第10話 酒場にて

暗い酒場の中、ぼんやりと燃える明かりが広がっている。

俺はグラスブルのステーキとエールを楽しんでいた。

ステーキは柔らかくて風味豊かで、香り高い味わいが口いっぱいに広がる。


「マスター、このグラスブルのステーキは本当に絶品だな」


マスターは頷きながら、優しい笑みを浮かべた。


「この酒場では、最高の料理と飲み物を提供することが信条だからな。グラスブルの肉は特別だ。森の迷宮、中層のドロップアイテムだからな」


俺は料理を頬張りながら、舌の上で味わいを楽しんだ。


「本当に美味い。この香りと風味、まさに森の風味を感じるようだ。」


マスターは満足げに頷き、カウンターに手を置いた。


「そうだな、森の迷宮の草食獣、グラスブルは迷宮の恵みをたっぷりと受けた存在だ。背中に咲く鮮やかな花は、その証だ。奴らの肉は柔らかさと風味が絶妙に絡み合い、食べる者を魅了するんだ」


俺はエールを飲みながら、マスターの言葉にうなずいた。


「それに酒場のエールとの相性も抜群だ。この香り高いステーキと、ほのかな苦味と豊かなコクを持つエールの組み合わせは最高だな」


「そう思って貰えりゃ最高だ。グラスブルのステーキとの相性を考えて、風味を引き立てるように仕上げあるからな」


俺はエールを飲み干し、グラスブルのステーキの最後の一口を味わった。


「マスター、本当に美味しかった」


マスターはにこやかに頷いて言った。


俺は満足そうに席を立った。


依頼も上手くいったし、飯も美味かった。

だけど、今日はヨーコに会えなかったな…

少し寂しい気持ちになりながら、俺は店を出ようとすると、出入り口のあたりが騒がしい。


後ろ姿でも分かる。

ヨーコだ。

燃えるような赤い髪が背中まで伸びでいる。

後ろからでもしなやかな身体と、引き締まってキュッと上がったお尻が強調される服装が魅力的に見える。


どうやら酔っぱらいの大柄な男に絡まれているようだ。

男はヨーコの顔に酒臭い息を吹きかけ、手を伸ばして腕を掴んでいる。


ヨーコは怒りを隠さず、声を荒げていた。


「放して! 何様のつもり?」


男は笑いながら、ヨーコの肩を揺すりながら言った。


「お姉さん、ちょっと付き合ってくれよ。楽しいことしようぜ」


ヨーコは冷静に微笑みながら言葉を選んだ。


「あなたのお誘い、ありがたいけれど、私は今夜は他の用事があるのよ」


「俺はお前と話したいんだ」


「もちろん、話は大歓迎です。でも、今夜ではなく別の機会にしましょう」


男はかなり泥酔しているのか、足元がフラフラとしている。


「お前、星空娘だろ?俺は客だぞ」


「私が星空娘だって知ってるなら、私達がお客様を選んでお声がけしてるって事もしってらっしゃるでしょ?」


「ああ、知って入るさ。だけどな、俺が夜の街で飲んでても星空娘に声をかけられるなんて無かったぞっ!だからこっちから声をかけてやったんだろ」


男はヨーコに唾を飛ばしながら興奮して怒鳴った。

男の手に力が込められ、ヨーコの顔が苦痛に歪んだ。


「この手を離してくださいな」


「いいや、お前は今夜は俺と一緒に過ごすんだ。金なら出す銀貨5枚だろ」


「私も事を荒立てたくは無いのよ。私達星空娘は星空商会に守られている事もご存知よね?」


「あ?脅しか?脅してるのか?商会の名前を出せば俺がビビるとおもってんのか?おいっ!」


事を荒立てたくないだろう事はヨーコが華麗に躱していたから理解できたので静観していたが、もう俺は堪らなくなって、間に入った。


「ヨーコ、大丈夫か?困っているようだけど」


と俺は心配そうにヨーコに声をかけた。


ヨーコは酔っぱらいとのやり取りに苦笑いしながらも、俺に向かって手を振った。


「ああ、助けてくれてありがと。でも大丈夫。私、自分でなんとかするから」


しかし、酔っぱらいはますます興奮していき、ヨーコの腕を引き店の外に連れ出そうとしている。

俺はヨーコを守りたいという思いが強まり、仲介に入る決意を固めた。


「おい、兄さん。彼女に迷惑をかけるのはやめてくれないか?」


俺は酔っぱらいに声をかけたが、彼は憎々しい笑みを浮かべながら俺に近づいてきた。


「なんだ?小僧が何を言っている?この俺に立ち塞がるのか?」


酔っぱらいは嘲笑いながら俺に向かって歩み寄ってきた。


「お!なんだ?喧嘩か?」

「掛けるか?」

「やれやれ!ぶちのめしちまえ!」


酒場は一気に活気づいた。

娯楽の無いこの世界じゃ、酒場の喧嘩は最高の娯楽だ。


男が近づいてくる。見上げるような巨体だ。

俺は身構えたが一瞬だった。


気づいた時には顔と背中に強い衝撃を感じた。

俺は壁までぶっ飛ばされていた。

世界が回っている。

俺は、ヨーコを心配しながらも立ち上がることができなかった。


背中はかなり痛いが、殴られたはずの顔は麻痺したように痛みは無かった。

ただ、鼻と口から今まで出した事も無いような量の血が溢れ出てきているのは分かった。

