美醜の苦悩

三鹿ショート

美醜の苦悩

 見目が悪いことは罪ではないはずだが、私に対する周囲の反応は冷たいものだった。

 たとえば、眼前を歩いていた人間が手巾を落としたためにそれを拾って渡そうと声をかけると、汚物でも見るかのような目を向けられたことがあった。

 そして、落とした手巾を受け取ることなく、そのまま私に贈ると告げると、走り去ったのである。

 これが自分以外の人間だったならばと思ってしまうあたり、己が醜い人間だということを理解しているということになる。

 同じような事態に何度遭遇したのか、憶えていない。

 だが、私が腐ることはなかった。

 外見と同じように中身まで醜ければ、それこそ救いようがないと考えたからだ。

 だからこそ、私は常に他者のことを考えて行動するようにしていた。

 誰もが引き受けない仕事に取り組み続け、今では面倒な事案を処理する担当者と化してしまったが、不満は無い。

 たとえ親しくされることがなかったとしても、頼られるということは、存在を許されているようなものだったからだ。

 しかし、良い気分では無かった。


***


 新たに私の部下となった女性は、私とは正反対の佳人だった。

 だが、常に不機嫌そうな表情を浮かべ、その言動が粗暴であることを考えると、厄介払いという意味で私の部下と化したのだろう。

 しかし、やるべき仕事はこなしていたために、文句は無かった。

 必要以上に接触することなく、彼女と共に仕事をこなす日々を送っていく中で、不意に彼女が問うてきた。

「そのように生きていて、疲れませんか」

「どういう意味だ」

 彼女は私に視線を向けることなく、仕事を続けながら、

「他者の道具として生きている生活のことを言っているのです」

 その言葉に、私は頭に血がのぼったことを確かに感じた。

 だが、即座に口から不満を吐き出すことなく、何度か深呼吸をしてから、

「そうしなければ、私は排除されるような人間だからだ」

「何か、悪事でも働いたのですか」

「そのような事実は無い」

 私は己の顔面を指差しながら、

「このような外見である。他者にとって何かしらの価値が存在しなければ、人間として扱われることがないだろうと考えた上での行動だ。後悔は無い」

 其処で彼女は仕事の手を止め、私に目を向けると、

「信じられないとは思いますが、その気持ちは理解することができます」

 思わず、私は短く息を吐いてしまった。

 しかし、彼女は気分を害した様子も無く、

「私は、自分を磨く努力を怠らず、日々の手入れも欠かしたことはありません。それは他者の視線を集めるためではなく、自分自身を向上させようと考えているためです。ですが、そのようなことも知らず、何の努力もしていない人間は嫉妬し、隣に置くことで自身の価値を高めようとする異性が近付いてくるのです。そのような人間たちの相手をするばかりの日々を過ごせば、嫌気が差すに決まっているでしょう。だからこそ、私はあえて他者を遠ざけるような言動をすることにしているのです」

 彼女の普段の態度には、そのような理由が存在していたらしい。

 他者に振り回されるという意味においては、私も彼女も同様のようである。

 だが、親近感を覚えるかと問われると、私は首を横に振る。

 同情するような事情が存在するとはいえ、その見目の差異を考えると、我々が昵懇と化すことはないのである。

 そのような思いを抱くにあたり、劣等感が影響していることは間違いない。

 ゆえに、彼女の事情を知ったとしても、私が彼女に歩み寄ることはなかった。


***


 互いの事情を明かしたものの、我々が親しくなることはなかった。

 彼女は何度か歩み寄ろうとする姿勢を見せていたが、私が受け入れることはないとようやく理解したのか、今ではそのような行為に及ぶことはなかった。

 その後も我々は、単なる仕事仲間としての日々を過ごしていった。

 他の人間たちとは異なり、私の前では彼女の態度が軟化するようになったことは大きな変化だろうが、会社の人間たちはあまりにも見目が異なる我々が特別な関係に至るなどということは想像もしていないのか、特段の問題が起きることはなかった。

 しかし、それは会社での話だった。


***


 彼女がこの世を去ったのは、彼女に付きまとっていた人間の凶刃に倒れたということが理由である。

 犯人いわく、彼女が他の人間の所有物と化すことを避けるための行動だったらしい。

 だが、その犯人は彼女と恋人関係だったわけではない。

 彼女が自分の恋人と化すことは無いと知ると同時に、自分以外の人間と特別な関係に至る様子を目にするくらいならば彼女を失った方が良いと考えたのだろうか。

 理由が何であろうとも、彼女がこの世を去ったことに変わりは無い。

 彼女は、その美貌ゆえに狙われてしまった。

 そのことを考えると、私のような醜い人間の方が、生き続けることができる可能性は高いのだろうか。

 美しい人間は、とかく注目され、向けられるその眼差しには羨望と嫉妬の両方が含まれている。

 それに比べて、私は見下されることはあるものの、羨望されることも、嫉妬されることもない。

 ゆえに、私のような人間の方が、現代社会において生存の確率が高いのではないだろうか。

 私のような人間ばかりが目に入る世界など、想像するだけであまり気分が良いものではないのだが。

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美醜の苦悩 三鹿ショート @mijikashort

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