第2話 フローラの秘密

 辺境伯軍には、各部隊に百人隊長がいる。読んで字の如く百人を配下に持ち、指揮を執る部隊長ゆえこの名が付いた。

 重装兵部隊、軽装兵部隊、弓兵部隊に各二名おり、総勢六百名の編成だ。これにゲルハルトの指揮する騎馬隊が二百騎、残りが兵站部隊である。


 ヴォルフを見送り軍団は、国境を目指し進軍を再開していた。

 移動する物騒な装甲馬車の傍らに、交換したヴォルフの馬に跨がるゲルハルトが寄り添っていた。刃の付いた回転翼を上手に避けるあたり、馬術の腕はそうとうなものであろう。彼は今後について話しがあると、辺境伯令嬢さまに呼ばれたのだ。


「姫君、何か策はおありなのですか?」


 地図を広げているフローラへ問いかけるゲルハルトに、彼女は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。子供扱いしないでと、その表情にはっきり出ている。


「姫君はやめて、ゲルハルト卿」

「お望みならば仰せの通りに、フローラさま」


 ゲルハルトは技量を認め敬意を払ったつもりのようだが、フローラのお気に召さなかったらしい。彼は顎髭あごひげを撫でながら、小さな指揮官の返事を待つ。いくら兵の士気が高いと言っても、数の差は如何ともし難い。正攻法で勝てるとは思えず、奇襲か夜襲か、何か考えがあるはずと。


「ヴォルフの報告を待つことになるけれど、敵はアルメンの兵力も動員して攻め込んだはずよ」

「つまり、今アルメンは手薄である可能性が高いと?」


 ゲルハルトの問いに頷き、フローラは不敵な笑みを浮かべた。


「その場合は軍団の半分を率いて、アルメンの敵勢力を殲滅してちょうだい。アルメン奪還の報を受ければ、グリジア王国は増援を出すでしょう。その前に決着を付けるわよ、奪還の指揮はゲルハルト卿に一任します」

「心得ましたが、まさか残り半分の軍勢で敵の本隊と戦うおつもりでしょうか」


 ゲルハルトの顔に、それはあまりにも無謀すぎると書いてある。だがフローラは地図に描かれた街道を指でなぞると、ある一点をトントンと指し示した。覗き込むと、それはローヌ川にかかる石橋であった。


 この街道は、元は辺境伯領だったアルメンへと続いている。往来の利便性を考え、シュタインブルク家が整備した道なのだ。敵の軍勢もまたアルメンを経由し、この街道を進軍して来ている。


 実のところ軍団が渡れるような橋は、この石橋しかなかったりする。迂回しても他にあるのは切り立った崖に、領民が設置したロープ橋が二カ所のみ。渡ってる最中に両端を結ぶ、太縄を切られたらたまったもんじゃない。本当の意味で危ない橋を渡ることになるため、敵が進軍するには石橋を渡るしかないのだ。


「もちろん、まともにやり合う気はないわ。この川は深くて流れも速いから、騎馬兵や重装兵は渡河とか出来ないでしょ、石橋を挟んで対峙するつもりよ」

「なるほど。無理に進軍しようとすれば橋を渡らねばならず、敵の隊列が細くなるから狙いやすい」


 これならば数による劣勢は免れるが、橋を渡れないのはこちらも同じ。そこからどうするつもりなんだろうかと、辺境伯令嬢の顔をうかがうゲルハルト。そんな彼に、フローラはにっこりと微笑んだ。


「その後はお願いね、ゲルハルト卿」

「……は?」


 鳩が豆鉄砲を食らったように呆けているゲルハルトを、フローラがパタパタと扇であおぎ顎髭をくすぐる。まるでお祖父ちゃんにイタズラを仕掛ける孫娘のようだ。


「私がローヌ川で時間を稼ぐから、アルメンの奪還が終わったら引き返してちょうだい。その足で、敵本体の背後を突いて欲しいの」


 何ともはや人使いの荒いことでと、ゲルハルトは苦笑する。だがそこは歴戦の騎馬隊長で、面白そうだとフローラの手にある地図を再び覗き込む。

 前は深くて急流の川、橋を渡るのは地獄。そこへ背後から奇襲された上に退路を断たれることが、兵士にとってどれほど精神的に追い詰められるか。その意味をゲルハルトは、自ら得た戦場の経験則でよく知っていた。


「ヴォルフが戻りましたら、隊長たちを集め細かいところを詰めましょう」


 そう言ってゲルハルトは目尻に皺を寄せながら、騎馬隊の先頭へと戻って行った。ヴォルフの馬を駆け足にさせない辺り、長距離を走った疲労を回復させているのだろう。馬を単なる道具として扱わない、騎士としての心配りが見て取れる。


