第3話 ヴォルフの報告
森を抜けた先に開けた草原があり、そこを野営地と決め準備に取りかかる軍団の兵士たち。整然とテントが立ち並び、夕食の炊き出しが始まった。
炊き出しは煙で軍団の位置が分かってしまうため、本来は禁止なのだが昼寝を終えたフローラは許可していた。接敵が四日後ならば、いま奇襲を受ける事はないでしょうと。
「フュルスティン、
指揮官テントの警護に当たる兵士から声があり、なんだろうと顔を見合わせるフローラとグレイデル。兵站とは、軍団の後方支援を行う部隊のこと。食糧提供や武具の修理、消耗品の補給に伝令といった任務を請け負う。その中には従軍外傷医と、従軍司祭も含まれる。
「食糧調達で、何か問題でも起きたのかしら、グレイデル」
「それは無いと思いますよ、道中の町や村で充分買い取ってますから」
グレイデルが通してちょうだいと応じ、入り口の巻き布が上がった。入って来たのは革鎧を身に付けてはいるが、恰幅の良いおばちゃんで名はキリアという。正規軍が不在だから二十年前の戦争で、兵站部隊の経験者を集めたらこうなった。
「フュルスティン、何かお嫌いな食べ物はございますか」
「それをわざわざ聞きに来てくれたの? キリア」
「そりゃ育ち盛りですもの。肉は少ないのですがミルクが手に入りましたので、クリームシチューになります。ニンジンは大丈夫かしらと思いまして」
「ニンジンは却下、ジャガイモ多めで」
グレイデルが顔を背けてぷくくと笑い出し、なにようと唇を尖らせる辺境伯令嬢さま。もしかしたらピーマンもダメでしょうかと尋ねるキリア隊長に、当然とばかりに首を縦にブンブン振る。
「ナスは油で揚げたやつなら大丈夫、ブロッコリーも食べられない事はないわ」
「それは安心しました、では出来上がり次第お持ちしますね。それと……」
そこでなぜか言い淀むキリア隊長に、セロリもだめよと畳みかけるフローラ。いえそうじゃありませんと、苦笑しつつ片手をひらひらさせる兵站隊長さん。
「煮炊きしても良い野営なら、酒樽をいくつか開放するのが慣習なんです。いかがいたしましょう」
「それは父上からよく聞いております、許可しますけど程々にね」
解禁の許しを得たキリア隊長が、ホッとした顔でテントを出て行った。百人隊長たちから酒は出ないのかと、寄って
まだ領内だから普通の食事が摂れるけれど、先に進むほど食料調達は難しくなっていくだろう。ひどい時には干し肉か塩漬け肉と、味もへったくれもない豆のスープになる。携帯食に燻製肉がある分、フローラの軍団はまだマシな方だ。
「ニンジンが平気になったのはいつから? グレイデル」
フローラはクリームシチューに、ちぎった黒パンを浸しながら尋ねた。頬張ったサラダを咀嚼して飲み込んだグレイデルが、遠い記憶を掘り起こすような顔になる。
「言われてみれば、いつの間にか食べるようになっていましたね」
「それじゃ全く参考にならないわ、何か切っ掛けがあったのでしょ?」
「母上と一緒に農場の視察へ行ったら、ちょうどニンジンの収穫期だったんです」
使用人が畑からニンジンを引っこ抜く姿が見ていて面白く、グレイデルは自分もやってみたいと言い出したらしい。辺境伯の姪に当たるマンハイム家のご令嬢に、そんなことさせられませんと、顔面蒼白になった使用人たち。
けれどグレイデルの母は微笑み、やってみなさいと言ったんだとか。野外用ドレスを土まみれにして、側仕えのメイドがあたふたする姿を思い浮かべるフローラ。
「あの時からでしょうか、ニンジンに親近感を抱くようになったのは」
「ふうん……私もやってみようかしら」
「
そんなの知らないと、ころころ笑うフローラ。執事泣かせメイド泣かせは程々にねと、グレイデルもクスリと笑う。精霊が住まう異界へ赴いた二人だから、こんな所は気が合うのだ。
遊び心を失った者に精霊は近寄らないし、友達になってはくれない。童心を忘れない清らかな魂、それが精霊と絆を結ぶ必須条件なのだから。
頃合いをちゃんと見計らっていたキリア隊長が、食器を下げに指揮官テントを再び訪れた。完食してきれいになったフローラの皿を見て、どういう訳かしたり顔。
「サラダも残さず、ぜんぶ召し上がったのですね、フュルスティン」
