第33話 公僕の悲哀

 水平線から朝日が昇る。やや紫がかったまばゆい光を浴びながら、リシンはこれまでに起きた出来事を思い出していた。


(何でこんなことになるんだ)


 リシンは今、幻水橋ファントムの架かっていたところに程近い小島に身を寄せていた。小島にはリシンの他にも10人ほどいた。みな地面にシートを敷いて、毛布に包まって寝ている。


(橋の先の方で爆発が起こったと思ったら、急に橋が霧散むさんした。これが魔法なのか)


 リシンはようやく現実を受け入れることにした。ここは機械の国ではなく、魔法の国なのだと。


(だいたいあのクソガキ……イリーナか。足が速すぎる。身体能力が異常だ)


 レガトスが、イリーナのことをケルサスだと指摘していたのも合点がいく。だが、リシンにとって、イリーナがケルサスなのかどうかは実のところどうでも良かった。

 リシンがこの世界に来た目的は、『未知の国々』の使者が何を企んでいるのかを明らかにして、一泡吹かせてやるためだ。


「命拾いしましたね」


 リシンの隣でそう言ったのは、深緑の髪が印象的な若い男だった。


「いやしかし、メルムを助けるなんて、私は本当にお人好しだなあ」


 男の名前はオベディオという。幻水橋が消えかかり、リシンがあわや落水という時、急に体が宙に浮き上がり、そのまま小島へと連れて来られた。オベディオの魔法で助けてもらったようだった。

 オベディオはリシンをちらりと見て、ため息をついて言う。


「ケルサスの前で、メルムがあぐらをかくとは。いや、私の威厳がないせいか。はあ……」


 リシンは、オベディオをまじまじと見た。緑色の髪を生やす人間なんて、故郷のブリューソフでは見たことがない。最初見た時は警戒したものだ。

 だが今、鉛筆のように細い体を丸めて、丸縁まるぶちの眼鏡をくいくい上げながら嘆息たんそくする姿は、何とも情けない。警戒するに及ばず、とリシンは判断した。


(しかし一応、命の恩人だからな。顔を立ててやるか)


 リシンはふんっと鼻を鳴らした。オベディオは肩をびくっとさせて言う。


「な、何でにらむんですか?」

「睨んでない。目つきが悪いだけだ」

「そうですか、すみません……」


 オベディオはまた背中を丸めてしまった。

 リシンはオベディオを観察していて、ピンとくるものがあった。しなっとしたシャツに茶色いベスト、ベージュのズボンを着て、背負っている布のナップサックからは書類の端がのぞいている。


「お前、役人か?」

「え、何で分かったんですか?」

「悪目立ちしない服装、膨大な事務書類、その書類仕事のせいで曲がった背中。何より条件反射で謝ってしまう卑屈ひくつな性格。どれを取っても役人だ」

「そうなんですよ……って、え、今私のことを『卑屈』と言いましたか?」

「馬鹿にしているわけではない。むしろ勲章だと思え。公務員は法令遵守ほうれいじゅんしゅ、それ以上に上司の命令には絶対服従ぜったいふくじゅうだ。それがどんなに無能な男でも、強欲な女でも」


 リシンは自分で言いながらムカついてきた。そもそも何でブリューソフ共和国で一番の大学を卒業したキャリア官僚の自分が、選挙でぽっと出の連中に頭を下げなければいけないのか。選挙なんてなくなればいい。大統領も大統領に任命された大臣も次の選挙で落選すればいい。リシンは切に願った。

 他方、オベディオは興奮気味に言う。


「まさのその通り! うちの上官も気の強い人で、無理難題を言うし、断ると殴るんです。上司は早く異動して、紛争地帯にでも配属されて不幸な目にあってほしいです」

「そうか。ここに来たのも上官命令か?」

「ええ、そうですとも。最近、国境地帯の様子がキナ臭いからと、調査するように言われまして」

「キナ臭いとは?」

「アウルム王国軍が不穏な動きを……あ、いや。これは失言でした」


 オベディオは急に口をつぐんでしまった。リシンはそれを見て、にやりと笑った。


(こいつ、情報を色々もってそうだな)


 レガトスを失った今、新たな先導役が必要だ。リシンはこの気弱そうなオベディオの心のうちに入り込むことにした。


「実は、俺も調査に来たんだ」


 リシンはわざと悩ましげに言った。


「そうなんですか。あれ、そもそも……メルムは公職に就けないはずでは?」


 メルムは公職に就けないとは、リシンは初めて聞く情報だったが、適当に話を合わせることにした。


「俺はアウルム王国の下僕なんだ。上司が面倒くさがり屋で、国境地帯でかわりに公務を行うことになってな」

「それは酷い!」


 オベディオは同情するような目でリシンを見ている。


「国境地帯では、兵士に捕まってえらい目にあった。誘拐されたセンタルティア王女とやらが帰還したらしく、警戒が厳しくてな」

「ああ、その話は聞きました。血の嵐が吹き荒れるでしょうねえ。まあ国がこんな状況ではやむを得ないですが」

「……何だと?」


 血の嵐、とはどういうことか。センタルティアが戻ると何か不都合でもあるのか。リシンが睨むと、オベディオは「ひっ」と声を上げた。


「睨まないでくださいよ。アウルム族と違って、カエラ族は繊細なんです」

「何が起きようとしているのだ?」


 オベディオは眼鏡をくいくいしながら答える。


「普通に考えたら、14年も前にいなくなったセンタルティアが、生きて戻るはずがないのですよ」

「ああ、そうだな。センタルティアは本物ではない。それは俺も確認済みだ」

「ほう、それはそれは……」


 オベディオは興味深そうに言うと、ナップサックからメモとペンを取り出し、何やら書き留めている。


「ザルカー元帥はやはり、ジャルモ摂政に対抗するための手段として、偽のセンタルティアを……」

「ザルカー、ジャルモとは誰だ?」


 オベディオは「えっ」と顔を上げた。


「あなたはアウルム王国の公僕なのですよね。そんなことも知らないのですか?」

「いいから説明しろ」


 リシンにまた睨まれたオベディオは、しぶしぶといった感じで、アウルム王国ではザルカー元帥とジャルモ摂政の対立が続いていることを説明した。リシンはポケットから取り出したメモに、オベディオの言葉を一言一句漏らさず書き留める。


「ザルカー元帥は軍隊の最高司令官で、民衆からの人気も高い。しかし、ジャルモ摂政もまた亡き第二王女の夫として、貴族や役人の支持を得ているのです」

「なるほどな。で、国境地帯で、お前は何を調べていたのだ?」

「何と……まるで尋問を受けているようですね」

「知っていることは全部言え」


 リシンはメモを取りながら、蛇のような目でねめつけた。――だがオベディオは、今度はふっと鼻で笑った。


「あなたは、本当にアウルム王国のメルムですか?」


 オベディオの目の奥が、その瞬間、緑色に光った。リシンの背筋に冷たいものが走る。リシンは反射的に身構え、警察犬のように唸った。


(何だ?!)


 心臓が激しく波打つ。オベディオの中に、底知れない何かがある。――と、オベディオの目は、また元の黒い瞳に戻っていた。


「さて、朝もすっかり明けましたね。続きは、アウルムの王都に到着してからにしましょう」


 オベディオは立ち上がり、大きく伸びをした。


(ちっ、一筋縄ではいかないな)


 リシンは考えを改めざるを得なかった。弱そうに見えても、相手はケルサスだ。ブリューソフにいる普通の人間ではないのだと。

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亡魂のセンタルティア―見捨てられた王女の革命物語― みどうれお @midoureo

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