床に血が広がる。


「おい、ロゴス流石にあいつ弱すぎだろ、掛けにもならねぇぞ」


大柄の男、酔っぱらいロゴスの仲間だろう男が、ロゴスの脇でへらへらと笑っている。


「だな」


ロゴスは、さらに俺へと近寄ってきて、俺を見下ろす。


「ヒーロー気取りか?生意気に、俺とヨーコの間に割り込んでくるとは、ふてぇ野郎だ、二度とそんな気が起きねぇようにしてやるよっ」


腹部に強烈な刺激が加わり、俺の口からは血に混じったグラスブルのステーキとエールが一気に吹き出る。


こりゃ全部出ちまったな。

勿体ねぇ。


「もっとやれ!」

「弱すぎるぞ!」

「立ち上がれ!やり返せ!」


酒場はさらにヒートアップしていた。

俺は腹に力をためてから出来る限りの声を張り上げて言ってやった。


「おい、クソ野郎。お前はお呼びじゃないんだとよ。近づいただけでもお前は臭せぇ、風呂入ってんのか?そんなんじゃ星空娘どころか誰も近寄らないだろ?二度と彼女にかまうな。二度とこの店に顔だすんじゃねぇよ!」


俺は精一杯笑顔を作って言ってやったつもりだが、顔が麻痺したような感覚で上手く出来たか分からない。

ロゴスが目を血走らせて酔って赤くなっていた顔を今は真っ赤に染めている所を見ると上手く笑えたようだな。


「面白れぇ奴だな。自殺志願者を発見したぞ。俺にそんな口を聞いたこと、後悔しながら死ね」


また腹を蹴り飛ばすつもりだろう、ロゴスがニヤついた顔で蹴りの体制に入る。

俺は腹部に強めにレイスシールドをかけた。

容赦ない蹴りの衝撃を腹に受ける。

続けて腹部に蹴りを何発かもらう。

衝撃はあるが、痛くは無いな。

そんな事を考えながら蹴りを受けていると、かなり酒場が静かになってきた。


ロゴスをロゴスの仲間とマスターの2人が止めに入った。


「おい、流石に店の中で殺生沙汰は俺も看過出来んぞ!ここから出て行け!二度と来るな!」

「ロゴス、目撃者がこれだけいる中で、これ以上やったら流石にまずいぜ。逃げるぞ!」


二人の言葉に、少し冷静になったのか、ロゴスは俺を見下ろして憎々しげに言った。


「くそっ!命拾いしたな。お前の顔は覚えたぞ。くれぐれも人通りの少ない場所では気をつけるんだな」


俺にそう言うと、マスターとヨーコにも捨て台詞を吐いて男は去っていった。


「くそっ、酷い目にあったぜ!このしょぼくれた酒場もこのブスな女も二度と関わらねえからな!」


ヨーコは心配そうに近寄ってきた。


「大丈夫?ごめんなさい、私のせいで……」


「いや、大丈夫だ。気にしないでくれ、俺の方こそ余計なことしちまってスマン」


俺は苦笑しながら立ち上がった。


「すまなかったな。星空娘に絡む客はいるはいるが、いつも上手く躱してたからな。あいつらは常連じゃないから様子を見てるうちに対応が遅れた」


マスターは俺とヨーコに謝罪した。


「気にしないでください。私もああいう男にからまれるの慣れてますから」


ヨーコは笑顔を見せた。

きっと俺が余計な事しなくても上手く躱せたんだろう。

本当にいらぬ世話だったな。

ただただカッコ悪い。


「でも、あなたは勇敢だったわね。私を助けてくれてありがとう」


ヨーコは俺にそう言ってくれたが、俺は情けない気持ちでいっぱいだった。


「いや、別に…マスターもごめん、今、掃除するからさ…」


「気にしなくて良い、掃除はやっとくから、今日は帰って休め。酷い怪我だぞ」


「私が送りますよ」


ヨーコが申し出た。


「いや、大丈夫だ。俺は一人で帰るよ」


情けなくて涙がこぼれそうだったがグッと堪えた。

そして、沸々と俺の奥底で燃え上がってくる何か。


「でも……」


ヨーコは引き止めようとしたが、俺は首を振った。


「本当に大丈夫だから。じゃあな」


俺は酒場をあとにした。

一刻も早くこの場を去りたかった。


「ちくしょう…」


夜道を歩きながら涙が溢れた。

最高の夜だと思ってた夜は。

最悪の夜になった。


自分の馬鹿な行動、弱さ、判断ミス、なにもかもが情けなかった。


「あの野郎…」


そして、ロゴスという名の男。

俺はやられっぱなしじゃないぞ。

ニヤついたあいつの顔を思い出すと俺の心が燃え上がるように熱くなる。

悔しい。

憎い。

笑ってんじゃねぇぞ。


家に帰るとモーリスは俺の顔を見て一瞬驚いたようだったが、何も言わずに消えていった。


「クゥン」


グリンが近づいてくると、俺の顔を舐めた。


俺はマジックポーチからポーションを取り出しグビリと飲むと残りを頭の上からかけて、俺自身を濡らした。

野営の準備をして、横になると、自らにスピリチュアルチャージをかけ傷を癒やす事に集中した。

寄り添う様にグリンが俺の横で丸くなった。


様々な想いが頭を駆け巡り、目が冴えている。

今夜は眠れそうになかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る