6. ☆2 (後)
食堂に辿り着いた俺は、入り口の看板に書いてある『日替わりランチ』のメニューを見て、愕然とした。
(ハンバーグセットがある……!)
ゲームの中ではランダムに発生していた食堂のメニューを決める選択肢。
その選択肢の中に『ハンバーグセット』がある場合、それはこの先のイベントの重要な分岐になっていた。
そのイベントとは、攻略対象者である公爵子息ハロルド・サリュージュとの出会いイベント──まさかの俺のイベントだ。
ここで出てくる「何を食べようかな?」という設問の選択肢で『チキンソテーにしよう!』を選ぶと、イベントは起こらずに「あー美味しかった。ごちそうさまでした!」で次の場面へ進む。ハロルド以外のキャラとの攻略を進めたい時に選ぶ選択肢だ。
問題は、シェリルが『ハンバーグセットにしようかな!』を選んだ場合。
これを選ぶとハロルドのイベントが起こり、ハロルドルートが解放されて彼の好感度を上げる事が出来る。
そう、俺のルートが解放されて、シェリルに対する好感度を強制的に上げられてしまうのだ。
(俺と一緒に食堂に来たからか……? 初日でこの選択肢が出てくんのかよ…!)
これは困る。大いに困る。何度も言うが、俺はシェリルと恋愛関係になる気はこれっぽちも無い。
という訳で、シェリルには何としても『チキンソテー』を選んで頂きたい俺は、それこそ全力でチキンソテーに対するプレゼンを行った。その結果、
「ふふ、ハルってばチキンソテーが大好きなんだねー。じゃあハルはチキンソテーで、僕はこの日替わりランチのハンバーグセットにしようかな!」
プレゼンは見事、失敗に終わった。
(何でそうなるんだぁぁ!)
シェリルが『ハンバーグセット』を選んだ場合に起こる本来のイベントを思い出して、俺は死にたくなった。
ゲームの世界のハロルドは、甘い台詞と甘いマスクで主人公を積極的に誘っていくタイプのキャラクターだった。
ハンバーグセットを選ぶと一人で食事をしている主人公の席に突然ハロルドが現れて、「ここ、いいかな?」と向かいに座り、一緒に昼食を取ることになる。
そしてその後、モグモグとハンバーグを食べている主人公に対してハロルドがとんでもない事をしでかすのだ。
主人公の口端にソースが付いている事に気が付いたハロルドは、「付いてるよ?」と微笑みながら主人公の口端に直接チュッと口付けをして、ソースを取っていた。
もう一度言おう。シェリルの口端に、直接ハロルドが口付けをして、ソースを取っていた!
当然その場面は美麗な
(いやいやいや、ムリでしょ! どんな展開だよ)
絶対に出来っこない。そんな恥ずかしい事を俺が公衆の面前でやるなんて、絶対無理に決まっている。けれど……、
(まさかとは思うけど、ハロルドルートを解放したのに俺がそれをやらずにスルーした場合、好感度不足で後々バッドエンドに発展していって、最悪シェリルが死ぬ…という可能性があるんじゃ…)
そんな不吉な考えが浮かんでしまい、(これはもう、やるしかないのでは……)と俺を掻き立ててくる。
シェリルの死と自分の羞恥心。天秤に掛けるなら、どう考えても捨てるのは自分の羞恥心だ。
躊躇う俺の頭の中では、辺境伯領の騎士達が「羞恥心粉砕祭り」に俺を連れ出すために、神輿を担いでワッショイワッショイと褌で迫ってきていた。
「ゴツい騎士達が俺に向かって来てるんだけど…」と思わず口に出てしまったのを、慌てて何とか誤魔化す。
シェリルは「辺境伯領の騎士ってゴツい人が多いんだー」なんて暢気に笑っていた。
チキンソテーを食べ終わり綺麗になった皿を見つめた俺は、そこで覚悟を決めた。
ハロルドルートは解放されてしまったのだ。好感度不足でシェリルを死なせない為には、羞恥心をかなぐり捨ててでも俺が頑張るしかない。
チラリとシェリルの方を見やれば、シェリルはハンバーグのソースをパンに付けながら無邪気にウマウマと頬張っている。その可愛らしいお口の端には、しっかりと美味しそうなソースが付いていた。
ゴクリ…と俺の喉が鳴る。
(シェリルの口端に、チュッと触れるだけだ…、チュッと!)
覚悟を決めた俺は、スススーっとシェリルの頬に限界まで顔を寄せて、その口端にチュッと…、チュ──
(やっぱりムリですーッ!)
最後の最後でチキった俺は、「…付いてるし」とボソッと小さく呟きながら、シェリルの口端に付いたソースを親指で拭って自分の口に持っていくのが精一杯だった。
(何やってんだ俺は……)
向かいの席ではシェリルが顔を真っ赤にしたまま横を向いている。
そんなコイツを見て、
(可愛すぎ……)
なんて思ってしまった俺は、ここでシェリルに自分の好感度をしっかり上げられてしまった事に、未だ気付いていなかった。
そうして俺は、早鐘のように煩い心臓と火照った身体を静めるために、辺境伯領の騎士に混ざって滝行をする褌姿の自分を思い浮かべながら、ただひたすらに温くなった紅茶を飲み続けたのだった。
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