第3話 買えない
俺はかなり良い気分になって銀の月夜亭に帰った。
「お部屋のお荷物はこちらで移動しておきました」
受付で部屋の鍵を渡される時、店員に部屋が浴室付きの部屋になった事を告げられた。
追加で料金を払おうとしたが、既に頂いていると言われた。
部屋への扉を開けると、部屋の中はとても良い香りに包まれていた。
「こんばんわ。お兄さん」
部屋には小さなテーブルと2脚の椅子があったが、その椅子に腰掛けたヨーコがこちらに軽く手を振って挨拶してきた。
「こんばんわヨーコさん」
俺はドギマギしながらヨーコさんに返事をした。
「そんなに固くならないでコッチに座りなさいよ」
ヨーコは並べられた自分の横の椅子を軽く叩いてそう言った。
俺はこれからの事とかあれやこれや考えながら少しぼーっとして椅子にすとんと座った。
「はい、どーぞ」
テーブルの上には、簡単な軽食と、強い酒精を感じさせるお酒が置いてあった。
小さなグラスに琥珀色の酒が注がれる。
「今日、ハルさんに出会えた素晴らしい夜に乾杯」
ヨーコのグラスと俺のグラスが涼やかな音を立てた。
少し潤んだヨーコの瞳が俺をみつめる。
俺は恥ずかしくなり目をそらす。
女性とこれだけ近距離で話すことも初めてだし、二人きりで部屋にいるこの状況にパニックになりそうな自分を必死に抑えた。
俺は一気にグラスの酒を飲んだ。
強いけれど甘い味が俺の喉を熱くさせた。
胃の中に熱い液体が注がれるのを強く感じた。
「あら、良い飲みっぷりね。この味はどうかしら?」
ヨーコが俺の頬を両手で掴むと、ぽってりとした唇が俺の唇にぶにゅっと押し付けられた。
そして、俺の口の中に先程の酒の味と匂いがする柔らかなモノが差し入れられ、優しく俺の舌を撫でた。
糸を引き離れるヨーコの煌めく唇をぼーっと見つめる。
「さ、これも食べてみて、はい、あーん」
更に盛られたドライフルーツを手に取ると、ヨーコは俺に食べさせてくれた。
俺は素直に食べて、口の中に広がる甘みを堪能した。
「次は私に味わわせてちょうだい」
目を閉じてこちらを向いたヨーコ。
綺麗だ。
長いまつ毛がわずかに震えている。
華奢な肩を引き寄せ、ヨーコを抱きしめ、貪った。
ひとしきり二人で軽食と酒を堪能した。
ヨーコは俺の冒険の話を、時に感心し、時に驚き、時に笑いながら聴いてくれた。
「さて、そろそろお風呂入ろっか?」
そういって椅子から立ったヨーコは、俺の手を引き立たせてくれた。
優しく俺の衣服を脱がせてくれ、自分もゆっくりと衣服を脱いでいった。
一糸まとわぬ姿になった俺達は、手を繋いで浴室へと入った。
めくるめく一夜だった。
柔らかく優しく、美しく清らかで、熱く艶めかしく、俺は俺の精一杯で。
ヨーコはヨーコの精一杯で。
気づいたら明け方になっていた。
最後にもう一度二人で浴室に入って寝ようとしたが、浴室でまた燃え上がった。
消えない火がある事を知った一夜だった。
目覚めると、俺の横で、ヨーコが俺の髪を撫でてくれていた。
「おはよ、ハル」
「おはよう、ヨーコ」
「さて、そろそろ私も帰らなきゃ、どうする?朝食は一緒に食べる?」
「良いのか?」
「良いも悪いも、どうせ食べるのよ、一緒に食べたほうが楽しいじゃない」
そういうと彼女は寝室にあるベルを3回鳴らした。
しばらくすると、部屋に朝食が運ばれてきた。
朝食を食べながら、酒が抜けてすっきりした頭で、俺は昨夜から聞くか聞かないか迷ってた事を意を決して聞くことにした。
「ヨーコ」
「なあに?」
「気分を害したらごめん。聞きたいことがあるんだ」
「そっか、まぁなんとなく分かるわよ。結構聞かれる事だろうし、何かな?」
「ヨーコは奴隷だろ?俺、ヨーコを買いたいんだ。ヨーコはいくらだ?」
「え?銀貨5枚?」
「いや、そうじゃなくて、えっと、ヨーコを俺の奴隷に買いたいんだよ」
「あ、え?聞きたいことって、そういう事?どうやって奴隷になったとか、奴隷になって何年目だとか、今晩はまた会えるのかとか、次は割引が効くのかとか、交際したいとか、なんかそういう事聞く人は多いけど、私を奴隷として買うなんて人は初めてかもしれないわね」
「ごめん。ちょっと失礼だったよね」
