第17話 偽りの公文書

 大統領官邸の応接室で、オクサリナはローゼフと共に、テーブルに置かれた1枚の文書を読んでいた。その対面に座っていたグレンはゆっくり口を開いた。


「さて、センタルティア王女が見つかりました。そちらの文書に、大統領と内務大臣の署名をいただきたい」


 オクサリナは書面にもう一度視線を落とした。その内容は、アウルム国王宛に、ある少女をセンタルティアとして認定するというものだった。その文章の下に、大統領と内務大臣の署名欄が用意されている。


(こんな一方的なやり方……納得いかないわ)


 オクサリナは、涼しい顔で紅茶をすするグレンをねめつけた。

 昨日の朝、大統領官邸は騒ぎになった。グレンが、迎賓館の宿泊施設から忽然と姿を消したからだった。そして今日の明け方になって、グレンが少女を抱き抱えて官邸に戻って来たのだ。少女は満身創痍で、今は近くの病院で治療を受けている。


「まさか王女が、あのソロキン社長の娘……フェルニナ・ソロキンだというのか?」


 ローゼフが恐る恐るグレンに尋ねると、オクサリナは補足した。


「確か、ソロキン社長の実の娘ユリアは亡くなったはず。フェルニナは養女です……ええ、確か8人目の。でも、なぜ彼女が王女だと分かったのですか?」

「私たちには同族を見分ける力があるのです。彼女は、自身を虐待していたソロキン氏を含めて3人を殺害しました。私が察知して駆け付けた時には、事は終わった後でしたが、魔法の痕跡がありました。だから、フェルニナが王女だと分かりました」


 グレンは笑みを浮かべながら言った。オクサリナはローゼフと顔を見合わせた。「魔法の痕跡」とは何なのか、見当もつかなかった。だが何より、3人も殺されたのに、笑っていられる神経が信じがたかった。


「ゆえに、署名をしていただきたい。王女は我がアウルム王国に連れ帰り、責任をもってお守りしますから」


 グレンは拳をみぞおちに当て、頭を下げた。オクサリナはその礼の作法は初めて目にしたが、敬意を表するものだというのは理解できた。


「分かった。署名しよう。大臣もそれで良いかな?」


 ローゼフは、ハンカチで頭を拭いながら言った。


「大統領、しかし……」


 オクサリナは決断できずにいた。グレンがオクサリナの指示を無視し、勝手に街に出たことへの不信感があった。しかも、まだ捜査が始まったばかりなのに、グレンの一方的な主張を信じて、このままフェルニナを引き渡すのは性急すぎる。


「署名する前に、確認したいことがあります。実は先ほど警察から、イリーナという少女が、ソロキン社長を含め3人を殺した罪で自首したとの連絡が入ったのです。もう少し調べる必要が……」

「イリーナは犯人ではありません」


 オクサリナの発言にかぶせるように、グレンは否定した。オクサリナはテーブルに手をついた。


「なぜ、イリーナが犯人ではないと断定できるのですか。自首しているのですよ?」

「イリーナは、友人であるフェルニナをかばっているのですよ」

「かばう? なぜ、グレンさんがそれを知っているのですか?」

「昨夜、イリーナにも会ったからです」

「なっ……イリーナ本人に会ったのですか?」


 オクサリナは思わず立ち上がった。


「なぜ教えてくださらなかったのですか!」


 オクサリナは怒りのあまり拳を震わせた。正式な国交も持たないどころか、そもそも国家として承認すらしていない『未知の国々』の使者が、許可なくブリューソフの国民と接触し、人の生死にかかわる重大な事実を隠していたとは前代未聞だった。

 だが、敵意の目を向けるオクサリナに対して、グレンは全く動じる様子はなかった。


「昨夜、イリーナは王女と共に屋敷にいました。2人は友人のようですから、王女が魔法を使って3人を殺害したのを見て、かばっているのでしょう」


 グレンはティーカップをゆっくり回して紅茶を飲んだ。


「でも、グレンさんは犯行の瞬間を目撃したわけではないのですよね。とすれば、それはグレンさんの推測です。現場に居合わせたイリーナが殺したという可能性もあります」

「それでは、イリーナがどうやって3人を殺したんですか?」

「……確かに警察からの報告では、3人はこれまでに見たこともない残虐な殺され方をしていて、少女がやったとは思えないと……」


 オクサリナは言いかけて、口を閉ざした。


(少女どころか、人間がやったとは思えないとのことだった。まさか……)