「嫌いな野菜はなかったもの、オレンジ色のドレッシングが甘くて美味しかったわ」
それを聞いて満足そうなキリア隊長に、首を傾げるフローラとグレイデル。だが兵站隊長さんが次に発した言葉で、二人は目を点にしてしまうのだ。何とドレッシングの主原料はニンジンで、だからオレンジ色なんですと。
「孫が八人おりましてね、野菜嫌いを克服させるのに、色々と工夫するのですよ、フュルスティン」
「……うっそ」
「私もニンジンだとは全く気付かなかったわ、キリア」
「すり下ろしたニンジンとタマネギに、蜂蜜と香辛料に米油を使うのです、グレイデルさま。町や村で食材が手に入る限り、食べ物で苦労はさせませんよ」
食器を片付けながら、むふんと笑う恰幅の良いおばちゃん、もとい兵站隊長さん。辺境伯令嬢のニンジン嫌いを、軽くクリアさせてしまった逸材である。
ぶどう酒が解禁されたからか、外から兵士たちの賑やかな声が聞こえて来た。こんな美味い戦場メシは未だかつて無いぞと、老兵たちが新兵に釘を刺しているようだ。けれどその声は明るく、朗らかであった。腹が減っては戦はできぬ、キリアを兵站隊長に抜擢したのは大正解だったかも。
――そして三日後。
ローヌ川に到達し、軍団が野営の準備を始めた丁度その頃。主命を守り、きっちり期限内でヴォルフは戻って来た。すぐさま各隊長に招集がかかり、指揮官テントで軍議が始まった。フローラの隣には参謀としてグレイデルが座り、ヴォルフも末席に呼ばれている。
「アルメンはブラム城に百の守備兵を残しただけか」
「敵の姿が見当たらないのであれば、ありったけの兵を本隊に動員したのだろうな」
「いや、ちょっと待て。どうやって城内の兵力を調べたんだ?」
百人隊長たちの視線が、一斉にヴォルフへと向けられた。
それもそのはず、ブラム城はシュタインブルク家が築城した、城という名の砦だからだ。城壁で囲いその外周に水を張った要塞は、城門の跳ね橋を下ろさなければ侵入するのは困難極まりない。かつて異民族との最前線であったアルメンの要、それがブラム城なのだから。
皆の視線に応じ、ヴォルフが手を挙げながら口を開いた。
「その疑問にお答えするのと同時に、提案があります。発言をお許しいただけるならですが」
「発言を許可します、ヴォルフ。何か考えがあるのね? 聞かせてちょうだい」
軍議に於いて一兵卒が勝手に発言することは許されず、ヴォルフもそこは弁えている。フローラから許可を取り付けると、彼はゆっくりと席から立ち上がった。
「ブラム城は籠城戦を前提にした城であり、外部から補給物資を運ぶための地下通路があります」
「なんと、それはまことか!」
百人隊長の一人が上げた声に頷きながら、ヴォルフはその上でと続けた。
「迷路のように入り組んでおりますが、自分は迷わず城に辿り着くことができます。加えて城内には隠し通路があり、敵はその存在に気付いておりません。敵に見つかることなく城内を移動でき、その気になれば執務室でふんぞり返っているアガレスの首を取りに行くことも可能。アルメンが手薄になっている今がチャンスです、どうか自分を奪還の編成に加えて下さい」
「アガレス……ですって?」
そう呟いたグレーテルの腰が、椅子から一瞬浮き上がるのをフローラは見逃さなかった。彼女の仇がブラム城の城主に納まっている。
そして軍議の場は、騒然となっていた。ここに居る隊長たちは、みんな古参兵である。二十年前にアルメンを奪われた苦い経験を持ち、年齢に伴いミハエル侯の主力から外れた面々なのだ。
過去に残した汚点を払拭するチャンスが、いま目の前にある。家督を子に譲り隠居して墓に入るのを、待つだけの人生なんぞ由としない、老兵たちの魂に火が付いていた。ゲルハルトすらその例外ではなく、彼らはフローラの下知を今か今かと待っている。
「機動力が必要です。ゲルハルト卿、全ての騎馬兵を出しましょう」
「仰せのままに、フローラさま」
本軍は川を挟んで敵と対峙するのだから、移動速度に於いて騎馬兵を奪還の主力とするのは理に適っている。馬は途中で遊ばせることになるが、城内での戦闘に馬は必要ない。
「ヴォルフ、案内役を頼みます。隠し通路からの奇襲も、貴方にかかっています」
