第21話 ケルサスとメルム

 タラスの言った通り、中には妻とみられる女がいて、台所で魚をさばいているところだった。


「さあ、ここに座って。はるばるブリューソフから大変だっただろう。お前、お茶とお菓子を用意してやれ」


 タラスが大声で言うと、妻はやや困惑したように頷き、台所の奥に引っ込んだ。イリーナはテーブルにつき、タラスはその向かいに回りながら尋ねた。


「どうやってゲートを通って来たんだ? あれはケルサスにしか開けられないはずだが」


 ゲートというのは、あの霧の中にあった白銀の扉のことだろう。だが、ケルサスとは何なのか見当もつかない。イリーナは少し考えてから、覚悟を決めて言った。


「ケルサスって何ですか?」


 イリーナの質問は、自分が異国から来た人間だという事実を認めたようなものだった。タラスは「やはりな」と呟いてから答えた。


「ケルサスは、こちらの世界の大陸を支配している民族だよ。俺たちよりも長寿だし、魔法を使える」

「つまり、おじさんはケルサスじゃないんですか?」

「ああ、違うよ。俺も元々はブリューソフの人間だった」

「そうなんですか?」


 イリーナは驚いた。自分と同郷とは思いもよらなかった。


「俺は若いころ好奇心がうずいて、あの霧の中に入って死にかけたところを、たまたまケルサスに助けてもらったんだ。それ以来、ここに住んでいる」

「さっきの奥さんも?」

「いや、妻はこちらの人間だ。でも、ケルサスじゃない」


 こちらの世界には、ケルサスとそれ以外の民族がいるらしい。長寿で魔法を使う民族と、そうではない民族ということだろうか。イリーナは続けて質問した。


「おじさんは、ブリューソフに戻らなかったの?」

「あのゲートは自分では開けられないからな。それより、お嬢さんはどうやってこちらの世界に来たんだ?」

「霧の中に入って、ゲートを開いて来たんです」

「開いたって、自分で開いたのか? いやまさか、そんな話は聞いたことがない」


 そのとき、台所の奥で何か物音がした。イリーナがそちらに視線を向けると、タラスはテーブルを指でコツコツ叩いて注意を引き、説明を始めた。


「なあ、ここに来るとき、遠くに海が見えただろう。あの海の先に、大きな大陸がある。その大陸に、ケルサスが支配する国々があるんだ。俺たちの故郷のブリューソフで、『未知の国々』と呼ばれているところだ」

「じゃあ、ここは?」

「ここはブリューソフとの国境地帯だ。どこの国にも属していない。ただ、最近はアウルム王国のケルサスがよく行き来しているな。さっきも通ったから、お嬢さんはてっきり彼らについて来たのかと思ったんだが」


 「さっきも通った」――ということは、アウルム王国の使者とフェルニナのことだろうか。イリーナは核心に迫った。


「おじさん、さっきここを通った人たちの中に、女の子はいませんでしたか?」

「ああ、いたよ。アウルム王国のケルサスが大勢で出迎えていた。何が起きているのかは分からないが」

「アウルム王国はどこにありますか?」

「海を渡ってすぐだが……」


 タラスはちらりと台所の方に目を向けた。その様子を見て、イリーナは違和感を覚えた。いつの間にか、タラスの妻の気配が消えている。


《アブナイ、アブナイ》


 突如、頭の奥から響く声に、イリーナの背筋に悪寒が走った。イリーナもようやく分かったことがあった。この声が聞こえるときは、誰かが自分に対して敵意を向けているということだ。


(まずい!)


 恐らくタラスの妻は人を呼びに行ったに違いない。イリーナが慌てて立ち上がると、タラスの顔から表情が落ちた。同時にその筋肉質な腕を伸ばし、イリーナの手首を強く掴んだ。


「悪く思わないでくれ」

「お願い、同郷のよしみで私を助けて!」


 力で勝てる相手ではないと判断したイリーナは、情に訴えかけてみることにした。だが、タラスは首を横に振った。


「かわいそうに。俺もここに来たとき、自分の浅はかな行いを後悔したよ。こちらの世界はな、ブリューソフとはルールが違うんだ」

「ルールって何?」

「ケルサス以外の民族――メルムは、奴隷なんだよ。見つけたら申告しないと、俺たちが罰せられる」


 「奴隷」とはどういうことか、イリーナには意味不明だった。歴史の教科書に、「ブリューソフで150年前に国民革命が起こり、奴隷制度が廃止された」と書いてあったのを何となく覚えている。だが、こちらの世界には今も「奴隷」が存在するということなのか。

 そのとき、玄関の戸が勢いよく開かれ、タラスの妻が現れた。


「あの子です!」


 タラスの妻は、イリーナを指さしながら叫んだ。


「あの子はメルムです!」


 妻の後ろには、男が2人立っていた。黒く禍々しい鉄仮面を被り、軍服のような服装をしていて、その胸には金色の獅子のエンブレムが刺繍されている。そして、腰には金の鞘に納められた長剣を差していた。

 タラスは、イリーナの手首をテーブルに抑えつけながら言った。


「理由は知りませんが、この子は『災いの国々』から来たようです。妻の言う通り、メルムに違いありません」

 

 タラスの発言を聞き、軍服の男の1人が部屋の中に入って来た。鉄仮面を被っていて顔は見えないが、隙間からのぞく目元や肌の質感から、若者だというのが分かった。


「いや、違うな。同族の『気』がする。この子供はケルサスだ」

「は……?」


 若い軍人の言葉に、タラスと妻は困惑して顔を見合わせた。タラスが言った。


「そんなはずはありません。それに、識別の腕輪バングルもしていません」

「確かにしていないな」


 そう言うと、若い軍人はイリーナに近づき、両腕や足首を調べ始めた。そして、イリーナのみぞおちに手を伸ばした。


「何するの!」


 イリーナは叫んだが、若い軍人は無視して、イリーナのみぞおちを何度か押した。


「間違いない、ケルサスだ。しかも我らと同じ氏族だ」


 若い軍人の言葉に、タラスは言葉を失ったようだった。そして、イリーナから手を離し、動揺する妻を傍に呼び寄せると、床に跪いて――イリーナに向かって土下座した。


「大変……申し訳ありませんでした」


 タラスは声を震わせて謝罪し、隣で土下座する妻もまたガタガタと肩を震わせていた。


(何なの……?)


 イリーナには意味が分からなかった。若い軍人は戸惑うイリーナを横目で見ながら、土下座するタラスと妻に言った。


「まあいい。こちらも識別の腕輪バングルをしていなかった落ち度はある。お前たち夫婦は本件について一切口外するな。……おい、外に出るぞ。来い」


 若い軍人はイリーナに顎で指示し、家の外に出た。イリーナは事態を理解できないまま、とりあえず後を追った。

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