たちは酒飲みが多いのかしら』

『そりゃ辺境伯領に限った話しではないじゃろう』

『ヘイシトハソウイウモノダヨ、フローラ』

『ぐぬぬ、どうしようウンディーネ』

『二日酔いにならない程度でしたら妙薬ですわ。その加減はフローラ、貴方が決めることよ』

『私、二日酔いになるまで飲んだこと無いのに』


 シュタインブルク家では十二歳から酒を嗜む。しかしそれは、本当に嗜む程度なのだ。本格的に飲むのは成人した十五歳からで、フローラは大人の適量というものを知らない。そこへ風の精霊シルフィードが、助け船を出してくれた。


『あまり強くない大人でも、三杯かしら』

『ありがとうシルフィード』


 半眼となり、尻尾を振るワンコ状態の軍団を見渡す辺境伯令嬢さま。


「この飲兵衛ども、三杯まで許可しましょう。兵站隊長キリア」

「はい、フュルスティン」

「きっちり管理してちょうだい」

「承りました」


 何故か嬉しそうに拳で胸を叩く、兵站隊長キリア。さては彼女も飲みたかったんだなと、へにゃりと笑うフローラであった。


 ――翌日。


 本隊は橋に向かい、二重V字型の陣形を展開していた。前列が重装兵、後列が弓兵だ。軽装兵は橋の両脇にそれぞれ三基設置された投石器に回っている。

 戦となれば、剣を思い浮かべる者は多いかもしれない。だがフルアーマー鎧兜を身にまとった相手では、剣では切れずむしろ不利となる。


 ゲルハルトをはじめ騎馬隊は長剣を腰に下げてはいるが、馬上で抜くことはまずない。群がる雑兵に剣が届かないからで、ハルバードを背負っている。これは先端が槍でその下が斧になっている、複合長柄ながえ武器だ。騎乗しての戦闘では、もっぱらこれを使う。


 重装兵はフルアーマーにラージシールドで、手にする武器は好みがあっていくつか種類がある。中でもバトルアックス戦斧ウォーハンマー戦槌は、主な得物と言えるだろう。そんな中でもモーニングスターは凶悪で、金属製の頭部に複数のトゲトゲが付く星球殴打武器だ。切るのではなくぶっ叩き、敵の鎧を破壊し肉を断つ、これらが重装兵の用いる武器となる。


 軽装兵はチェインメイル鎖帷子の上に革鎧を重ね着しており、左腕に固定できるスモールシールドを装着する出で立ち。武器は薄い鋼板から鍛えた、ペラペラでよくしなる腰帯剣ようたいけんを用いる。これは大陸でもローレン地方特有で、名が示す通りベルトに見立てた鞘へ収め、腰に巻いておく剣だ。どんな鎧兜にも隙間があり、その隙間に這わせて差し込み切り付ける特殊な剣である。


 弓兵は革鎧にロングボウ長弓で、背中に矢筒を背負う。一応は短剣を所持しているが、弓兵が抜くような状況はほぼ負け戦だ。彼らに剣を使わせない戦い方、それこそ指揮官の腕の見せ所と言えよう。


「おい、貴様ら!」

「はい……何でしょうか」


 重装の古参兵が、新兵たちに声を荒げていた。この人は何を怒っているのだろうかと、戸惑う力自慢の若い重装兵たち。


「兜の紐は緩めておけ」

「なぜですか?」


 意味不明といった面持ちの新兵らを、古参兵は胡乱げな目で見渡した。お前ら分からんのか、早死にしたいのかと。

 これもローレン地方特有なのだが、重装兵の兜は頭を完全に覆うタイプではない。視界を遮らず、首を自由に動かせるヘルメットタイプなのだ。長きに渡る異民族との戦闘で、戦いやすさを突き詰めた結果なのだろう。


「ウォーハンマーやバトルアックスで、頭を横殴りされたらどうなる」

「か、兜がすっ飛びます」

「そうだ、そん時に首も一緒じゃ困るだろ?」


 凄惨な状況が思い浮かんだのか、顔が青ざめていく重装の新兵たち。古参兵は自らの紐に人差し指をかけ、くいっと引いた。


「このぐらいに緩めておけ、兜は飛んでも首までは持って行かれない」

「はい、ありがとうございます」


 後列の弓隊では、一人の古参兵が新人弓兵たちにレクチャーをしていた。


「背中の矢筒から矢を抜く時、二本三本掴んじまうことがあるだろう。連射しなきゃならん場面では無駄な動きになる。そういう時はな、こうするといい」


 古参兵は矢筒から矢を一束掴むと、腕を振り下ろして地面に突き立てた。


「背中に腕を回すよりも、これなら確実に一本ずつ取れる、だろ?」


 新兵たちがうんうん、なるほどと頷く。狩りで腕に自信があるからこそ志願したのだが、その発想は無かったのだ。山中での狩りと戦場は、やはり違うと思い知らされていた。


「断っておくが、間違っても自分の足には突き立てるなよ。ふはは、たまにやらかす奴がいるんだわ」


 ここは笑いを誘うところだったんだが、新兵たちは笑えなかったらしい。おやおやと、古参兵は手にしたロングボウを肩に担いだ。


「戦場に於いて迷いや焦りは禁物だ、敵を山中の鹿や猪と思え。気の抜けた矢を放つ奴は許さんぞ、俺には分かるからな。射る矢に己の魂を込めるんだ、分かったな」


 騎乗で陣形を確認するフローラの耳に、あちこちからそんな声が届く。中には怒鳴りつけるような声もあるが、それは生き残って欲しいがゆえの親心であろう。


「父上がお戻りになったら、新兵の教育に古参兵の登用を進言しなくては。これだけの人材、埋もれさせておくのは惜しいわ」


 そこへズッカーの頭に、一羽の鳩が舞い降りた。

 文を届けるだけならば、早馬よりも効率的な伝書鳩だ。尻尾が白いから執事長ケイオスの鳩だと、フローラは直ぐに分かった。どれどれと、足に結んである文を外し広げれば二枚、まずは一枚目に目を通す。


 “フローラさま、いかがお過ごしでしょうか。グリジア王国の蛮行はミハエル候に  

 伝わっておりますが、皇帝から帰国の許可が下りないそうです。執事ごときの私が 

 申し上げるのも何ですが、今の帝国は腐っておりますね。どうか、どうか無事にお 

 戻り下さいませ、ケイオスより”


「あなたが言わなくても大丈夫、みんな腐ってると思ってるから。二枚目はメイド長のアンナね」


 “フローラさま、ちゃんとご飯を食べてますでしょうか。お腹を冷やしたりしてませんよね、夜は暖かくして眠ってくださいまし。ああおいたわしや、あなた様は本来ならローラン王国のプリンセス。戦場では後ろの方に、逃げる時は真っ先に逃げて。シュタインブルク家の大切な一粒種、血筋を絶やしてはなりません。アンナより”


「気持ちは嬉しいのだけど、アンナは過保護すぎるのよね」


 だからメイドの同行を断ったのよと苦笑し、フローラはズッカーを後方に構える兵站部隊へ向けた。むしろ戦場では血の臭いで、メイドの方が体調を崩しそうだわと言いながら。

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