第14話 フェルニナの秘密

 イリーナの住むスラムから町の大通りに出て20分ほど歩いたところに、色とりどりの美しい建物が並ぶ地区がある。


「ここが高級住宅街です」


 イリーナは歩きながら、後ろにいるグレンに説明を始めた。


「メレフは小さい町ですけど、むかし有名な起業家が住んでいた場所なんです。それに首都から近くて、鉱山に向かう幹線道路も近くに走っているから、ここに住宅を持つ経営者が多いんです」


 フェルニナから学んだ知識だった。つくづく勉強することは大切なことだとイリーナは思った。


「それで、イリーナさんはどの家に向かう予定ですか?」


 グレンはあまり説明には興味がないようだった。イリーナは少しむっとしたが、グレンの目的は観光ではないのだから止むを得ないと考えることにした。


「ソロキン鉱山会社の社長の家です。すぐ着きます」

「なぜそこに?」

「そこの娘と友達なんですけど、最近会えなくて心配だから」

「へえ、お友達想いなんですね」


 しばらく歩くと、頑丈な鉄柵に囲われた建物が見えてきた。3階建ての建物の壁は、薄い緑色に塗られていた。


(あそこだ、間違いない)


 イリーナは近所の人から、ソロキン社長は高級住宅街にある緑色の家に住んでいると教えてもらった。ソロキン鉱山会社は大企業で、その社長の家を知らない大人はいないという。


「……見張りがいますね」


 グレンが声を潜めて言った。イリーナはグレンの視線の先を辿ると、門の前に男が1人いた。さらに鉄柵の内側にも1人いるようだった。


「ニナの部屋は、西側にあると思います」

「なぜ西側にあると分かるんですか。初めて来るんでしょう?」

「以前ニナが、トルガ河の花火を部屋から見たって言ってたので。トルガ河は西にありますから」

「なるほど」

「だから、何とか見張りのスキをついて西側に回り込んで、壁をよじ登って侵入します。グレンさんはここで待っててください」

「よじ登る?」

「別に空き巣は初めてじゃありません」


 グレンはその整った眉尻を下げて、また無言になった。イリーナは何だか居心地が悪い思いがした。


「それじゃグレンさん、私はちょっと見て来ますから」

「待ってください。助太刀しますよ」


 グレンはそう言うと、正面玄関に向かってスタスタ歩き出した。


「え、ちょっ……」


 イリーナが止める間もなく、グレンは門番の男に大きな声で呼びかけた。すぐに、鉄柵の内側にいる男も寄って来るのが見えた。

 イリーナは頭を抱えたが、すぐに切り替えて、建物の西側から回り込んだ。鉄柵を軽々と越えると、彫刻を施した窓枠を足場によじ登り、あっという間にバルコニーに着地した。

 窓のなかを覗き込むと、カーテンの隙間からベッドが見えた。


(豪華な調度品に大きなベッド。子ども部屋じゃない)


 正面玄関の方に目をやると、死角に入ってグレンの姿は見えなかったが、複数人の話し声が聞こえた。グレンが気を引いてくれているのだろう。イリーナはすぐ隣のバルコニーに飛び移った。

 窓を覗き込むと、フリルのついたカーテンの隙間から、フェルニナの横顔が見えた。


(フェルニナ!)


 イリーナは声が出そうになるのを堪えて、窓を軽くノックした。フェルニナは一瞬驚いて、それから窓まで駆け寄って来た。


「ここ2階よ? 落ちたらどうするの!」


 フェルニナは窓を開けるやいなや、イリーナを小声で叱った。


「あれから来なくなったし、心配で……」


 イリーナは窓を跨いでフェルニナの部屋に入った。


「お願いよリナ、早く帰って。お父様に見つかったら……」

「まさか、おじさんに閉じ込められているの? 何でそんなこと……」

「私がふしだらな行為をしたからよ。お父様に隠れて花火大会に行ったし、あの変態にいたずらされたと思い込んでいるの」

「そんな、ニナはそんな目に遭ってないのに」


 フェルニナは悲しげに目を伏せた。


「お父様は、亡くなった娘……ユリアの育て直しをしているのよ」

「それ、どういうこと?」


 そう聞いた時、イリーナのみぞおちにまた強い痛みが走った。と同時に、廊下から足音が聞こえてきた。


「――リナ、隠れて!」


 フェルニナが血相を変えて、イリーナを勉強机の下に押しやった。フェルニナは髪を手櫛で整え、何事もなかったかのように椅子に座った。


「フェルニナ、まだ寝ていないのか」


 扉が開くと同時に、ソロキンの声がした。イリーナは机の下で息をひそめながら、みぞおちをさすった。痛みは強くなる一方だった。


「ええ、お父様。算数の勉強をしておきたくて……」


 フェルニナの言葉を無視し、ソロキンは窓の方に歩いて行った。窓枠に手を置き、その下に敷かれたマットの表面を足で払うと、何かに気付いたようだった。


「窓を開けたか?」

「ええ、少し外の空気を吸いたくて、それで……」

「外に男がいると連絡があった。私の許可なく窓を開けたのか?」


 ソロキンはつかつかと靴を鳴らし、フェルニナの方に近づいて行った。


「ごめんなさい、お父様。外でそんな騒ぎになってるなんて知らなくて……」

「不審な男が訪ねて来たのだ。観光客で道に迷ったと言っていたが、立ち退かせた」


 ソロキンはフェルニナの目の前まで来ると、ふと何かに気付いた。その瞬間、フェルニナの胸ぐらを掴んで引き倒した。フェルニナは前のめりになり、悲鳴を上げながら床に倒れ込んだ。

 イリーナが小さく声を上げ、慌てて口を塞いだ時には遅かった。ソロキンの緑色の目が、机の下に潜んでいたイリーナの姿を完全に捉えていた。


「フェルニナ」


 机の下を覗き込みながら、ソロキンは冷たい声で尋ねた。


「これはどういうことだ?」


 ソロキンの目が、ぎょろりとフェルニナに向いた。フェルニナは顔を逸らし、ベッドの足にしがみついて震えていた。


「フェルニナ、来なさい」

「お父様、いやっ、許して!」


 フェルニナの懇願を無視して、ソロキンはフェルニナの髪を鷲掴みにして、部屋から引き摺り出そうとした。


「いやあ、許してごめんなさい!」


 イリーナは釘で打ちつけられたように動けずにいたが、はっと我に返ると、すぐに机の下から這い出してソロキンの右腕を掴んだ。


「おじさん、待っ……」


 言葉を発し終わる前に、ソロキンの固く骨ばった肘が、イリーナの頬に直撃した。鈍い痛みと共に血しぶきが飛び散り、イリーナは床にうずくまった。


「お前はそこで待っていなさい。フェルニナ……お仕置きの時間だ」


 ソロキンは冷酷に言うと、フェルニナの髪を掴んだまま部屋の外に引き摺って行った。

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