第12話 リシンという男

 トラガヤ州の州都であるラドフ市には、州政府の堅牢な建物が立っている。その執務室のソファに、青いスーツを着た女が座っていた。女は悩まし気な顔をして、窓際に立つ男に向かって問いかけた。


「それでリシン警部、何か情報はつかめたの?」


 リシンは、窓の外を眺めながら答えた。


「……雲をつかむような話ですから」

「要するに、何も成果はないということね」


 そう言ってため息をついた女に、リシンは乾いた目を向けた。


「失望させてすみませんねえ、大臣。しかし、この国に14歳の少女が、どれだけいると思っているのですか?」


 リシンの嫌味を聞いて、大臣と呼ばれた女は眉をひそめた。


「大臣と呼ばないで。年をとった気分になるから、オクサリナと呼んでちょうだい。……そうね、あなたの言うことも分かる。私だって困っているのよ。なぜ今になって、14年前に誘拐された王女を捜索しなくてはならないのか」


 2か月前、『未知の国々』の一つ――アウルム王国の使者で、グレンという男がブリューソフを訪れた。14年前に誘拐された王女がこの国にいると主張し、捜索を依頼してきたのだ。警察を管轄する内務省の大臣であるオクサリナは、ローゼフ大統領からの命令で、この捜索を指揮することになったのだ。

 イライラするオクサリナを見て、リシンは言った。


「例の『未知の国々』の使者は、少女をみずから捜すと申し出たそうではないですか。それをあなたが拒否したと」

「当り前だわ。あんな得体の知れない連中を街に入れたくない。どんな悪影響があるか分からないじゃないの」


 リシンは鼻で笑った。


「行き過ぎた排外主義は考え物ですよ。彼らには同族を見分ける能力があるとか。その使者に捜させるのが合理的だと思いますが。彼らも余計な騒ぎは起したくないはず。王女が誘拐されたなんて、国恥物でしょうから」


 リシンはオクサリナの非を指摘した。オクサリナはリシンを軽く睨んだ。

 リシンは、ブリューソフの最高学府であるレナート大学法学部を主席で卒業した秀才だ。今は警察本部の職員をしている。情報収集と訊問に長けていると聞いたので、オクサリナみずからこの件の担当者に任命したのだ。

 それに加え、政治や経済、外交などの方針の違いから、オクサリナと年々対立を深めつつあるローゼフの息がかかっていない「はぐれ者」として省内で有名だったのも理由の一つだった。


(でも、こんなに扱いづらい男だと知っていたら、任命しなかったのに。やはり噂になるのは原因があるのね)


 今さら後悔しても仕方がない、とオクサリナは自分に言い聞かせた。オクサリナとしても、この件を早めに終わらせたかった。アニマ・ストーンの取引では莫大な利益が上がっているとはいえ、『未知の国々』とは出来るだけかかわりを持ちたくなかった。

 実際に、ローゼフは『未知の国々』の使者と対面して以来、公に姿を見せていない。噂では、魔法の威力を見せつけられて、心を折られたと聞いている。

 オクサリナはその細い脚を高く上げて脚を組み変えると、リシンに言った。


「リシン警部、状況を整理しましょう。王女と誘拐者はブリューソフの最北端にある、『未知の国々』と我が国をつなぐゲートからやって来たと思われる。最初に足を踏み入れたのが、ゲートから最も近くにある、私たちが今いるトラガヤ州よ」


 オクサリナが言うと、リシンは頷いた。


「これまでトラガヤ州にある10の市のうち、9市までは回りました。残りはセドナ市です。若者が集まりそうな場所からあたっていきます」

「少女の特徴をおさらいして」

「年齢は14歳。両親の遺伝を考えると、肌は色白で、髪は黒か茶色か、金色もあり得ます。我々よりも身体能力が高く、寿命も長い。魔法を使える可能性もあります」

「恐ろしい話ね。同じ人間とは思えないわ。街なかで魔法を使いでもしたら……」

「心配する必要はありませんよ。あくまで、万一生きていればの話ですから」


 リシンは口元をゆがめた。


「状況的に、死んでいる可能性が高い。何せここは、極寒の国ブリューソフです。いくら『未知の国々』の人間でも、不慣れな土地ではさすがに凍え死んでいますよ。捜索するだけ無駄です」

「あなたは本当に合理的な人ね。分かっているわ、リシン警部。捜索の期限は年内よ。それまでに見つからなければ、その使者には諦めてもらう」


 オクサリナがそう言った時、室内に電話が鳴り響いた。リシンが受話器を取った。


「オクサリナ様、大統領からです」


 リシンが送話口を手で覆いながら、オクサリナに呼びかけた。オクサリナは大きく息を吐いた。


「大臣、少女はまだ見つからないのか!」


 受話器を取るなり、ローゼフの怒声が耳をつんざいた。


「お言葉ですが大統領、昨日の今日で見つかる訳がありません」


 この腰抜けが、と罵りたい気持ちをオクサリナは必死にこらえた。


「大臣、いいかね。我が国は、アウルム王国とアニマ・ストーンで取引を始めたばかりだ。こんなことで、両国の関係が悪化したらどうするつもりだね。もし見つからなければ、君には責任を取って内務大臣を辞任してもらう」


 オクサリナは一瞬言葉を失った。


「じ……辞任ですって?」

「とにかく、年内には必ず王女を見つけるんだ。見つけたという報告以外、私は聞くつもりはない!」


 ブツ、という音とともに電話が切れた。オクサリナは全身をわなわなと震わせ、受話器を床に思い切り投げつけた。


「私をクビにするための口実に使うつもりだわ。――あのクソ野郎!」


 オクサリナは叫んだ。リシンは表情を変えずに言った。


「あなたに憧れる幼気な少女たちが聞いたら、幻滅するでしょうねえ」


 オクサリナがリシンを睨んだ時、すでにリシンは扉の方に向かって歩き出していた。


「待ってリシン警部、どうする気なの?」

「私は公務員ですから、指示された業務を完遂するだけです」

「あなたを信頼して一任するわ。警察の人員を好きなだけ動員しなさい。本件に対して抵抗する者がいた場合は、逮捕あるいは訊問を許可する」

「承知しました」


 リシンはふと思い出したように言った。


「そうそう、条件に当てはまる少女がいるのですよ。大男と対等にやり合い、地面に叩きつけられても無傷でいる」

「どこの子なの?」

「偶然にもセドナ市にいると思われますので、これから調べます」


 リシンはにやりと笑って、執務室を後にした。

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