「いえ、そんな事ないわよ。でも私達の価格は、私達も知らされて無いわ。星空娘を買いたいなら、星空商店に問い合わせてちょうだい」
「分かった。さっそく今日行って聞いてみるよ」
「まぁ、それだけ満足してもらえたって事なら光栄だわ」
ヨーコはいたずらっぽい笑みを浮かべて俺を見つめる。
なにかムクムクと俺の中に湧き上がって来そうな感情を抑えて、俺はヨーコを未練たっぷりに送り出した。
部屋には彼女の残り香。
夢。
一夜の極上の夢。
俺は、宿を出ると早速このファスの街の星空商店へと向かった。
だいたいの街で星空商店は、冒険者組合の近くにあるので直ぐに場所は分かった。
俺は、商店に入ると店員に星空娘購入の旨を伝える。
「かしこまりました。では、お客様こちらへどうぞ」
俺は商店の奥の応接室に通される。
さすが、星空商会の応接室だけある。
通された部屋のソファーは渋みのある木製の枠組みに、柔らかな布地のソファーで座るとふわっと包み込まれるようだ。
調度品も品が良く、洗練されたセンスを感じる。
「いらっしゃいませお客様、本日は、星空娘をお求めとの事でありがとうございます。私、今回担当をさせていただきますヴィーゴと申します。」
しばらくすると、やや年齢高めの店員ヴィーゴが俺の向かいのソファーに座った。
年齢は35歳ほどだろうか、背筋はピンと伸び、黒い制服をしっかりと着こなしている。
「さて、星空娘は何人かおりますが、どの娘をご希望でしょうか?」
「えっと、ヨーコって子なんですけど」
「ああ、なるほどあの子ですか」
ヴィーゴは手元の分厚い紙をめくっていく。
「なるほど、では、お見積りいたしますので、少々おまちくださいませ」
「分かった」
この世界、読み書き計算が出来るものは少ない。
教育って制度が、それなりの身分のものしか受けられないからだ。
転生者の俺は、中学生の二次関数を理解している程度でも、計算っていう部分ではこの世界では十分な能力を持っているといえるだろうな。
そうこうしているうちに見積もりが出たようだ。
「それでは説明させていただきます。あなたのお求めの娘は、現在月に20日、銀貨5枚を売り上げています、月に金貨1枚ですね。年間で言いますと金貨12枚です。病気などにならなければ、あと5年は同じ金額で働けるでしょうし、6年以降も値段を落としていけば、もっと働けるでしょう。ですが、それはあくまで売上のお話です。彼女たち星空娘を管理する上では、酒場や宿屋への支払いや彼女達の飲食や住まい、美容の為の経費や衣服の費用など、様々な経費もかかります。彼女の奴隷となった経緯や、奴隷となってからの年数、彼女の仕入れ値、彼女の今の年齢、全てを私の方で計算したところ彼女の値段は金貨30枚となりますが、いかがでしょうか?」
ヴィーゴは俺に丁寧に説明をした。
客の中には計算が出来ないものも多いだろう、それにも関わらずしっかりと説明するところには好感が持てた。
星空商店が大商会といえる所以だろう。
この世界の通貨の価値は日本円でいうと
銅貨1枚100円。
大銅貨1枚が千円。
銀貨1枚が1万円っていうイメージだ。
大銀貨は1枚10万円。
そして金貨1枚100万円だ。
彼女のお値段3000万円。
高級外車のお値段だ。
まぁ俺が受けてる冒険者としての依頼がだいたい銀貨6枚から銀貨10枚の依頼だ。
数日かけて依頼を達成する事もある。
冒険者としての装備や、宿やの費用。
禁欲的な生活をしてきたとはいえ、俺の財布には年に金貨1枚前後が貯められるかという感じだ。
そして、現在俺の財布には金貨は10枚程度しかない。
それでも冒険者としては十分に貯め込んでいる方だと思う。
でも、足りない。
全然足りない。
「えっと、ヴィーゴさん分割払いは可能でしょうか?」
「はい、可能です。担保となります家、土地、高級魔法武具、宝石、領地など何でも構いません、料金に見合う担保を入れていただく事で分割払いが可能となっております」
当然、根無し草の俺にそんな担保に入れられるものなんて無い訳で。
ヨーコを買えず、しょんぼりと店を後にした。
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