第26話 魔法戦争

 イリーナは走った。久しぶりの疾走感だった。

 最近はお店でまっとうに働いていて、スリの仕事をしていなかったから、足の筋肉がだいぶ硬くなっていた。それでも気分は爽快だった。自分はやはり体を動かしている方が性に合っているらしいと、イリーナは思った。


(ああ、気持ちいい!)


 イリーナの神速ぶりは、馬の脚に追いつくほどの速さだった。アウルム王国方面に向かう旅人たちは、馬の横にぴったりついて走るイリーナを、物珍しそうに見下ろしていた。

 霧の中を1時間ほど走ると、前を行くレガトスの後ろ姿が見えた。


「レガトスさん!」


 レガトスは馬上から振り返ると、ぎょっとした顔をして、「どうどう」と言って馬を止めた。


「もう追いついたのか。早いな」

「だって、この橋はすぐに流れ落ちるんですよね?」


 イリーナも足を止めて、橋の欄干らんかんにもたれて少し休むことにした。全速力でないとはいえ、1時間も走り続けるのはさすがに疲れてきた。

 息を切らしているイリーナを見て、レガトスは不思議そうに言った。


「まあそうだが、途中にいくつかの小島があるから、間に合わなければそこで宿泊することもできるが」

「え、そうなんですか。じゃあ、何でレガトスさんも他の人も走ってるんですか?」

「他の奴らに負けたくないからだ」

「え?」

「ケルサスは負けず嫌いだからな」

「それだけの理由なんですか……?」


 先にそれを言ってくれれば急ぐ必要はなかったのにと、イリーナは呆れた。とはいえ、自分が無理を言ってアウルム王国への案内をお願いしているのだから、文句を言える立場でもない。

 イリーナが息を整えている間、レガトスは次々に通り過ぎていく旅人たちを見ていた。


「あの下僕はまだ後ろにいるのか?」


 イリーナは「あっ」と声を出した。走るのに夢中で、リシンの存在をすっかり忘れていたのだ。


「ああ……はい。まだ後ろにいると思います。宿泊できる場所があること、リシン警部にも伝えたいので、追いつくまで歩くことにします」


 イリーナは少しばかりの罪悪感を抱きつつ、ゆっくりと歩き始めた。レガトスの方もすっかり競争心が冷めてしまったのか、馬から降りて、イリーナと共に歩き始めた。


「お前、名前はイリーナだったな?」

「そうです」


 イリーナが答えると、レガトスは周囲を見回し、人がいないのを確認してから言った。


「センタルティア様が本物の王女ではなく、別人だと言ったな。根拠を説明しろ」

「はい、分かりました」


 イリーナは大まかに説明した。リシンの調べによると、フェルニナには故郷のブリューソフに実の親がいること。それなのに、アウルム王国の使者がフェルニナをセンタルティア王女だと決めつけ、病床のフェルニナをアウルム王国に連れ去ったこと。

 説明を終えると、レガトスが尋ねた。


「もしや、フェルニナという子供は金髪か?」

「そうです」

「なるほど。金はアウルム族の象徴色シンボルカラーだ。金髪だと一見してアウルム族のように見えるし、王女に仕立て上げるにはもってこいだ」

「仕立て上げるって……何でそんなことを。アウルム王国で何が起きているんですか?」


 イリーナが問うと、レガトスの馬がヒンッと甲高く鳴いた。レガトスはたずなを軽く引いて、馬を落ち着かせた。


「アウルム王国では今、内紛が起きている」

「ないふん……ですか?」

「ああ。アウルム王国軍の暴れ馬のような元帥殿と、瀕死の国王陛下をあやつり人形とする摂政殿の争いだ」

「げんすい……せっしょう……? よく分からないですけど、次の王様のポジションをめぐる権力争いですか?」

「そうだ。頭は悪そうだが、理解は早いな」


 レガトスは「ははは」と笑った。その見下した態度に、イリーナはカチンときた。


「……それで、その内紛にニナや王女がどうかかわるんですか?」

「簡単な話だ。摂政殿は、王族の血を引く自分の娘を王位につけたがっている。だが、摂政殿と仲が悪い元帥殿はそんなことは認められない。そこで元帥殿は対抗策として、センタルティア王女の捜索を始めた。14年前に誘拐され、『災いの国々』にいると目されていた王女だ」


『災いの国々』とは、話の流れからしてブリューソフのことだろう。この世界に来て最初に出会ったタラスからも聞いたが、嫌な呼び方だとイリーナは思った。


「ここからは俺の推測だが……恐らく王女は死んでいて、見つからなかったのだろう。それで、王女に似た金髪の子供を、王女として仕立て上げた」


 イリーナはここまでレガトスの話を聞いて、ふと疑問が浮かんだ。


「レガトスさんは、『一等魔剣士いっとうまけんし』……下級兵士ですよね。何でそこまで偉い人たちの事情に詳しいんですか?」

「下級とは失礼な。俺は――」


 そう言いかけて、レガトスは急に身構えた。イリーナも驚いて立ち止まった。


《アブナイ、アブナイ……》


 脳の奥からまた声が聞こえてきた。イリーナの身に危険が迫っていることを知らせる例の声だ。


(誰かが私を狙っている……?)


