辺境伯令嬢フローラ 精霊に愛された女の子

加藤 汐朗

第一部 辺境伯令嬢

第1話 指揮官は少女

 広葉樹が両袖に茂る森の街道を、国境に向けて進む軍団があった。その数およそ一千だが、なぜか新兵と老兵ばかり。しかし先頭を行く騎馬隊が掲げる旗は双頭のドラゴンで、辺境伯領を治めるシュタインブルク家の紋章に間違いない。


 騎馬隊のうしろを指揮官が乗る、四頭立ての装甲馬車が続く。車輪の軸から刃の付いた回転翼が突き出ており、これで突っ込まれたら軽装兵などひとたまりもない。敵と味方が入り乱れる戦場に於いては、あまり近寄りたくない物騒な馬車だ。


「あーあ。空はこんなに青いのに、私はどうして装甲馬車なんかに乗っているのかしら。そう思わない? グレイデル」

「それを仰るの何度目ですか、フローラさま」


 馬車の手綱を握る女性武官が振り返り、やれやれといった顔をする。何度でも言うわよと、ふくれっ面の辺境伯令嬢さまは扇で顔をぱたぱたあおいだ。


 隊列を組んで移動する軍団を、領民や旅商人が脇に寄り見物していた。滅多なことではお目にかかれない、領主さまを間近で拝見できるチャンスだからだ。

 誰もが甲冑を身に付けた、ミハエル侯が乗っているだろうとわくわく顔。ところが装甲馬車の椅子にちょこんと座る、金髪碧眼の少女に誰もがぽかんと口を開けてしまった。


 白い乗馬用ドレスに深紅のケープコートをまとい、手に持つのは扇ときている。ただしその扇にも双頭のドラゴンが象られており、シュタインブルク家の血筋であることを証明していた。ならば彼女が軍団の指揮官であることは、疑いようのない事実である。


 彼女はこの物語の主人公、フローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク。

 エリザベートは母方から代々受け継ぐセカンドネームで、フォンは貴族を表す前置詞。つまり名前がフローラで、家名がシュタインブルクだ。


「十二か十三くらいの女の子じゃないか」

「鎧どころか、胸当てすら付けてないぞ」

「あの扇、まさかフローラさま?」


 もちろん領民たちに悪意は無く、純粋な驚きから出た言葉だ。けれど最初のセリフは、本人の耳にしっかりきっちり届いていた。口をへの字に曲げ、半眼となる辺境伯令嬢さま。


「しっつれいね! これでも十四歳よ!!」


 あまり変わらないと思うが、むしろ見た目で誤差の範囲、とは思っても口にしてはいけない。屋根を持たない装甲馬車から身を乗り出して抗議する少女に、平身低頭で謝る領民たち。

 辺境伯の爵位を持つ領主に、一人娘がいることは誰もが知っている。しかしまだ成人しておらず、公式の場に姿を見せた事がないのだ。近隣の王侯貴族ですらフローラに会った事はなく、領民たちが顔を知らないのも致し方なし。


「フローラさま、若く見られたのですよ。むしろ喜ばしいことかと」

「私は年相応に見られたいだけよ、グレイデルは若く見られると嬉しいの?」


 フローラにそう返され、女性武官は乾いた笑みを浮かべた。早く大人になりたいって気持ちが、若く見られたいという気持ちに変わったのはいつ頃だったか。そんな自分の娘時代に思いを馳せたようだ。


「フローラさまもいつか、そう思う日が来ます。それよりも何よりも、気を付けてくださいまし」

「そういうもんなのかな。あ、もちろん約束は守るわよ、面倒くさいけど」

「その面倒くさいのを端折ると、後々もっと面倒くさい事になりますから」

「分かってるわよ。あーあ、こんな良いお天気なのに、どうして私は装甲馬車なんかに乗ってるんだろう」


 また同じ事を口にして、扇をパタパタと動かす辺境伯令嬢さま。やはり年相応に遊びたい盛りなのだろうと、グレイデルは苦笑して手綱を握り直した。


 異民族と国境を接し、その侵略から帝国を守るのが辺境伯と呼ばれる爵位だ。伯爵位のひとつではあるが、自治権と貨幣の鋳造権を皇帝から与えられており、自主独立の広大な領地を持つ。

 ゆえに地位は大国の王と変わらず、第一人者を意味するフュルストとも呼ばれている。これは男性形で、女性形はフュルスティン。フローラは一人娘のため家臣団からは、敬愛の意を込めフュルスティンと呼ばれることもある。


「騎馬が一騎、こちらへ向かってきます。斥候せっこうに出た仲間です!」


 先頭の騎馬兵が声を上げ、グレイデルが各部隊の旗持ちにハンドサインを送った。旗が大きく左右に三回振られ、その指示により騎馬隊は左右に分かれて道を空ける。そして後方に続く重装兵・弓兵・軽装兵・兵站部隊も行軍の足を止めた。


