第6話 『未知の国々』の使者

 ブリューソフ共和国の首都、ポギナ市。その中心部には、高い壁に囲われた荘厳な建物群があり、青い屋根に覆われた建物が大統領官邸である。

 その日、応接室のソファには、黒いスーツに真っ赤なネクタイを締めた中年の男が満面の笑みを浮かべて座っていた。その対面にいるのは、まだ年若い男であった。若い男は白磁のティーカップを手に取り、ゆっくりと味わいながら飲んだ。


「これがブリューソフの青バラの紅茶ですか。素晴らしいですね、ローゼフ大統領」

「我がブリューソフは文明国だ。客人に最高のもてなしをするのは、当然のことだよ」


 中年の男――ローゼフは、その禿げ上がった頭をハンカチで拭いながら得意気に言った。若い男は笑みを浮かべた。


「光栄です」


 若い男はまたカップに口をつけた。だがその余裕の態度が、実のところローゼフは気に食わなかった。


(見たところ、まだ20代だろう。私の前だというのに、ふんぞり返って生意気な)


 ローゼフはその垂れ下がった瞼を大きく見開き、若い男を不躾に観察した。

 黒い長髪はどこか黄味がかった光沢を帯び、後ろに1つに束ねている。身にまとったマントの下から見えるのは軍服のようであり、金糸の刺繍が施してある。そして、ソファには長剣が立てかけられている。


(奇妙な姿だ。それに我が国の軍人は銃を持ち、剣など持たない。これが……『未知の国々』の超人か)


 『未知の国々』――この世界の外側に存在すると言われる国々だ。はるか昔から断交状態にあり、その実態を知る者は少ない。聞くところによると、この国々に住む人間の寿命は300年もあり、魔法を使うらしい。

 『未知の国々』につながる道は、ブリューソフの内務省によって管理されていて、そこに近づける人間は限られていた。ローゼフですら、詳細は分からなかった。


「それで、グレン殿。何の用かな。まさか『未知の国々』の方が来られるとは、思いもしなかった」


 グレンと呼ばれた若い男は、カップをテーブルに置いた。


「『未知の国々』……あなた方はそう呼ぶのですね。しかし少なくとも、我がアウルム王国と貴国は、一昨年前からアニマ・ストーンの件で取引があります。そう驚くことはないでしょう」


 グレンの言葉で、ローゼフは一昨年前のことを思い出した。

 『未知の国々』の一つ、アウルム王国の使者がブリューソフを訪れて、アニマ・ストーンの輸出を求めてきたのだ。ローゼフはその取引を歓迎し、両国の間で契約が締結された。それ以降、両国の間では貿易が行われている。


「ああ、そうだったね。ただ、内務省が実務を担当しているから、私は事情に疎くてね。アニマ・ストーンの取引は、もともと私が推し進めた事業だというのに、内務省の連中ときたら……」


 ローゼフは苦々しい表情を浮かべた。

 アニマ・ストーンはブリューソフにとっては取るに足らない鉱石だが、『未知の国々』にとっては命の源であり、黄金以上の価値があるらしい。そこでブリューソフはアニマ・ストーンを輸出するかわりに、アウルム王国で産出された金銀を輸入することになった――とローゼフは聞いている。

 というのも、これらの取引はすべてブリューソフの内務省と、業務委託された鉱山会社による管理下で行われ、ローゼフは蚊帳の外に置かれていたのだった。ローゼフはこの業務のブラックボックス化に強い不満を抱いていた。

 グレンは不満の色を隠さないローゼフを見て、話題を変えた。


「失礼、今回はアニマ・ストーンとは関係ないことで参りました。大統領のお力を借りなくてはならないことです」

「私の力を? 内務省の力を借りればいい。私には何もできないよ。何せ、名ばかり大統領だからね!」


 ローゼフは鼻を鳴らした。グレンは一瞬面倒くさそうな表情を浮かべたが、すぐに真剣な目を向けて言った。


「ブリューソフでは選挙によって代表を選ぶと聞いています。まさに、あなたは選ばれた人ですね」

「そうだとも、私は選ばれたのだ。それなのに……」

「だからこそ、ローゼフ大統領。私はあなたを頼りたいと思ったのです」


 ローゼフはその言葉を聞くなり、みるみる顔を紅潮させた。


「よく分かっているではないか。そうだよ、私を頼るべきだよ!」


 ローゼフは満足気に笑った。グレンは小さく笑い、説明を始めた。


「実は、14年前に誘拐された王女が、この国にいる可能性が高いのです。そこで、国内を捜索させていただきたい」

「な……」


 ローゼフは、思いもよらない話に言葉を失った。グレンはローゼフの表情に動揺の色が浮かんでいるのを見て、ゆっくり説明を続けた。


「王女の名はセンタルティア。現国王陛下の孫にあたります。14年前、王子が禁忌を犯して生まれた子ですが、母親に誘拐されて行方知れずだったのです」

「禁忌とは……?」

「異なる氏族間での婚姻です」


 グレンがさらりと言うので、ローゼフはさらに動揺を深めた。


「異なる氏族……というのは?」

「私たちとあなた方――メルム族は、同じではありません。異なる種族です。そして私たちは同じ種族間で、さらに同じ氏族間でしか婚姻しません。しかし、王子は異なる氏族の女性と婚姻した。これは禁忌です」