「お任せ下さい!」
城内へ潜入した上にアガレスの顔まで拝んでくるとは、相変わらず無茶な物見をする。だが、彼がもたらした情報で勝機が見えてきたのも事実。当の本人も奪還の編成に加われたことが嬉しいのか、胸まで上げた両手を拳に変えていた。
「弓兵を五名選抜してちょうだい、腕利きをお願いするわ。同じく軽装兵を五名、アサシン並みの手練れを選んで」
フローラの要請に、それぞれの百人隊長が承知! と応じる。
「ゲルハルト・トゥ・リヒテンマイヤー、奪還部隊の指揮官を命じます」
「はっ!」
「グレイデル・フォン・マンハイム、副官を命じます」
「えっ!?」
「出撃は日没とします。橋に残る本隊は、本日中に投石器の設置を完了させること。それでは
目を大きく見開き、固まっているグレイデル。彼女とは対照的に百人隊長たちは、拳で胸を叩きテントを飛び出して行った。数で負けていようとも勝機を見逃さず、万全の準備で事に当たれば勝利の女神も微笑んでくれよう。やるべき事は山ほどあると気勢を上げる、その後ろ姿は頼もしい。
テントにはフローラ、グレイデル、ゲルハルトが残っていた。異議を唱えはしなかったが、ゲルハルトはグレイデルを副官にした真意を問うために留まっていた。彼女の職務はフローラの護衛と参謀が本分なのだから、はいそうですかと安請け合いする訳にはいかない。
「フローラさま、本当にグレイデル殿をお連れしてもよろしいのですか?」
問いかけたその二人が、いま向き合っていた。
「フローラさまのお側を離れる訳には……」
「行きたいのでしょ? 私は物心がついた時から貴方を見てきました。気持ちは分かっているつもりよ」
唇を噛みしめ、膝に置いた手を握りしめるグレイデル。その拳にフローラが、自らの手を重ねて微笑んだ。
「父上からよく聞かされたものだわ。どんな逆境に陥りようとも、叔父上は安心して背中を預けられる武人であったと。ゲルハルト卿、貴方もそう思うのでは?」
その通りですと頷くゲルハルトの脳裏を、数々の戦場が駆け抜けていく。襲い来る敵を
『ミハエル候よ、そろそろ引き際ではないか?』
『難民が吊り橋を渡り終えるまでの辛抱だ、もうひと頑張り頼むアーノルド』
『がっはっは、聞いたかゲルハルト。悪いが義兄殿の頼みだ、お前ももう少し付き合え』
『なんのなんの。ミハエル候の人使いの荒さには、慣れておりますゆえ』
『何か言ったか? ゲルハルト』
『イエナニモ』
『がっはっは、ゲルハルトも言うようになったな。終わったら酒場で好きなだけおごってやる』
『言質を取りましたぞ。今の言葉、お忘れなきよう』
『ぬかせ! 俺に二言はない。ぐっはっはっは』
敵と味方が入り乱れ武器と盾がぶつかり合う中、こんな会話が出来る。仲間に死地を感じさせない、若き日の豪快な主君と重装百人隊長の記憶が蘇ったゲルハルト。いま目の前に、その血を引く娘たちがいる。
「ゲルハルト卿、グレイデルをお願い」
フローラのお願いとは、仇討ちの手助けをしてくれという事に他ならない。
今は亡き、勇ましき戦友の愛娘。彼女が抱える負の遺産を、次期当主は精算してやってくれと言うのだ。正しいとか正しくないとか、それをここで論ずるのは野暮と言うもの。
「是非もなし、承りました」
そう言ってゲルハルトは拳を胸に叩き付け、一礼しテントを後にした。
二十年前、どうしてアーノルドは討ち死にしたのか。ゲルハルトはその場にいなかったが、生き延びた伝令の騎馬兵から話しは聞き及んでいた。
籠城戦に持ち込んだ、アーノルド率いる国境守備軍。グリジア王国軍は城攻めを幾度も敢行したが、その強固な守りに阻まれ、三ヶ月経ってもブラム城を落とせずにいた。
双方が睨み合いを続ける中、敵の参謀だったアガレスが、和議を申し入れて来たのである。冬を前にして食糧も尽きかけ、撤退するから追撃しないで欲しいという要請であった。
勝手に攻めて来ておきながら、随分と都合のいい話しである。だが無益な殺生を好まないアーノルドはがっはっはと、和議の会談を受け入れたのだ。
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