 考え込むオクサリナを見透かすように、グレンは苦笑した。


「私がソロキン社長を殺したとお思いですか? さすがに、そこまでしませんよ。アニマ・ストーンの交易も始まったばかりで、両国の関係を壊すことなど望んでいませんから」

「そ、そのようなことは……」


 オクサリナは慌てて否定した。確かに、グレンにソロキン社長を殺害するメリットはない。


「あの3人は、私たちの同族が魔法で殺したことに間違いありません。それは私が保証します。しかし、イリーナが同族でないことは、私が直接確認したのではっきりしています。よって、イリーナは犯人ではありません」


 次から次に理解の及ばない情報が出てきて、オクサリナは困惑した。だが、このまま引き下がるわけにはいかない。


「いずれにせよ、イリーナ本人から事実なのか聴取する必要があります」


 オクサリナがそう言った途端、グレンの目の奥が赤みを帯びた金色に光り、場の空気が一瞬にして凍り付いた。

 ローゼフは「ひっ」と悲鳴を上げてソファからずり落ちた。オクサリナもまた、その冷酷な目つきに息を呑んだ。


「文書に署名し、王女を引き渡していただければ……何もしませんよ」


 グレンはティーカップをテーブルに置いた。僅かに残された紅茶の水面が、小刻みに波紋を描いていた。オクサリナは、沸き起こる恐怖心を必死に抑えながら言った。


「グレンさん、もう少し考えさせてください。我が国のトップが署名する重要な公文書です。私も内務大臣として、疑念を抱いたまま署名することはできません」

「分かりました。私は王女のいる病院に様子を見に行きます。私が戻るまでに、署名入りの文書を渡して下さい」

 

 グレンがそう言って応接室を出ると、オクサリナは急いで電話をかけ始めた。ローゼフはそれを見て血相を変えた。


「大臣、どこに電話しているのだ。なぜすぐに署名しない?」

「ローゼフ大統領、あなたという人は本当に……」


 オクサリナが呆れたように額を押さえると、受話器から声がした。


「大臣ですか、リシンです」

「リシン警部、捜査はどうなっているの。『未知の国々』の使者が、フェルニナが王女だと言っている。しかも昨夜、魔法を使って3人を殺害したのだと」


 リシンはしばらく無言になった。


「……状況からいってあり得ません。フェルニナは体中を痛めつけられて重体です。日常的にムチで打たれており、養父に反抗する体力も気力もなかったと使用人の証言もあります。自首してきたイリーナをまずは疑うべきでしょう。自宅から血がついた服も発見されています」

「イリーナは、どうやって3人を殺したの?」

「何も覚えていないと言っています」

「覚えていない? イリーナが、フェルニナをかばっている可能性が?」

「取り調べは始まったばかりで……」


 オクサリナは聞き終わる前に、受話器を投げつけた。


「役に立たない奴ね!」


 オクサリナはソファに腰かけ、両手で顔を覆った。


「……グレンを殺しましょう。軍隊を動員してでも」

「大臣、気でもふれたか。相手は魔法を使う超人なんだぞ。しかもブリューソフはここ100年、戦争をしたことがない。絶対に負けるぞ」

「でも、こんな話に納得できません。それにもし事を急いで、人違いだったら?」

「そうだとしても、養父であるソロキン社長は死んで、他に騒ぎ立てる親族はいない。フェルニナを引き渡さない方が、かえって状況は悪化する」

「……3人殺害事件の処理はどうすれば?」

「ソロキン社長に恨みを持つ者は多い。適当に犯人に仕立て上げ、事件を収束させろ。フェルニナも一緒に殺されたことにするのだ」


 ローゼフはハンカチで顔面をひと拭いしてから、万年筆を取り、書面に署名した。オクサリナは大きくため息を吐き、ローゼフの名前の横に署名した。


「あの8人目のフェルニナは、私の年始の訓示の時に来てくれたんです。美しく賢そうで、私を憧れの目で見ていた……」

「今さら善人ぶるな。ソロキン社長にどんな目に遭わされているか分かっていて、アニマ・ストーンの利権に目がくらんで見て見ぬ振りをしたのはオクサリナ、お前だ!」


 ローゼフは書面を手に取ると、応接室を出てグレンの元に向かった。

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