 騎馬隊の間を駆け抜けた斥候の兵は、装甲馬車の前で馬から降りると片膝をついた。その右肩と左足を矢が貫いており、滴る血が地面に赤い点を描く。


「フュルスティンに申し上げます。グリジア王国の軍勢およそ二千、国境の警備隊は全滅。奴らは進軍を続けており、四日後には接敵になるかと」

「領民の被害は?」

「全ての民が避難勧告に従いましたので、人的被害は出ておりません。しかし、作物や家畜の略奪が横行しております」

「……でしょうね」


 敵の数が自軍の倍であることに、動揺を隠せない騎馬隊の面々。グリジア王国からは二十年前にも侵略戦争を仕掛けられ、アルメン地方を奪われた苦い経緯があるからだ。


 これはまずいと、グレイデルは眉間に皺を寄せた。

 士気がダダ下がりでは戦う前から負けている。こういう時こそ指揮官による激励が必要なのだけれど、フローラにそれを望むのは難しい。


 そのフローラがいつの間にか馬車を降り、報告した斥候の前に歩み寄っていた。ひざまずいた兵の頭と、フローラの胸が同じ高さ。小っこいけど成長期の途上だ、これから立派なレディになるはず。


「ずいぶんと無茶な物見をしたようね。名前と所属は?」

「ヴォルフ・ミューラー、騎馬隊長ゲルハルトさまの配下です。あの辺りは私の生まれ故郷なので、斥候に志願しました」


 フローラの問いに答えながらも、ヴォルフの息は上がっているし顔色も良くない。そんな彼に向け、フローラは手にした扇をかざした。


「風の精霊よ、この者を貫く矢のやじりを切り落として。ホイールウインド風波の車輪


 つむじ風が吹き抜け、一瞬で鏃が地面に転がり落ちる。その切り口はまるで、ノコギリで切ったかのように綺麗な断面であった。

 返しのある鏃を折らないと、矢を引き抜く際に体組織を傷つけてしまう。肉体への負担を減らす為に必要な措置を、フローラは魔法で処理したのだ。


 事の成り行きを見守っていた、騎馬兵たちからどよめきが起こる。

 魔法を使えること自体が希有な存在であるのはもちろん、小さな対象物へ正確に当てられる術者は少ないからだ。しかもそれを二カ所同時となれば、驚くのも無理はない。


 グレイデルが額に手を当てているのを尻目に、フローラは扇を腰帯に差しながらヴォルフの後ろへと回った。そして彼の背中に片足をかけ、おもむろに矢を掴む。


「抜くわよ、歯を食いしばりなさい」


 ヴォルフが頷くのを確認すると、渾身の力で肩の矢を、次いで足の矢を引き抜くフローラ。その光景を目の当たりにした、騎馬隊長のゲルハルトは舌を巻いた。 

 肉体を貫通している矢を抜くのは、場合によっては釘抜きが必要なほどに力が要るのだ。先ほどの魔法にも驚かされたが、この腕力はいったいどこからと。君主の名代として担ぎ上げられたお飾りという考えを、ゲルハルトは改めねばならなかった。


 しかし矢を抜いた傷口からは血が溢れ出し、地面の赤い点々を血溜まりに変えてゆく。失われた血液の量から察するに、ヴォルフは助からないかもしれないと誰の目にも映っただろう。


「早く止血を、誰か従軍外傷医を呼べ!」

「その必要はありません、ゲルハルト卿」


 ゲルハルトを制止したフローラが、ちらりとグレイデルに視線を向ける。すると彼女は、しょうがないわねと言わんばかりに肩を竦めた。

 今にも倒れ伏しそうなヴォルフに、フローラは再び扇をかざす。神官や魔道士が魔法の行使に用いる触媒は、杖と相場が決まっている。だがシュタインブルク家の女子が触媒に使うのは、代々受け継がれる扇なのだ。


「火の精霊よ、水の精霊よ、風の精霊よ、大地の精霊よ、この者の傷を癒やし再び立ち上がる力を与えてちょうだい。

レストレーショントゥハース肉体の再構築


 出血が止み、ヴォルフの体が淡い光に包まれていく。騎馬隊と後方から様子を見に来ていた百人隊長たちが見守る中、彼の傷口はみるみる塞がり土色だった顔に血色が戻っていった。

 回復の基本魔法はヒールだが、これは傷口を塞ぎ破損した体組織を復元するもの。しかし万能ではなく、失われた血まで戻すことはできない。彼女が発動した魔法は地水火風の四精霊を動員し、血液すらも取り戻すヒールの上位魔法だった。