 シュタインブルク家が治める領地は、元はローレン王国であった。アリスタ帝国の一員となったのは先々代の時代であるが、帝国の軍門に降ったという訳ではない。

 皇帝を盟主として大小の国々が連合した領邦国家群、それがアリスタ帝国の成り立ちと言える。数ある王の頂点に立つ、キング・オブ・キングス王の中の王、それが皇帝である。当時の皇帝は面白い人物だったようで、酒を酌み交わし意気投合した先々代が、帝国に加わったと表現するのが正しいだろう。


 その帝国領内で、内紛が起きたのは三週間前のこと。皇帝から鎮圧の命令書が早馬で届き、ミハエル侯が正規軍を率いて出兵したのが二週間前だ。

 領主と主戦力が不在であるこの時をまるで狙っていたかのように、異民族国家であるグリジア王国が侵攻してきた。領内の新兵と老兵をかき集め、父の名代としてフローラが防衛の指揮を執る羽目になった理由がこれ。


「異民族から同胞を守るのが帝国の建国理念だったはずですのに、これでは見捨てられたも同然ですわ」


 帝国のお家騒動に巻き込まれ、戦力を割かれた状態に歯噛みするグレイデル。ミハエル侯の帰還と援軍を要請したのだが、皇帝からは梨のつぶてであった。


「泣き言を言っても始まらないわ。最悪の場合は辺境伯の爵位を返上し、帝国から離脱することも視野に入れないとね」


 憮然とするグレイデルに返された、穏やかではない言葉。けれどそれはフローラの独断ではなく、父ミハエル候の矜恃きょうじであった。


 “戦友と思えるほどの人物でなければ皇帝と認めない”

 “皇帝がシュタインブルク家を軽んずるならば、こちらから縁を切る”


 これがフローラの父、ミハエル侯の口癖であった。生死をかけて戦場を駆け抜け、苦楽を共にできる勇者こそが盟主であり皇帝に相応しい。先々代の皇帝はそんな人物だったらしいが、現皇帝はそんな器ではなさそうだ。でなければこのような状況に陥ったりはしていないと、フローラは地図を丸めて鞄に仕舞う。


「父上のためにも必ず勝つわよ、グレイデル」

「もちろんですとも。しかしくれぐれも、あからさまに魔法は使いませんように」

「分かってるわよ、でも面倒くさっ」

「その面倒くさいのを端折ると、もっと面倒くさいことに」


 そう言って流し目をよこすグレイデルに、半眼で見返すフローラ。そんな会話を交わしつつもフローラの手は、携帯食料の鹿肉を小さくちぎる。

 端から見ればつまみ食いに思えるが、もとより行軍用の携帯食料である。真後ろに続く重装兵たちは、やはり十四歳の少女だなと温かく見守っていた。

 しかし間近で見た者がいたとしたら、さぞや仰天することであろう。フローラはちぎった肉を虚空に、あるいは自らの頭や両肩に持って行く。するとその肉片は、消えてしまうのだから。


 いま頭の上には火の精霊サラマンダーが鎮座している。

 右肩では水の精霊ウンディーネが女の子座り。

 左肩では地の精霊ノームが胡座をかいている。

 そしてフローラの周囲を風の精霊シルフィードが、くるくる飛び回っているのだ。その四精霊に彼女は、燻製肉を食べさせているわけで。


 シュタインブルク家の血筋は特殊で、常人に見えない精霊が見え、会話のできる女子が生まれる。異民族と国境を接し数多の侵略戦争に耐え抜いてこれた秘密が、この選ばれた女子に流れる血の力なのだ。

 シュタインブルク家に伝わる古文書によれば、魔法の効果は精霊の成長と親密度に依存するとされ、精霊と心を通わせるほどに磨きがかかると伝えられている。


 グレイデル自身もシュタインブルク家の血筋で、分家ではあるが風の精霊を伴っていた。その相棒は今、フローラがちぎる燻製肉のご相伴に預っている。

 ご先祖さまがこの地に居を構えたのは、精霊が住む異界へ繋がる森があったから。その森へ赴き精霊と絆を結べる者が、シュタインブルク家の特別な女子なのだ。


 そして驚くべき事にフローラは『地』『水』『火』『風』四属性の精霊とお友達になれたという、前代未聞の能力を有していた。

 高度な魔法も身体に似合わぬ腕力も、全ては四属性の精霊が力を貸しているからに他ならない。フローラは帝国をひっくり返すほどの存在であり、心ない王侯貴族に悪用されかねないのだ。だからこそ魔法の行使をグレイデルは、約束を交わしフローラにセーブさせているわけで。