 その予言はまたも的中した。霧の中から殺気立った男が現れたのだ。


「そこを動くな!」


 男が叫んだ。その腰に大きな剣を下げているのを見て、イリーナは一歩下がった。


(武装している……ってことは、警察か軍人か。レガトスさんがムスカを殺したことがバレて、捕まえにきた?)


 だが、男はアウルム王国方面から現れたし、レガトスがムスカを殺してから半日も経っていない。そんなに早く情報が伝わるものだろうか。

 レガトスを見ると、その表情にはやや緊張感がにじみ出ていた。男が少し距離を縮めた。


駐屯軍ちゅうとんぐんのスパイはお前だろう。後ろにいる子供は仲間か?」


 すると、 男の背後からわらわらと仲間が現れた。12、3人はいる。男たちはみな手に鎖や鈍器を持っていた。イリーナは思わず後ずさった。

 そして何よりも――「スパイ」とはどういうことなのか。イリーナは恐る恐る質問した。


「レガトスさん……スパイとは?」

「スパイも知らないのか。敵対勢力の中に入って情報を得る者のことだ」

「さすがにそれは知ってます。レガトスさんは、スパイなんですか?」

「失礼な。くだらぬ内紛で国を乱すやからを征伐しようという、こころざし高き勇者だ」


 何の答えにもなっていなかった。イリーナはだんだん腹立たしくなってきた。


「つまり、レガトスさんは軍人じゃなくて、本当は軍隊の内情を探っていたんですね。それが軍隊にバレたから、この怖いおじさんたちに捕まえられそうになっているんですね?」

「まあ、端的に言うとそうだな」


 レガトスは前髪をかき上げ、少し困ったように息を吐いた。


「何で早く教えてくれなかったんですか!」

「そんなこと、お前には関係ないだろう。これは俺の問題だ。なぜお前が怒るのだ?」


 レガトスは意味が分からないという感じで首を振った。イリーナはあまりの忌々しさに言葉を失った。


(今まさに、大いに関係してるのに!)


 だが、ここでレガトスの正体を追及したり、怒りをぶつけたりしている時間はない。男たちがじりじりと距離を詰めてきていたからだ。


(やっぱりこの人は信用ならなかった。この辺で手を切ろう!)


 イリーナはそう決意を固めたものの、まだ後ろにいるリシンが気にかかった。待つべきかどうか迷ったその時、男が大剣を引き抜いた。


「捕まえろー!」


 掛け声と共に、男たちが雄たけびを上げながら一斉に向かってきた。レガトスも突進すると、目にもとまらぬ速さで抜刀した。その瞬間、イリーナの体に強い風圧がかかった。


「うわっ!」


 なすすべもなく吹き飛ばされたイリーナは、受け身を取りつつ、何とか欄干を掴んだ。凄まじい衝撃波だった。顔を上げて前方を見ると、男たちも吹き飛ばされた後だった。

 レガトスは青白く揺らぐ長剣を片手に持ち、涼しい顔をして立っていた。


「よく耐えたな」


 レガトスの言う通り、男が一人、辛うじて立っていた。男は胸元から細い棒を取り出した。それを前面にかざすと、先端にはめこまれた石がみるみる輝きを放ち、真っ赤な光弾が発射された。


「やばっ!」


 イリーナは咄嗟に頭を抱え、地面に伏せた。同時に爆発音が響き、悲鳴が上がった。続いて海に何かが落ちる音がした。


(これは、戦争……魔法戦争だ!)


 とにかくこの場から逃げなければならない――そう判断したイリーナはすぐに立ち上がり、アウルム王国方面に向かって全速力で駆け出した。「おい、待て」という呼び声が聞こえたが、イリーナは無視して走った。

 橋の上は霧と煙が混ざり合い、重たい霧に飲み込まれていた。足元にはいくつもの死体が転がっていた。彼らの服は焼け落ち、皮膚はただれ、不快な臭いが鼻についた。イリーナは死体を避けようと欄干の上に飛び上がったが、海にも同様の死体が浮かんでいるのが見えた。まさに地獄絵図だった。

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