大東亜共栄圏西へ

江上

序章:全ては臣民の為に

2020年8月8日15:08

東京都

新帝国劇場前


 猛暑日にも関わらず特別高等警察特殊部隊が作戦準備を進めていた。この気象状況に最もそぐわない黒の突入服に身を包み、上半身や肩を覆うボディアーマーを着用している。彼等が被るヘルメットは軽量なOps-Core Sentryだが、それでなくとも組織と任務の特性でバラクラバを着用している。皇居から1㎞と離れていない大柄な劇場は収容人数1500人を誇り、この日は中国からの親善歌劇団が演劇を披露していた。前代未聞の人質事件に投入された兵力は宮城を守護する近衛師団、帝国陸軍特殊部隊、陸軍第12師団とその捜索連隊、警察庁機動隊及び特殊部隊、そして特高。都内に存在するあらゆる武力部門が集結している。


「うちの計画は解りました、陸軍はどう動く気です?」


「不明だ。警察も細部運用を挙げて来ない」


 特高特殊部隊の指揮車は各部署の連絡と細部調整が進展しない事に苛立ちを隠せずにいる。出動命令を受けて殺到した各部隊はそれぞれの駐車場所にすら難儀する有様で、大日本帝国帝都の守りが厳重である事の証左だった。そんな混乱の中を早歩きで進む陸軍将校が居た。戦闘服は色褪せ、防弾装備のカバーには綻びが見られる。AR-15型の短小銃、ナイツ製のSR-16で武装した特高警察の面々を気にせず進む。指揮机を並べただけの場所が指揮所として機能している様子だ。無線機は各車の物を用い、何とか情報収集と部隊配置を進めている。


「米軍のM4ですよ、こいつら特高ですね」


「そうだな。判り易くて助かる」


 2人の帝国陸軍軍人が目当てを見付けた。大尉の半歩後ろを軍曹が背負う89式小銃には特高の様なウェポンライトや光学照準器の類は備わっていない。重い半長靴で舗装路を歩く不快感は今や思考の外だ。天幕すら無いこの指揮所は出入り自由らしく、堂々とここまで押し入る事が出来た。


「黒羽大尉、入ります」


「満州国軍が何の用だ!」


 黒羽の戦闘服には満州国旗を模した部隊章を見るなり特高警察の大尉が怒鳴り付ける。植民地軍が出る幕では無いとの判断だ、大方、満州国軍へ出向中の将校だろうから。成績優良でも無ければ出世コースでも無い難ありの将校、というのが満州国軍日本人将校の評判である。陸軍は公式には満州国軍を兄弟軍としているが、悪く言えば植民地軍でしか無いと考える者は多い。結露したペットボトルとバインダーや書類、何より特高隊員が乱雑に並ぶこの空間にそぐわない来訪者に見える。


「陸軍捜索第12連隊、黒羽大尉です。話し合いに来ました」


 精悍な顔付、張りの有る肌で年齢を読ませない黒羽は口元だけ穏やかに掛け合いを始める。失礼しました、と特高の強面大尉は存外素早く折れた。指揮所の奥から近寄るのがここの指揮官だろう。個人的なケンカをしに来た訳では無いし、それは特高も同じだ。


「特高警察特殊部隊、本田少佐です。我々は突入準備を進めております。突入経路は正面玄関、西側玄関の2箇所。政府は交渉中ですが、我々は交渉結果に関わらず19時に突入し犯人を掃討する様に指示されております」


 突入経路や手段、部隊規模の説明を聞きながら黒羽は自身が把握している計画との重複点とその修正を検討した。付き人の軍曹は一見すると大学生の様な童顔だが、着痩せする戦闘服の下に有る体躯は軍人そのものだ。89式小銃には私物の負い紐が着けられ、帝国陸軍の一般師旅団より個人装備は優良だ。政府の方針が強硬策であり、交渉の結果に関わらず突入せよとの命令は各省庁を最速で巡っている。


「時間以外は全く同じですね。自分達は突入経路を変更します。近衛師団や警察は何と?」


「部下に探させていますが、話の通じる将校が見付からない様で。突入時刻に遅延は許されませんが、早期に突入する場合は合わせます」


 なるほど、と諦めた。話をする窓口が現場に無いのであれば仕方ない。犯人グループは重火器で武装しており、人質の人数を正確に把握している者は居ない。修学旅行の学生、文化人、劇場スタッフ、エレベーター整備業者、他にも居るだろう。事件開始数分の銃撃で死傷者も不明、混乱が全てを管理していた。民間人からの通報で駆け付けた救急隊も出来る事無く待機しており、近傍のコンビニは警察官や救急隊員の買い占めにあっていた。