「うひゃっ」

「どうされたのですか? フローラさま」


 変な声に驚き、振り返って訝しむグレイデル。当の本人はと言うと、鹿肉を傍らに置いて紙束とペンを取り出していた。


「サラマンダーがね、新しい問題を出してきたの」

「ああ、いつもの」


 フローラが数式を紙に書いていく。毎度のことではあるが、その姿を見ながらグレイデルは歯痒そうな顔をした。なぜならば、口出しや手助けが一切できないから。

 問題を解くことによって精霊との親密度が上がる以上、算術はサラマンダー先生に任せるしかないのだ。

 フローラの教育係として本家に招かれた身であるから、私の存在意義って何だろうと思う時があるもよう。もっとも宮廷作法や宮廷舞踏のお稽古では、脱走の常習犯だからとっ捕まえるのがグレイデルの仕事とも言うが。


 こめかみにペンを握った拳を当てて、フローラがうーうーと唸る。心の中でがんばりなさいとエールを送りつつ、前を向くグレイデル。その瞳は街道ではなく、遙か彼方を見ていた。


 もしも二十年前、アルメンの戦場にフローラとグレイデルが立っていたら。いや、たらればは止めておこう、それは考えても詮無いことだ。当時グレイデルは四歳で、フローラは生まれてもいない。当時アルメンの戦場に、精霊の使い手はいなかったのだから。

 グレイデルは自ら参戦を表明し、フローラを指揮官に担ぎ上げ、老兵と新兵をかき集め軍団を編成し今に至る。その本音はアルメンの戦いで討ち死にした、父の仇討ちを果たすため。


「解けた!」


 忸怩じくじたる思いに落ちていたグレイデルの背後から、嬉々とした声が上がった。フローラが突き出す紙を見ると、正解。


「よく解けましたね、おめでとう」

「えへへー。ご褒美にサラマンダーが、新しい魔法を解禁してくれるみたい」

「まぁ、どんな魔法ですの?」

「範囲魔法って言ってた、使うの楽しみ」


 無邪気に笑う、シュタインブルク家の次期当主。だがその青い瞳は時折、虹色のアースアイに変わる瞬間がある。お稽古事の脱走常習犯ではあるが、物事の本質を見極める時の目だ。これは精霊から授けられたものではなく、持って生まれた彼女自身の才能である。


「ねえグレイデル」

「何でしょう、フローラさま」

「この戦いが終わったら私の教育係を辞して、実家に帰ろうとか思ってないわよね」


 ――図星であった。

 軍団を私事の為に動かした罪は、けして軽くはないと自責の念があるグレイデル。そんな彼女が抱える心の揺れ動きを、若いながらもフローラは見抜いていたのだ。


「私は母上の声を知らない、領民からは慕われたようだけど」

「フローラさまをお産みになった後、産後の肥立ちが悪く他界されましたからね。領民あってこその王であり貴族、その信念を貫かれた立派な方でしたわ」

「私はね、グレイデル」

「はい」

「あなたを歳の離れた姉だと思っているわ。将来わたしが領民に善政をくための、手助けをしてちょうだい、勝手にいなくならないでね」


 スンと鼻を鳴らしたグレイデル。

 本人に自覚は無いのだろうが、こんな所は先代のフュルスティンにそっくり。良い意味での人たらしで、臣下を気持ち良く動かしてしまう手腕とも言える。


「グレイデルが腰の重い執事長の尻を蹴っ飛ばす勢いで、軍団を編成してくれたからこうして防衛に向かう事が出来てる。お家の一大事に動いてくれたあなたには、感謝しているのよ」

「でも私は……フローラさま?」

 

 振り向けば辺境伯令嬢さまは、すやすやと眠りに落ちていた。後ろを付いてくる重装兵たちは、お昼寝の時間だなと温かい眼差しを向けているが。

 けれどそんな生易しいものではないことを、知っているのはグレイデルだけ。四精霊が手助けしているとは言え、神官級の回復魔法を使ったら体にかかる負担は相当なもの。大技を連発すれば、三日は眠り姫になってしまうのだ。


 それもあってグレイデルは、魔法の行使を抑えてと約束を交わしたのである。彼女が言う面倒くさい事になるとは、眠ってしまい無防備になるってこと。力を行使すべきは戦場のここ一番であり、それまでは体力と気力を温存して欲しいのだ。

 大いなる魔法を行使できる代償として、使い過ぎればクースカ眠ってしまう弱点を持つ。それはグレイデルとて同じ事、冗談抜きで秘匿しなければならない、シュタインブルク家の秘密であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る