第23話 この世界の常識

 レガトスが長剣を引き抜くと共に、ムスカは崩れ落ちた。地面に突っ伏したムスカは、ピクリとも動かなくなった。


(おかしな事態に巻き込まれた。でも……)


 イリーナは、レガトスが突然ムスカを殺害したことに驚きと恐れを抱きつつも、この場から逃げられずにいた。その理由は、レガトスが持っている長剣にあった。

 そもそもイリーナは、剣が振るわれる場面はもちろん、剣自体をまともに見たことがなかった。故郷のブリューソフでは、剣はもはや旧時代の遺物に過ぎない。現在軍で用いられる武器は、主に銃や大砲だった。


(剣なんて、火器の前では歯が立たない……はずだけど)


 レガトスの長剣は、イリーナが想像していた剣とは異なっていた。その剣身は青白い光をまとい、揺らいでいるように見えた。イリーナは、レガトスが「一等魔剣士いっとうまけんし」だと紹介されたことを思い出した。


(これが魔法なの?)


 あの光る長剣は魔法の一種かもしれない。となれば、今逃げ出すのは得策ではない。予想もつかない攻撃を受ける可能性があるからだ。

 イリーナが動けずにいる間、レガトスはムスカの息がないのを確認していた。そして、ムスカの手首から識別の腕輪バングルを抜き取った。


「これを左手首に着けろ」


 そう言いながら、イリーナに向かって識別の腕輪を投げた。イリーナは慌てて受け止めた。


「それを着けていれば、メルムがお前をケルサスだと認識できる」


 イリーナは、手中にある識別の腕輪に視線を落とした。ムスカの血がべっとりと付いていて、身に着ける気にはなれなかった。レガトスの方は、長剣についた血を振り払って金の鞘に納めると、鉄仮面を脱ぎ捨てた。


「え……」


 あらわになったその容貌を見て、イリーナは思わず声をもらした。黄金の髪と紫がかった青い瞳――フェルニナを彷彿とさせる美しい青年だったのだ。ためらいもなくムスカを殺害した残酷な性格とは裏腹に、精悍な顔つきをしていたのも意外だった。

 レガトスはイリーナの前まで来て尋ねた。


「『間違えられた』というのは本当だな? ブリューソフから連れて来られた者は、センタルティア様ではなく別人だと」

「本当ですけど」


 イリーナは一歩下がった。レガトスは見目麗しい青年ではあるが、軍人らしくがっしりとした体格なので、間近まで来るとやはり威圧感がある。


「そうか。ではアウルムに行こう。ついて来い」


 レガトスはそれだけ言って、また町の方に向かって歩き出した。


「待ってください。何であの人を殺したんですか。仲間じゃないんですか?」

「弱い奴は仲間ではない」

「いや、強いとか弱いとか関係ないですよね?」

「弱い者に生きる価値などない」


 レガトスは、振り返ることもなく答えた。イリーナはその無機質な言動に不安を覚えた。


(この人も、何だか信用ならない)


 とはいえ、アウルム王国に行くにはレガトスに付いていくしかない。その時、イリーナは急にリシンのことを思い出した。


「あの、実は連れがいるんです。彼もブリューソフから来た人で、メルムなんですけど……」


 すると、レガトスは歩みを止めて振り返った。


「『彼も』とは何だ。お前はメルムではない。正真正銘のケルサスだ。早く自覚しろ。あと、早く識別の腕輪を着けろ」


 相変わらずの無表情だったが、声色にやや怒りがにじみ出ていた。レガトスが初めて感情を見せた瞬間だった。

 神経を逆なでしても良いことはないと思ったイリーナは、やむなく識別の腕輪を左手首に着けた。伸縮性がある材質で、イリーナの細い手首にうまくはまった。

 レガトスはイリーナが指示に従ったのを見ると、ふと視線を遠くに向けた。


「連れというのは、あそこにいる者か」


 レガトスの視線の先には小屋があった。間もなく裏から姿を現したのは、リシンだった。リシンはレガトスとイリーナに気付くと、バツの悪そうな顔をして、2人の前までやって来た。

 リシンはスーツを着ていたはずだが、それと違う服装をしていた。濃い緑色の上着に、黒いズボンを履いている。


「リシン警部、この人はさっき知り合った人で……」


 イリーナは言いながら、レガトスに視線を送った。だが、レガトスはリシンをじっと見たまま無言だった。リシンの方も全身から警戒心が立ち込めていた。イリーナはやむなく自分が間に入ることにした。


「リシン警部は、いつの間に丘から下りてきたんだね」

「お前が戻って来ないから、探しに来たんだが……」


 リシンは手に持っていた服を差し出した。


「血まみれだぞ。これに着替えろ」


 イリーナは自分の服を見て、鳥肌が立った。上半身がムスカの血でべっとりと汚れていたのだ。このままの姿で町に出て行ったら、騒ぎになっていたかもしれない。


「ありがとう。でも、この服はどこで……」


 リシンの右眉がぴくりと動いた。イリーナの横にいるレガトスにちらりと目を向けると、すぐに逸らした。イリーナは、リシンの合図の意味に気付いて口をつぐんだ。


(やば……盗んできた物か)


 イリーナとリシン、レガトスの間に、重い空気が流れた。しばらくすると、リシンは深く息を吐き、オールバックにした前髪をぐしゃぐしゃとかきながら、観念して言った。


「そうだよ。この服は小屋で盗んできたんだ」

「鍵はかかっていなかったのか?」


 リシンの告白を聞いても、レガトスは淡々としていた。


「鍵はかかっていたが、こじ開けたんだ。職業柄、盗みの手口はよく知ってるんでな」

「職業とは、どんな仕事だ?」

「警察だ。なあ、いいだろ。非常事態なんだ。それに、あの小屋は長らく使われている様子はなかった。服だってカビていたし、無くなっても誰も困らないだろ」


 リシンは必死に言い訳をしだした。つい先日までイリーナを逮捕して偉そうにしていたリシンが、今では罪人のように命乞いする姿を見て、イリーナは噴き出した。リシンは、そんなイリーナをぎろりと睨みつけた。

 だが、レガトスから返ってきたのは予想外の答えだった。


「言い訳をする必要はない。メルムは盗みを嫌うが、我らケルサスからすれば、盗まれる方が悪いのだ」

「は、何だと?」


 リシンに困惑の色が浮かんだ。


「我らケルサスは、強い者を尊敬する。自らの努力で知識と技術を会得し、たくましく生きる者を、俺は同志と認めよう」


 レガトスは不敵に笑った。イリーナは、発言内容はもちろん笑顔の意味も理解できなかったので、引きつり笑いをした。リシンはほっとした感じで、ボサボサになった前髪を手櫛で整えた。


「何だかよく分らんが、見逃してくれて感謝するよ、軍人さん」

「俺はレガトスだ。お前はリシンと言ったな?」

「そうだが」

「アウルムに着いたら、お前を俺の従者とし、イリーナを俺の妻とする」


 イリーナとリシンは「はあ?!」と同時に声を上げた。


「意味が分からん、何で俺が従者なんだ!」

「何で私が妻になるんですか!」


 だが、レガトスは2人の問いには答えず、「付いて来い」とだけ言って歩き出した。2人は顔を見合わせた。


「リシン警部……」

「ああ……」


 2人は初めて合意に達した。どうやらこの世界では、自分たちの故郷の常識がまったく通じないらしい。

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