第2話 貰われっ子の憂鬱

 ブリューソフ共和国は、世界に30ある国の中で最北端に位置する。

 その国土は世界第1位の面積を誇るが、人口は少ない。極寒である上に、国土の約6割が森林地帯で占められていること、資源を輸出する以外に目立った産業が発達せず、貧しいことが原因であった。

 そんな国にも、暖かい春は来る。4月になると、大地を覆う雪が解け、枯れた樹木は緑の葉を芽吹かせる。石造の重々しい建物が立ち並ぶ街にも、徐々に人が増えだし、仕事に買い物にと、せわしく行き交うようになる。

 ブリューソフの首都からほど近いメレフの町にも、春が訪れていた。その賑わい始めた商店街の片隅に座りながら、イリーナは行き交う人を見定めていた。


(どうやって稼ごうか)


 町の人たちはまだ何重にも服を着込んでいる。寒さが和らいだといっても、吐く息は白い。道路の雪は完全には解けておらず、シャーベット上になっている。これがよく滑るから、仕事――スリがしにくい。ちょっとした不注意で足を取られて、普段はまるで相手にならない大人たちに捕まる可能性は大いにある。


(この状態ではリスクが高い)


 イリーナは生きていくために、14歳とは思えない冷静な判断力を身に着けるようになった。無理はしない。勝てない戦はしない。これがイリーナの信条だった。

 とはいえ、この冬の食料不足は深刻だった。いつもなら冬期に入る10月までには、野菜や果物、瓶詰などの食料品を備蓄しておくのだが、昨年は母親の父親捜しに付き添って時間とお金を浪費したせいで、十分な備蓄ができなかったからだ。


(何で帰って来ないの?)


 遠くの街に置き去りにした母親のことが気になった。復路の半券も持っているし、帰ろうと思えば帰れるはずだ。それなのに、3か月経っても戻らない。

 まさか、どこかでのたれ死んだのだろうか。そんなことを考えていると、胸の奥がざわざわしてきた。


(何で私がこんな気持ちに……)


 イリーナは両膝を抱えて顔をうずめた。「あんたなんて貰わなきゃよかった」なんて、酷いことを言われたのは自分なのに。胸の奥にあるざわざわしたものが、早く消えてくれるのを待った。

 商店の裏手の壁にもたれて座っていると、上質なスーツを着た若い男が歩いて来るのが見えた。イリーナが空き缶を差し出すと、若い男は顔をしかめて通り過ぎた。「ケチ」と呟いて舌打ちすると、お腹が「ぐう」と大きな音を鳴らした。


「ああ、もう!」


 イリーナは体を丸めて、また両膝に顔をうずめた。温かいシチューが飲みたい、分厚い肉が食べたい。猛烈に沸き起こる食欲を、何とか抑えこもうとした。

 しばらくすると、今度はイリーナと同じ年頃の少女たちが歩いて来た。みな同じ灰色のコート、斜めがけの黒いバッグをさげている。中学校に通う生徒たちだ。


「よ、リナ。久しぶりだな」

 

 声のした方を向くと、くたびれたジャンパーを着た少年が近寄ってきた。


「どうだ、調子は」

「見れば分かるでしょ」

「何だよ、相変わらず愛想がねえな」


 イリーナに冷たく言われて、少年――ユーリーは苦笑した。


「ほら、これ食うか?」


 ユーリーが紙に包まれたハムを差し出した。イリーナは無言で受け取ると、そのままかぶりついた。


「冬眠に失敗した熊みたいだぞ」


 ユーリーは白い歯を見せた。ユーリーは、イリーナより2歳年上の16歳だ。世話焼きの性格で、度胸があって腕っぷしも強く、この町の少年たちの中心人物だ。


「そういえば、今日から学校が始まるんだっけ?」


 聞きながら、ユーリーはイリーナの横に腰かけた。


「俺も学校に通いたいよ。金持ちはいいよな」


 ユーリーは羨ましそうに生徒たちを見つめた。

 ブリューソフの国民は、6歳になる春までに希望する学校に入学希望の届けを出し、学費を収める必要がある。イリーナはもう14歳なので、本来なら学校に通っているはずだ。

 だが、この国は貧富の格差が大きい。貧困層にいる家庭の平均的な年収では、とても学費を払うことができない。それどころか、子供が働かないと家計を維持できない。

 国は教育を受ける権利をうたいつつも、実際に学校に通えるのは、富裕層にいる子供たちに事実上制限されているのだ。


「ところで、リナ。お母さんは戻ってないのか?」


 イリーナは首を振った。


「まじか……」


 ユーリーははあっと息を吐いて、それからイリーナの方を見た。


「じゃあお前、今1人で暮らしてるのか。危ないだろ。この前も、そこで暮らしてる未亡人の婆さんの家に強盗が入ったばかりだし。何なら、俺の家に来るか?」


 ユーリーは熱のこもった視線を向けた。イリーナはその視線の意味に気付いて、ふいと目をそらした。


「……そうか。じゃあ、俺たちのグループに入れよ。今よりは安全だし、もっと楽に稼げるぞ」


 ユーリーの誘いは今に始まったことではなく、もう3度目だ。イリーナはきっぱりと言った。


「入らないよ。前にも断ったはず」


 ユーリーのグループとはスリ集団だ。ターゲットを数人で取り囲んで、スキをついて財布を抜き取ったりする。1人でやるよりも効率良く稼げるのは確かだ。

 だが、イリーナの母親は、イリーナが不良少年と付き合ってトラブルに巻き込まれることを嫌がった。それは、母親がイリーナに唯一見せた親心だったから嬉しくて、イリーナはユーリーの誘いを断ってきたのだ。


「でもさ、今はお母さんがいないわけだし、断る理由はなくなっただろ。前向きに考えてみたらどうだ?」

「しつこいよ。お母さんが帰ってきたら、怒られるでしょ」

「もう帰って来ねえだろ」


 吐き捨てるような言葉に、イリーナはむっとして立ち上がった。ユーリーは慌てて引き留めた。


「待てよ、言い方が悪かった。でも、お前のお母さんは帰って来るつもりはないんじゃないのか?」


 イリーナは、はっと振り返った。


「それ、どういうこと?」

「うちの親父が、むかしお前の親父から聞いたんだよ。お前は貰われっ子なんだって」


 その言葉に、イリーナの心臓が跳ね上がった。何で今になって、そんな話が出るのだろうか。


「お前が貰われっ子だと考えると、お前のお母さんが働きもしないで、お前をこき使ってたのも納得だよな」

「そんなの……嘘だよ!」


 普段は冷静なイリーナが興奮し始めたので、ユーリーは驚いて立ち上がった。


「ま、まあ落ち着けよ」 

「私をグループに引き入れたくて、そんな作り話をするんじゃないの?」

「別に作り話じゃない。前から言おうと思ってたんだけど……」

「もういいよ!」


 これ以上は聞きたくなかった。イリーナはユーリーに怒りをぶつけたい気持ちを抑え、立ち去ろうとした。


「待てよ、リナ。紹介したい子もいるんだよ。すげえいい子で……」


 ユーリーがイリーナに手を伸ばした瞬間――視界が真っ逆さまになった。灰色の空が見えたと思ったら、ユーリーの背中に軽い衝撃が走った。

 気付くと、路肩に積まれた雪だまりの上に倒れていた。数秒経って、ユーリーは自分が投げ飛ばされたことを理解した。その時にはもう、イリーナの姿は見えなくなっていた。

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