第25話 大移動開始

 イリーナとリシン、そして新たに同行することになったレガトス。3人は町に下り、海の方へ向かった。

 初めての外国、否、異世界とも言うべき場所に来て、普段は冷静なイリーナもさすがに緊張を隠せなかった。頼れるのはレガトス1人。心もとない状況だが、何としてでもフェルニナに追いつきたい。

 途中、レガトスはうまやに立ち寄った。


「繁忙期なもんで、いい馬をご用意できないんですが」


 申し訳なさげに主人が引き渡した馬を見て、イリーナは目を丸くした。それはただの馬ではなかった。

 故郷のブリューソフの馬と色や体格は同じであるものの、その額から一本の黒い角が生えていたのだ。人間を傷つけないようにするためか、10センチくらいに短く切られていたが、伸ばせば長くて立派な角になるだろう。


「この世界の馬には、角があるんですね」

「当り前だ。角がなくて、どうやって他のオスと戦うのだ?」


 レガトスは不愛想に答えた。相変わらず考えが読めない男だったが、レガトスはイリーナが質問をすれば必ず答えてくれた。根は素直なのかもしれないとイリーナは思った。

 港に向かうまでの間、イリーナはレガトスにあれこれ質問した。とくに、ケルサスについてよく知っておきたかった。自分がケルサスである可能性があるからだ。


「ケルサスには色んな氏族がある。我らはアウルム族で、アウルム王国を形成している」


 レガトスによると、ケルサスは体内に核石コアが生まれつきあって、核石の生み出す「気」がケルサスを長寿にしている。「気」のおかげで魔法も使えるらしい。そして、アウルム族の核石は、金色をしているという。


「核石の『気』が強い者は、それが体内から滲み出て、髪が金色になるのだ。俺のようにな」

「『気』が弱い人は?」

「茶色か黒色になる。お前は茶髪だから、『気』は弱い方だな」


 イリーナは不思議だった。今は染めているから茶髪だが、本当は銀髪だ。ということは、アウルム族ではない可能性が高い。


(私がケルサスだというのは、レガトスさんの勘違いなんじゃ)


 イリーナは自分がケルサスだと認めたくなかった。それは、自分が母親の子供ではないことを認めることになるからだ。あんな母親でも情は残っていた。

 20分ほど歩いてようやく港に着いた。リシンを見ると、レガトスの話を聞きながらも周囲を観察しており、何やらメモしている。


「リシン警部、何をメモしているんですか?」

「気にするな。復命書の作成に必要なだけだ」

「ふくめいしょ……?」

「忘れろ。ところで、レガトスさんとやら。これはどういう事態なんだ?」


 レガトスに呼びかけながら、リシンは海の方を指さした。海には真っ白い霧が立ち込めているのだ。ブリューソフとの国境にあった霧と同じ光景だった。


「『レガトスさん』だと? 下僕の分際で。『ご主人様』と言え」


 レガトスは冷たい目を向けた。リシンは、一瞬の間の後に言った。



 ラジオから流れてくるナレーションたいな喋り方だった。イリーナは、リシンのこめかみに血管が浮き出ているのに気づいたが、レガトスはどこ吹く風で「それで良い」と満足気な様子だった。

 リシンが今にもキレそうなので、イリーナがかわりに質問することにした。


「ブリューソフとの間にあった霧と同じですか?」

「そうだ、この霧は自然発生したものだ。海や川、陸にある場合もある」

「でも、これでは向こう岸に渡れませんね」

「問題ない。日に数時間だけ、幻水橋ファントムが架かるのだ」


 イリーナとリシンは顔を見合わせた。レガトスは続けた。


「幻水橋が流れ落ちてしまう前に、向こう岸に渡る。あと少しで現れるはずだから、準備しておけ」

「ちょ、ちょっと待ってください。橋が架かるとか流れ落ちるとか、そんな魔法みたいに……」

「その通り、これは魔法なのだ。アルゼンタム帝国が、一級の魔法士をもって考案した移動術の一つだ」


 イリーナは話についていけなかった。頭のいいリシンも脳内処理が追いついていないのか、ぽかんとした顔をしている。

 その時、レガトスの馬がヒヒンと鳴き声を上げた。港に集っていた人々が、さん橋に向かって移動し始めている。


「そろそろだ。行くぞ」


 レガトスに従い、イリーナはリシンと共にさん橋に向かった。

 霧に包まれたさん橋は、大きな荷物を背負った馬と人でごった返していた。視界が悪いため、人々はぶつかり合い、あちこちで喧嘩の声が聞こえた。また何艘かの船が横付けされていた。荷を積み入れたり、もう出航しようとしたりしている船もある。

 レガトスは、興奮気味の馬をいなしながら言った。


「分かっているとは思うが、我々は殺人犯とその一味だ。目立つ行動はするな」


 その言葉に、リシンが強く反発した。


「殺人犯とその一味だと? 殺人犯はお前だけだろ。仲間を殺しやがって。一味もこのクソガキだけだ!」

「ムスカは仲間ではない。それより何度も言うが、『お前』ではない。『ご主人様』だ。まったく覚えの悪い下僕だ」


 レガトスは軽蔑したような目を向けつつ、馬にまたがった。リシンはこめかみの血管をピクピクさせて、そのまま頭を抱えてしまった。まさか、「清廉潔白な公務員」であるはずの自分が殺人犯の一味の扱いされるとは、リシンは夢にも思わなかっただろう。イリーナはさすがにリシンに同情した。

 どこからか、大きな音が鳴った。鐘の音だ。すると霧の中から、青紫色に光る薄い帯のようなものが、音もなく伸張してくるのが見えた。


(何あれ、綺麗……)


 イリーナは、まるで天使が舞い降りてくるようだと思った。そして、帯の先がさん橋に吸い込まれるように降りついた。と、堰を切ったように人々は駆け出した。ある者は馬に乗って、ある者は幻水橋をしるべに船を出した。大移動が始まったのだ。


「え、ど、どうするんですか?」


 大移動の様子に圧倒されたイリーナは、さん橋の脇に避難しつつ、レガトスに問いかけた。だが、レガトスの姿が見当たらなかった。


「奴なら馬に乗ってとっくに駆けだしている!」


 リシンが叫んだ。イリーナが幻水橋の前方に目を向けると、金髪の男性を乗せた馬が走り去って行くのが見えた。


「俺たちも行くぞ!」


 イリーナはリシンと共に、幻水橋に足を乗せた。ガラス板のように薄く透き通っているのにもかかわらず、コンクリートの上を歩いているような感覚である。


「ところで、リシン警部。さっきレガトスさんは、幻水橋は数時間だけ架かって、流れ落ちるって言ってたよね。幻水橋って、全長何キロあるの?」

「知るか。だが、俺たち以外はみな馬か船だな。やたら急いで……」


 リシンは言い終わらないうちに、額を押さえて黙り込んでしまった。せせら笑うかのように、どこかの船の警笛が鳴った。イリーナも軽い目眩を覚えつつ、走り出した。

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