 ローゼフは、手に持っていたハンカチをくしゃくしゃ揉みながら考えた。


(メルム族とは何だ? 氏族? 意味不明だ。……いや、やめよう。同じ姿形をしていても、相手は超人。考えるだけ無意味だ)


 ローゼフはハンカチを折り畳みながら気を持ち直し、グレンに尋ねた。


「なぜ、14年前に誘拐された王女を今になって捜す?」

「14年前も捜索しましたが、状況的にブリューソフの方へ連れて行かれた可能性が高いことが分かりました。しかし、こちらの国を捜索するのは容易ではなかった」

「誘拐されたのは曲がりなりにも王女なのだから、何としても捜索すべきだったのでは?」

「そうするには、帝国の許可がいるのです。しかし、当時はその許可が下りなかったのです」

「今度は帝国か? 全く意味が分からんな」


 ローゼフの率直な物言いに、グレンは苦笑した。


「そうですね。私たちは長らく断交状態にあるのですから、お互いのことを理解するのに時間が必要です。ただし……」


 グレンは姿勢を正し、強い口調で言った。


「私たちには時間がない。国王陛下の崩御が近いのです。一刻も早く王女を見つけ出し、アウルム王国に戻さなければ」


 ローゼフはようやく事情を理解した。国王が崩御した場合、その王女が王位継承者になるのだろう。だから今になって、いわくつきの王女の行方を捜し出したのだ。


「そう言われても、一体どうするつもりだね?」

「私たちには同族を見分ける力があります。最初の話に戻りますが、私にブリューソフ国内を捜索させてください。お願いします」


 ローゼフはハンカチで口を覆うと、捜索するとなった場合の手続きについて考え始めた。

 事は簡単ではない。正式に承認されていない国の、まして得体の知れない超人に、街なかをうろつかれたら混乱を招くに違いない。そうならないよう、あらかじめ警察を管轄する内務省に事態を説明しなければならない。だが前代未聞の事態だ。彼らの許可を得るための調整に相当な時間を要するだろう。


(そんな面倒ごとを、この私にやれと言うのか?)


 ローゼフは首を横に振った。


「その願いは聞き入れられん」

「……なぜです?」


 グレンは切れ長の目を細めた。


「国内を捜索するとなれば大事だ。国民が動揺するだろう」

「決して混乱は起さないと約束します」

「そうだな、どうしてもと言うなら……」


 ローゼフは咳払いした。


「アニマ・ストーンの取引では、この私が尽力したにもかかわらず、私には何の報せもないのだ。なあ、おかしいと思わないか? とはいえ、アウルム王国は重要な取引先ゆえ、今回の件も私は尽力するつもりだが……私にも限度というものがあるのだ」

「何が言いたいのです?」


 グレンは静かに尋ねた。ローゼフがにやりと笑った。


「いやつまり、それ相応の報酬というものが……」


 ローゼフが核心を言おうと、グレンに嫌らしい視線を向けた時だった。グレンの目の奥が、一瞬金色に光ったように見えた。

 その瞬間、突如として視界が白けた。同時に、ローゼフの両目に経験したこともない強い衝撃が走った。


「がっ……」


 ローゼフはソファから転げ落ちた。何が起きたのか理解できないまま、上体を起そうとした時、目の奥から焼かれるような激痛が襲ってきた。


「いっ……痛い! 痛い!」


 ローゼフはパニックになり、足がもつれ、ガラス製のテーブルに顔面から倒れ込んだ。額と頬を強打し、血が噴き出した。


「痛い……見えない! 何も見えない!」


 ローゼフは血まみれの手で目の周りを掻きむしりながら、床の上でしばらく悶え苦しんだ。その様子を、グレンはソファにもたれかかりながら涼しい顔で見物していた。

 ローゼフは激痛に耐えながら何とか立ち上がると、テーブルやソファにぶつかりながら、扉の前まで来た。


「誰かいないのか!」


 ローゼフは絶叫しながら、手探りでノブを掴もうとした時――その手首をひねり上げられた。


「ごく簡単な魔法ですよ。言ったでしょう大統領。私たちは、同じではないのです」


 グレンは、ローゼフの手首をねじりながら冷淡に言った。


「今すぐに、王女を探す許可を出してください」

「そんなもの、勝手にやれ! 私の許可などいらんだろうが!」

「正式な許可がいるのです。本物のセンタルティア王女だということを、あなたが証明するのですから」

「なぜ、私が……」

「アウルム国内の反対勢力を納得させるためです。……私たちも、一枚岩ではないのですよ」


 ローゼフは痛みのあまり、気が遠くなってきた。


「安心してください。しばらくしたら、目は見えるようになりますよ。見えるようになったら、返事を下さい」


 グレンはローゼフから手を離すと、応接室を出て行った。ローゼフは四つん這いで壁際まで行き、震える手で受話器を取った。


「今すぐ……内務大臣につなげ! 今すぐだ!」


 そう叫ぶと、ローゼフは意識を失った。

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