「あれを使えるのは神官長クラスのはずだが……」


 様子を見に後方から集まった百人隊長の誰かが呟き、皆が初めて見る高位魔法に目を剥いていた。


「フュルスティン、このご恩は一生忘れません。この命に代えてもあなたに……」


 すっかり回復し、感謝の意を表すヴォルフ。命に代えてもあなたに生涯お仕えしますと言いかけた、彼の唇にフローラが人差し指を当てていた。命に代えられては困るのよと微笑む、それは少女でありながらも君主の顔であった。


「土地勘のある貴方に、もう一度斥候に出て欲しいの」

「どのような情報をお望みでしょうか、フュルスティン」

「敵の軍勢を迂回して、アルメン地方を調べてきてちょうだい。具体的にはアルメン地方を守備する、敵の勢力と配置ね」


 しばし目を瞬かせていたヴォルフが「まさか!」と声を上げた。どうやら騎馬隊と百人隊長たちも気付いたようだ。宣戦布告も無しに国境を越えて来た、グリジア王国の軍勢を押し返すだけではない。目の前にいる小さな指揮官は、二十年前に奪われたアルメン地方をこの機に乗じて奪還しようという腹なのだ。


 フローラが満面の笑みを浮かべる。

 ヴォルフの瞳に光が宿る。

 ゲルハルトが腰に差した剣の柄を握りしめる。

 重装兵と軽装兵に弓兵の、百人隊長たちが口角を上げる。


 数の差がどうした、やってやろうじゃないか――。


 そんな機運が軍団に伝播していく。その様子を見て、グレイデルがあらまぁとほくそ笑んだ。先ほどまではお通夜状態だった者たちが、やる気を出している。フローラが四精霊を扱える事は軍団に知れ渡ってしまうが、これだけ士気が上がれば結果オーライだわと。


 フローラが持つ力を、本当は秘匿しておきたかったグレイデル。

 次期皇帝の座を狙う者は多く、精霊に愛されたフローラを欲しがるのは目に見えているからだ。帝国内の王侯貴族が、全て仲良しこよしってわけじゃない。だがお家存亡の危機にある今、フローラが術を皆に見せるのは仕方が無いと開き直ったのだ。


「俺の馬は休ませないとだめだ、誰か代わりの馬を!」

「わしの馬と交換しよう」


 ゲルハルトが馬を降り、ヴォルフに手綱を渡す。


「わしのお気に入りだ、大事に扱え」

「ありがとうございます、隊長。ミューラー家の名にかけて、必ずお返しします」


 その間、装甲馬車で何やら手を動かしていたフローラが戻って来た。彼女が持っているのは、携帯食料を詰め込んだ麻袋と水筒であった。携帯食料は鹿の燻製肉で、軍団にとっては常備保存食である。歩きながら食べられるので、行軍には都合が良い。


 肉がはみ出している麻袋と水筒を馬の鞍に結び付けると、彼女はこれで良しと満足そうに頷いた。実はヴォルフ、回復してから腹の虫がぐぅぐぅと鳴っており、フローラはそれを聞き逃さなかったのだ。本来ならば臣下に命じてやらせればよい事を、自らの手で行い送り出そうとする。その優しい心根が彼女の本質を表しており、誰もがヴォルフを羨ましく思ったことだろう。


「ヴォルフ・ミューラー」

「はっ!」

「アルメン地方の敵勢力を見極め、その命を持ち帰りなさい。期限は三日、頼みましたよ」


 ヴォルフは拳を胸に叩き付けて一礼すると、馬に飛び乗るや疾風のごとく駆け抜けて行った。袋からはみ出た肉を掴み上げ、かぶりついて胃に流し込むその顔は笑っていた。確かに彼は無茶な物見をしてしまった。故郷であるアルメン地方の様子が気になり、深入りしすぎたのは反省しなければならない。


「それでも、ついに二十年前の雪辱を果たせる時が来た。俺はこのために生きてきたんだ」


 身を食い尽くした骨を放り投げ、更に袋から肉を掴み上げるヴォルフ。我に命を捧げよと、のたまう君主は山ほどいる。けれど命を持ち帰れと命じてくれる、君主に出会えることなどそうそうない。


「フローラさまが次期当主となるならば、俺は生涯お仕えする」


 ヴォルフはそう呟いて、再び鹿の燻製肉にかぶりつく。

 この世界に於いて騎士は準貴族だが、契約制であるところは傭兵と変わらない。複数の君主と契約を交わす者もおり、戦となれば風向きの良い方へ付くのが当たり前。


 そんな中でも君主の人柄に惚れ、契約によらず正式に叙爵を受け、臣下となる騎士もいたりする。紙切れの契約よりも忠義を重んずる、ヴォルフの家系が正にそれであった。

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