「人質の最大見積は1200人。数人の負傷者が出ており、生死不明。救急車の接近も犯人側が拒否。人質には修学旅行中の高校生が300人ほど居るそうです」


「冗談だろ。すべてが不都合だ」


 必要な情報は不要な情報の山に埋もれた。有象無象の噂話は時にSNSから、時に報道番組から拾い上げられる。その中で特高警察の若い中尉は黒羽に素朴な疑問を訊ねた。


「今日居る陸軍部隊は、皆さんシリア帰りですか?」


「はい。本日対応している全員が先月までシリアに居ました」


 黒革のケースに収まった私物のスマートフォンを片手に中尉は応える。


「まずいですね、それは」


 犯人グループは自らの主張を動画投稿サイトでのみ報せていた。日本軍のシリアからの完全撤退と捕虜の解放を要求しており、日本政府が従わない場合は人質の処刑を進める、それ以上の内容は無かった。それが日本への報復だろうと、そんなものを汲んでやる義理は無い。勝手に煙草を吸い、黒羽は静かに考えを巡らせた。犯人グループの国籍にも憶測が飛び交い、そこに出所不明の噂話や出所が違うだけの重複した情報。それでも調整会議は進み、追って合流した警察幹部とも改めて情報をやり取りする。近衛師団の将校も向かっているそうで、到着したら同じ話をするだろう。黒羽は付き人の軍曹を呼びつけた。


「川上軍曹。部隊に戻り、2小隊を南側玄関へ動かす様に伝えろ」


「了解。戻ります」


 川上は消炎制退器の塗装が剥げて銀光りする89式小銃を背に部隊へと駆け戻って行く。上空には報道のヘリが飛び交い、外周では陸軍の兵士や警察官が市民や報道に対する規制線を展開していた。報道との押し合いに加わる唯一の女性兵士、福島彩香軍曹は聞き分けの無い報道陣への殺意を眼に宿しながらスクラムを組んでいた。これが戦前なら戒厳令を出せば済むのだが。


「規制線を維持しろ、通すな!」」


「さがれ、部外者はさがれ!」


 制止に従わずスクラムを突破しようとする利己的な報道も人質の家族も等しく警棒で殴り倒し、規制線の突破を防ぐ。警察庁機動隊と異なり群衆整理の訓練や装備が無い陸軍兵士達は苦戦を強いられていた。女性兵士の中では屈強な部類だが、他の兵士と比べれば小柄である。そんな彼女に、TVカメラクルーはサッカー部時代に磨いたトーキックを食らわせる。悪質に膝を狙うが、彼女はその不意打ちを向う脛で受けた。


「痛! この野郎殺すぞ!」


 先端に足指保護用鉄板の入った半長靴を徒手格闘そのものの前蹴りでカメラクルーの股間へと食らわせる。軸足から体重を正確に伝えたその蹴り足は直角に近い角度で睾丸とその入れ物悉くを打ち抜いた。その様子を見た周囲の陸軍兵士も咄嗟に目を向ける。


「うちの兵士に暴力振るってんじゃねーぞコラ!」


「女しか殴れねーのかこの野郎!」


 高価なカメラを手放して股間を手に崩れ落ちるカメラクルーだった男に陸軍兵士達は警棒を振り下ろした。文字通りの滅多打ちで、彼は男子としての尊厳以外に幾つかの骨を破断された。硬質素材の警棒がしなる威力で全身に打ち込まれ、どこが痛いのかも判らず苦痛に簀巻きにされたこの男は全治6か月の重症だった。各部隊の正面で乱入した者は負傷の程度こそ別にしても侵入者を撃退している。


「待って、暴力は辞めて!」


「さがれと言ってるだろうがコラ!」


 同じ放送局の腕章を身に着けたリポーターの女性も男性兵士が即座に蹴り倒し、陸軍は規制線を維持した。勢い良く倒された女性リポーターの細い左足は組み立て方を誤った人形の様だ。部隊は断末魔の叫びに動じる様子も無く、全く追い打ちすらされない。この規制線ですら現場部隊が独断で選定したもので、各部隊が手近な部隊とその場で声を掛け何とか敷地内への侵入を阻止している。政府が早々に戒厳令を出していれば済々と強制力を持って臨めたが、それが無い以上は実力で臨むしか無い。一部の報道関係者が両手を挙げて恐る恐る近付く。


「解った、解った、暴力は辞めてくれ……‼」


「頼む、この人たち死んじゃうよ!」


 白目を剥いて丸くうずくまる男や膝の関節が不自然な角度になりタイトスカートの中から失禁して泣き叫ぶ女を同僚に引き上げさせ、報道部隊を追い払った。各部隊の移動や停車位置もある程度定まった様で、現場の混乱は収束する兆しを見せる。発砲許可が有ればこんな苦労はしないのにと30代の軍曹は呟いた。呼んでも救急車は来ないだろうが、この規制線防御で死者は出ていない。警察官にとっては市民の整理かも知れないが、帝国陸軍にとっては防御戦闘でしかない。軍隊は力を小出しに出来ない組織だ。


「2中隊だ、交代する。1中隊さがれー!」


「了解!」


 シリア派遣隊の中でもイスラム教徒狩りに専念していた第2中隊は流石の気迫で、その隠す気が微塵も無い暴力性を纏った隊伍は迂闊に撮影する者すら立ち去らせる。部隊交代を行い、整然とした部隊を超えて待機位置に近付く者など居なかった。交代してどうしろという指示も無く、1中隊長は車輛位置での待機を指示して即応支隊指揮所へと走る。そして、劇場内で爆発が起きた。全員が振り返ると、新帝国劇場の3階部分から黒煙が上っていた。

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